第5話 「死体………遺棄?」
保健室を出た金髪の女生徒―――アンナはドアを閉めるなり思い切り溜め息を吐いていた。
らしくない、と。
「…言っちまってよかったのか?」
保健室の横の壁に寄りかかっていた黒髪の男子生徒―――リオが開口一番、責めるようにアンナに問いかける。
「あんな世迷いごと、信じてなんかないわよ。……それに、近いうちにバレるわよ」
「……近いうちに?」
眉を寄せて首を傾げるリオにアンナがどこからともなく取り出した封の開いた便箋を指で弾いて飛ばした。
「これは……ってオイ、マジかよ?」
「大マジよ。偶然か必然かは知らないけどね」
「それにしたってお前…」
便箋の中身を見て思い切り顔をしかめているリオは同じような顔をしているアンナを見て口をつぐむ。
直感的にこの話題をこれ以上つついてはいけないことを理解したのだ。
まして自分は天使の皮を被った鬼を怒らせていたのだ。ちょっと機嫌を持ち直している今の状態をいたずらに悪化させる必要はない。それに、もしかしたら誤魔化せるかもしれない。
「ま、まぁいい! 展開が変わったら教えてくれ」
逃げるように、それでいてその心境を悟られないようにゆっくりとアンナに背を向け、その場から立ち去ろうとしたリオだが、後ろから聞こえたアンナの声に―――
「アンタまさか、このままなあなあで誤魔化せると思ってるの?」
走って逃げ出していた。
「あ、あの」
「ん?」
逃げ去っていくリオの背中を目を細めて見ていたアンナに、長身のアンナから見れば頭一つ二つ小さな女生徒が緊張しきったような顔をして話しかけてきた。
自分の知っている人間ではない。
当然だ。人間界にもこの学校にも来たばかりなのだから。と、すれば、若干怯えながらもこの女子が話しかけてきた理由は一つだろう。
「あの子なら中よ。さっき目を覚ましたから会いに行ってあげればいいわ」
「え! …あ、ありがとうございます!」
詳しい内容も聞かずに要点だけ伝えられたその女生徒は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐさま破顔し盛大にお辞儀をした。
頭の上で結ってある髪もつられて盛大にお辞儀をしてる姿に、アンナの顔に自然と笑みが浮かぶ。
それと同時に自らの中に言い知れね感情が沸き上がってくるのに気付いた。
…母性本能とかいうものだろうか?
何となしにそんな思考に辿り着いたが、それが自分に最も縁遠そうな感情であることを知っている彼女は溜め息を吐いてゆっくりとその場から立ち去った。
如月歩は困惑していた。
何に戸惑っているのかと問われれば、妹の友人である女の子がぶっ倒れた自分のことをやたら甲斐甲斐しく世話してくれていることとか、それを見ていた保健室の先生が勘違いして冷やかしてくるとか、そこに妹がミサイルよろしくで突っ込んできて場が更に混沌としてきたとか、たぶんそう答えるだろう。
しかし、一番混乱しているのはあの転校生のことであった。
(誰なんだろ? ってか名前も忘れてる僕って…)
彼女がクラスで紹介されていたのは何となく覚えているのだが、名前がどうにも思い出せない。
しかも、だ。
「天使、か……」
「どしたの、お兄ちゃん?」
いなくなった彼女が残した言葉を反芻していると、ベッドの上で暴れていた優がピクリと反応する。
ちなみに彼女が暴れているのは兄たる彼の寝ているベッドの上である。
「はっ! まさか、私のことを天使と間違えたとか!? イケませんわお兄様! 実の兄弟でそんな…ぶはっ」
「見慣れた顔を誰かと見間違えるわけないだろ。それにどんな妄想してるんだ…」
俄然、暴れまわるスピードを上げた優に歩はシワが寄ってしまった掛け布団を被せて立ち上がりストレッチを始める。
「もう立っても大丈夫なんですか?」
「うん、体の方は良くなったみたいだからもう大丈夫だよ、南ちゃん」
ストレッチを終え、優を掛け布団の中に丸め込み、出られないようにしている歩に見舞いに来ていた南が心配そうに声をかける。
「ごめんね、南ちゃん。わざわざ昼休みまで来てもらって……」
「いっ! いいんですよ、そんなこと!! 私が勝手にやったことです!」
「そか、じゃあありがとう、だね」
慌てた様子の南に笑いかけて歩はハンガーに掛かっていたブレザーを手にとる。
ちなみに優は ちなみに優は掛け布団にぐるぐる巻きにされてうめき声をあげている。
「だいぶ寝ちゃったな……。午後からはちゃんと授業に出ないと」
よし、と掛け声をかけて自分に気合いを入れる。
現在は昼休み。歩が保健室に担ぎ込まれたのが一時間目が始まる前、一度目を覚ましたのが二時間目の終わりである。
丸々四時間を棒に振ったことを心から後悔している辺り、彼がいかに真面目かを現している。
ぐるぐる巻きの妹をそのままに、その友達に声を掛け、いざ外に出ようと保健室のドアを開けたとき、飛んできたのは―――
「寝とけって言ったのが聞こえなかったのかしら?」
氷のように冷たい声とラリアットであった。
再び意識を闇に返した(物理的にだが)歩を見て信也は隣にいた愛理とともに頬をひくつかせる。
「い、いくらなんでも、いきなりってのは酷いんじゃないかな…?」
「こうでもしなきゃこの真面目人間、おとなしく寝ないでしょ? またぶっ倒れるよりは何倍かマシよ」
まぁ今ぶっ倒れたけどね、と言いたい気持ちを抑えて信也は保健室を見渡すと唖然とした顔をしている南とベッドの上で蠢く謎の物体を確認し、瞬間的にベッドの上のものは無視することを決めた。
「久しぶりね、南ちゃん」
「………あっ、はい! お久しぶりです、不動先輩!」
昏倒している歩の頬を左右に伸ばしながら目覚めないことを確認していた愛理は、硬直したままの南に声を掛ける。
それを聞いてようやく意識を取り戻した南が慌てたように返事をかえす。
「だーかーらー、愛理でいいって言ってるのに。……って本当に目を覚まさないわね。大丈夫なの……?」
「ならその手を離したらどうだ? うっ血してる気がするが……」
割と本気でつねっているのに一向に目を覚ます気配のない歩に愛理もさすがに語尾を濁らせる。が、それでも頬を掴んだ手を離さない愛理に信也がぞっとしないといった様子で忠告する。
歩の親友たる信也が昼休みになってようやく来たのにはわけがある。
本当は授業を抜け出してでも様子を見に行きたかったのだが、アンナにその行動を事前に止められたのだ。
『黙って寝かせときなさい。無闇に様子を見に行って目を覚ましたらアイツはまた頑張ろうとするわよ?』
と言われ何も言い返すことが出来ずに今に至る。
それでいて、彼女自身は二時間目の終わりに何食わぬ顔をして様子を見に来ているのだからさすがである。
とはいえ彼女は自らが行った接吻を通した霊力の治癒がうまく機能したか確認しなければいけなかったのだが。
誤算といえば歩の記憶に一部欠損が出たことや、彼を慕う人間が予想以上にいて、尚且つその全員が意外とアグレッシブだったことくらいだ。
「まぁ、目を覚まさないなら好都合ね」
「何が……って、何? ソレ?」
「何って見てわからない? 麻袋よ」
アンナが突然にどこからともなく取り出した農作業用の麻袋の使用意図がわからずに信也は更に困惑する。
「…や、まぁソレが麻袋なのは知ってるけどさ」
「詰めるのよ、コイツを」
当然、といった様子で断言したアンナに一瞬、室内にいた全員の動きが止まる。
「死体………遺棄ってこと?」
室内を不気味な沈黙が占拠していたなか、それを打ち破ったのは愛理のそんな一言であった。
小説全体の文章変更などをやってみましたが、少しは読みやすくなったのでしょうか?
それと、何話か前の後書きに書いた短編の話ですがどうやら短編で済みそうにありません(汗
ので、本編終了後のおまけ的な話にしようかと思っています。
……まぁ、本編自体が何時終わるのか謎なわけですが(爆)