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十一羽




 眼前には舗装されていない道が続いている。轍だけ土が向き出しで、左右と真ん中は草が生えていた。田圃の間にあるようなどこか懐かしい道だ。

 凛はほっと息をつき腰を下ろした。今までいた場所とはまるで違う。入り口も既にないことは、振り向かずとも分かっていた。


「疲れた……着替えなきゃだけど、とりあえずはおやつだ。霰くん、栗饅頭は好きかい?」

「すごく好むの!」


 両手を突き出して受け取った霰の尻尾はちぎれんばかりだ。二葉には黒糖饅頭を。好物なのだ。

 自分も栗饅頭に齧りつく。朝ご飯はコンビニおにぎりと野菜ジュース。今はとっくにお昼過ぎだ。お腹も減る。凛の鞄には貰い物の道具と、妖達に配る甘味が所狭しと詰まっているが、お菓子はあれど腹を満たすものがない。

 それでも人心地はつける。お茶を回し飲みして一息つくと、凛はおもむろに着替え始めた。敗れて使い物にならなくなったコートを脱ぎ、セーターもご臨終だったので泣く泣く脱いだ。 

 藍の助言で、着替えた上に龍の髭で作られた銀色のストールを羽織る。これで二色使いだ。



 疲労感が酷く、心臓が鳴り止まない。両手で腕を掴み、抑えきれない震えに膝をつく。打ち続けた膝の内出血がひどいが、もう気にならない。

 凛は霊とは関らない。人の感情が恐ろしいからだ。

 怪のような一貫性がなく、突然豹変する。敵意も因縁も無い相手に手当たり次第に襲い掛かりもする。まるで崇り神のようだと思う。相手の感情に呑まれるのが恐ろしい。保てない感情では怪の相手も出来ない。それが一番恐ろしかった。

 凛は怪がいないと、二葉がいないと人と関れない。後ろ盾がないと恐ろしくて近寄れもしないのだ。霊も人も、本当は変わらない。当然だ。霊は、人が成ったものなのだから。

 凛は、異質に対する人の残酷さを知っていた。他者の幸福を許容できない残虐性も、自己の保身だけに走る傲慢も、おぞましいまでの優しさに似せた自愛も、沢山見てきた。


 己よりも潤う人間を見て、あいつは優遇されていると妬む人間を、うんざりするほど見てきた。その潤いが正当な対価を経て支払われているものだとしても、そんなことはお構いなしに己は不遇であると相手を妬む。そればかりか、己を優遇しろと叫ぶだけでは飽き足らず、相手を己と同位置かそれ以下に引きずり落とすことにばかり熱意を注ぐ。相手と同じほどの益を得たいのなら同じ苦労と責任を負えといえば嫌だ無理だと駄々をこね、過剰な苦痛と時間・労働力の搾取だと文句を垂れ流す癖に、自分より豊かな人間は決して許せないのだ。自分が上に行けないのなら、相手を下位に引きずり落としてやると、根も葉もない噂を、悪意に満ちた言葉を何の罪悪感もなく撒き散らす。足を引っ張り、行く先を塞ぎ、悪意を当たり前の権利だと胸を張る。それで心痛める相手を見て、優遇されている人間なのだからこれは仕方がないことなのだと知った顔で言う残酷ささえも相手のせいだと、恨みを募らせる。相手を貶めて自分の立ち位置を安定させようとする自分の醜さえも相手のせいにする愚かさを、恥とすら思わずに。

 そのくせ、ひとたび一目で分かる異質が現れればくるりと掌を返す。己達は同じ人間だから、自分はこの優位の人間達と同等であるがお前は違う。お前は異質だ、化け物だ。だから自分は、お前よりは恵まれているのであると、自信をつける。

 

 通常に当てはまらない者に対し、人はどこまでも残酷になれる。それが己より上位であれ下位であれだ。人は嫌悪する理由を見つけられた相手を、どこまでだって追い詰めることができる。上位であると、下位であると、自分で勝手に決めつけた立ち位置自体を理由にするのだ。そして、そうと決めた相手には決して無関心を向けず、傷つけることを目的に行動することを躊躇わない。

 人は残酷な生物だ。生きる為に必死になる動物の行動理由とは違い、悲しみであれ怒りであれ、霊となってまで感情で人を害する。

 死して尚留まる感情に同情しないわけではないが、同調なんてしたくないのに放っておいてくれない。自らの痛みを押し付けて巻き込もうとする。口では気遣いながら、心の中で嫌悪している。笑顔の裏で気味悪がっている。

 幼い彼を、凛の大切な彼を、子どもも、庇護すべき大人でさえ疎い、嫌悪した。そんな奴らが、妖怪は恐ろしいなどと戯けたことを言う様は滑稽ですらある。



 両手で顔を覆う。

 人の醜さは嫌というほど知っている。けれど嫌いになれない。人がそれだけでないと知っている。どれだけ非道な人間でも大切なものには優しくできるように、醜いものだけでないと知っている。

 父が母が弟が、友が教師が通りすがりの他人が。

 大好きな幼馴染が。

 人はそれだけでないと教えてくれた。

 凛は自分が強くないと知っている。視えるだけなのだ。視て、声を聴くだけだ。これすら自分の能力ではない。深すぎた凛と錬の絆は、口付けだけで二人を繋げた。

 姿も見えず、声も聞こえず、それでも何故か彼と繋がっていると分かった。繋がっているという安心感が互いを奮い立たせた。

 いつでも繋がっていた。触れ合うことも、言葉を交し合うことも、互いの姿を見ることすらできずとも、二人は同じだった。

 あの日彼が、死んだときも。




 とても、寒い日だった。

 雪が降ったあの日、凛は家の中で悲鳴をあげた。

 父親が飛んできて倒れた身体を抱きかかえたが、悲鳴は止まらない。喉が裂けても叫んだ。繋がった情景が信じられなかった。見たくなんてなかったのに瞳は零れ落ちんばかりに見開かれて、凛は強制的に彼の死を得た。

 胸の真ん中を押さえて気を失った凛は、すぐに病院に運び込まれるも、四十度を越える高熱に魘されながら泣いた。戻らぬ意識のまま泣き続けたのだ。意識が戻ったのは十日後、胸の間には牡丹のような赤い痣が残されていた。




 凛の中で『死』はもういっぱいになっている。更に、いつ容態が悪くなるか分からない大好きな父と寄り添ってきた。この上見ず知らずの他人の死なんて背負えない。凛は霊から逃げた。他人の死から遠ざかることで、自分を守った。


「御方様、どうしたの?」


 幼い声がきょとんと凛を呼んだ。

 疲れを隠し、凛は笑った。


「何でもないよ。それより、御方様はやめてほしいかな。主より偉そうじゃない?」

「ねえねえ、お凛、もう一個食したいの!」

「一気に格が下がった気分だ!」


 霰は両手を上げてきゃらきゃら笑った。



 お茶も飲んで他愛もない話をしていると、轍の隅を、小さな輿を担いだ小人が歩いてきた。膝頭までの身長しかない小人達は、凛の目の前でぺたりと座り込んだ。


「腹が空いた」

「空いたのぅ」

「まだじゃのぅ」

「まだ早いのぅ」

「腹がへったのぅ」


 小人達は疲れきって肩を落としたが、輿は決して下ろさない。凛はくすりと笑って鞄を探った。中から和三盆で作られた砂糖菓子を取り出し、一個ずつあげる。小人達はきょとんとした後、諸手を上げて喜んだ。面白い物で、諸手を上げるタイミングが皆ばらばらである。輿を下ろさない為にだろう。


「主にも頂いて宜しいか」


 小人が畏まって言った。


「年越しに連なるものがよい」


 小人が畏まって要求を上乗せしてきた。凛は苦笑した。

 まだ少し早いけれど、新年は新春ともいう。桜の形を三個あげる。


「ありがとう」

「ありがとう」

「おかげで力が出申した」

「恩に着りますぞ」


 小人はぺこりぺこりと頭を下げて、よいしょよいしょと再び輿を進めていった。




 一休みしたら、凛は霰の姿に手を加えることにした。足元はシューズを、着物はズボンとセーター、コートに帽子、腰に小さめのバッグをつけてやれば完璧だ。怪は指示さえ出してやれば自分で服を変えられるから便利だ。そもそも、力の弱い怪は服を着たりしない。 

 帽子に耳を、バッグに尻尾を入れると、どこから見て洒落た男の子だ。顔の模様は……ファッションということで。

 霰の額に、模様とは違う赤を見つける。


「ありゃりゃ、擦っちゃったの? 痛かったね」


 よく確かめると掌と膝にも傷がある。転んだようだが、全く気がつかなかった。

 頭を撫でてやると、霰は嬉しそうに身体を擦りよせてくる。


「霰じゃないの」

「え?」

「霰じゃないの」


 同じ言葉を繰り返し、ぶんぶんと首を振った霰は、悲しそうに俯いた。



「楽しそうだねぇ」


 影が落ちたことで顔を上げる。擦り切れた着物を着た女が覗き込んできていた。髪は乱れ、顔には酷い痣がある。凛は舌打ちをしそうになった。気を抜きすぎた。


「あたいも混ぜておくれよぉ」


 凛は無言で立ち上がり、霰の手を引き歩き出す。女は裸足で軽やかに駆けて追いついてきた。


「つれなくしないでおくれな。あたしはなぁんにもしやしないよぉ?」


 伸ばされた手が肩を掴もうと伸ばされる。身体を引くことでそれを避け、凛は視線だけで二葉を呼んだ。

 女を突き飛ばして巨大化した二葉の足に掴まる。女の形相が変化し、眼球が失せて空洞が現れる。臭気を纏い崩れ落ちる肉片が届かないよう、二葉は跳躍した。


「お凛、いいの?」


 大きくなった二葉に喜んだ霰は、背の上で跳ねている。タイミングを見計らって、擦り傷に消毒液をつけると、いたいのいたいのと泣かれた。


「私は除霊できないから、いいの。死霊とは関わらないって決めてるから」


 憑かれても祓えない。身体の弱い父親を持つ凛は、只でさえ生死の境を彷徨いやすい彼に、影響を与える存在を近付ける気はなかった。





 物の怪道は様々なものが通り過ぎる。

 中には人間もいた。迷い込んだ者、闇が深すぎて怪を呼び寄せた者、迷い込んだ事にも気づかないほどこちら側に染まっている者。怪、死霊、生者、ここでは誰もが存在できる。交じり合った異空間。時の流れも外とは違う。長居すると神隠し状態になってしまう。年末まで日がないのに、うっかりここで年越しすることになったら目も当てられない。

 同じような道が三歩分ほど開けて連なっている。決して交差しない道の上を、血の臭いを纏わせた生者が歩く。


「『霰、霙の方角に進め』」

「あっち――。二葉――、あっちなの。遠いの、時間かかるの。主、寝てほしいの!」


 べしべしと頭を叩く霰を振り払わず、逆に落とさないよう糸で固定した二葉は再度跳躍した。凛にも繋げられた糸があるから落下の心配は無用だ。凛は素直に目を閉じた。

 人間は苦手だ。嘘をつく生き物だから。怪は、騙しはすれど嘘はつかない。あの時、あの町が彼にとって優しい場所であったなら、彼は今も隣にいただろうか。

 周囲が彼をどう思っていたか知っているから、霊視を得ても誰にも言わなかった卑怯な自分が一番嫌いだ。



『ラン、ラン』


 幼い声が泣きじゃくる。


『ラン、いっちゃやだ。いっちゃやだぁ。ラン、おねがい、返事して、錬』


 震える声が空間に波紋を広げる。

 幼い子どもの言葉が世界に満ちる。泣き叫ぶ、自分の声だ。泣き叫ぶしかできない、無力で卑怯でどうしようもなく愚かな凛の声だ。


『忘れないでって言ったのに、変わらないでって言ったのに! あなたがいないなら、私はもう、変わっていくしかないのにっ――……!』


 泣き叫ぶ自分の声が心を抉る。先の無いはずだった繋がりには何故か先があった。

 なのに希望はない。

 彼の死は、他の誰でもない自分が一番分かっていた。





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