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第七話 曲がり角の先に7

「おっかえりーお兄ちゃん」

「ただいま。てか、うるさいから静かに歩け」


 どたどたと鼓膜に重く響く足音をさせながら妹の推が玄関にやってきた。


「気にしない気にしない。そんなことはどうでもいーから、早く晩御飯作ってよ!」

「おい、母さんは? つか、ずっと家にいたんならお前が作れよ」

「お母さんは婦人会が長くなるって。私は料理を作らないよ。味見ならするけど」


 ほんっとこいつ良い性格してやがる。

 どうにかしてその性根を叩き直せないものかと考えるが、余計面倒なことになる予感がしたのでやめる。


「ああ、そいや、父さんは?」

「疲れてるからって寝てるよ。社会人って忙しんだねえ。私たちは感謝しないといけないね」

「なら、晩御飯ぐらいお前が作れよ!」

「いたたたっ! ほっぺたを引っ張らないでよー!」


 さすがに怒りを抑えきれなかった俺は、推の柔らかい頬を思い切り引っ張った。その間、悲痛な叫び声を上げるが気にしない。

 五秒ほど引っ張ってから指を離し、俺は靴からスリッパに履き替える。推の奴が赤く腫れた頬をさすりながら睨んでいたが無視した。

 リビングに入ると荷物を自分の椅子の上に置き、手を洗ってから晩御飯のために冷蔵庫の中を確認する。何を作ろうかと考えつつ、ソファのほうへ視線を向けると、推の奴は案の定手伝う気がないらしくグルメ雑誌に目を通していた。

 はあ、とため息を吐いた俺は、さっさと済ませるべく晩御飯作りに着手した。

 と、そんな時だ。

 今の今まで俺を怒らせたり、グルメ雑誌を読んでいた推が口を開いた。


「ねえ、お兄ちゃん。元気ないけど何かあった?」

「別にそんなことないよ。いつもどおりだ」

「ふー……ん」


 意味深な声を漏らす推が気になり視線を向けると、俺の顔をジト目で睨んできていた。


「ねえ、知ってる? お兄ちゃんってさ、嘘をつくとき右拳を強く握るんだよ」

「え、本当か?」


 俺は慌てて自分の右手を見る。しかし、俺は拳を握っていなかった。

 あれ? と思いながら推を見ると、彼女はくすくすと可愛らしく笑いながら、


「あははは、嘘に決まってるじゃん! でも、動揺してるってことはお兄ちゃんは嘘をついてるってことだよね」

「うっ……いや、別に」

「あーあ、そっか。話してもらえないってことは、私はお兄ちゃんに信頼されてないんだね。うぅ……十八年近くお兄ちゃんの妹をやっているのに悲しいよ」


 本気で泣きそうな声音で呟きながら、顔を覆い隠す。

 別に推の奴を信頼していないわけではない。ただ、この話を話していいものなのかどうか決めあぐねているだけど。一応、個人情報にも関わるし、妹の推に重い話を聞かせたくない。

 それでも、推は自分を頼ってほしいと思っている。

 そう思うと、なんだか胸がいたくなる。

 晩御飯を作る動きを止め考える。しばらく熟考した後、俺は胸の中にたまっているものを話すべく口を開いた。俺の雰囲気の変化に気が付いたのか、推の奴は真剣なまなざしで俺の話に耳を傾け始めてくれた。


「例えばの話だけどいいか」

「例えばの話、かあ。うん、そういうことにしてあげるよ」


 優しい声で促してくる。


「作家友達の人が、偶然余命宣告を受けた子と出会ったらしい。で、その子はその作家の人のファンらしくてさ、死ぬ覚悟を決めるために憧れの小説家の人に本を書いてほしいって頼んだんだ」

「うん。それで、その人はどうしたの?」

「頼みを断ったらしい。自殺に手を貸すような真似をしたくないらしい。まあ、当たり前だよな。余命宣告を受けて長くは生きられないことがわかっていても、死ぬ覚悟を決めるためって知ってて本を書くことは自殺に手を貸してるのと変わらない」


 たとえ事実を黙っていたとして、知らずに本を書いたとしても責任というものは確かにある。責任逃れをしたいんじゃない。俺は死ぬためだなんていう理由で書きたくない。


「それにさ、その小説家の人はもう小説を書かないらしい。いや、違う。書けないんだ。何でも、色々とあって書けなくなったんだと」


 そこまで話し終えた俺は、推の方に視線を向けてみる。すると推はまっすぐに俺の顔を見据えていた。

 もう何年も一緒に暮らしているのでたいていの考えはわかるのに、今の推の表情からは考えが読めない。それが怖いとは思わなかった。ただ、何を言ってくるのかが不安だった。

 今の話を聞けば、誰の話かなんてまるわかりだ。

 俺の話だと、推にはわかっている。

 しばらく推の顔を見つめていると、ゆっくりと口を開いた。


「確かにその人の言う通りだね。自殺に手を貸しているのと変わらない」

「だろ」


 うん、と推は頷く。

 しかし直後に、でも、と言葉を紡ぐ。


「おにい――じゃなくて、その人、すーっごい馬鹿だね!」

「え、何でだよ⁉」


 どこが間違っているのだというのだろうか。死ぬ覚悟を決めるために本を書くことは自殺に手を貸すのと変わらないのであれば、俺の言い分は正しいはずだ。


「だって――あ、ううん、これはその人が自分で見つけるべきだね。ねえ、お兄ちゃん?」


 気になる台詞を残しながら、推はあることを尋ねてきた。


「その人は何で小説を書かなくなったのかな?」

「……さあ、詳しいことは話してくれなかったけど、小説を書くきっかけをくれた好きな女の子を亡くしたらしい」

「そう、なんだ」


 今の言葉で推はきっと光のことを思い出しただろう。

 でも、推は光のことには一切触れることなく、乞う言葉を返してきた。


「その人さ、ほんと馬鹿だよ。多分、女の子のために小説を書いてたと思うんだけど、それはいくつかある理由の中の一つでしかないよ」

「何でそう思うんだ?」

「私が知ってる人は、きっかけをもらう前から物語を作るのが好きだった。皆を笑顔にするのが好きだった。だから、女の子のために書くことは大きな理由であって、他の大きな理由はなくしてない。だから、その人にも書き続ける理由はあるんだよ。それにさ――」


 推は俺に向かってニコリとほほ笑むと、


「小説を書くことが好きって言うのが理由じゃダメなのかな」

「……、」

「私はそう思うよ、お兄ちゃん」


 言い終えると、推は再びグルメ雑誌に目を通し始めた。鼻歌を歌いながら、あれが食べたいやこれが食べたいと呟いている。

痛いところを突かれた俺は何も言うことができずに立ち尽くしていた。しばらくそのままでいると、時計が六時になったことを示す音が鳴り響く。我に返った俺は晩御飯の支度に入る。


「お兄ちゃんはほんとに馬鹿だね」


 そんな呟きが、晩御飯を作る俺の耳に響いた。

 まったくだ、と思った。

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