第二話 「プチ殺してやるわ」
白を基調としたオフィスにはスーツ姿の中年とおぼしき白髪の男性と流麗な金色の髪を長く伸ばした若い女性が立っていた。
その部屋はガラス張りの個室であり、外の部屋からは同情に満ちた視線が集中している。
中年の男性の方に。
女は手近にあったソファーに腰を掛けながら先程男に渡された資料に目を通している。
ふんぞり返りながら資料を見ていた女だったが段々と眉間に皺が寄って行く。
「で、なんで私が人間界になんか行かなきゃいけないのよ?」
先に口火を切ったのは若い女の方だ。
その口調からは年上への遠慮やら配慮は一切感じられない。ただただ不遜である。
「そ、それはだねぇ…」
ひどく狼狽したような声を出したのは相対している男性の方だ。
気の毒になるほど発汗しているため、しきりに取り出したハンカチで額を拭っている。
「それは?何?」
威圧感を感じさせるその声に更に男は委縮する。
それでもこれ以上目の前の女の機嫌を損ねないように事情の説明を試みる。
「君の相方がね…、人間界に飛ばされちゃってねぇ……。そう、そうだよ!悪いのは全部君の相方なんだよ!」
悪いのは自分じゃない。そんな心情をひしひしと感じさせる声だ。
そんな必死な様子の中年男性の姿を見て周りの同情の視線が強くなる。
ちなみに彼はこの部署における最高責任者である。
「……………へぇ、リオのせいなの」
長い沈黙の後、それを裂くようにして顕現されたのは深い怨嗟の声と薄黒いオーラだ。
そして、その顔には紅の三日月が広がる。
それに伴い目の前の男の体は彼の意志とは無関係に震え始める。
「待ってなさい……リオ・テイル。プチ殺してやるわ」
両掌を広げてボキボキと音を鳴らしている女―――アンナ・レインはこの世の憎悪を一身に集結させたような笑みを浮かべてその部屋を後にした。
後には身を縮めて震えている彼女の上司である男だけが残っていた。
彼がその数日後にストレス性の胃腸炎で倒れたのだが、それは又別の話だ。
如月歩が通っている高校は家からほど近い『私立竜胆高等学校』という学校である。
近くの交通の便も良く、学校のレベルも上々、進学率もかなり良い。
学費は少々張るがそれを差し引いても周りの学生にとってはかなり魅力的なのか受験者は年々増加している。
徒歩20分程の道を優と話しながら歩くのが日課となっている。
「あっ、優!おはよー!」
「おはよー!ミーちゃん」
「あっ、歩先輩!おはようございます!」
「うん、南ちゃん、おはよ」
如月優の幼馴染である少し小柄な少女、斎条南が結いあげた髪とともに盛大に頭を下げて歩に挨拶する。
斎条南は小中高校を優と共に過ごしている。それゆえ南は優の最も辛かった時を見ており、折れそうな優の心を共に支えてくれていた。
今でも優の一番の親友である彼女に歩は感謝の気持ちが絶えなかった。
自然と挨拶を返す顔にも笑顔が零れる。
「あっ……えっ…と」
「ほらお兄ちゃん!ミーちゃんを誘惑しないっ!」
「ほぉ、妹の幼馴染を誘惑するとは歩も隅に置けないな」
「…僕がいつ誰を誘惑したって?ていうかいつの間に近づいてきたんだよ信哉」
「ふふふ……君は瞬歩というものを知っているかい?」
いつの間にか三人の傍に来ていた歩の友達である海藤信哉は、ふっと得意げに笑った。
彼も斎条南と同様に歩の辛かった時期を蔭から支えてきた一人である。
「二人ともおはよう」
「信哉先輩おはようございます」
「信ちゃんおはよう!」
「はは、二人とも相変わらず元気いっぱいだね。特に優はうるさいくらいだよ」
「それはひどいよっ!!」
歩と遊ぶことが多かった彼にとって優は歩の付属品の様なものであった。
何をしていても優が歩のシャツの端を持っていたため共に遊ぶことも多く今ではほとんど兄妹のような関係となっている。
「それにしても…、君の眼の下のクマは一層酷くなっているな」
「ん?…あぁここ最近、寝ても一向に疲れが取れなくてね」
「もし辛いようだったら保健室にでも行った方がいいな」
「そうだな……考えとくよ」
時折憎まれ口を叩く信哉だが歩のことは常に気にかけていた。
それほど件の時の歩の変わりようは酷いものがあった。
彼としてはそんな親友の姿を二度と見たくないと思っていた。
それからしばらく、取り留めのない話が続いた。
すぐ近所で起きた強盗殺人の話から大物スターの離婚騒動。果ては最近の経済の動きにまで話題は広がっていた。
これも話し好きの優と豊富なネタを持つ信哉がいてこそ成立するものであり、ほぼ聞いているだけの歩と南は時たま相槌を打っている以外はほとんど口を出さなかった。
まぁ、猛烈に話している優と次々と話の内容を変える信哉についていけていないだけなのだがもはや毎朝恒例のことなのでそれほど気にはならない。
熱っぽく最近のマスコミの動きについて語っている二人の背を見て溜息一つ付いて隣を歩く頭一つ低い南を見ると目が合う。
苦笑いを浮かべる歩とは対照的に頬を赤らめて俯いてしまう。
どうしたのかと南に声を掛けようとした歩は不意に振り向いた信哉に話を振られ出かかった声を飲み込む。
「…して、歩。今日うちのクラスに転入生が来るらしいぞ」
「……は?転入生ってこの前も来てなかったか?」
歩と信哉は同じクラスである。そしてつい数日前も同様に彼らのクラスに転入生がやって来ていた。
「またうちのクラスなのか?しかもこんな時期に」
今は10月になる。新学期などに新たな生徒が転校してくるのは珍しくないことだがこのような中途半端な時期に転入生が来るというのは稀、というかおかしなことであった。
「だな。かなり変だ。しかもまた外人なんだとか」
「しかもまた留学じゃなく転入?」
「らしい。どっかの田舎から来たとかなんとか」
「この前転入してきた人って中国人なんだよね〜?」
そう、確か、かなりの秀才、容姿も良く、転入から一週間も経つのに未だに彼の周りは黒山の人だかりである。
「李王照って名前だったよね?」
「優、よく覚えてるな」
「そんな変な名前そんな簡単に忘れられないよ!それに一年でもすごい人が来た、って噂が流れてるよ。ねっ、ミーちゃん?」
「…えっ?う、うん。そうだね」
話を聞いていなかったのか、かなり適当な相槌を打つ南にやや疑問を持ちながらも優は見えてきた学校の正門を指さす。
「じゃあ先に行くね!お兄ちゃん」
それだけ言うと南の手を取り走って行く優。
「あ…あのっ!また明日…」
「ん…?うん、また明日ね。南ちゃん」
引きずられながら、しかも俯くように話す南の言葉をかろうじて理解した歩が軽く手を振る。
走り去っていく二人を見送りながら二人も正門に向け歩き出す。
「…あの様子だと相当だな」
「ん?何が?」
小さくなっていく二人を見ながら呟く信哉に歩が聞く。
「そうだな、お前に問おう。普段元気な女の子が恥ずかしそうに俯いている。どうしてだと思う?」
「………お腹が痛いとか?」
「…ふむ、なるほど。度し難いな、君は」
「えっ、何で?」
かなり呆れた表情の信哉に理由を聞こうとする歩だが肩を竦められるだけで結局、教えてもらえずじまいであった。
第三話は短編小説を完成させた後に出そうと思っています。
さて、遅筆な私ですからどれほど掛かることでしょうか…。
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