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十五羽



 十二月二十八日。



 宣言どおり、藍は身支度が整うまで眠り続けた。

 三人一組が基本だと聞いてはいたが、どう見ても幼すぎる三人組だ。班長の藍が十五歳、譲理が十四、愛に居たっては小学生だ。それでも実力は申し分ないらしい。その辺りの事情を、凛はよく知らない。


 口は勝手に藍が喋り、作戦だか確認だかをしている。凛は暇なので片手で二葉をつついて遊んでいた。霰と霙は二葉の糸芸をいたく気に入り、両手を叩いて喜んでいる。


 急に二葉が白熊ほどの大きさになった。寸分遅れて譲理が刀を抜く。


「愛、人形出せ!」


 怒声に愛は慌てて人形を散らす。狛犬の結界の中だからこそ、物の怪の領分でも安心していた。人間社会に戻れば、文明の利器が彼らを捉える。星の高さから探されては道も歩けない。だからこそ物の怪世界との境目に留まっていたのだ。

 二葉の足の間から見えた光景に、凛は反射的に胸を押さえた。唐笠の茶装束。先頭に立つ赤装束。どくりと心臓が脈打つ。違う。痣だ。痣が脈打ち熱を持つ。激情が中心から染み出して行き、凛を支配していく。これは、誰の感情なのだろう。





「紀煉! 寄るな!」


 何の牽制にもならない言葉を吐き出し、譲理は蜘蛛の怪と並んだ。隣が夜叉丸だったらどれだけ安心したことだろう。あれほど強い怪を、譲理は知らない。従えているのが班長でなければ即座に封じてしまうべきだと言われているほどだ。

 渇く唇を無意識に舐めた譲理に、紀練はともすれば慈しみに見える笑みを浮かべた。


「下がれ、譲理。同じ超人系だが、お前と俺の差は歴然だ。俺は才ある人間はとても好きだが、無謀な馬鹿は嫌いだ。それともいま死ぬか?」


 譲理は弱いわけではない。大人など簡単に叩き伏せる。けれど敵わない相手なのだ。かといって、引くわけにも行かない。


「裏切り者! 神の使途だか知らねぇけど、異国と手を組んで日本を裏切る気か!」


 一瞬きょとんとした紀煉は、子どものように表情を崩した。


「異なことを。俺は国など興味はない。俺は才ある人間が好きだ。才あり、他者と違う人間が好きなだけだ。譲理、お前とて嫌いではない。だが、出来るならもう少し人から離れろ。人でありながら人ではない。そんな美しい存在になった時、俺はお前も迎えに行こう」

「誰が行くか、ボケ! 班長も一刀両断しただろう、そんな馬鹿げた誘いなんか!」


 何かが譲理の頬を擽る。それが相手の髪だと気づいた時、紀煉の指は譲理の首を掴んでいた。早い。拒む為に上げた手は、掴み終わった腕しか捕らえられなかった。


「ふ……面白い」


 口角を吊り上げて指が離れる。紀煉の指には白い糸が巻きつき、嫌な音をたてていた。





 紀煉は一振りで糸を払いのけた。凛は舌打ちする。二葉の糸は蜘蛛の糸。一度捕らえられれば火もなしに逃れられるはずがないのに。


「それが今の貴方の器ですか。怪使い……よくもまあ、次から次へと才が集まるものだ。だからこそ俺は貴方が好きだとも。貴方は他者と違う。違いすぎるが故の孤独が美しい。しかし……今はどちらですか? 貴方のような色で、貴方と違う瞳に見える」


 風が凛の長い髪を絡めて走り抜けていく。否、身の内から溢れだしている。体の中を憎悪と殺意が渦を巻く。分かった。分かってしまった。初めて見た瞬間から、常識と理性を突き破って暴れだした感情は正しい。

 凛の本能は、半分を引き千切った相手を正しく理解していた。


「……お前だ。やっと見つけた。やっと分かった。お前だ、お前がレンを殺した!」


 髪ゴムが引き千切れ、視界いっぱいに黒髪が広がった。凛の激情に飲み込まれた藍の力が暴走している。


「彼はまだ死んではいないが? そんな勿体ない死に方は許せない」


 藍ではない凛の言葉など気にも留めない。そのことに怒りは湧かない。もう、沸点は越えているのだから。

 凛は紫色の鞘から刃を抜く。四つ辻女郎と対峙した時とは違う短刀だった。フェンシングで使うように細い鈍色の針。その先からぽたりぽたりと透明な雫が垂れる。


「立花錬」


 初めて、紀煉が『凛』を見た。



「……お前は誰だ」

「あんたに名乗る必要はない。私は錬を愛していて、あんたを憎んでいる。知る必要があるのはそれだけでしょう!」


 電子音が止めるを聞かずに飛び出した。思考は既に赤い。目の前の仇しか見えない、聞こえない。それでいい。


「お凛、結界から出ちゃだめ!」

「お凛、結界から出ちゃだめ!」


 紀煉ほどの相手から身を護れる結界を広範囲には張れない。分かっていて凛は走り出した。視界は白と黒と赤でいっぱいだった。白い糸は雪のようで、自分の髪はあの日の彼のようで、赤装束は彼が流した命だ。


「リんサン!」


 いつ抜いたかも分からない刃が胸を貫いた。胸元に咲く花を散らすように。衝撃に身体が揺れる。何かが割れる音がした。

 表情を歪めて飛びのいたのは紀煉のほうだった。後には俯く凛が残る。握る凶器に血が付着していた。針の先から赤い水滴が滴り落ちる。

 その音に合わせて、緩慢に凛の顔が上がっていく。動きに反して異常さは見つけられない。瞳だけが、燃えるように。


「なぜ……」


 凛は無言で首飾りを引きちぎる。そこには紐しか残っていない。足元には砕け散った石がある。紀煉は腕の内側を押さえて舌打ちをした。御影石だ。一度だけ持ち主の身と引き換えに犠牲になる石。稀少な価値ある石で、一般人が易々と手にしていい物ではない。


「一般人のど素人に、よもや傷つけられると思わなかったでしょう。ずっと、ずっと待ってた。あの日から、ずっとっ!」


 怒声と共に駆け出した茶装束から白い糸が少女を守る。譲理と愛も慌てて参戦した。初めて会ったときから印象的だった、明るく何事にも動じない笑顔は影も形もない。まるで無表情。二人はひどく動揺した。


「あんたは、私とランのことなんて何も知らなくていい。分からなくていい」


 藍が主導権を奪えないほどの激情。


「ただ死んでくれたら、それでいいっ……!」


 周囲を囲んで輪を縮めた茶装束を一睨みして、武器を歯で挟む。開いた両手には色の違う扇が構えられていた。切り結んでいた譲理を二葉の糸が捉え、狛犬の結界に放り投げる。

 ぱんっと勢いよく開かれた扇から二種の芳香が溢れ出す。風を切って回った凛は静かに扇を閉じた。直後、茶装束達は激痛に身悶えることとなる。

 この毒香は死を招きはしない。ただ、息も出来ぬ激痛は、神経を直接焼くかの如き苦痛を齎す。

 一人芳香から逃れた紀煉は、高い枝から忌々しげに凛を見下ろした。僅かに掠っただけの腕から痺れが全身を伝う。


「毒針毒液毒香。全てあんたを殺すためよ。錬を殺したあんたを憎むためのものよ!」


 半分。正しく半分だったのだ。半身をもがれた痛みを知れとはいわない。知らなくていいから、死んでくれ。堕ちろ、地獄に、闇に落ちて業火に焼かれ、悶え苦しめ。

 仮令、お前を殺した罪で同じ業火に堕ちるのだとしても厭うものか。


 激情が渦巻くのに思考はやけに冷静だった。鞄の中に詰め込まれた物を正確に把握し、反芻する。超人系で世界を制した相手に肉弾戦で敵うはずがない。なればこその御影石。どちらにしてもこの勝負、凛の勝ちだ。相手がどれだけ鍛えていようと、地獄蜂の針に触れて無事でいられるはずがない。どのような手段を取ろうと、紀練は何かを失う。だが、それだけでは足りない。紀練は奪った。凛から、錬を、錬の命を。


「殺してやる」


 喉奥から獣の唸りのような言葉が滑り出る。憎悪が躍り出て止められない。

 止めるつもりも、ない。


『やめろ、凛! そいつは僕の仇だ!』

「嫌よ。こいつは私の仇よ。生涯懸けて憎むべき相手よ!」


 凛に憎悪を教えたのはこの男だった。仮令相手がそうと知らずとも、凛は知っている。そして決して忘れない。

 紀煉の身体が崩折れる。落ちてくる身体を冷酷に見つめ、凛は両手を打ち鳴らす。毒針は一本の矢へと姿を変え、鞘は弓となった。ぎりぎりと引き絞り、狙いを心臓へと定める。

 心音が一際大きく響く。


『あなたが殺すな!』


 声が、うるさい。なんで、今になってそんな、切羽詰った泣きそうな声で。


『その手を汚させたら、僕はあの人になんて詫びればいい! 頼むから、お願いだからっ……! ランの幸であるあなたが変わってしまわないで! あなたをこの世の幸だと言い切ったあの人のために、あなたが変わってしまわないで!』


 凛の身体がぴたりと止まる。

 それが誰に意思によるものなのか、凛にも分からなかった。




 動きを止めた隙を紀煉が見逃すはずもない。

 いつの間にか切迫していた大きな掌が凛の頭を鷲掴む。直前、掌に見慣れない模様が描かれているのが見えた。


「離せ!」


 頭を軸に足が宙を掻く。視界が覆われて何も見えない。我武者羅に振り回した腕を紀煉のもう一本が掴んだ。


「あっ」


 呆気なく、痛みを感じる間もなく、右腕が折れた。


「あ、あ、あ」


 痛みが競りあがってくるのに、呆気なさが勝って呆然とするしか出来ない。中で藍が叫んでいるが主導権が移らない。あの掌だ。あれに何かが書いてあった。何の術か凛には判断がつかない。


「お前のおかげでこちらの余裕がなくなった。とんだイレギュラーだ、お前は。全員動くな。動けばこいつの首をへし折るぞ」


 頬を打たれて視界がぶれ、脳が揺れる。振り回そうとした足に何かが刺さった。今度こそ灼熱が身体を駆け上がる。刺さったはずなのに、折れた。骨が砕けた感触が脳髄に走り抜ける。


「い、あああっ……!」

「お前の才も面白い。だが、お前があの幼子の要だったのだとしたら、神鬼月と対にさせるわけにはいかない。それでは幼子の死が無駄になる。あれほど口惜しい思いをしたことはない。あれほどの才ある美しい子どもを、この手で殺す羽目になるとは。これだから運命とは皮肉で憎い」


 この男は何を言っているのだ。思考が乱れて情報を処理できない。痛みなのか熱さなのか憎悪なのか分からない。


「才ある美しい独りの子ども。これほど素晴らしい存在もない。あの頃の能力者養成機関は人権などなかった。それによりどんどん美しい能力者は作られていった。誰からも理解されず、拠り所もなく、そして誰も必要としなくなった人間がどれほど美しいかお前に分かるか? 美しく、強く、儚い。正に人間国宝だ! なのに彼はその規定を破った。素質溢れながら、神鬼月を人間に戻してしまった。彼を失ったとき、神鬼月は泣いたのだよ! これほどの裏切りはない! 鋭利で虚無感溢れた瞳が、他者を悼んで涙を零したのだ!」


 吐息がかかるほど近く、造形など視界に映らない。ただ憎い。殺意だけが(かつ)えるほどに。


「殺してやるっ……!」


 後頭部が引かれると同時に耳障りな音がして、頭が軽くなった。首筋を通る風と一緒に何かが流れていく。


「死ぬのはお前だ。美を堕落させる者は罪を償え。残るのは才ある人間だけでいい」


 殴られたわけでもないのに視界がぶれた。


『主導権を渡せ! 早く!』


 無理矢理ラインが繋がり、藍が割り込んできた。体の奥から揺さぶられ何かが引きずり出される。藍が表に出た瞬間、掌の力が変わった。凛の中で藍の驚愕が響く。美しい身体に魂。二つ揃っていてこそ価値がある。だからこそ、紀煉の狙いは最初から藍だったのだ。


「『離せ!」』


 血液が失われて手足が動かない。冷たいのに傷口は焼けるように熱い。視界がぶれる。藍の声が遠のく。遠のくのは意識か魂か。

 悔しい苦しい痛い憎い。

 どの感情も激しくて息も出来ない。彼が好きだった。その愛情全てが憎悪へと裏返る。深く慈しんだほどに、愛したほどに、憎悪は深い。

 


 凛の中から引きずり出される存在があった。凛の根幹に偉そうに居座った少年だ。

 激しい憎悪と殺意の瞳で、彼は紀煉を睨みつけていた。激しい感情。互いの憎悪は明らかに違っていた。藍の感情はそれのみだ。他事には囚われず、何年もそれだけを燃やし続けた極上の憎悪。向けられた紀煉は恍惚の笑顔で受け止めた。

 ああ、駄目だ。

 凛は不意にそう思った。何故そう思ったのはか分からない。けれど凛は確信した。人生経験上、訳の分からない確信には従うようにしている。それが今までの凛を救ってきたからだ。

 だから凛は、両手を伸ばした。





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