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十二羽




 情報部の仕事は徹夜が多い。一日中シフト制で職場は機能し続けている。情報は生き物だと静香は思っている。一挙一動見逃せないし、数分の遅れが命取りとなる。この職場を辞めたら株でもやろうかなと常日頃考えているが、如何せん忙しくて株どころではない。

 情報部補佐官大道寺静香は、眼鏡を外して伸びをした。途端痛んだ脇腹に怪我を思い出して眉根を下げる。視界の端に映った髪にもため息が出る。休みは取れなかったもののクリスマス気分を味わってやろうと、忙しい時間をぬってかけたパーマも、爆発の衝撃で酷い有様だ。二十代後半でつらくなったが徹夜は慣れているし、目の疲労もいなせる。ただ、怪我をしての連日徹夜はかなりつらい。何がつらいか分からなくなってきたくらいきつい。初めの日、気絶して半日潰した自分が憎い。


 静香が入院している部屋は、女性ばかり十二人詰め込まれていた。大部屋といえこの人数は珍しい。十二人中三名が能力者だ。他の部屋にも同様に配置していた。祓い人も怪我人だが、再度テロを起こされてはならない。ここを襲撃されるとそれこそNYSは機能しなくなる。警護できる数には限りがあり、女性となるともっと少ないが、男女限らず怪我人は多い。負担を減らすためにも部屋数を少なくする必要があった。

 各部屋前、エレベーター前、階段前、ナースステーション前。各三人ずつの警察官がつき、病院の入り口には自衛隊まで出ている。怪我人は総勢百三十名。警察病院の三階より上一帯をNYSが埋めていた。当然面会は謝絶。身元を厳重に確認され、全身裸にされるほど身体検査を受け、尚且つ入院者の許可と確認が四人分取れてからの面会ならば可能だった。持ち込みは書類以外禁止だった。電子媒体はウイルスを懸念して許されない。

 情報部と支部長クラスの負傷が多かったため、職員は誰も休める状況ではなくなった。この事態に呑気に休める暇がないのは分かるが、どこの部屋からもキーボードを連打する音しか響いてこない。相談できる相手が目の前にいるのはありがたいが、化粧も身形も整えられないし、中年親父も若い女性も皆揃って病衣だ。この光景、異様と呼ばず何とする。

 嘆息して顔を上げると、女性部屋に遠慮しているのか、若いNYS職員が躊躇いがちに声をかけてきた。


「関東情報部補佐官殿、刑事二人が面会を求めておりますが、どうしましょう」

「また? もう嫌よ!」


 警察尋問なら散々やった。怪我人なので病院から連れ出されることはなかったが、主犯とされる神鬼月と組むことの多かった彼女はしつこいくらい尋問を受けた。反射で眉が寄ったが慌てて直す。皺になったらどうしてくれる。


「丹羽巧と武田大吾と名乗っております。どうしてもお目にかけたい手紙を預かっているというのですが、中身の確認をさせません。どうしましょう」


 課が課だけによく関った二人の名にしばし逡巡したが、すぐに上着を羽織ってスリッパを履いた。折れた肋骨と火傷が疼いたが構っている暇はない。


「関東支部長、九州支部補佐官、関東情報部部長、副部長を呼んでください。手紙を確認します。一応呪いがないかだけチェックを」

「了解しました」


 一礼して駆けていく職員を見送り、自分も走りたいのを堪えて、傷口を騙しながら壁を伝った。




 可愛らしく折られた手紙を開き、ざっと目を通して五人は一先ず息を吐いた。


「これを奴が書いたっていう信憑性は」


 九州支部補佐官遠田闇千代が重々しく口を開いた。強い瞳が印象的な女だ。


「えらいこと可愛い便箋だなぁ、おい」


 関東情報部部長、五十嵐権三郎は豪快に笑った。飾り気のないぼさっとした髪に黒縁眼鏡の男だ。小柄な体格の所為か、地味な外見のためか、未だ学生に見られるが、本人の性格はかなり豪快だ。

 花があしらわれた便箋は、早くしろ阿呆が馬鹿がと貶され続けた凛が、嫌がらせの意図を持って選び抜いた一品である。これでもかと可愛くしてやったのだが、嫌がらせの効果は誤爆した。


「で、でも、その……内容と筆跡は確実に……彼、か、と」


 五十嵐の副部長乾速人はひょろりと白く細く、加えて上司に似た訳でもないのに小柄だった。気弱げに呟いた言葉を掻き消しながら、五十嵐はその通りだ! と腹の底から声を上げて背を叩いた。


「きゃあ! なんてことするの!」


 普段はパリッとしたスーツを着こなし、眼鏡をきらりと光らせる関東支部長は飛んできた乾を危なげなく片手で受け止め支えた後、なよりと崩れた。


「五十嵐さん、貴方いつも乱暴なのよ!」

「うっせぇ、お前のほうが耳と目の暴力だ」

「相も変わらず失礼な男ね!」


 木之下日向。高学歴、高収入、高身長の、三K揃ったイケメン青年。

 それなのに、どうにも狙いづらいのはとても残念であると、静香はいつも思っている。



 ここにいる面子は全員怪我人のはずだが非常に元気だ。至る所に巻かれた包帯は白く存在を主張するが、悉く無視されている気がする。


「刑事二名、呼んでも宜しいですか?」

「武田と丹羽だな? あいつらなら問題ないだろう。入り口の奴らが渋ったら、素っ裸でこさせてやれ!」

「下品ねぇ」

「お前にだきゃあ、言われたくねぇよ」


 声を上げて笑った五十嵐に、木之下が口元を抑えて眉を寄せた。





 掻い摘んで説明した丹羽達は、連れてくることが叶わなかった蜘蛛を呼んでもいいかと尋ねた。許可を取り窓から呼ぶ。一番大きな蜘蛛が他の蜘蛛を乗せて飛んでくる。

 その様子を興味深げに眺めていた五十嵐は、好奇心を抑えきれず指先でちょっかいを出そうとして止められていた。


「これが、春日部だったかが連れていた蜘蛛か。私は能力者ではないので分からないが、危険はないのか」

「は、はい……これは本当に、普通の蜘蛛と、大して変わらないです……」


 ぼそぼそとどもる乾に、遠田はため息をつく。聞こえたのか余計におどおどし始めた。


「しっかし、あの神鬼月がなぁ! 俺には信じられねぇ」

「本当に。神鬼月といえば末期の接触嫌悪症ですものねぇ」


 同期二名が揃えたかのように唸った。


「相も変わらず仲が宜しいですね」

「よかぁねぇよ。おい、武田。お前の同期なんとかしやがれ」

「なんてことを言うの! 幾ら丹羽刑事でも許さないわよ!」


 武田は、あ、無理っすと片手を上げた。蜘蛛で遊ぶ方が楽しい。後から連絡を届けてくれて一匹増える。最初は気味悪かったが段々面白くなってきた。金平糖を掲げると短い足を両方上げて、必死に催促する姿が可愛いとさえ思える。丹羽の蜘蛛にもあげよう。


「話を戻す!」

「は、はぃいいいいいいい! 遠田九州支部補佐官!」

「敬礼はいらん!」

「はぃいいいいいいいいいい!」


 収拾がつかなくなってきた。静香は嘆息して両手を打ち鳴らす。


「皆様方、この場はわたくし、不肖大道寺が進行を務めさせて頂きます。神鬼月は重度の接触恐怖症ですが、春日部凛に憑依、奇跡的に同調に成功。これを前提で話を進めます。現在神鬼月は主犯と上げられていますが、これはあっちの動きが早かったというしかありません。現在NYSで警察に抗議して被害者としての認定が受理されましたので、すぐに発表されるでしょう」

「やっとか。何が出たのだ」

「神鬼月のマンションから東三キロの地点に結界が張られた形跡と、大量の血痕が洗い流された跡を発見。鑑定の結果、神鬼月の物でほぼ間違いないと。地下の怪を引きずり出した所、夜叉丸の左腕を確認しました。今は厳重に保管しています。狛犬達は行方知れずですが、霰は合流したとの事で、霙の回収まですぐかと思われます。春日部凛への襲撃は二回。一度目は紀煉本人が出向いたようです。二度目は外国人に襲われたと」


 全員が苦い顔をした。能力者同士の戦闘ならともかく一般人になんてことをする。そして、能力者同士の戦闘とはいえ、よくも仲間を傷つけてくれた。彼がそう思っていなくとも、大人達はあの厄介な性格と出自の少年を仲間と認めていた。


「静香、春日部さんの怪我はどうなのかしら?」

「鋼蔦の帷子を着用していたので怪我はなかったそうです。現在は神鬼月の判断で龍の髭も着用とのことです」

「龍の髭だと!? 私でさえ見たことがないぞ!」


 これには全員目を向いた。怪でしか手に入れられない希少価値の高い物品だ。ただの女子高生が手に入れていい物ではない。


「彼女のことは調査中です。神鬼月が容疑者候補から変更されれば、彼女の保護を求める事も可能ですが、そうさせないでしょう。可哀想ですが付き合ってもらうしかありません。問題はNYS内部に裏切り者がいることです。政府のほうは目星をつけましたが、こちらが難航しています。皆入院していて聞き取りはしやすいんですが、この状態で隣のベッドが裏切り者だったらと疑心を蔓延させるわけにも」


 それなんですがと丹羽が口を開く。あまりのことに紙に記すことも躊躇われた言葉を、ゆっくりと発した。


「橘です。神鬼月から聞き、出所は夜叉丸です。ほぼ、間違いないと」


 息を呑むしかなかった。滅多に動揺しない五十嵐でさえそうだったのだから、他のメンバーの動揺は想像を絶する。

 橘義信は能力こそないものの、この業界では名のある名家の主人だ。NYS創設に関った人間で現在も幹部として重要な仕事をこなしている。能力者への疑心、力ある者への恐怖、認識できぬものへの嫌悪。そんなものが渦巻く中、秒刻みのスケジュールを組みメディアに多く出演した。終始穏やかに、誠意を持って、求められる度に嫌な顔一つせず根気よく説明した。丁寧な口調、すらりとした身長、爽やかな顔をしていたから、人気も高い。彼が尽力したおかげでNYS創立はこんなにも早く成ったのだ。間違いなく歴史に名が残る男だった。

 表の顔が清廉潔白すぎて、一方で行なっていた非道に気づけなかった。今でも少数にしか公表されていない。だからこそ今の地位にいられるのだ。行為は許されないものであり、ここにいる誰も許していない。それでも罷免できなかったほどの男だ。




 両親を失った神鬼月蓮を引き取ったまでは良かった。蓮の母、神鬼月百合の元婚約者であったが、彼女は家を飛び出した後に一般人と結婚した。そうして産まれた子どもを引き取るなんて美談だと誰もが思っていた。

 しかし橘は、未来の為と銘打ち、幼い子どもを実験材料にしていた。

 能力の限界を調べる為にと蓮が倒れるまで力を使わせ、強引に捕らえてきた霊を何十人も除霊させ続けた。浄霊は霊を納得させ昇天させる行為だが、除霊は霊を殺す行為だ。魂すら残さず、次に繋がりもさせず、問答無用で無に帰す鬼の所業だ。中には善良な霊もいた。数合わせに、昇天するはずだった霊を無理矢理連れてきたのだ。泣き叫ぶ霊に感情を叩きつけられながら、蓮は除霊を繰り返した。

 更に橘は、能力者と警察の相互理解のためと捜査の協力に手を上げ、被害者の遺品を過去視させた。


 幾度も殺される『自分』。無念の死を遂げる『自分』。思考が焼け焦げる痛みに曝される『自分』。圧倒的な暴力に犯される『自分』。


 気づいた時には遅かった。蓮は痩せ細り、食物を受け付けなくなっていた。感情は失せ、睡眠も拒絶した。人に触れられると胃液を逆流させて拒絶した。柔らかく愛そうとした手と、自分を『害す』手の区別がつかなかった。失せた感情は悲鳴をあげることを拒んだが、痩せ細った身体のどこにそんな力があるのだと疑うほど、残る僅かな生命力を駆使して生を拒んだ。

 事件が明るみに出て保護された蓮は七歳だった。虐待なんて一言で済まされてはならない。橘義信は、一人の人間を壊し、確実に人生を狂わせたのだ。



 大きな音がした。視線が五十嵐に集中する。壁にめり込んだ腕を引き抜き、五十嵐は豪快に笑った。


「ちょうどいい。一度ぶん殴ってやりたかったんだ。あちらさんが理由を作ってくれたんだ。遠慮なくぶち込んでくれる」

「……五十嵐情報部長、何故、壁を破壊した」

「怪我人は殴れねぇからな。大丈夫だ、遠田補佐官。すべては部下が始末してくれる!」

「え、え、ぇええええええええええええ!?」


 たった今壁を貫いた手でベニヤ板みたいな肩を掴まれて、乾は悲鳴をあげた。


「けどよ、巧。人数を揃えただけでどうにか出来るもんなのか、これは」


 武田が金平糖をしまう。蜘蛛達は一個ずつ貰った色とりどりを抱えて小さく齧りだした。


「確かに。これだけの負傷を出しても利はこちらにありますからね」


 政府に敵がいる以上迂闊に動けない。情報を橘が握り潰していたのなら尚更不確定要素の多い状況だった。周知させるを躊躇った結果、ぎりぎりになって全国会議を狙われた。被害は甚大だが、それでも地の利はこちらにある。力は土地で使うものではなく、身の内にある魂や精神の部類であると今の段階では判断されていた。しかし、慣れた土地と空気が能力者の力を増大させることも事実である。精神力で使うのであれば、慣れた場所が精神の安定に役立つことは当たり前だ。異国人や日本人であろうが外国で生まれ育った者は、案内が無ければ日本の物の怪道に入れない。周波が合わず見つけられないのだ。


「そうよねぇ。ここは日本だもの。外国人の出る幕ではないわ。怪我人は多くとも能力者を終結させれば数はこちらが上よ。その上で何か勝算があるとでもいうのかしら」

「すっげぇ怪物育ててんじゃないっすか? 地下とか工場とかで」

「おい、武田ぁ。それはオレら関東情報部にケンカ売ってんのか?」

「だって、そうでもねぇと俺だったらいやっすよ。奥義もないのにボス戦なんか挑むの」


 がたり。誰かが椅子を蹴って立ち上がる。乾だった。元々良くなかった顔色が更に悪化していく。


「部、部長、五十嵐部長! あ、あれです、あれ!」

「あ?」

「アフリカです! アフリカ支部が保管してた、危険物紛失で、す!」


 五十嵐も目の色を変えて立ち上がった。椅子が吹き飛んで壁に当たった。


「面倒な霊障物質封印してたあれか! あれもあいつらだったな!」


 ちくしょうとの声掛けと共に倒れた椅子を片手で掴み上げ力任せに叩きつけた結果、二度と座れぬ物体となった。椅子に一体何の罪があるのだろうか。椅子殺害現行犯で逮捕してもいいだろうか。武田と丹羽は、哀れな椅子の冥福を祈った。


「一旦下がる。後はお前らで勝手にやってろ! 大道寺、後で報告よこせ! こい、乾!」

「は、はぃい!」


 自分の足に絡まって転んだ部下を担ぎ上げ、五十嵐は部屋を出て行った。そんな彼が、実は全治三ヶ月だと誰が信じるだろう。暴風のように部屋を破壊していった痕跡が残る。


「さぁて、どんな化け物連れてきたのかしら」


 にたりと笑みが浮かんだ口元だが、機嫌がいいわけでは決してない。今回の事件で木之下直属の副官が今も重体でICUに入ったままだ。隣にいた五十嵐を庇った結果だった。怒り心頭とはこういうことをいうのだ。壮絶に笑う木之下に、静香はあえて何も言わなかった。


「橘副監督官派の人間に注意が必要ですね。直属でなくても心酔している者は少なくありません。神鬼月との合流はどうしましょう。彼は自分の身体を取り戻すつもりのようですが、援護を送ることはできませんか」

「送ってもいいのだけれど、彼が満足する能力者はいま負傷しているのよ。元気だけど使えない奴送っても無下に追い返されるだけよねぇ。本当に困った子。ま、必要なら乞うてくるでしょ……死んでもしなさそうだけどね」


 無言で歩く頑なな背の少年。偶に目が合えば絶対の闇と退治した錯覚に襲われる。常に低い温度、睡眠をとらずとも食事をとらずとも、意思も態度も弱らない。淡々と任務をこなしていく、間違いなく世界でもトップに入る実力の少年は、いつしか人間であると判断されなくなった。人形兵器。正しく彼に相応しい。好ましいとは思わなくても、間違っているとも言えなかった。

 初めて彼の少年を見たとき、ああ、この子はもう駄目だと思った。顔は並外れて美しいが死人のそれだ。水が喋っているような声、暗く淀んだ瞳、それでも美しい姿。最早生者のものではない。幼子は声を荒げることもなく、淡々と喋り、身動きもせず座り続けていた。神が自ら手を下したように美しい子どもは、人であることを放棄していたのだ。


「さぁて、忙しくなるわねぇ。お肌が荒れていやぁねぇ、静香」

「全くです。徹夜に怪我に多忙。お肌の曲がり角にはつらいです。支部長」


 それでも奇跡は起こるものだ。神に愛され造形された子どもに、神は奇跡を与え賜うた。


 奇跡は、一人の少年の形をしていた。





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