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三羽




 いつの間にか夜は更けていた。時計を見れば日付が変わって一時間と二十分ほど経っている。

 とにかく走り続け、地元の子どもだけが知っているかくれんぼスペース、建物と植木の隙間に転がり込む。街灯の光も届かない小さなスペースだ。明るい夜に弾きだされ、行き場のない小妖怪が屯している。



 凛は、日の当たらない壁に生えた苔を気にせず背をつけた。小刻みに呼吸が続く。息が吸えない。顔色は真っ青だった。がたがたと震える身体は寒さが原因ではない。


「あれだけの状況で飄々としていたはずだが」

「怖く、なかった、わけじゃ、ない、よ」


 続かない息を噛み締めて、無理矢理空気を飲みこんだ。硬い塊が喉を通り、痛みを齎す。動揺はそのまま死を招くと、教えてくれたのは怪だった。


 人が禍々しさの象徴と描いてきた彼らより、人のほうがよほど恐ろしい。幽霊と怪どちらと一晩明かすかと問われれば、凛は迷いなく怪を選ぶ。彼らは一貫性がある。約束は違えない。故に滅多に約束などしないし、彼らの主張も行動も最後まで変わらないものだ。人間のようにその場その場で沸きあがる感情に支配されたりしない。人間といるなんて、いつ襲い掛かられるかと眠れやしない。


 深く息を吸って、吐く。ようやく震えが治まってきた。


「この世界は精神力が物を言う。微かな動揺が命取り。恐怖も動揺も後で好きなだけできるのだから、慌ててしなくてもいいと習った」

「良い師だ」


 真面目な顔をして言う藍がおかしくて、思わず笑ってしまった。鞄の中から肩に移動していた繭の中身に頬を寄せる。


「この子の親だもの」


 それは藍と同じほどの大きさの蜘蛛だった。しっかりとした足はタランチュラを思わせたが、色合いは蝶のように鮮やかだ。背には透き通った水緑色の模様が羽のように彩っている。


「ありがとう、二葉。眠ってたのにごめんね」


 大事な友達の蜘蛛は小さく糸を吐いて尻を振った。普段は繭の中で眠っている。鞄の中を覗かれても白い小物で済むからだ。

 きちきちと音を立てる蜘蛛に微笑む凛を見て、藍は警戒心を滲ませた。


「怪を従えるのか」

「違う。友達」

「友達? そいつ等との間に利害関係がないというのなら認めてやってもいい」

「利害関係……私の話し相手をしてくれるお礼のお菓子かな…………」


 真摯に考えて答えたのに、ぬいぐるみは沈黙を持って返答と変えてくれた。







 藍はじっと凛を見上げた。どことなく幼い顔立ちだが何処にでもいそうな日本人の顔だ。際立っての異常は髪の長さだ。今は一つに結ばれ服に溶け込んでいるが、確認した範囲では背中を覆っている。現代ではあまり見ない長さだ。

 力なんてないと言い切る割には、今も地面に屯している下等妖怪が視えている。風来坊のように気配の稀薄なものとすら会話が成立していた。憑いているだけで何の関わりもないこのぬいぐるみから藍を視たのも、低能力では難しい。





「物を言わす精神力があるのなら、さっさと移動しろ。まさか糸は繋げてないだろうな」

「二葉はその辺抜かりないの」


 不機嫌な言い方に、凛は藍の頭を弾いた。


「何をする」

「巻き込んでおいて、偉そう」

「謝罪は済んだ」

「あれ一言!?」


 びっくりだ。いきなり首を切断されそうになったことより驚いた。


「分かったら早く移動しろ。一度の失敗であいつらは引かない。その上お前は未成年だろう。補導されるぞ」

「誰の所為よ、誰の! ………ああ……二葉は可愛いねぇ……いい子ねぇ……」


 愛らしいファンシーなぬいぐるみより、蜘蛛に癒される女子高生がいてもいいと思うのだ。二葉は喋れない代わりに、前足をしゃかしゃかと振った。




 場所を借りた小妖怪達に金平糖を振舞ってその場を後にする。時間が時間なため閑静な住宅街に人の姿は見られないが、凛にはとても騒がしく見えている。人間が闇を弾いたといっても昼間より行動範囲が広がる妖怪達は、ここぞとばかりに遊びまわっていた。

 干しっぱなしの洗濯物をかぶって遊んでいる小鬼に声をかける。


「今日は祓い人が近くにいるから大人しくしてたほうがいいよ。皆にも教えてあげて。私にも、近くに来たら教えてほしいな」


 饅頭を渡すと、小鬼はそれを枯れ枝のような長い指で大事そうに包み、一つ頷いて消えていく。凛はそっとため息をついた。明日、この家の家人は下着泥棒にあったと認識するのだろう。用途の分かっていない小鬼が犯人なので、どうか安心してほしい。




「何処へ向かっている」


 鞄に押し込んだ藍は不機嫌だ。


「秘密」

「僕の身柄を保持しているんだ。説明を要求する」

「謝罪は聞いたけど、私だって説明を要求したいやい」


 だんまりに入ってしまった藍に、凛はため息をついた。年末の夜は寒い。何をやってるんだろうと思わないでもない。今頃は豆腐ステーキを食べて、温かい布団で眠っているはずだったのに。

 ため息をついた途端、小石に滑った。


「うわっと!」

「粗忽者」

「真夜中なんです。小石なんか見えるかい!」


 何が悲しくて命を危機に曝し、夕飯を抜き、寒さに震え、ぬいぐるみに悪態をつかれなければならないのだ。愛らしい不機嫌の塊の所為で、いつもより数倍重く感じる鞄を持ち直す。


「何故、助ける」


 くぐもった声は淡々としていた。


「僕はお前に何の説明もしていない」


 悪いほうの味方は嫌だ。凛は確かにそう言った。


「私、あの人、嫌い」

「僕は嫌いじゃないとでも?」

「あはは! 嫌われる言動があったって理解してたようで何よりです」


 苦笑して鞄から藍を取り出すと、そのまま肩に並べた二葉に頼む。落ちないように糸で繋がれた藍は、頬の横で憮然としていた。







「…………この寒空で水浴びの趣味が?」

「放り込んでやろうか」


 凛達がいる河川敷は、明るい内にはジョギングや犬の散歩コースとして賑わうが、真夜中は人がいない。偶に若者が集まっているものの、一度警察に集団補導されてから回数が減っているし、この寒い年の瀬。わざわざ河原に集まったりもしないだろう





 凛はどんどん歩いていく。整備されていない場所が目立ち始め、最終的には道がなくなった。川の環境のためと放置された葦が密林を作り出している。その中を凛は躊躇いなく進んでいった。足場はないと思えたが、丁度人の歩幅の位置で何かしら台に出来る物がある。背の高い草を掻き分けて奥に進めば、周囲から少女の姿は見えなくなった。


 都心とは比べ物にならない田舎でも、人が暮らす真ん中にある川は汚れている。泡だったり異臭を放っていないので、暑い日は学生が飛び込んだりしているが、凛は遠慮したいくらいにはしっかりと汚い。

 引っかかったゴミに転ばないよう注意して黙々と進む凛の肩から無言で成り行きを見ていた藍は、あちこちに妖怪の姿を見つけた。この街はやけに妖怪が多いと思ったが、ここは特に密集している。中級妖怪、中には上級妖怪の姿も見えた。小物とは違い縄張り意識の強い上級妖怪が揃って諍いもしていない。妖達はこちらを見ていても拒絶していない。藍という異物をちらりと見たが、手を出してはこない。ここは凛のテリトリーなのだ。彼女はここで受け入れられている。少なくとも、正体の分からない藍という異質を見逃せるほどに。

 藍は愛らしい姿には似つかわしくない顔をした。




「……これほどの場所、他者に曝すべきじゃない」


 これには凛が噴き出した。その拍子にくしゃみが飛び出て止まらなくなる。深夜に外を出歩く予定はなかったので、状況にしては薄着だったのだ。


「巻き込んどいてそれ言うか。藍が説明してくれないから、伝手で探るしかないじゃない」


 再びだんまりが返ってくる。


「大丈夫。藍は言いふらしたり、まして『退治』なんてしないでしょ?」

「どうしてそう思う」

「女の勘」


 発揮する場所が違うと凛は自分でも思ったけれど、藍が何も言わないのをいいことにそういうことにしておいた。






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