わたしのラスボス退治顛末記
逃げてっ!虫ネタが苦手な人は早く逃げて!!
その夜、私は部屋でノートパソコンを使い、ダラダラとネットサーフィンを楽しんでいた。夫の敬司は、リビングのテレビで深夜番組を録画したものを見ているらしく、時々笑い声が聞こえてくる。
古いけど、割と広いこの家で、私たちはそれぞれ一部屋ずつを自分の専用部屋として使い、寝るときも(まぁ、仲良くしたい時以外)それぞれの部屋で寝ていた。
明日も仕事があるし、そろそろ寝ようか、と思った時だった。何も無い部屋の隅から、音がした。正確には、押し入れの隅から。
私たちの住む家は、築数十年の平屋で低機密低断熱な造りのため、これまでにも何度か家の中で有り難くない侵入者に出会うことがあった。
そういえば、一昨日の夜遅くに、敬司が「カナブンが飛んでる!部屋ん中、カナブンが飛んでる!」と騒いでいたっけ。おまけに結局逃げられたとボヤいてた。アイツか。カナブンちゃんリターンズか?
敬司の部屋に現れたカナブンが私の部屋に移動していても、全く不思議は無い。 押し入れから聞こえる音は、奥の方からゆっくり手前へと移動してきている。やはり、小さな虫が歩いているような感じだ。私はカナブンの登場に身構えた。現れたら、〈背中から掴む、窓の網戸開ける、カナブンちゃんぽいっ〉
よし、シミュレーションOKだ。
この家に住み始めてから、かなり虫耐性がついていた私にとって、それはレベル1くらいのミッションだった。
音はかなり近くなり、もう姿を現すだろう。
あ、見えた、やっぱ虫だ……
虫だああああああああああああっ!
突然の「ぎゃああああああああああああっ!」と言う絶叫に驚いた敬司が部屋に駆け込んで来た時、私は体長10センチ以上のムカデと戦っていた。
あいにく、レベル1ミッションのつもりだったので、旅人のふくとひのきの棒しか用意してなかった私は、非常に苦戦していた。ひのきの棒もとい、手元にあった本一冊(合掌)で叩いて叩いて叩いたが、敵はなかなか倒れない。これほどの強敵は初めてだった。二十回以上は叩いたか、ようやく奴は動かなくなった。
息を切らせる私に、敬司が「こんなの初めて見た。どこから現れたの?」と聞いてきたが、ガクガクしてなかなかうまく話せない。
「そ、そこから音がしてっ!む、虫だな、カナブンかなって、見てたら、出てきて、でで、でも!ずる~ってずる~って!貞子みたかった!貞子みたかった~~~っ!」
涙混じりの私の説明に、敬司は「マジ?!俺、もうこの家で寝らんねーかも」と、頼もしさ0%の発言で返してくれた。一人しかいないパーティーメンバーがまるっきりあてにならないので、ラスボス級の敵と戦った衝撃から立ち直ると、すぐに私はネットでラスボス攻略法を検索した。なぜなら、これまでの経験から、この手の侵入者は<団体さんのひとり>に過ぎないことをよく知っていたからだ。攻略サイトいわく、除虫剤を燻煙、つまりOルサンとかが効果的とのこと。というか、対処的に熱湯や殺虫剤をかける以外には、ほぼ燻煙しかうつ手は無いらしい。
殺ってやる!っていうか、やらなきゃ夜もねむれないよ、ぐすん。
効果があるかわからないが、G用の殺虫スプレーを押し入れに噴射。明日の帰りにOルサンを買って、実施して、その間ファミレスで待機&夕食、深夜に帰宅、と言う流れを敬司と二人確認した。
しかし、今夜だけは、このまま寝るしかない。私は敬司の部屋で、色っぽい意味もなく、抱き合うように引っ付いて眠った。
翌日、仕事帰りに薬局で燻煙剤を購入し、気分は討伐隊!として家に帰った。食材類はほとんどを冷蔵庫にしまい、PC等の機械類には布をかけて回った。押し入れや戸棚はすべて解放し、隅々まで煙さまが届くことを祈る。そして、各部屋に1個の割合で燻煙剤を置き、セットしながら脱出するルートを頭の中でおさらいした。水を入れた容器の中に、本体を次々と設置する。初めの方の部屋から、シューっという音が聞こえ始めた時には、私は玄関のドアを華麗に閉めていた。完璧だ。我ながら惚れ惚れする。
私は意気揚々と敬司との待ちあわせのファミレスに向かった。8時過ぎに敬司がやってきて、二人でそれぞれ注文した料理を食べながら、煙さまのご活躍に思いをはせていると、突然敬司が「やべっ!」と叫んだ。
「何?」と問うと
「機械類ってしまっとかなきゃいけないんだろ?」
「うん。一応主だったものには布かけて保護してきたよ」
「俺の部屋も?」
「うん」
「飾り棚にPSPおいてあったと思うんだけど」
「へっ?!」
「そのままだよな・・・」
「うん。しかも飾棚のすぐ下で燻煙剤置いちゃった」
「ああ~~~~」
「ごめん」
「いや、俺も忘れてたし」
「壊れちゃうかな?」
「う~ん」
「どうしよう」
完璧だったと思ったのに、思わぬ伏兵に足元をすくわれて、私と敬司は設置後2時間も経たずに家に戻ることになった。
玄関をあけるとまだ家の中はモヤ~っと白く煙っている。あらかじめ用意しておいたタオルを口と鼻にあて、一目散に窓へ向かう。開ける。次の窓へ、開ける。次々と窓を開け換気を行い、10分ほどでようやくタオル無しでも呼吸できるようになった。
敬司は一番奥の自分の部屋へ、飾棚のPSPを確認しに行った。と、「あれっ?」と間の抜けた声がし、敬司が部屋から出てきた。
「大丈夫だった?」と尋ねると、
「いや、無かった。っていうか、そういえば昨日は鞄から出してなかったわ、俺」
呑気そうにごそごそ自分のカバンをあさり、嬉しそうにPSPを出す。退治するべきはムカデではなく、記憶力スカスカのお前じゃぁ~~~~!と、ちょっと奴の胸倉つかみそうになる自分を抑えながら、私は敬司に家じゅう掃除機をかけるよう命じた。
その後、ほとんど無駄になってしまった燻煙剤を敬司のお小遣いで再度購入させた。
そして、翌日の夜、華麗に玄関ドアを閉めるところまで再演し、敬司の奢りでファミレスで夕飯をとり再び家に帰りついたところで、ようやく今回の討伐隊は、その任を解かれたのである。
初めてゲジを見た時も衝撃的だったが、ムカデに速攻かけられた時は、終わった と思ったよ。