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第六話 曲がり角の先に6

 偶然なのだろうか。

 それとも必然なのだろうか。

 目の前に立つ彼女の姿を見てそう思う。彼女も同じように驚いているのか、爛々と輝く目を大きく見開いている。

 無理もないだろう。

死ぬ覚悟を決めるために小説を書いてほしいなどという少女に二日連続で会うのだから。そして、彼女からしても小説を書いてほしい憧れの小説家が目の前にいるのだ。驚いて仕方がない。

 しばらく俺たち二人は、お互いを見つめあったまま黙り込んでいた。何か声をかけるべきなのだろうけどその言葉が思いつかない。

 そもそもとして、彼女の依頼を断ったのだからもう無関係だ。無理に関わる必要はない―はずなのだが、彼女の視線がそれを許さなかった。

 朝河さんと同じ目をしている。

 何かから逃げ出そうとする俺を逃がさまいと射すくめている。

 思わず身の毛もよだつような寒気を感じる。

 何だろうか――この寒気は。

 素直に怖いと思う。


「怖い顔をしてどうかしましたか?」

「……何でもない」


 フッと、さっきまでの彼女の気が嘘だったかのように収まった。昨日会った時と同じように温かい声と、人を癒す笑みを浮かべている。


「そうですか。それはよかったです。お体でも悪くなったのかと思いました」

「悪い、心配をかけて。体が悪いとか……そういうわけじゃないんだ。ただ――」


 さすがに君の視線が怖かった、とは言えない。

 どういえばいいのか迷った挙句、


「ちょっと考え事があって、それで悩んでただけだよ。あ、そうだ。隣あいてるから座ったらどうだ?」


 まだ中高生も会社員の人たちも帰り始めたばかりなので人は少ない。俺は空いている隣の席を軽く叩いて促した。


「ありがとうございます!」


 そう礼を言うと、素直に彼女は俺の隣に座った。肩に掛けていたトートバッグを膝の上に置いた日向さんは、


「白泉さんって優しいんですね」


 と優しい笑みをたたえながら呟いた。

 先ほどとは別の意味で目を逸らしたくなる。


「そんなこたねーよ。ただの社交辞令だ。優しいんだったら日向さんの頼みを断ってないよ。でも、優しかったとしても死ぬための覚悟を決める頼みなんて聞いてないがな。自殺に手を貸すような真似はしたくない」

「あははは、そうですよね。それが普通ですよね」

「ああ」


 もしも頼みを聞くようなことがあれば、それは異常なことだ。いや、頼む時点で異常だ。

 間違っている。自分が死ぬ覚悟を決めるために周りを巻き込むことも、そして何より覚悟を決めようとすることも。

 周りにはきっと彼女が生きてほしいと願う人たちがいるはずだ。

 なのに、その思いを踏みにじることをやっていいのだろうか。

 何故か、まだあったばかりの少女に足してそんな思いがふつふつと湧き起こる中、ふと、俺はあることに気が付いた。


「というか、何で死ぬ覚悟を決めたいんだよ?」


 そう言えばまだ彼女からその理由を聞いていなかった気がする。

 昨日はいきなりのことで尋ねるのを忘れていた。

 理由を話したところで俺の決心は揺らがない。でも、何となく彼女が抱える問題がどのようなことなのか気にはなった。

 日向さんのほうへ視線を向けると、どう答えるべきか迷っている表情をしていた。出会ってから、始めて見る表情だ。

 何となく視線を膝の上に置いたトートバッグの上に向けると、彼女の指が震えているのがわかる。迫りくる何かに、怯えているように見える。

 俯いたまま何も言わない時間が流れる。その間、近くの若い会社員たちや中高生たちの河合が狭い路面電車の中を響かせていた。

 そして、十数秒かけて彼女はようやく意を決したように告げた。


「余命一年なんです」

「――っ⁉」


 言葉を失った。

 余命一年、と彼女は確かに言った。間違いなどではないはずだ。


「実は重たい病気を患っておりまして、もう長くは生きられないんです」

「……、」

「それで、最後に自分が一番好きな小説家の人に小説家を書いてもらって、その小説を読んで死ぬ覚悟を決めたいんです。そうすればきっと悔いなく逝けると思うんです」


 明るい調子で彼女は淡々と語る。

 でも、尋ねた際に悩んだように、彼女の言葉一つ一つには計り知れないほどの覚悟がこもっているはずだ。

 自分から尋ねたものの、彼女の覚悟に対して俺はどう言葉を返すべきか悩んだ。それにもう一つ思うことがあった。


 ――……光。


 生と死を語る日向さんの姿がかつての幼馴染の姿と重なって見えた。大好きだった光の姿がはっきりと見える。


『つっくん。あのね、私もうすぐ死んじゃうんだ』


 あの時の彼女に似ている。

 目の前に逃れられない死が迫っているというのに、明るい調子でそれを告げる様子が。

 何で、光も日向さんも。


「……白泉さん、どうされました?」

「なあ、何で……笑っていられるんだ?」


 日向さんの言葉など無視して尋ねた。

 可笑しい。可笑しすぎる。

 何で、簡単そうな顔をするんだ。

 何でそんなにも簡単に死を受け入られるんだ。

 俺にはその理由がわからなかった。


「理不尽だとは思います。でも、避けようがないことだからです。逃れることができないのなら受け入れるしかありません」


 一見前向きともとれる言葉に、納得しかける自分がいる。

 けれど、それは諦めではなかろうか。

 どうすることもできないから受け入れる。抗おうとはせず、自らその流れに身を任せる。


「……あいつもそうだった。そうやって受け入れていた。尋ねたら、避けようもないことだから。逃げられないから。無視できないから。だから受け入れる」

「話が分からないのですが……もしかして、幼馴染の方のことをいっているんですか?」

「――っ⁉」


 肩がピクリと震える。

 俯かせていた顔を上げ、日向さんの方を見た。俺は驚いた表情のまま、彼女を攻めるように尋ねた。近くにいたお客さんが、驚いたように俺を見たが気にしない。


「何で知ってるんだ⁉」

「あ、えっと、朝河さんから聞きまして……」

「朝河さんが?」

「はい」


 俺の形相を怖がっているのか、日向さんは若干表情を引き攣らせながら答えた。そこでようやく俺は、自分が彼女に対して失礼な対応をしていることに気が付かされた。

 強張った表情を柔らくさせ、俺は優しい口調で話しかける。


「悪い……ひどい態度をとっちゃって。ちょっと、いろいろと驚いたんだ」

「いえ、私は気にしてませんから大丈夫ですよ。それに、無理もありませんよ。いきなり余命宣告や私が知らないはずの方の話をしたら」

「……ああ」


 考えるまでもなく、言葉から気を遣っていることがわかる。

 気にしてはいないというのは本当のことだろう。でも、それは俺の態度であって、先ほどまでの問いの意味や幼馴染のことは気にしている。わざわざ言葉の中にそのワードを入れていることから明らかだ。

 どうすべきか考えた。

 ここで答えないのはフェアではないような気がする。いくら朝河さんが漏らしたこととはいえ、日向さん自身俺の抱えるものを知りたがっている。

 知ったところでどうにもならない。

 車窓から見えるあかね色に染まっていく街並みのように、あるべき形として変えようがないことだ。それほどまでの覚悟を持って小説を書かないことを決めている。

 でも、夕日が街並みを茜色に染め、夜空に映り替わったとしても、朝になればまた空を太陽が明るく照らし出す。

 つまり変わることができる。

 変えられないことはある。でも、変わることができる。

 自分でも何を言っているのかわからない。先ほどから支離滅裂であることはわかる。今の自問自答の中には矛盾に似た何かがあり、そしてそれが何かを変えてくれそうな気がした。不確かなでありながら、確信のようなものがあった。

 ふと、そこで俺はあることに気が付かされた。


 ――俺は何を期待しているんだろう。


 まだ出会って二日程度だ。時間にすれば、もっと短い。

 なのに俺は日向さんに何かを期待している。

 理由はわからなかった。

 ただ、期待するものを得るためには話さなければいけないような気がした。話せばわかるような気がする。

 俺はさんざん考えた末日向さんを見習い、覚悟を決めた。だが、抱えるものを告げようと、口を開きかけた時だった。


『次、鉱床駅。鉱床駅。お降りになる方は前側のドアになります』

「あ、ここでおります。では、また、会いましょう。書いてくれるといってくれるまで諦めませんから」

「あ、ああ……じゃなくて、書かないから」

「でも、諦めません」


 そう言い残して彼女は数人のお客と一緒に路面電車を降りていった。全員がお律と、後ろのドアが開き、降りたお客よりも大勢の人間が乗り込んできた。全員が乗ったことを確認し終えた車掌さんは、ゆっくりと路面電車を走り出させる。

 何となく車窓の外にいる日向さんを探すと、彼女は車窓からも見える西側の曲がり角を曲がろうとしていた。曲がり角の先に俺の求める答えがある気がした。

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