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十三羽




 雪が降る。

 音を全て吸収して、雪が降り積もる音だけが深々と響く。視界中を埋め尽くす白の世界は、決して清廉なものではなかった。白は無垢だから白いのではない。黒は悪だから黒いのではない。ただ、そういう色なのだ。

 真白い世界に二人の少年がいた。白い衣を真っ赤に染め上げ、無音の世界に存在している。片や既に物言わぬ屍と化し、片や生きながら音を発さなかった。白と、少年達の黒と、赤。肌は失血と寒さで雪同様白い。

 赤が散る。白を染め上げ赤が陣地を広げていく。倒れた少年の隣で座り込む少年が握った掌を赤が滑り、雪の上に落ちる。ぽたりと、やけに大きく聞こえる音を聞きながら、少年はじっと死した少年を見つめていた。


 言葉はない。そこには誰もいない。死者は既に語る術を失い、生者は語る気配を見せなかった。白い雪が降り、少年二人の姿を覆い隠す。赤すら消してしまおうと深々と降る雪は、不思議とどこか温かかった。






 どれほど経ったのか、凛は気配を感じて目を覚ました。身体はいつの間にか体勢を変え、二葉の足を片手で掴んで先に目を凝らしていた。いつからそうしているのか、指が痺れている。袖口が濡れていた理由に思い至って凛はため息をついた。

 最悪の目覚めだ。目元が引き攣る。目蓋も腫れているだろう。鞄の中から丸いプラスチックを取り出す。ぱこっと開いたケースの中にあるのは万年氷だ。永久に解けない氷を布に包み、目蓋に押し付ける。


『……お前、何でも持っているな。その鞄の中身、一度全部開け』

「四次元なポッケなので私も底が分っかりません。あ、霰、二葉、餡子餅食べる?」

「すごく好むの!」


 しゅーと糸を吐く音が返事だ。飛んできた糸に渡してやると一口で食べた。なんだか象が鼻で食事をするときもこんな感じだった気がする。



 視界の許す範囲に糸を繋ぐ場所はないが、二葉は糸に乗って空を渡っている。物の怪道に空なんてないのだが。時に上下すら危うくなる世界では、どこが空でも地でも変わらないのだ。

 道を歩くと人間の匂いに釣られた怪や、死霊が寄ってくる。まして今は生魂がいる。こんなご馳走は早々お目にかかれない。ぼんやりと足元に視線を落とす。片手に包丁を握り、服を真っ赤に染めた男と目が合った。男は繋がる道が見えないのか、不意に横に逸れて真っ暗な闇に向かって行った。凛は静かに目を閉じた。


「お凛――、あのね、霙がもうすぐなの。霙はお凛好きよ」


 袖を引いて、霰はぱっと笑った。粉が顔いっぱいについていて、苦笑して拭ってやる。


「待って待って、私は霙くんに会ったことないんだけど」


 霰はきょとんと首を傾げた。


「霰、お凛好きなの」

「ありがとう?」


 話しがよく分からない。


「あのね、あのね。霰と霙は同じなの。二つあるだけなの。だから出来損ないなの、要らないの。でも、主がおいでって言ってくれたの。霰も霙の場所が分かるの。霙も霰の思ってること分かるの。同じだから。霙はね、今ね、さみしいの。さみしくてさみしくて泣いてるの。霙が悲しいと霰も悲しいの。霰が楽しいと霙も楽しいの。霰がおいしいと霙もお腹が張るの。霙が怪我すると霰もするの。霰が死ぬと霙も死ぬの。だって、霰がいないのに、霙はどこにいけばいいの? 霙がいないのに、霰はどこで生きればいいの? 霰と霙は同じなの。だから出来損ないなの。霙は早くお凛に甘い物もらって、二葉に乗りたいの。だから、早く行くの」


 二人で一対。狛犬の基本だ。けれど二人は一対ではない。二人は一つだという。それは、多分、凄く悲しい。二人いるのに存在が一つ。一つ消えたら二つ消える。ただそれだけのこと。それは凄く悲しくて虚しい。けれど凛は、それが少し、羨ましい。

 一緒にいきたかった。ずっと、そう思っている。一人が欠ければ生きていけない。そんな生き物だったなら、彼はずっと一緒にいてくれただろうか。馬鹿な考えだとは分かっている。一人欠ければ息も出来なくなるなんて生物として失格だ。彼は大人の事情でいなくなった。そこに彼の意思はなかった。離れるしかなかった中で自分を納得させる理由を作ったに過ぎない。許されたのなら彼は今でも凛の隣にいただろう。

 それは自惚れではなく事実だ。孤独な錬と一人の凛は、半分ずつで一緒にいた。一緒にいたが一つではなかった。だから、一人欠けても凛は生きているし、凛が欠けても彼は生きていただろう。

 爪を立てて掴んだ腕が痛みを訴えるが、身体が強張って上手く動かない。黒い服に血が滲む。構わない。黒なら色なんて目立たない。


「『僕は、来るなら来いと言っただけだ』」

「主! 主なの! 主、おやつをお凛がくれたの! いるの!」

「『いらない』」

「おいしいの!」


 主導権が奪われた。張り付いて動かなかった腕は簡単に離れ、馬鹿がと吐き捨てられた。


「『物の怪道で血の匂いを撒き散らすな』面目ないです。『ただでさえ半人前の神格持ちに人間のお前、生霊である僕がいる。この上餌を撒いてどうする、阿呆が』だからごめんって言ったじゃない! 『謝って済むなら弁護士はいらない』」


 自分が悪いと分かっているので口を閉ざす。物の怪は嘘をつかないし、己に正直だ。失いたくないから守る。邪魔だから壊す。欲しいから奪う。怪にとって馨しい匂いだから居所を探す。見つけたから奪う。もっと嗅ぐ為に引き裂く。過程で殺してしまう事は問題ではない。人は怖い。怪は付き合い方がある。凛はそれを知っている。友、と認識されていない相手とは仲が良くても気を抜いてはいけない。八つ目爺の統治下でない場所で迂闊な行動は慎むべきだ。

 そこまで考えて、はたと動きを止める。いま、聞き捨てならない単語があった。


「神格持ちの狛犬? 霰、神格持ちなの!? ちょっと、聞いてないわよ!? 急がなきゃ駄目じゃない!」

「霰なの――! 霙なの――!」


 妖達にとって極上の餌ではないか。普通は狛犬のほうが強いので問題ないが、幼い上に二人揃わないと駄目だと聞いている。食べれば莫大な力になる不完全な狛犬を食べることを、怪が躊躇うはずがない。


『二葉の飛行は今現在一番速度があり、衝突の出ない方法だ。最善の行動を取っている以上、急げと言っても無意味だろう。これ以上速度は出ないのだから』

「心構えの問題!」

『焦りは余計なミスを生む。今は必要ない情報だから開示しなかった。それだけだ』


 彼の言うことは正しい。言うこと自体は正論だ。だが釈然としない。


「……ねえ、それって極秘事項?」


 違うと一言の返答。いつの間にか主導権は凛に戻っていた。


「だったら教えといてよ。協力者に渡さないってどういうこよ。重要事項でしょ! 必要ないは聞かない。あるからね、普通に! 信用できないだったら出てけ! 入りやすい器買ってあげるからそっちにいればいいよ」


 返事はない。


「知らなかったじゃ余計に危険になることくらいプロなんだから分かってるでしょ!? 情報不足は、人間相手には身の破滅、怪相手には魂の消滅でしょ!? 私は今、自分と藍、二人分の魂抱えてるの! 情報不足が原因で私を人殺しにしたら承知しないからね!」

『その場合は僕の自殺だ。気にするな』

「なるからね、普通に! そっちが自分の勝手で動くなら、私だって勝手なこと喚く! 私は誰の死も背負いたくない! 私は……私、は、錬、だけで、もう、無理」


 眼下には木造の建物が連なる。物の怪の世界に足を踏み込んでいる。ここに人間はいない。祓い人が顔を出せば関係のない怪すら全力で彼らを殺そうとする。いるとすれば、怪が気に入りを連れてきたときと、死体だけだ。しゃれこうべを並べた店、ビー玉や割れたガラス瓶を並べた店、それらを買い求める怪達。人間の文化を好み真似る彼らだが、現代社会は真似ていない。彼らが好きなのは最早失われた日本の形だ。

 遠くでは広い茅葺屋敷で怪達が踊り狂い、白拍子が舞い散る。どこからか連れてこられた花の精だ。祀り拍子が鳴り響き、足を止めるものもいれば何も聞こえぬように、ふと消えるものもいる。

 人の中に彼の姿を探すより、人がいない世界のほうがどれだけ気が楽か。いないと分かっている声を探し、見つからないと知っている姿を求める。どれだけ滑稽で愚かだと理解していても、やめられない。その度に痛みを自覚して自嘲する。己を嘲って痛めつけても、彼を探す自分が止められない。


 凛ちゃんはお利口ね、いつも偉いわ。優しいし、気が利いて、うちの子にも真似してほしいわ。そんな賛辞が並ぶ。そんなの当たり前だ。自分なんて見せていないのだから。深く関らないから苛立たない。誰にだってどんな時だって優しくできる。どうでもいいから怒らない。踏み込まないから優しい。家族とだけ喧嘩する、怒る、不満を言う。

 真似してほしい? ならばこの眼を我が子が持ったらどうする? 怪を霊を視て、声を聴く。己が視えぬものを聴こえぬものを捉える子どもを、お前達は排除したではないか。

 嫌いだ。彼を虐げたもの、罵倒したもの、害したもの。全てが嫌い。


「錬がいない、のに、笑いたく、ない。でもお父さん達、心配させたくない。嫌い、大嫌い。錬は私だけだったのに、錬だけを選べない私が一番嫌いっ……!」


 絶命の瞬間、ごめんねと届いた最期の言葉。どうして事切れた後にラインは切れなかったのだろう。生死の境を彷徨った間、届いた声は誰のものだった。彼ではないのは確かだ。凛は彼の声を違えたりしない。



 痛む胸で喘ぐように息をした凛の意識の端に違和感が紛れ込んだ。痛みを必死に胸の中に押し込めて顔を上げた。

 空気が変わる。凛は咄嗟に袖で鼻を覆った。湿った袖がうまく臭いを遮断してくれた。


「すごい死臭…………怪の巣……?」


 木造の町はいつの間にか消えていた。鬱蒼と茂る森は当然ながら整備などされていない。生い茂る森に二葉は太股の高さまで縮んだ。

 二葉を先頭に、霰の支持で森を進む。森は静まり返っている。妖の気配は濃密に感じられるのに姿が視えない。臭いだけが存在を主張していた。


「霰……本当にこっちでいいの?」

「ごっぢばの。みじょれがなびでるの」


 くぐもった声への返答は可愛いい濁声だった。獣だけに鼻は効く。不憫に思った二葉が糸で簡易のマスクを作った。二葉さん、是非こっちにもくださいと凛は手を伸ばす。


「何でこんなところに……」

「餌にされそうになって逃げたら、ここにいたの!」

『あっさり誘い込まれたんだろう』


 足元に積もった枯葉は湿りきっていて、思ったより足音を立てなかった。じっとりと重たい空気に汗ばんでくる。息が吸えないくらい空気が濃い。ぽたりと伝った雫がやけに重い。重くて、苦しい。息が荒くなってきた頃、二葉が凛の裾を引いた。これより先に行くなと警告している。八つの目全てに凛を映している二葉の頭を撫でる。


「ごめんね」


 鞄の底に押し込めていた脇差を引き抜く。鞄には収まりきらないはずの長さがするりと現れる。鞘に入れたままではもしもの時に間に合わない。真珠色に光る刃は空鮫の牙から鍛え上げられた刃だ。ひ弱な凛の腕でも岩を貫き、黒鋼虫の甲羅にも突き刺さる。鞘は紫白樺から作られた。空鮫の牙さえ仕舞ってしまえるしなやかな鞘だ。


「霙! きたよ、霰、ここにいるの! 霙、もうこわくないの! 主もいるの――!」

「あの、霰くん。できればもうちょこっと静かに探して頂けると」

「み――ぞ――れ――――!」


 ああ、大絶叫。仕方がないなぁと凛は乾いた歯の裏を舐める。唾を飲み込み、震える手を抓った。ああ、怖いなぁ。ダッシュで帰りたい。

 いないと生きてはいけない存在を捜す子どもを置いてなんていけないけれど。


「ルン」


 返らないと知っている呪文を唱える。もう返ってくることのない二人だけの魔法の言葉。彼がレンで自分がリン。どちらもラ行だねと、習ったばかりのひらがな表を広げて笑った。

 でも、リンの傍にあるランがいいとレンが泣き出した。レンの傍にいるロンが凛、真ん中のルンを始まりとして、二人で名前を呼び合うだけの儀式。それだけで涙に潤んだ錬の顔は笑顔になった。どれだけ泣いていても笑わせられる魔法の言葉。勇気だって無限に湧いてきた。何だってできると思っていた。

 そんなことは夢物語で、二人は簡単に引き離されたけれど。


『ロン』


 凛は歩みを止めた。霰は気づかず霙を呼んでいる。からからに乾いた口の中で、なんとか次の音を紡ぐ。


「ラ、ン」

『リン』

「………………レン」


 二葉が心配そうに見上げてくる。ぽたりと八つ目の一つに雫が伝い落ちた。


「どうして」


 二度と聞く筈のない応えだった。ルンと呼びかけた戯れの続きは永遠にないはずだった。


『凛』

「な、に?」


 手が勝手に動いて袖で涙を拭った。酷くぎこちないのに、酷く優しい自分の指が涙を拭う。


『この件が片付いたら、お前に……いや、あなたに話しがある。僕はあなたに請わなければならないことがある』

「何で、そんな、いきなり」

『突然じゃない。僕は言ったはずだ。必ずあなたに会いにいく、と』






 ラン

 ラン


 レンっ……!



 どれだけ呼んでも応えはない。当然だ。彼は死んでしまった。霊になって逢いにきてもくれなかった。もういない。何処にもいない。熱に浮かされた凛の悲鳴に答えたのは、知らない声だった。


『春日部凛。死なないで。必ずあなたに会いにいく。だから、死なないで、生きていて。お願いだから、生きていて。あの人と一緒に逝ってしまわないでっ……!』


 意識が戻るまで、その声は続いた。




 ぱたりと、せっかく拭ってもらった涙が流れる。いつからか、声を出して泣く方法を忘れてしまった。いつも泣きじゃくる彼を慰めてばかりだった頃から、父に心配をかけぬよう、久方ぶりに会った母の負担にならぬよう、病弱な弟の前で姉ぶれるよう、傍にいる彼がこれ以上疎まれぬ為に、周囲に悪印象をもたれぬよう。泣き方なんて忘れてしまった。

 悲しみ方を忘れることは終ぞできなかったというのに。




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