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九羽




 十二月二十七日。



 安全な寝床を確保した後、藍は宣言通り深い眠りに落ちた。

 これ幸いと、凛も疲れきった身体の休養に務める。藍が眠っている為か、その眠りが生命を維持する為のものだからか、凛も、よくもまあと自分で呆れるくらい眠り続けた。

 どういう心境の変化か、藍は二日間ほとんど目覚めることなく眠り続けた。凛を信用できないと瀕死の状態でさえ眠らなかったというのに。

 その間、夢をよく見た。また藍の夢を見るものだと思っていたが、ほとんどが凛の過去だったのは何故だろう。



 凛は真っ暗になった雑木林を歩いていた。

 小さな手で弾いた枝がしなり返り頬を打つ。半袖の手足にも同様の傷がついているが躊躇わなかった。

 ランドセルに着られている小さな身体は、きょろきょろと全身をうごかして左右を見渡す。そして、目的のものを見つけてぱっと顔を輝かせた。ランドセルを揺らして、足を抱え込んで額を付けた小さな身体に駆け寄る。ランはびくりと跳ねて顔を上げた。涙の後が顔中に伝い落ち、頬は真っ赤になっていた。


「みーっけ」


 嬉しそうに弾けた凛の笑顔を見上げ、ランは更に涙を溢れさせる。夏でも長袖の袖口からは隠しきれない痣が見えた。周囲の木は風もないのに揺れ、足元で小枝が爆ぜる。誰かが投げつけたように小石が飛び、花は引き千切れ、蝉の声がやんだ。

 いなくなった彼を見つけるのはいつも凛だった。どこにいなくなっても見つける凛に、彼は心底不思議そうに聞いた。どうしてボクのいる場所が分かるの、と。凛は満面の笑顔で答えた。「女の勘!」と。使う場所が違うと誰も教えてくれなかったのだ。

 周り中を切り裂いたランの力を見ても、とことこ近寄ってくる凛を、震えて掠れた声が制止する。


「だめ、だめだよ、ロン。ボクといると、ロンまで、いじめられる。ボ、ボクが、変なもの視えるから」


 凛はその両手を取って立ち上がらせた。背や腰の泥を落としてやる。ぶわりと涙が増える。凛は困ってしまってことりと首を傾けた。


「かえろ?」

「か、帰って、も、お母さん、ボク、ボクの顔、見たくない、って、なぐる、もん。それに、また、男の人、いたら、けられる、もん」

「じゃあ、わたしんちおいで? お父さん、入院しちゃったから、わたしさびしいの」


 入退院を繰り返していた父は、幼い娘を心配してすぐに退院してくる。凛も慣れたもので、七歳にして一人で夜を明かせる。二日三日ともなると、父が近所の人に頼み、快く泊めてくれるのでありがたい。

 ランはふるふると首を振る。


「ボクと、いる、と、ロンまで、石、なげられ、る。ロン、まで、ひとりに、なる。ボクのせいで!」


 大粒の涙が散る。彼はここでしか泣かない。凛の前でしか泣かない。泣けない。苛められても、怖いものに追いかけられても、母や度々入れ替わる男に殴られても、凛と喧嘩しても。

 凛は、ぱっと笑った。切れた頬も泥に汚れた傷だらけの手も、その手で拭った鼻先の泥も気にならない。泣きじゃくるランが見惚れるほどの笑顔だった。


「じゃあ、わたし、ランをひとりじめね!」


 ぱちりと大きな瞳が瞬きをして、息を飲んだ。

 一拍、二拍、返らない反応に凛は首を傾げる。それを皮切りに時が動き出す。わんっと耳を塞ぐ音の蝉が鳴き始めた。ランの瞳から止めどない涙が溢れ出す。次から次へと止まらない。目が溶けてしまうと凛は慌てて両手で擦った。余計に泣かせてしまったと途方に暮れたが、ランは泣きながら、ふわりと花が綻んだように笑った。強く腕で擦り、無理矢理涙を拭って、ランは言った。


「もう、なかない。ロンがひとりじめしてくれるなら、ボクは、なんにもこわくない」


 凛は首を傾げたが、ランはふんわりと笑うだけだった。


「リン、ボクをすべてあげる。君をまもれるようになる。君がボクにくれたたくさんを、かえせるようになる。もうなかない。女の子みたいだっていわれないようになる。リン、大すき。君がすき、君だけがすき」

「レン? ……どうして、急にそんなこというの。どこかいっちゃうの?」

「かわらないで、リン。かわってしまわないで。おねがい、ボクをわすれないで」


 夜に冷まされた夏の風が吹く。編みこまれたリボンが解けて風に持っていかれた。少年は、凛が知らない顔で微笑んだ。

 なかないで、なかないで。

 ずっと言い続けた言葉が、今は形を変えて零れ出そうになった。

 いかないで、いかないで――。


「わすれたりしない。どうしてそんなこというの! レンが大すきよ。大すき、だからっ……かわらない。レンがもどってくるまで、わたしはわたしのまま、かわらないわ」


 ありがとう。

 そう言って幸せそうに微笑んだ少年は、次の日姿を消してしまった。

 二人でお風呂に入り、傷の手当てをして、同じ布団で抱き合って眠った。眠っている凛の頭を小さな手が撫でる。

 ルンランロンレンリン、二人の魔法が耳に心地よい。唇に何かが重なって、さようならと形作ったのが分かったのに、どうしてだが眠たくて堪らない。必死に伸ばした手は何も掴めず、目を覚ました時にはもう、誰もいなかった。


 退院してきた顔色の悪い父に縋り、話を聞いてきてもらった。彼は東京の知り合いに貰われていったのだという。後に噂で、売られるようだったと聞いた。崩れかけのアパート暮らしの彼の母親は、突然羽振りがよくなり、元よりよくなかった彼女の評判は地に落ちる事となる。



 その彼女は、冬の寒い朝、街で凍死していた。

 宝石とブランド品を大量に買い漁った荷物と一緒に死んでいたそうだ。売られた子どもの呪いだと誰からともなく噂したが、凛は信じなかった。

 彼女は酒を呑みすぎて死んだのだ。前後不覚になってそれでも荷物を手離さず、折れたヒールに体勢を戻せず、起き上がれなくなったまま迎えた寒い朝を越えられなかった。

 そう、ぎょろりとした目のお化けが教えてくれた。風の中から声を聴き、屋根の上に丸まったお化けを視て、剥げたガードレールの傍で血塗れの青年を視つけた。

 錬は消え、凛は、彼が視ていた世界を知る事となる。






 寒さを感じて目を覚ます。

 寝ぼけて焦点の合わない凛の目の前には、雑誌や漫画が山脈を作り出している。

 被っていた厚手のストールとコートを掴む。一瞬自分のいる場所が分からなかったが、すぐに居場所を思い出した。転がってきていた女の子のフィギュアを元の位置に戻すと、ごろごろと転がっているそれを踏まないよう気をつけて立ち上がる。下着の見えたスカートを翻した状態で作られた人形は、ウインクしてこちらを見ていた。

 色鮮やかな本の山の中にいる人物に声をかける。開いた雑誌の中には奇抜な髪色とたくさんの肌色が溢れていた。大音量のヘッドホン越しなのに、男は凛に気づいて振り向く。


「おはようございます。すみません、今何時ですか?」


 腹周りに過剰な肉がついた目の大きな男は、凛が眠る前と全く体勢が変わっておらず、パソコンに張り付いていた。外されたヘッドホンからは女の子の高い声色と爆発音が大音量で洩れ出ていた。


「五時ナウ!」


 いい笑顔である。

 凛が間借りしているのは台所だ。足の踏み場のない部屋は持ち主も寝転べない。掃除なんてしていない部屋は黒一色の凛には致命的だ。何とか台所に自分用のスペースを確保し、雑巾で四度拭いた。埃が恐ろしく積もっていたのだ。

 藍が眠ると凛に出来ることはない。身を隠そうとネットカフェを利用するつもりで向かった先で、人間社会に混じって生きる怪と出合った。ネットで人間社会のお金を手に入れて細々と生活しているという彼は、八つ目大墓主の後ろ盾を持つ凛を快く受け入れてくれた。

 妖怪相手ならともかく人間の女には興味がなく、尚且つ人付き合いが少ないのでばれにくく、ウイルスには過剰なまでに気を使っているので情報収集するパソコン設備も揃っているという超優良物件だ。

 普通の怪は、住処は持てど家を持たないが、彼は人間の生活に憧れていたらしい。特徴的な喋り方は、流行の本から影響されたそうだ。映画化もされたはずで、確か汽車男とか電車女とかそんなタイトルだった。


「女子高生と一つ屋根の下で! テラ萌える!」

『ギガの後、ベタの前。……結構な単位だが、何が燃えるんだ?』


 藍が珍しく凛に聞いてきた。せっかく頼ってもらったが、知らなくても別にいいよと答えるしかなかった。


「キタ――! テラ笑える!」


 彼はもう怪の生活には戻れないかもしれないが、幸せそうなのでよしだろう。





「二日間泊めてくださってありがとうございました。これ、お礼にもなりませんけど」

「大福キタ――! 今どき大福って! お主、齢四百歳の俺より婆臭い!」


 そんな彼の好物はポテトチップスだそうだ。最近の悩みはウエストと体重の増加だという彼は、自分の本性が尺取虫だということをそろそろ思い出したほうがいいとは思う。今の体型で本性に戻ったとしても、芋虫にしか見えない。


 六個入り大福を渡し、再度丁重にお礼を言って部屋を出た。

 二日間外には一歩も出なかったので、外気が少し懐かしい。藍の疲労を凛が補うように眠り続けたのだ。目的の場所に行くまで時間があったので、ランドリーで洗濯物を済ませる。待ち時間、口の中が甘ったるいとぶつぶつ言う藍を無視して、凛は羊羹を齧った。

 今日は、昨日の内に連絡をつけていた女性と会う約束がある。

 せっかくパソコン環境が整っていたが、アニメキャラが飾る画面で調べたのは、保健所と小動物管理センター、そして預かっていますの情報サイトだ。

 クリックする度にアニメ声が何か言っていたが、一分で気にならなくなった。慣れとは偉大である。

 藍が提示した条件と合う物は意外と少なく、莫大な数から絞り出す手間はなかった。


『柴の子犬を預かっています。生後数か月ほど。首輪なし。赤毛の雄。手足の先が白く、尾は左に一回転半。25日夜に○○で保護。心当たりの方、又は飼い主が見つからない場合飼ってくださる方、連絡ください  鈴木』


 少しでも目立たないよう帽子に髪を詰め込んだ。眼鏡もかけようと思ったが、生憎両眼とも1.5を越えているので持っていない。代わりにストールで首から顔の下を覆った。



 待ち合わせ場所には、既に相手が来ていた。緩やかなパーマをかけたボブ頭の女性で、三十代前半くらいだろうか。相手も黒のコートだった。優しげに子犬を撫でている。子犬のほうもころころとその身を任せていた。


「すみません、鈴木さんでしょうか。連絡させて頂いた、さ、佐藤と申します」

「どうも、初めまして。鈴木です。貴女が飼い主さんですか?」

「はい。ご迷惑おかけしました。貰ってきたばかりで、首輪もつけていなくって」


 女性の手から子犬を受け取ろうとしたが、子犬は身を捩って避けた。撫でようとしても牙を剥き出しにして怒る。鈴木さんは僅かに警戒の目を凛に向けた。どう言い訳しようかと思案している間に、くるりと主導権が入れ替わる。


「『(あられ)、まさか僕が分からないとでも言うつもりか』」


 ぴんと立った耳がアンテナのように跳ねる。音を拾う為にくりくりと動き、アーモンド形の瞳が凛を捉えると、あん! と甘える声が響き、子犬は凛の腕の中に飛び込んできた。巻いた小さな尻尾がくりくりと高速で振られる。

 鈴木さんの目も柔らかく下がった。


「アラレちゃんって言うの。よかったね、ご主人様に会えて。実は、飼い主さんが見つからなかったら飼って下さるって方がいて、この後お会いするの。お断りしておくわね」

「すみません、お願いします。本当にありがとうございました。あのこれ、宜しかったら」

「あらあら、気を使わなくても。こちらこそありがとう。ばいばい、アラレちゃん」


 栗きんとん十個入りを渡して、鈴木さんと別れた。

 子犬はまるんとした短い足でふんばり、凛の顎を舐めようと必死だ。


「『(みぞれ)はどうした』」

「いないの――」


 子ども特有の高い声に思わず放り出しそうになる。主導権が藍でよかった、本当に良かった。





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