第五話 曲がり角の先に5
何か重たいものを感じながら目を覚ますと、妹の推の奴が俺の肩を枕代わりに寝ていた。規則正しい寝息を立てながら、時折「……お兄ちゃん」などと呟いている。一体こいつはどんな夢を見ているんだ。
はあ、と深いため息を吐きながら、時間を確認すると午後五時を過ぎていた。朝河さんに電話を掛けたのが午後二時過ぎ。その後に少しテレビを見ていたところまでは覚えているが、そこから先の記憶がないとすると、テレビを見ながら寝てしまったらしい。テレビの電源が切れていることから、推の奴が消してくれたのだろう。
その推だが、実に気持ちのよさそうな寝顔をしている。何だか腹が立つので、また頬を引っ張ってやりたくなる。まあ、部活で疲れて寝ている奴にはさすがの俺も自重するが。
それにしても……すやすやと寝ている。俺の隣で寝ることに安心しきっている顔だ。
「まったく、お前ってやつは……」
寝顔を見つめながら、髪を優しく撫でてやる。すると「お兄ちゃん……ありがとう」などと寝言を呟いた。本当にどんな夢を見ているんだ。
しばらく髪を撫でてやった俺は、晩御飯を作るため立ち上がる。しかし、腰を少し浮かせたところで、俺の動きはぴたりと止まった。何かに引っ張られるような感覚がしたからだ。
何だろうか、と考えながら見ると、推の奴が眠ったまま俺の服の袖を掴んでいた。
「はあ……やれやれ、良い根性してるな」
推を起こさないように服の袖から手を離させると、タオルケットを掛けてやった。
キッチンのほうへと向かった俺は、冷蔵庫にある食材を確認しながら今日の献立を関考えた。うちは基本的には母親が料理を作っているのだが、俺が休みの日などは完全に任せている。
仕事で疲れているのだから、これくらいはするべきだという思いはある。
そんな親孝行な俺は何となく向けた視線の先にあるスマホに、誰かから連絡が入っていることに気が付いた。
冷蔵庫から食材を出す手の動きを止め、テーブルに置いてあるスマホを操作し、メールが届いていた。そして、差出人を確認した。
「す、鈴村さん⁉」
珍しい人からのメールに思わず驚いた。朝河さんに対しては俺も似たようなものだが、鈴村さんが連絡を取ってくることはそれ以上に珍しいことだ。
すぐにメールの内容を確認する。
『やあ、久しぶり
紡くんは元気かい?
相も変わらず締め切りに追われて毎晩徹夜をしているけれど、僕は元気だよ
ところでだけど、明日久しぶりに会えないかな
久しぶりに君に会いたいし、少し頼みたいことがあるんだ
もしよければ午後二時ごろに僕のマンションに来てほしい
それでは、君に会えることを楽しみにしているよ 』
頼みとは何だろうか。読み終えた俺は、まずそのことを思った。
何だかとても面倒なことを頼まれそうな予感がする。そうな予感というより、そうだろう。
メールでは真面目ぶった文章なんだけど、この人はそうすることで頼みやすくしているんだ。前に何度かそういったことがあったので、まず間違いない。
「……でも、行くしかないんだろうなあ」
行かないと夜な夜な迷惑メールを送ってくるだろうし。
皆まじめな文章に騙されるのだが、鈴村さんは結構なひきこもり体質だ。だからこそ、小説家などという職業に行きつくのだろうが。外に出たくないのであれば、家でできる仕事を見つけるしかない。打ち合わせで外に出なければいけない時もあるだろうが、小説家というのは本当に理に適っている。
閑話休題。
鈴村さんの面倒なところはひきこもり体質な上に、極度の寂しがり屋なのだ。なので、無視されたかと思うと、しつこく迷惑なメールを送ってくる。
会おうとも会わなくともどちらにしても面倒くさい。
はあ、と多分今日一番の深いため息を吐いた俺は、会いに行くという旨のメールを送信した。
放っておいて余計に面倒になるくらいなら、構ってあげて少しでもモチベーションを上げてあげたほうがいいという結論である。
「……はあ」
もういい度だけ溜息を吐いた俺は、スマホをテーブルの上に置き、夕飯の準備を再開した。
そんな時だった。人の肩を枕代わりにしてまでぐっすりと眠っていた推の奴が目を覚ました。
まだ寝たりないのか、どこか意識がうつろだ。必死にその眠気をはねのけようと抵抗を試みているが、以前眠気のほうが優っている。
このまま寝させてやってもいいが、このままだと眠れなくかもしれないと思った俺は、推の頬を引っ張った。その瞬間。
「いった―――――――いっ‼」
推の苦痛の叫びが家中に響き渡った。
「これで目が覚めたろ。ほら、いい加減起きろ」
「た、確かに目が覚めたけど、これは痛いって! お兄ちゃん馬鹿なのかな!」
少しだけ腫れた頬をさすりながら、推は鋭い目つきに怒気を宿し睨みつけてくる。俺はそんな彼女の言葉など無視して、夕飯の支度を再開させた。
まだ文句が言い足りないのか推は不服そうに頬を膨らませたが、俺が料理をする姿を見て話題を変えてきた。
「ねーね―今日の晩御飯は何なの、お兄ちゃん?」
「今考え中だ」
「はいはい! 私、カレー食べたい。だから、カレーにしようよ!」
「カレーにしてもいいけど、発起人のお前も手伝ってくれよ」
「やだよー。あ、でも、味見の手伝いならするよ」
調子の良い奴だ。
やれやれと首を振りながらも、俺はカレーに必要になる肉やジャガイモを取り出した。そして、事前に研いで置いたお米を炊飯器にセットし、時間設定をしてからたき始める。
その間、推の奴は本当に手伝う気がないらしく、テレビのバラエティー番組を見ながら笑っていた。
推の姿を見て、俺は心に誓った。
推の苦手な激辛にしといてやろう、と。
♪♪♪
翌日の日曜日。
部活が休みだった推と一緒に少し早めの昼食を済ませた俺は、鈴村さんのマンションに行くために家を出た。
鈴村さんのマンションは遠いので、交通機関を利用することに決めた。住宅街を抜けたとこると県道にでる。抜けた近くの道の真ん中には、路面電車用の出来が設置されていた。
数分待っていると、駅方面とは反対の市外付近まで行く路面電車がやってきた。大分外見は水色に近い薄い色でレトロな雰囲気を醸し出しているのだが、車内はというとレトロな雰囲気を残しつつ最新式に改装されている。
乗り込んだ俺はあいている場所に座り、しばらく道に敷かれたレールの上を走る路面電車に揺られながら、市外付近にある鈴村さんのマンションに向かった。
別に電車を使ってもいいけど、俺はどちらかというと路面電車に乗ることが好きだった。
その理由は簡単だ。路面電車の窓から見る景色は、車や電車で見ている時とは全く違って見えるからだ。
電車とは違い隔離された専用の場所を走っているのではなく、またバスのように歩道のそばを走ってお客を下ろしているわけではない。道の真ん中を走ることによって、行き交う車を見ることができる。
それにゆっくりとした速度で走るので、流れる街並みの景色をのんびりと眺めることができる。そういった景色を感じられる部分を気に入っているから、路面電車に乗ることが好きだ。
窓から見える景色を眺めながら三十分近く車内で揺られていると、降りる駅に着いた。料金を払い、蒼になった信号を使って、人が行き交う歩道に渡る。そこから西側の二つ向こうの交差点に向かって歩き、その交差点を右に曲がりしばらく歩いていると鈴村さんが住まう六階建てのマンションが見えた。
そのマンションの入り口に足を踏み入れ、エレベーターを使い五階に上がる。そして、一番手前の五〇一号室の入り口のドアをノックする。
数秒待つと中からガチャというドアノブを捻るような音が聞こえた。
「あ、どうも、お久しりです」
開いたドアから見知った顔の男性が現れた。
服の袖から伸びている割には筋肉質で、引きこもりをしている割には引き締まった肉体にみえる。メガネをかけているので見た目は文系に見えるのに、体つきは完全に体育系だ。
そんな彼こそが、今人気の若手作家鈴村泉希だ。
そして、日本で――いや、世界で唯一の引きこもり作家でもある。
「やあ、久しぶりだね」
「ほんとですね。確か新年ぶりでしたよね」
確かその時もこの人は引きこもっていた気がする。
初詣に行かないかと誘いもしたが、人が多いのが嫌だの眠いだのとのたまって結局ついてくることはなかった。
閑話休題。
鈴村さんに部屋に入るよう促され、素直に部屋の中に入った。客間兼リビングに向かうと、驚くことに部屋が片付いていた。引きこもりな癖してこの人は、意外と生活態度はしっかりとしている。
「さあ、座って座って」
「あ、はい」
椅子に座ったところで、鈴村さんは俺と自分の分のお茶とお菓子を置き、俺の正面に座り込んだ。
――この人……本当にこういったことはしっかりとしているな。
一体なぜ引きこもってなんかいるのだろうか。
「どうかしたかい?」
「ああ、いえ、何でもないです。――で、頼みたいことって何ですか?」
今回の目的を思い出し、正面に座る鈴村さんに尋ねた。鈴村さんは自分のお茶を一口飲むと、大変言いづらそうにしながら話し始める。
「実はだね、出版社が主催している賞の審査員を頼まれているんだ。でも、仕事がいくつかたまっていて、とてもじゃないけど審査をしていられないんだ」
「いや、鈴村さんの場合は、仕事がたまってるというよりはマイペースなだけでしょ」
この前の朝河さんの顔を思い出しながら呟いた。
俺の言葉に鈴村さんは表情を引き攣らせた。俺が睨んでいると、視線を窓の外のほうへと逸らし、口笛を吹いている。
どうやら図星のようだ。
何というかわかりやすい人である。
「ま、まあ、とにかく君にその賞」
「断らせていただきます」
「の審査員を変わってほしい……って、今何て言ったんだい?」
「だから、断らせていただきます。俺はもう小説を書きませんし、小説家でもありません。ですから、今更審査員だなんて」
鈴村さんが要件を言い終わらないうちに俺は断った。
こんな中途半端な奴が、作家になるという希望を持って応募してくる人たちの作品を読んで講評していいわけがない。あまりに無責任すぎる。
たとえ自分勝手な理由だとしても、一度やめたという以上自分の言葉に責任を持たなくてはならない。
例え、誰に何といわれようと。
「ええーそこをなんとか、頼まれてくれないかな」
「そう言われて……鈴村さんだってわかってるじゃないですか」
「でも、執筆をしてほしいわけではないんだよ」
「そうだとしても、小説に関わる仕事には関わりたくないんです」
「はあ……仕方がないね」
決意の固さを知ったのか、鈴村さんは素直に引き下がった。
その様子を見ると胸がいたくなる。本音を言えば助けてあげたかった。でも、何度も言うように俺にはその資格がない。
「あの……すみません」
「いや、無理を言ったのは僕の方だから気にしないでいいよ。僕の勝手な都合だしね」
「そう……ですね」
言い淀みながら相槌を打つ。
勝手な都合。それは自分にも当てはまるのではないのか、と考えてしまったからだ。
もちろん、鈴村さんのことだから意図してもらした言葉ではないだろう。この人は朝河さんと同じように、人を傷つけるようなことは口にしない。
でも――でも――と意味も分からず何かを考える自分がいる。
「まあ、仕事の話はここまでにして、久しぶりの再会なんだから楽しくお茶でもしようか」
「ええ……はい」
惑う心の霧を払うかのように、鈴村さんは明るく話しかけてくる。その誘いに自分の気持ちをごまかすような硬い笑みを浮かべ、話しに更けていった。
鈴村さんの家を出たのは午後五時ごろだった。
帰りも路面電車を利用した俺の目には、ちらほらと学校帰りの中高生や仕事終わりの客が見えた。友達との談笑やこれから居酒屋に行く会社員たちの楽しげな会話が耳に聞こえた。
その声を耳にしながら、俺はぼんやりと車窓の外を眺めた。
茜色に染まっていく行き交う人々と街並みが映る。街の中を通過し、橋の上に出ると河の水面が光を反射してきらきらと輝いている。
素直に綺麗だと思った。
人が行き交う街並みも、茜色に輝く河も。
でも、不思議の素晴らしい光景を見ても、鈴村さんの家から続く胸の疼きは消えることがなかった。むしろ、家に近づくたびにその疼きは強くなっている。
まるで、逃げるな、と語り変えてきているかのように。
「……何やってんだかな」
本当はわかっていたはずだ。鈴村さんが頼んでくることなんて。
それなのにどうして俺は……。
柄にもなく物思いにふけっている時だった。
「――白泉さん?」
突然の彼女の声が、俺の意識を現実に引き戻した。
声のする方へ視線を向けると、見知った顔の少女が立っていた。服装は違うが、昨日と同じようにキャスケットを被っている。
驚くとともに俺の胸の疼きが今までよりも強くなる。そして、またどこかで歯車が動き出す音が聞こえた。
「日向さん?」
そう、俺の目の前には日向文菜さんが立っていた。
死ぬ覚悟を決めつ貯めに小説を書いてほしいと、頼んできた少女が立っていたのだ。




