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『悪事を企てている』人がいる。

「あの時の話を、君に聞いて欲しいんだ」

白衣の男が宙に視線を預けた。

そうして泳がせた視線は、流れるように落ちていく。

パイプ椅子の男は足を組んだ。俯きがちに、目を閉じる。

「君に知ってもらいたいんだ」

白衣の男、低く、且つ、力強く言葉を続ける。

「今も何処かで」


『悪事を企てている』人がいる。


私は昔、稀代の天才として世間に名を轟かせていた。

もう何をやらせても天才。

計算問題は、50桁の掛け算なんて朝飯前だったし、スポーツにしても、天才。ヘディングしながら世界一周だって簡単にやってのっけた。

文学にしても、超一流。世界的に有名な、あのバーベル文学賞を受賞した程だ。

そんな中、私は味覚に関しても長けていて、あの有名なフシュランから、引き抜きの話まで来ていた程だった。

そこに目を点けたのが、私の昔からの友人、灰汁仁だった。

灰汁仁は、一緒に飲料水メーカーを立ち上げないかと話しを持ちかけてきた。

私は何をやらせても天才だったから、既に何をやっても面白くなくなっていたところだったので、友人の話を聞いて、それも悪くないと思い、話に乗った。

それが『ローラ飲料水』だ。

そこで私は、飲料水の開発責任者として働き始めた。

たくさんのヒット商品を開発した。まぁ、当たり前だった。私は天才だから、人々がどんな味を好むのか、完全に理解していたからだ。

数多のヒット商品を世の中に出し続けると、だんだんつまらなくなってくるのが人間だ。

そこで私はある日、世界中の珍品を入れてジュースを作ってみようと思い立った。

例えば、シーラカンスの鼻くそ、トキの耳くそ、エスキモーの体の垢。

そうして出来たジュースは、不味かった。

「ねぇパパ、この糞不味いジュースは、どうしたの?」

私の娘、沙智子が言った。沙智子は私の一人娘だ。

幼いころ母親を亡くした沙智子は、私の事をずっと母親のように心配して、私の傍にいてくれた。

そんな娘が大学を卒業し、私の働くローラ飲料水に就職した時、とてもうれしかった。

私は一人ではない。淡い幸せを与え続けてくれた沙智子。かけがえのない娘だった。

「あぁ、糞不味いだろ?ちょっと遊びで作ってみたんだよ」

「遊び?仕事中に遊びだなんて、本当、禿げ親父ね」

「すまない、沙智子。許してくれ」

その日、私はとぼとぼと歩きながら家に帰った。

本当、もう飲料水開発に飽きてきてしまっていた。

何を作ってもヒット、ヒット、ヒット。幸せな悩みかもしれないが、幸せはやがて平坦な道になり、『退屈』の二文字に姿を変えてしまう。

酒を飲み、べろべろに酔いながら歩く帰り道、私は誰かの肩に思いっきりぶつかった。

「てめぇ!おい!てめぇ!」

振り向く私。

そこにはサングラスを掛け、高級そうなスーツを着た、強面男性が立っていた。

「すみません」私は頭を下げ、再び前に向き直る。

「いてぇんだよ肩が!おい、てめぇ!謝ってすむ問題だと思うんじゃねぇぞコラ!」

男は背後から私の方に向かって来た。

私は身の危険を感じ、走り出した。

「待てコラ!」巻き舌で追いかけてくる男。だがしかし、私は先に述べたように、何をやらせても尋常じゃない天才。酔ってはいたが、走る早さも並みじゃなかった。

私は街中を、風を切りながら駆け抜けた。

私が走る事で、軽いかまいたちのような現象が起こった程だ。

「キャッ」という女性の声が何度も聞こえた。私が横を駆け抜ける度、衣服が破けてボロボロになってしまい、裸同然の姿に変わっていく女性達。

「オウ!」という男性の声も聞こえた。同じように裸同然の姿に変わる男性達。翌日の新聞に、何人もの男性達が、公然わいせつ罪で逮捕されたという記事が載った。

あれは私のせいだ。

本当、許してください。

ところで気がついた時、私は世界の中心に立っていた。『ここが世界の中心ですよ』という親切な立て看板を前に、私は立ち尽くしていた。

何を叫ぼう。風に吹かれながら、夜空の星屑を見上げていると、ふと体の底から言葉が湧き上がってくるのを感じた。

それをただ吐き出す。

考えて願う願い事など、願い事ではない。考えて叫ぶ言葉など、本当の言葉ではない。

私はその時、感じた。

「帰り道はどっちなんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

私は叫び、泣き崩れた。

しかしやっぱり私は天才だった。足も俊敏だから、翌朝には家に帰って来れた。

家に帰ると娘の姿はなかった。そのかわり、留守番電話が二件。

一件は、娘からだった。

「パパ、パパの糞不味いジュース、美味しくなったわよ。私が少しスパイスを加えてみたの。そしたら大変な美味しさ。これは売れるわっ。銭よ、銭。世の中、本当に銭」

「沙智子・・・」私は微笑んだ。

ジュース作りにはもう飽きた。だが、娘のそばで働ける事。これ以上の幸せはない。それを思い出すことが出来、たまらなくうれしくなった。

二件目の留守番電話を聞いた。

そして私は、地獄に落ちた。

「大変だ!娘さんが大変な事になった!直ぐにこちらに来るように!」

灰汁の声だった。

私は何事が起ったのか分からず、しかし、長い人生の中で恐らく一番焦った。

疲れた体の私は、道を走るタクシーを捕まえた。そして乗り込み、『ローラ飲料水』まで飛ばすように告げた。

そのタクシーがあまりの安全運転だった為、私は業を煮やし、ついにはタクシーから下り、そのタクシーの後ろに回り、車体を押して走った程だった。

私は力も並みじゃなかったから、車体を押しながら走るのは夜飯前。

そして『ローラ飲料水』に辿り着いた時、それならタクシーを降りて、自分だけ走っていけばよかったのではないかと気がついた。

そんな簡単な事にまで頭が回らない程、私は焦っていたのだ。

私は急いで研究室まで向かっていった。

するとそこは、文字通り『地獄』に化していた。

研究所、ガラス張りの扉の前には人だかり。私はそれを掻きわけ、最前列に辿り着いた。

「遅かったな・・天査亥」

天査亥とは私の名前だ。灰汁が私の方を見て呟いたが、私は彼の顔を見る事なく、ガラスの向こうに視線を留まらせたままだった。

ガラスの張りの扉の前、呻き声を上げながら歩く顔色の悪い人間達。

昨日まで共に働いていた人間達。

その中に、娘の姿も見えた。手をぶらぶらさせながら、虚ろな視線。口を半開きにし、そこから血液を滴らせ、歩いている。

「どういうことだ・・・」私はやっとの事で言葉を呟いた。

「わからない。わからないが、君の娘さんが何かを飲んで、それからあんな姿に変わってしまったという事がわかっている。その後、彼女が他の人間に噛みつき、その人間がまた誰かに噛みつき、みんな変わってしまったようだ」

私の脳裏に、娘の留守番電話が思い出された。


―パパ、パパの糞不味いジュース、美味しくなったわよ。私が少しスパイスを加えてみたの。そしたら大変な美味しさ。これは売れるわっ。銭よ、銭。世の中、本当に銭―


私は足元から崩れ落ちて行った。

「とにかくこの事は、今は世間に内緒にしておこう」灰汁が言った。

「みんな!よく聞いてくれ!この事は世間には内緒だ!何故なら、この天査亥がなんとかする!必ず中のみんなを元の姿に戻す!なぁ、そうだろう?」

私はその言葉を受け、泣きながら叫んだ。

「私がなんとかする!だからどうか、この事は少し黙っていてくれ。お願いだ」

床に額をこすりつけながら、私は土下座していた。自分の作ったジュース。それに何かを加え、自らをゾンビに変身させてしまった娘。責任は私達二人にあった。その事を世間に知られてはいけない。

そして、必ず娘を元の姿に戻す。

私はその事を固く心に誓っていた。

そして数日間、私は娘達を元に戻すため、研究を続けた。

ゾンビに変わってしまった人間達は、催眠ガスで眠らされ、『ローラ飲料水』の秘密研究所に運ばれた。

この事を知っている人間たちは、あるものは買収され、あるものは行方不明になってしまった。

そんな事はどうでもよかった。

私は日々研究に打ち込んだ。そして、どんなに頑張っても、ゾンビになってしまった娘達をもとに戻す何かは完成しませんでした。

本当、信じられない事に。

研究にはたくさんの名声のある人間達が呼ばれたが、誰も元に戻す何かを完成させる事が出来なかった。

不可能。その三文字が辞書にないと言った人物がいました。だけどそれは、ただ単にその頁が破けていただけでしょう。

若しくは、本人が破ってしまったか。

敗北だった。

もう、どうしようもなくなってしまって、気がついたら毎晩、デリヘルを頼んでいました。

自暴自棄とはこの事です。毎日競馬、パチンコ、酒、女。遂には金も底をつき、借金取りに追われる日々。

気がついたら私は、娘のいる檻の前に立っていた。

檻の向こうには娘。こちら側には私。檻の中は真っ白な空間で、布団が一枚、他には扉が一つ。そこはトイレになっており、他には何もない。

ゾンビはテレビも見ないし、本も読まない。とても殺風景な部屋の中を歩く娘を見て、私は静かに泣いた。

手に、鋭い刃物を握って。

「うぉ~うぉ~」変わり果てた姿の娘が、呻きながら歩いている。

「沙智子・・さっちゃん・・びちびちさっちゃん・・うぅ・・」私は泣きながら鉄格子を掴んだ。

そして崩れ落ちる体。

「どうやってもさっちゃんを元に戻す事が出来そうにないんだ。すまない。私があんなジュースを作らなければ・・」

「うぉ~うぉ~」娘がこちらに近寄ってくる。

私は続けた。

「さっちゃん、パパはもう駄目だよ。パパはさっちゃんを元に戻す事が出来ないばかりか、知らぬ間に大変なものを作り出していた。ゾンビではなく、人を怪物に変身させてしまうジュースを。本当、まぐれだったんだ。元に戻す為のジュースを作ろうとしたら、人々を怪物に変身させてしまうジュースを作ってしまっていた」

「あぁ~あぁぁぁぁぁぁ!」沙智子の叫び声。次の瞬間、鉄格子を掴む私の左手が噛まれた。

「いてぇ」私は噛まれている左手を見た。

「すまない沙智子・・。灰汁がそれを悪用し始めた。全て私の責任だ。灰汁は人を怪物に変身させてしまうジュースを使って、金儲けを企み始めた。もうどうする事も出来ない。もうどうする事も出来ないんだ。」

私は右手に握った鋭いナイフを見た。これで沙智子を殺し、自分も死ぬ。そのために今日はやってきたのだ。

「パパ・・」確かに声が聞こえた。

私は驚き、左手に噛みついた娘の方を見た。

確かに以前の沙智子の顔に戻っている。

「沙智子!」私は声を上げ、沙智子の顔を見つめた。

「元に戻ったのか!?」

沙智子の目から一筋の涙が零れおちた。そして確かに私の方を見て、沙智子が話し始めた。

「パパ、本当馬鹿ね。天才だけど、馬鹿。私はまたゾンビに戻ってしまうわ。確かにわかるの。私の中のもう一人の私。それを今、必死で抑えているところ。ねぇ聞いてパパ。」

「沙智子ぉ・・」次第に娘の顔が青白く変色していく。やはり、戻ってしまうようだ。

「パパ・・」そう言った刹那、沙智子が私からナイフを奪った。

「沙智子!」

沙智子が檻から遠ざかっていく。

「どんな事をしてしまっても、私のパパはただ一人。ねぇパパ。パパに人殺しの罪なんか着せる事、私には出来ない。私は自分で自分の命を絶つわ。パパは後から来てね。そして、ずっと一緒に暮らしましょう。そこが例え地獄でも、パパとママ、そして私。きっと何処であっても、幸せに違いないから」

「沙智子ぉぉぉぉぉ!!」

次の瞬間、沙智子が自分の胸にナイフを突き立てた。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


暗闇に包まれた部屋の中、静寂が泳ぐ。

パイプ椅子の男がおもむろに話し出した。

「で、なんであんたはまだ生きているんだ?」

白衣の男が机の引き出しを開ける。そして、灰皿を取り出し、机の上に置いた。

同じく煙草を取り出して、一本加え、火をつける。

「死ねなかったんだよ」

「すげぇ情けねぇな」

煙草を一口、そして煙を吐き出す。

「私が何故死ねなかったのか。それは、私が娘に噛まれた事にあった。おかしいと思わないか?私はなにも変わっていない。ゾンビにもならなかった」

「まさか!」とパイプ椅子の男が立ち上がった。

「あんた、元に戻す何かを作れたのか!?」

「いや」と白衣の男。

「それは、出来ませんでした」

「糞馬鹿野郎」

パイプ椅子の男が再び椅子に腰を下ろす。

「だが、一つだけ分かった事がある。それは、噛まれても変身しない人間がいるという事だ。私は自分の血液を使って、今日まで研究を続けた。そして・・」

「何かわかったのか!」とパイプ椅子の男。

「いや」と白衣の男が冷静に答える。

「何もわかりませんでした」

「死にやがれ糞馬鹿野郎」

雪が激しくなってきていた。窓の外、人々の目にはどのように映っているだろう。

降る灰のように映っているのだろうか。

「君は、私を殺すべきかと言ったね。そうだよ、殺すべきだ。だが、今日まで私は必死に研究を続けた。きっと何か出来る筈。何かが完成する筈。そう思いながら」

そう言うと、白衣の男が立ち上がった。

煙草の紫煙が灰皿の上、ゆっくりと上っている。

白衣の男が、パイプ椅子の男の座る場所まで歩いていく。

「ねぇ、君」白衣の男が、パイプ椅子の男の耳元に囁いた。

「聖なる涙の滴。それを飲んだ女性がいる。彼女が唯一の希望だ」

「えっ?」パイプ椅子の男が、白衣の男を見つめる。

「聖なる涙の滴を飲んだ女性の体液。それを変わってしまった人間に飲ませるんだ。それできっと、変わってしまった人間達は元に戻す事が出来る」

「どこにいるんだ!その女性は!」

立ち上がるパイプ椅子の男。白衣の男の方が背が高い。若干見上げるようにして、睨んだ。

「エマという女性だ。彼女は、ローラ飲料水の本社に乗り込んだようだ。私の元にその情報が入ってきた。そしてどうやら・・・」

白衣の男が、再びパイプ椅子の男の耳元に囁いた。

空がうっすらと赤く見える。幻覚だろうか。それとも、人工のネオンが反射し、そう見せているのだろうか。

若しくは、人々の悲しみを表している。

「最後の話をしよう。ここは、灰汁の友人が経営している病院だ。私は『ローラ飲料水』を辞めず、ここで研究を続けていた。そう、ここは、ローラ飲料水の秘密研究所。つまり、全ての研究は、ここでされているんだよ」

そう言って白衣の男は、ポケットから小さな箱のようなものを取り出した。

「さぁ、逃げなさい。私がこのボタンを押したら、ここは爆発する。君まで巻きこまれる事になるよ」

「まさか!うそだろ!そんな事をしたら、ここにいる普通の人間までが巻きこまれる事になるじゃないか!」

「大丈夫」白衣の男が小さくうなずいた。

「普通の人間なんて、この病院にはいないよ。みんな灰汁が用意した偽物だよ。まぁ、医者は本物だから、昼間は普通の患者が来るけどね。今は夜だ。入院患者はみんな偽物。常にベッドは満席。全員が灰汁の計画に携わっている。だからって死んでいい人間なんていないが、これが私に出来る最後の事」

そう言って白衣の男がスイッチを押した。

「あと三分!さぁ、走れ!灰汁は変身した人間達を使って世界を混沌に沈めようとしている。それを阻止するために、君は走れ!私はこの施設と一緒に地獄に落ちる」

「天査亥!」パイプ椅子の男が叫んだ。

「さぁ、聞いているんだろ!この部屋には盗聴器がある筈だ!もうすぐこの建物は爆発する!逃げる事の出来るものは逃げるがいい!だが聞いてくれ。もう、辞めるんだ。もう、辞めよう」

パイプ椅子の男が、白衣の男の腕を掴んだ。振り払われる腕。

そして白衣の男が小さく笑った。

「娘に会いに行きたいんだ。行かせてくれ」

「天査亥・・・」

パイプ椅子の男は白衣の男を見つめると、やがて走り出した。

廊下に出ると、館内放送が響いていた。

「みんな非難してください!建物が爆発します!」

たくさんの人々が病室から飛び出してくる。

パイプ椅子の男はその中を只管走る。走る。走る。

そして玄関まで辿り着き、人の波と一緒に、建物の外に吐き出されていく。

『ドーン!』背後で爆発音。

人々の悲鳴。

出来るだけ遠くまで走り、パイプ椅子の男は振り向いた。

降る雪に、崩れ落ちていく瓦礫が混じる。

再び爆発音。黒煙、燃え盛る炎。

空が赤く見えた。確かに、赤く。

「天査亥がやったのか?・・・」隣で入院服を着た男が呟いた。

「それは、誰ですか?」パイプ椅子の男が尋ねる。

「誰?当然知っているだろ?てか、お前誰だ?」

「私は・・・」パイプ椅子の男が答える。

「通りすがりの者です。名前は、心事輝と言います」

雪がしんしんと降り続いていく。どこまでも、どこまでも。

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