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二羽



 

 不意に一際強い風が通り過ぎて、凛は慌てて長い髪を押さえる。


『凛』

「風来坊」


 凛は風の中に紛れた声を捉え、藍も反応した。


「……怪の声まで聞くのか。所属無しだとすれば危ういぞ」

「姿も視えるよ。それはともかく、そんなに慌ててどうしたの?」


 いつもじゃれるようにくすぐったい風で纏わりついてくる風来坊達は、まるで嵐の前触れであるかのように凛の周りをぐるぐると回っている。髪が巻き上げられて視界の邪魔になっていたが、それを咎める前に風来坊達は畳み掛けてきた。


『危ういよ。お逃げ』

『それを捨て置けい』

『来るぞ、来るぞ、祓い人が来るぞ!』


 頭の中で直接波紋を広げて聞こえる声は、老人のようであり、子のようでもある。老若男女の声が入り乱れて広がる。鳥のようにも、歌のようにも、水のようにも聞こえる声が酷く慌てて乱れていた。


 祓い人は、一般人からすれば困った時に現れる正義の味方だ。だが、凛のように人外を友に持つものにとっては鬼門だ。中には善悪を確認せず無造作に全部祓う者がいる。人間の都合だけを取れば、そのほうが楽だし手っ取り早いのだ。

 凛は慌てて風を掻き混ぜるように腕を振り回した。


「祓い人!? 風来坊、早く逃げて!」

『おれ達ちがう』

『違う違う』


 風がくるくると凛の髪を掻き混ぜる。


『そいつだ』

『こいつぞ』

『彼奴じゃ』


 兎の耳が揺れた。風が奪おうとした小さく柔らかい物を慌てて掴む。


「こら!」

「伏せろ!」

『『『来た!』』』


 声は全て同時だった。

 風に押されて力を無くした膝が地面に叩きつけられる。がつんと打ち付けて涙目になるも、痛いとのたうつ暇はなかった。

 頭の上を闇が通り過ぎていく。かろうじて夜ではなかった周囲の色が全て飲み込まれ、隣の電柱も見えなくなった。風の気配も感じない。




「……どうして人の気配には疎いんだ」

「……別に人外にも敏くないやい」


 ねっとりとした闇だ。空気の密度が増して息苦しい。

 浅く息を繰り返し、最後に大きく吐く。今はただの闇だが、始めはこれが凝縮されて首を狙ってきた。刎ねるつもりだったのだ。後ろから放たれたそれは風来坊達のおかげで回避できた。後で何かお礼をしなければ。

 凛は、長く細い息を吐き続け、精神の安定に成功した。



 振り向いてもいない相手が避けるとは思わなかったのだろう。襲撃者は警戒しているのか姿を現さない。パニックにならなかったのは、普通の人より少しだけ耐性があったからだ。命の危機に曝されたのは珍しいが。

 手探りに鞄の感触を確かめて中をまさぐる。藍に当たってふわふわとした感触が甲を擽るので、こんな状況なのにちょっと和んだ。

 一つ目の目的物をとんとんと指でつつく。掌サイズの繭だ。ごそりと動き出したそれに、ぬいぐるみが引いたのが気配で分かった。

 何を言われても構わないけれど、面倒なので先手を打つ。


「嫌だぁ、このご時世に追っ手にかけられてる少年なんて」


 それも命を狙うなんて、あまりに非常識な状況だ。


「それは悪いと思う。けれど、三割はお前の所為だ」

「はい?」

「怪と当然のように会話を交わし、尚且つ全身黒尽くめ」

「ほっといてください」


 最初の謝罪らしき言葉は何処にいった。淡々と連ねられる言葉に申し訳なさは欠片も見つけられない。

 闇が揺れる。視界ではなく肌が感じ取った。抵抗の術無しと見たのか、攻撃者が闇の向こうから姿を現し始める。

 ゆらりと緩慢な動作で現れたのは、唐笠を深く被った茶装束三人だ。腕にある模様を知っている。朱鷺の姿をもじった朱鷺色の模様。使用するのは日本の名を持つNYSだ。


「まるで僕のようだ」

「え……」

「だから僕が実体を取り戻したと思われた。早く僕を奴らに渡せ。そして別人であると認識させろ。殺されるぞ」


 輪が縮まる。じりじりと近寄ってこようとしている。凛はまだ鞄をまさぐっている。


「まさか」

「殺そうとしていただろう。完全に非公式な追っ手だ」

「だったらわざわざNYSの制服着なくても」

「特権が多い。着ていたほうが利が大きい」


 取り憑かれた人間が兇暴性を持っていたら、最悪の場合、除霊を理由に殺傷が許されていた。自傷他害の恐れがある場合のみとあるが、突発的事態が多いこの手の案件では礼状がなくても執行される。度々マスコミから批判が起こっているが、仕方がないとの意見も多い。

 NYS発足当初は礼状を取っての許可となっていたが、祓い人側の死傷者が続出した。許可が間に合わず、相打ちのように双方が死亡したことも少なくない。


 しかし、そんな事情は今の凛には知ったことではない。

 唐笠の下に確かな殺意を確認して、凛の背は恐怖を自覚した。


「藍、は、何をしたの?」

「聞いてどうする」

「悪いほうの手助けはしたくないのが人情でしょう。殺人教唆も幇助も、嫌よ」

「奇妙な奴だな」


 藍は、微かに笑ったようだった。どくどくと鈍く激しい心臓の鼓動を感じながらも、凛も小さく笑った。

 男が懐から何かを取り出す。それは懐では治まるはずのない刀だった。すらりと取り出すにはあまりに異様で、例えるならばぬらりと引き出されていく刃物に、ごくりと唾を飲み込む。


「いつの間に包囲を脱し、身体を手に入れた。化け物め!」


 嫌悪感を吐き捨てた言葉と同時に、刀が突き出される。


「逃がしたお前達が間抜けなだけだ。主同様、お頭が足りないようだな、馬鹿が」

「貴様っ……!」

「こんな身体が僕のものだと? 使い勝手が悪くて困っていたところだ」


 とり憑かれた覚えはない。

 だが、男達は凛が憑かれたと勘違いしたらしい。そして、それを狙っての言葉だと理解した凛は、こそりと嘆息した。ぬいぐるみとは違うふわりとした感触に指を絡めると、細い足をするりと絡めてくる。指先でちょいちょいと撫でる。




「人間国宝ともあろう方が、まさか一般市民にとり憑くなど思いもよらなんだ」


 新たな気配に闇が揺らぐ。

 一人だけ衣装の違う赤装束の男は、三人と同様にずるりと刀を取り出していく。しかし、その長さは桁違いだ。三人が太刀ならば、男が取り出すは大太刀だ。人の背を優に超える刃物を身の内から引きずり出した男は、それを平然と背負った。

 布で顔下半分を隠していてほとんど顔を見ることができないにも拘らず、凛は嫌悪を感じた。初対面の人間におぞましいほどの嫌悪を感じるのは初めてだ。身体中の毛穴が開いたような不快感が全身を走る。何がそうさせるのか分からないが、恐らくは瞳だと見当をつけた。 

 視線が、嫌だ。


「……またお前か。よほど暇と見える」

「人に触れるを最も嫌悪するあなたが他者に入り込む。想像もしませんでした」

「己の浅慮を自慢するような奴と会話する趣味はない」

「相も変わらず手厳しい!」


 ぴしゃりと額を叩いた男は、何が楽しいのか大声で笑った。

 三人を引かせ、自らが近づいてくる。凛は、相手の歩調に合わせてじりじりと後ずさりながら鞄の一番下に引っかかっていた物を掴み出す。小瓶の蓋を片手の指先だけで開けた。

 闇はいい。こちらの手元まで見えないのだから。そして、身の内も包み隠してくれるから。


「お戻りください。そうして赦しを請いなさい。さすれば命はお助けできましょう」

「紀煉さま!? しかし、こやつはあの御方の元から出奔した奴ですぞ!」


 激昂する部下を制し、紀煉と呼ばれた男は目を歪ませた。ねとりとした視線が凛の肌を撫でていく。

 見られているのは自分ではないと分かっているのに、吐き気がする。伸ばされた手が頬に触れようと近寄ってくると、胸の中心が熱を持った。胸を貫いた灼熱の名を、凛は知っている。


「「触るな!」」


 響いた声は二つだ。撥ね退けた手を呆然と見つめ、凛は自分で驚いていた。


「それが答えですか?」


 楽しげな男から距離を取ろうと飛びずさる。いつの間にか刀三本が突き出されていたが、紀煉はまだ何も手にしていない。彼の獲物は背負われたままだ。

 ならば空っぽのまま消えればいい。

 長い髪がざわりと波打つ。



 オマエナド、キエテシマエバイイ



 自分でも恐ろしいほどの冷酷な激情が湧きあがる。

 気がついた時にはぞっとした。凛の中を占拠した感情には覚えがある。覚えがあったからこそ、凛は青褪めた。初対面の人間に抱いていい物ではなかったからだ。



 湧き上がったそれを振り払うように、小瓶を闇に叩きつける。親指ほどの量しかなかったそれは、あっという間に凛の足場いっぱいに広がり、どろりと浮かび上がっていくのは世界を覆う闇だ。闇が、溶かされていく。

 凛は闇の中にぽっかりと開いた穴に飛び込んだ。





 躊躇いもなく穴へと滑り込んだ凛に、紀煉は目にも止まらぬ速さで刃を抜いた。その刃に向けて白い糸が飛ぶ。紀煉はしなやかに飛びかかってきた糸を両断したが、糸は見た目に寄らず鋼のように硬かった。それなのに散った糸は刃に絡みつき、切れ味を鈍らせる。


「これは……」


 溶かされ剥がされていく闇に飛び込んだ、無謀とも勇敢とも呼べる部下達は、次の瞬間悲鳴を上げた。


「何だ、これは!」


 闇に開いた穴を塞ぐ形で白い線が走っている。それを身体中に巻きつけ、もがけばもがくほど絡みつき、終には指先も動かせなくなった。


「怪の糸、だと?」


 紀煉が追っていた少年の手札にそんなものはなかった。たとえあったとしても今はすべてを剥ぎ取られた状態のはずだ。身体すら剥ぎ取られているのだから。

 ならば、あの少女か?

 思い出すのは、少年の実体と似た格好の少女だ。憑りつき、意のままにしているが故に同じ格好をしているのかと思いきや、あの時聞こえた拒絶は確かに二人分だった。


「面白い…………」


 この期に及んで何を持ち出してくるのか。

 長い舌で唇を舐め、男はくつくつと笑った。





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