第二話 曲がり角の先に2
翌日は土曜日ということもあり休日だった。
いつも通りならば朝から昼に代わる微妙な頃に起きるのだが、今日は目が冴えてしまって二度寝する気にはなれなかった。ちなみに父さんと母さんの二人は、仕事でもう家を出ている。
朝食を食べ、新聞を少し眺めながら今日の予定を考える。その結果、好きな作家の新作があるかどうかの確認も兼ねて本屋に行くことに決めた。小説を書くことは止めたが、読書は今でも続けている。
朝食を食べ終えると部屋に戻り着替える。着替えが終わると、まだ本屋が開くまでには時間があるので、毎週土曜日の朝からやっている旅行番組を魅入ることにした。元気のいい若い情勢二人が、楽しそうに外国の街を散策している。
いつか行きたいなあと思いつつ、ふと時間を確認した。時計の針はもう十時前になることを示している。旅行番組も終わりが近づいていて、家を出るには良い頃あいだ。
家を出るためテーブルの上に並べた食器を洗おう――とした時だった。
「わわわ、もうこんな時間だよー⁉」
階段のほうからバタバタと騒がしい音を響かせる妹――白泉推の慌てた声が聞こえた。しばらくするとリビングの戸が勢いよく開かれ、制服姿の推が現れた。
寝起きなのか(ではなく確実に寝起き)推の髪の毛は、みっともないくらい寝癖ではねている。
「おーい、学校に行くのはいいけど寝癖ぐらいといで出ろよ」
「そんな暇ないよ――っていうか、お兄ちゃん休みなら起こしてよ! 完全に部活に遅刻じゃん!」
俺に責任を押し付けるなよ。起きないのは自己責任だ。
だが、こんなことを言っても無駄だろう。
「あのなあ、お前今年で幾つになるんだ?」
「まだまだ乙女な十八になるよ」
ぶん殴りたいな。
「そう、十八になるんだろ」
「まだまだ乙女な十八だよ」
その部分は全力で無視して話を続ける。
「でだ、もういい歳なんだらいい加減自分で起きろよ。高校三年生だぞ」
「まだまだ乙女な部分をスルーしないでよ、お兄ちゃん!」
あーうるさい。本当にうるさい。
こんなに騒がられるなら、面倒だと思っても起こしておけばよかった、と今になって公開させられる。
その後悔をため息と一緒に吐き出して、俺はさっきまで自分が座っていた椅子を引いて、水を座らせた。そして、洗面所から櫛を持ってきて、すっかり寝癖ではねてしまっている髪の毛をすいてやる。
「ったく、夜更かしするからだぞ」
夜中に友達だろう、長電話をしていた。隣の部屋で寝る俺としては、騒がしい声のせいでいい睡眠妨害である。
しかし、推は詫びれる様子もなく、えへへへ、と嬉しそうな笑みを浮かべる。
何か腹がったので、両側から頬を引っ張ってやる。
「いひゃひゃひゃっなにするの、おふぃちゃん!」
「何か、今の笑顔が腹立ってな」
「ひどいよ~。別に腹が立つようなことを言わないよ」
推は赤くなった頬をさすりながら、顔を上げ櫛で髪をすく俺の顔を睨みつける。
でも、どれだけ睨もうが、本気の怒気が混ざっていない推の眼光は全く怖くない。
「ほう、なら何だよ」
「簡単だよ。愛する妹の髪の毛を触れて幸せなお兄ちゃんだなあって思っただけだよ」
俺は何も言わず、推の頬を思いっきり引っ張った。
「いたたたっ! マジなのはやめて!」
必死に懇願してくるので、柔らかい推の頬を引っ張る力を抜いて解放してやる。
「もお、何するの、お兄ちゃん!」
「お前が馬鹿なことを言うからだ。なーにが愛する妹だ。出かけようとしていた俺からしたら、迷惑な妹だよ」
「ひっどいよー!」
泣きそうな表情を浮かべて見せるが、演技だということは一目瞭然だ。迷惑な妹の芝居を無視して俺は、キッチンに置いておいた可愛いキャラクターの風呂敷で包まれたタッパーと弁当箱を妹の前に置いてやる。
「タッパーの方にはちょっとだけサンドウィッチが入っているから、電車の中でも食べろ。あと弁当も用意したからお昼に食べろよ」
「おお、ありがとう、お兄ちゃん!」
目を輝かせながら、推は朝食代わりの軽食と弁当を受け取る。それをちゃんと学校指定のバッグに入れるのを確認すると、家を出る推を見送ってやった。
「遅刻したからと言って変に急ぐなよ。事故を起こしたり巻き込まれないように、気を付けていけ」
「うん、了解」
推は元気に頷く。
面倒なところはあるが、快活な妹の姿を見る元気が出てくる。恥ずかしいので、絶対言ってやらないけど。
「じゃあ、行ってきます! ――あ、お兄ちゃん!」
家の門を出るところで、推は寝癖が収まった髪の毛を揺らしながら振り返る。
「結局お兄ちゃんは、私のことが大好きでしょ?」
「は? 何馬鹿なことを言っているんだ?」
そんなわけあるか。
こんな面倒な妹のことが大好きなわけがない。
でも、推は口の端をにんまりと持ち上げ、
「だって、なんだかんだ言って寝癖でぼさぼさになった髪をすいてくれるし、通学中に食べられる軽食やお弁当を作ってくれるじゃん。これが、愛の証明だと思わない?」
「……、」
「だからね――ありがとう、お兄ちゃん! 私も大好きだよ! じゃあ、今度こそ学校に行ってきます!」
そう言い残して、今度こそ本当に学校へと向かった。
痛いところを突かれた俺は、顔を真っ赤にさせて空を眺める。
そして――、
「そんなわけねーよ」
と顔を真っ赤にさせたまま呟いた。
しばらくたっても俺の顔は赤いままで、何度も何度も推の言葉が頭の中で再生された。
♪♪♪
家を出て、二十分ほど歩くと商店街の大きな看板が見えた。
日笠商店街、という看板が門に掲げられている。その門を通って、俺は商店街の奥のほうにある本屋へと向かって歩いてく。
しばらく歩くと、目的の本屋であるヒイラギ書店にたどり着いた。店の風貌はというと看板の一部がひび割れてあったり、店先の壁がはげていたりと一見古そうに見える。というより、事実古い。ここに来るまでにも何件か本屋はあったが、その書店と比べてもヒイラギ書店は商店街の中で一番古い。
でも、俺はヒイラギ書店を気に入っていた。
ここに来るまでに見た本屋は、最近の流行の本を扱う店や古書を扱う店だったりと何かに特化している。でも、ヒイラギ書店はほかの書店とは違い、幅の広い本を扱っている。雑多な本屋なため欲しい本を見つけるのが難しいのだが、宝探しをしているようで楽しい。それに、たまに掘り出し物を見つけたりするので本を買うならここを利用している。
「よお、紡の坊主じゃねぇか」
「どうも、おじさん。相変わらず、古臭い店だな」
「うるせぇ、これで繁盛してるんだから良いんだよ」
店内に入った俺は、ヒイラギ書店の店主柊米蔵ことおじさんといつもの軽い冗談を交えた会話を交わす。
「新刊はどこにあるんだ?」
「新しく入荷した本は向こうの棚のほうにまとめておいてあるから、適当に見てくれ」
「はいよ」
言葉を返し、言われた通りの棚に向かう。
店内を歩きながら何となく壁を見る。店外同様壁に穴があいていたりくすんでいたりしていた。それを隠すためなのか、最近の地域のニュースや本などの万引き防止用のポスターが貼られてあった。おじさんには悪いが、本当に古臭い。
言われた棚を見ると言葉通り最近発売されたばかりの本が、出版社に関係なく棚に押し込まれていた。古臭いだけでなく雑多だ。
これもいつものことなので、もう慣れた。
俺は本棚から買おうと思っていた本だけを手に取る。ついでに掘り出し物がないかと他の棚の本を物色していると、ある本に目が留まった。何十、何百という本が書店に並べられているというのに、不思議とその本だけは見つめてしまう。
何かに導かれるように、俺はその本を本棚から取り出した。
本の題名は『空の花』。
数年前に流行り、映画化までされた作品だ。
内容は花火師を目指す少女が、様々な試練を乗り越え、一人前の花火師を目指すといった物だ。王道といえば王道だけど、青春小説らしいさわやかな物語が多くの読者を感動させた。
そして、そんな物語を書いた作家の名は、
「――白泉紡さんの作品ですね」
「うわっ⁉」
突然隣から声をかけられ、他にもお客がいるというのに盛大に驚いてしまった。どうにか落ち着きを取り戻し、視線を右隣に向ける。すると、そこには色白の華奢な体をした少女が立っていた。
「す、すみません、驚かせてしまって」
俺よりも身長が低いうえにキャスケットを被り顔が隠れているため、彼女の表情がわからない。でも、声音から本気で済まないと思っていることがありありと伝わってくる。
「別に気にしてないよ、それと、こっちこそ急に大声出して、ごめん。え、えーっと……」
一応こちらも驚かせてしまっただろうから謝罪したものの、この後の言葉が思いつかない。確か、俺の本の話をしていたんだよな。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、初めに口を開いたのは少女の方だった。
「その本、懐かしいですね」
「あ、ああ、そうだな。もしかして、君この本を読んだことがあるの?」
「当然です! だって映画にもなって、日本中を沸かせた作品ですよ! 読まないはずはありません。まあ、私は映画ではなく原作からはいった口ですけどね」
「そ……そうなんだね」
情熱という名の熱を帯びた彼女の言葉に圧倒され、俺は返答に困る。つーか、何でこのこと音の話をしているんだ。分からん。全く持って、今の状況がわからん。
内心で慌てふためく俺とは違い、少女の口はどんどん饒舌になっていく。以前表情はわからないが、興奮していることだけはわかる。
「はい! 読んでいる最中も読み終わった後も絶対に映画になるって思いました! だって、花火づくりにひたむきに向き合う少女が、師匠との葛藤や試練に挑んでいく姿は誰が読んでも心打たれますよ!」
「ちょ、ちょっと、ストップ!」
「はい?」
当然の静止勧告に、少女は小首を可愛らしく傾げる。自分が今どんな状況で、本に潰え熱く語っているのかわからないらしい。
俺は視線だけで周りを見渡すよう促すと、少女は未だ理由がわからないまま周りを見渡してみる。数秒後、彼女はポカーンと口を開け、わなわなと肩を震わせる。
そして――、
「わ――っ私、何を――っ!」
ようやく気が付いたらしい。
俺が彼女に対して周りを見るよう促したのは、本について熱く語る彼女に、他のお客さんが可笑しそうに笑っていたからだ。入り口のレジ前に座っていたおじさんも、注意をすることをほっぽりなげて可笑しそうに笑っている。
問題の渦中にいる俺はという口の端を引きつらせ、苦笑いに近い笑みを代わりに浮かべていた。だって、恥ずかしいんだもん!
「とにかく落ち着いてくれ!」
「だって、だって、うーわー‼」
どんどんと周りの笑いが大きくなっていく。ねえ、本当に落ち着いてください!
彼女が冷静さを取り戻したのは、それから約五分経ってからだった。
俺はやっとのことで落ち着いた少女の腕を引っ張り、書店の隅で話していた。もう十分目立ってしまっているが、あのまま人目のつくところで話すのが辛かった。
で――少女はというと、苦笑いを浮かべながら、
「あははは、すみません。私って本の話になると無我夢中になってしまうんですよ」
「だろうな。はあ、行きつけの店でまさかこんな辱めを受けるなんて」
「辱めっていうのは少し使うと思うんですが」
俺に言わせると似たようなもんだ。でも、彼女は納得が言っていないらしく、上目づかいに俺の顔を睨んできている。
まあ、それはどこかに置いておいて、
「だいぶ落ち着いたみたいだな」
「はい。おかげさまで。あの……本当にご迷惑をおかけしました」
「ああ、まったくだ。まあ、もう大丈夫だな。なら、俺はまた面倒なことになる前に帰るか」
もう面倒なことに関わりたくないからな。
帰るために手に持った本をレジに持っていこうと、踵を返そうとした時だった。
「あ、あの! ご迷惑おかけしたので、何かお礼をさせてください!」
「別にいいよ。実害はないからな」
「で、でも――あれ?」
言い募ろうとしていた少女の唇の動きが、可笑しなものを見たような声とともに止まる。不思議に思った俺は、少女の視線の先――つまり、俺の背後――に振り返った。
その瞬間、俺は目を大きく見開いた。
あれは、小学生ぐらいだろうか。そこら辺はよくわからないが、俺と少女の視線の先では、本棚の陰に隠れて周りの様子を窺っている男の子がいる。確認を終えた子供は、トートバッグを広げ、その中に数冊のマンガを入れ始めた。
言わずもがな、これは万引きだ。
本棚が自分の姿を見えなくしていることをいいことに、彼は漫画を万引きしている。
すぐにでも捕まえようかと考えたが、男の子の様子を黙ったまま見ることに決めた。隣にいる少女は、今にも動き出しそうなほどの拳を握りしめている。
その気持ちはわかる。お店で売られているものが、不当な方法で盗まれようとしているのだから。だが、俺は少女の肩を掴み、その場に制止させる。
一瞬ものすごい鋭い目つきが見えたが、キャスケット帽が邪魔をしていてよく見えなかった。それから視線をそらすように、俺は男の子のほうに視線を戻した。
「(まあ、待てよ)」
「(……でも」」
「(いいから、待ってくれ)」
男の子に気が付かれないように、ギリギリまで声量を落とした声で、必死に少女の体動き出すことを止める。最初は反抗していた少女だったが根負けしたらしく、俺の言った通り、しばらく男の子の様子を眺めていた。
別にいまこの場で捕まえてしまっても構わない。しかし、まだ自分の間違いに気が付いて本を戻す気になるかもしれない。
自分自身でも甘いことがわかる、
これはあの子のためにはならないと。
でも、それでも。
――まだ、やり直せるなら、見守るべきだ。
それからも俺の思いとは裏腹に、子供はトートバッグの中に漫画を放り込む。そして、目的のものは入れ終えたのか、店を出ようと入り口に向かう。
はあ、と俺は深いため息を吐く。そして、店を出ようとする子供の肩を掴んだ。
「なあ、トートバッグの中を見せてくれるか」
「な、なんだだよ⁉」
自分の行動がばれていることを悟ったのだろう、男の子は驚きを含んだ声で拒否した。だが、俺は有無を言わさず、トートバッグを引きはがし中を開いた。
入り口付近のレジで俺たちの様子を眺めていたおじさんは、トートバッグの中を見ると、
「おい、これって……紡の坊主」
「ああ、万引きだよ、おじさん」
おじさんの考えていることを肯定する。
「こら、坊主! どうして、万引きなんかするんだ! 警察に突き出すぞ!」
「ちょ、ちょっと、落ち着いて、おじさん! 言いたいことはわかるけど、まず話を聞こう!」
このままで話を聞くことができない。なぜなら、警察という単語が出た瞬間に泣きそうな顔を男の子が浮かべているからだ。
自業自得とはいえ、まだ幼い子を脅すのは好きじゃない。
「でもなあ、紡の坊主! 幼いといってもしっかりとけじめはつけないと!」
「そうですけど……けじめをつけるにも、まずは落ち着いて話を聞きませんか? でないと、お互いにフェアではないと思います」
どうやって落ち着かせればいいのかわからなくなった時だった。先ほどのキャスケットを被った少女が割って入ってきて、おじさんに言い聞かせる。
そして、男の子の方にも話しかけた。
「警察に突き出したりしないから、君も落ち着いて話をしよう。お茶を飲みながら、ゆっくりとね」
その声はとても暖かく、優しい声音だった。
さっきまで落ち着いてなかった奴がよく言うよ、と思わなくはない。けれど、彼女の温もりのある声に、誰もが気持ちを落ち着かせていった。
変な奴。
それが、まだ名も知らぬ少女に抱いた印象だった。




