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第三話 曲がり角の先に3

「はい、どうぞ」


 キャスケットを被った少女は、ヒイラギ書店の休憩室で男の子やおじさんの前に湯気の立ったお茶を置いた。万引きの件について、みんな落ち着いて話すためだ。


「はい、白泉さんもどうぞ」

「ありがとう――ん?」


 あれ? 俺はこの子に自分の苗字を名乗っただろうか?

 不意に少女の口から呟かれたことに疑問を持つ。

 そんな俺の挙動を不思議に思った少女は、小首を傾げながら、


「どうかされましたか?」

「ああ……いや、何でもない」


 多分、さっきレジでおじさんが呟いていたのを聞いていたのだろう。いや、でもあれは名前であって苗字ではないはずだ。ということは、この子は一体全体動じて俺のことを知っているのだろうか。

 そんな疑問が湧き上がってくるが、お茶を一口飲み一息ついたおじさんが口を開いたので、俺は万引きの件に意識を向けた。


「で、どうするんだ、紡の坊主? 俺はこのまま警察に突き出せばいいと思うぞ」


 その言葉に俯いたままの男の子の肩が震える。自業自得とはいえ、おびえる男の子を落ち着かせるために、


「まあまあ、それは最終手段として、まずは結論より家庭に意識を向けようぜ」

「ねえ、君の名前は何て言うの? 教えてくれないかな」


 俺の意図を読み取った少女は、相変わらず温かみのある優しい声で男の子に尋ねる。

 ふと、そこで頭の中にまた新しい疑問がよぎった。そう言えば、俺もこの少女の名前をまだ聞いていなかった気がする。

 気にはなるが、目の前の男の子が口を開きそうだったので言葉を真剣に聞くことに努めた。


「……山風(やまかぜ)(けい)()

 圭太はぼそりと答えた。圭太はそれ以上何も言わず、黙り込む。

 子供ながらも余計なことを言わないようにしているとは賢い子だな、と思った。だが、俺も少女も尋ねるべきことはしっかりと尋ねる。


「じゃあ、何歳だ? あと、小学生みたいだから一応学年も教えてくれ」

「十歳。小学五年生」

「そっか、そっか、小学五年生か。ならもう十分君がさっきやったことがいいことなのか、悪いことなのかわかるよな?」


 今まで少女に合わせて優しくしていた口調から、少し厳しめな口調に換え、まっすぐに圭太の顔を見据える。

 圭太は顔を引きつらせ、目を逸らそうとする。しかし、俺は気の抜けたあくびをする真似をして見せることで、その警戒心を解かせた。


「まあ、そう警戒すんなよ。取って食おうってわけじゃないんだから。ただ聞かせてほしいんだよ、君の言葉を。判断はその後に考えるさ」


 ちらりとおじさんのほうへ視線を向けると、何か言いたげだったが、俺に任せることに決めたらしく静かに見守ってくれている。


「良いことじゃないのは……分かってる」

「そう、ならどうして万引きなんかしたのかな?」


 圭太の隣に座る少女が尋ねる。


「お、弟たちのためだよ」

「弟君達の?」


 うん、と圭太は頷く。

 なるほど、話から察するに何かしらの家庭事情があるようだ。それも、万引きをしたくなるような程のことが。


「僕の家はお父さんがずっと前に死んで、お母さんが代わりに働いてる。いつも忙しくて、弟たちはなかなか構ってもらえなくて寂しい思いをしているんだ。そんな時、漫画とかを読ませると元気になるから――」

「つい、万引きしちまったってことか。ちなみにだけど、今回が万引きは初めてか?」

「うん」


 頷く言葉に嘘は感じられない。

 圭太の様子を見て、うーん、と唸りながら俺は考える。その合間にちらりと、少女のほうを見ると、今の今までキャスケットのせいで分かりづらかった表情がやっと見えた。

 まだまだ幼さが残るものの、高校生には見える。くりりとした丸い瞳には活発そうな光が宿っており、彼女の可愛らしさをさらに増させていた。

 また、癖のない長い黒髪からは清楚なたたずまいも感じる。


「白泉さん?」


 見つめられていることに気が付いた少女は、きょとんと首を傾げる。そのちょっとした仕草に、ドキリとさせられる。が、正気に戻った俺は、


「ああ、何でもないから気にしないでくれ」


 朱に染まった顔を悟られないように視線を逸らした。

 しばらくそんな調子で考え込んでいた俺は、良し、と呟く、そして、圭太の顔を見据え、ゆっくりと話し始める。


「おじさん。この子が万引きしようとした漫画の合計代金は?」

「ん? そうだなあ……パッと見全部で二千円ちょっとか」

「二千円ちょっとか……なら、これでお会計を頼むよ」


 自分の財布から二枚の千円札と五百円硬貨を取り出すと、おじさんに手渡した。受け取ったおじさんはというと、意味が分からず目を丸くさせている。

 おじさんは自分の手にあるお金を見つめながら、


「お、おい、どういうことだ?」

「だーかーら、俺が盗もうとした漫画を買うんだよ。それで、この買った漫画なんだけど、圭太にプレゼントするよ」

「「「え⁉」」」


 三人は声を仲よくはもらせて驚いた。


「え、え、さすがにもらえないよ、兄ちゃん!」

「いいからいいから貰っとけって。俺も元気のない弟たちのことを思うと、元気になってほしいから。まあ、その前に少しだけ俺の話を聞いてほしい」


 一拍間を置いてから俺は話を始める。


「俺は漫画を描いたことからはっきりとしたことはわからないけれど、小説は書いたことはある。漫画もそうだけど小説って、何百ページもある一つの作品を書くことに何ヶ月も掛けているんだ。中には、年単位で書いている人だっている。それは、わかるな?」

「う、うん」


 圭太が頷くのを確認してから俺は話を続ける。


「俺も何ヶ月も掛けて書いていた一行書くのに、一週間かかったこともある。どうすれば読んでくれる人が喜んでくれるのか考えながら書いた。そういった物を積み上げて、ようやく一つの作品が出来上がるんだ。漫画もその点は同じだ」


 だからさ、と呟くと、圭太に向けて俺は優しい笑みを浮かべる。


「一つの作品には、書き上げるためにものすごい努力が詰まっているんだ。それなのにお金も払わずに万引きするのはよくない。作家さんにも本を売る本屋の人にも失礼だ。だから、もう万引きをしないって約束してくれ。約束をしてくれたら、この漫画はプレゼントする。それでいいかな、おじさん?」

「紡の坊主がそういうなら、文句はない」

「……、」


 圭太はしばらく俺の言葉とおじさんの判断に対して、何て言葉を返せばいいのかわからず、幼いながらも言葉を探していた。俺は笑みを浮かべたまま、その様子を見守る。

 圭太は今まで俯かせていた顔を上げ、


「約束する。もう絶対に万引きはやらない」


 芯のこもった言葉を紡ぎだした。


「おう」


 俺は満足げに頷いた。

 そして、俺たちの様子を眺めていた少女は、


「ねえねえ、お姉ちゃん童話も自分で買って読んだり澄んだけど、もしよければ本を貸すよ。今度の日曜日にも、今と同じ時間にいるから来てくれないかな」

「え、本当、お姉ちゃん?」

「うん、本当だよー! ちなみに弟君達はどんな本が好きかな?」


 仲よく話し始める二人。二人の様子をほほえましげに眺めていると、隣に座っているおじさんが二人には聞こえない声量で耳打ちしてきた。


「紡の坊主の結論には文句はないが、これで良いのか? また、万引きしたりするかもしれないぞ」


 おじさんは言葉の割に、不安というものがなかった。今までの様子で、おじさん自身も大丈夫だと確信しているのだ。

 だから、これはただの確認だ。


「大丈夫さ。さっき、万引きをしたことがあるのかって尋ねた時、俺の顔をしっかりとみてやったことがないって答えた。もう、十分反省してるさ。それに、ちゃんと謝ることができるってことは、母親のしつけがいいんだと思うよ」


 忙しいとは言っていたが、しっかりと子供のことを思っているいい母親だ。


「あ……あの」


 少女と話し込んでいた圭太は、全体に向かって声をかける。

 俺も少女も、そしておじさんも、圭太のほうに向きなおる。

 そして、子供らしい元気のある眩しい笑顔を浮かべて、


「ありがとう」


 と俺たちに向かって言った。




 しばらく経ってから、圭太は少女と本を貸してもらう約束をして、ヒイラギ書店から弟たちが待つ家へと持って帰っていった。

 俺も買おうと思っていた本を買い、おじさんに挨拶をしてからヒイラギ書店を出た。

 時間を確認すると、十二時を過ぎている。美咲さんと昨日話をした喫茶店でランチをとろうと歩を向けた時だった。

 あのキャスケットを被った少女に、店先で話しかけられる。


「あの、すみません!」

「ん、ああ、君か。どうした?」

「え……えーっとですね」


 先ほどお店の中では、あれだけしっかりと話していたのに、今の彼女はおずおずとしていた。何故か、彼女の童顔と相まって小動物っぽくて可愛らしく見えてきてしまう。

 でも、その考えは次の言葉で霧散した。


「あ、あの、あなたは白泉紡さんですよね。あの『空の花』の作者の白泉紡さんですよね!」


 そして――、


「白泉さんにお願いがあります。私のために本を書いてくれませんか!」


 どこかで音がした。


「――死ぬ覚悟を決めるために、小説を書いてくれませんか?」


 どこか近くではっきりと音が聞こえる。

 今の今まで止まっていた歯車の音が聞こえた。

 小説家白泉紡の歯車が再び動き出した。

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