『手紙を届ける為、戦地を駆け抜けている』人がいる。
「今日も、悩んでいるの?」
風が強く吹いている夕暮れ時、外は曇り空、モノクロの世界が広がっている。
「ねぇ、もっと別の事を考えてみてはどう?例えば、なんだろう・・欲しいものとかないの?」
「欲しいものですか・・」パイプ椅子の男は考え込んでいる。
白衣の男、小さくため息を吐き、男を見据える。
「例えば、好きな女性とかいないの?君はまだ若いでしょ?恋に夢中になったり、そんな相手、いないの?」
「いません」パイプ椅子の男が即答する。
「そんな相手、もう・・いません・・・」
白衣の男が椅子に深々と腰を沈めた。
「なんか、まずい事、聞いちゃったかな?」
「いえ」とパイプ椅子の男。「僕は奥手なものですから」
「ふぅん」と白衣の男。何気に窓の外に目をやる。
「誰かの為に一生懸命になるって事は、素晴らしい事だよ。その相手は女性でなくてもいい。とても大切な友人でもいい。何かに一生懸命になるって事は、前に進むって事なんだ。とどまって悩んでいるのとは対照的だ」
「誰かの為に、一生懸命・・ですか」
「そう」と白衣の男はデスクに両肘をつき、両手を組み合わせ、顔を乗せた。
「誰かってのは、自分でもいいんだよ。一生懸命に前に進む事が、大事な事なんだ」
そう言って白衣の男は思い出したような表情になり、言葉を続けた。
「そう言えば、いい話を思い出した。今朝、こんなニュースがやっていたよ。君も知ってると思うけど」
強風が窓を叩く。色の無い世界を部屋の中まで侵食させようと、何者かが叩いている。パイプ椅子の男は窓の外を睨みつけた。
「今も、何処かで」
『手紙を届ける為、戦地を駆け抜けている』人がいるみたいだね。
私は走っている。大砲の弾が後方に落ち、誰かの叫び声、言葉にならない声。
銃の弾丸が、きっと私の体すれすれを通過していった。それでも走る。
きっと誰かが住んでいた家々、働いていたビル。車が行きかっていた道路、交通整理をしていた信号機。
その全てが崩れ、ボロボロになり、傾き、存在している。
一発の銃弾が、私の頬をかすめた。
「つぅ」私はうめき声をあげた。それでも止まらず、ひたすら走る。
彼との約束を果たす為に。
「私が、この手紙を?」
私は刑務官として働いていた。そこで、絶対に服を着ないと豪語する男と仲良くなった。
彼は受刑者で、自らの事を『ホラデター』と名乗っていた。
何故『ホラデター』と名乗るのかと聞いたら、彼は答えた。
「私は、森で透明狩人に出くわしました。その透明狩人は、名前の通り、透明になれるのです。そいつは全裸で、般若の面を被っていました。彼は弓矢を撃ち、私の仲間を殺しました。とても手強い相手でしたが、私は彼を倒す方法を思いついたんです。それは、自らも裸になる事。そうする事で自分も彼と一緒。だから彼のその姿を見ても、なんとも思わなくなったんです。私は彼を倒しました。そして、私は生まれ変わったんです。ホラデターとして」
マジで、意味がわからなかった。
「そうですか・・」私は檻の中、『そういう事なんだよ』みたいな顔をして頷いている男の言葉に、相槌を打ってみせた。
「で、あなたは何が出来るんですか?」私は尋ねた。
「ふっ」鼻で笑うホラデター。
「私も透明になれますよ。当たり前でしょ?」
マジで狂ってる。
私は「そうですか」と言い、その日はそれで会話を終わらせた。
その後、何故か彼と話をする事が多くなった。
彼は私が檻の前を通る度に、私の事を呼びとめた。
何度も何度も彼に呼び止められる度に、小さな頃から誰にも必要とされた事がなかった私の心が、確かに暖かくなっていくのを感じていた。
そしてある日の事。私は彼に手紙を託された。
私が刑務官を辞めると告げた日だ。
「どうして辞めるんだ?」
ホラデターが全裸で手を広げ、踊りながら(本人いわく、踊っているのではなく、透明になっているらしい)私に言った。
「辞めたくて辞めるわけじゃないんですけどね。いや、どうもみんなと仲良くなる事が出来なくて。仲間はずれっていうわけではないんですけど、自然にそうなってしまっていて・・」
「辞めてどうする?」
もう本当、真面目な話をしているのにその踊りはなんだ!?とは言わなかった。
「実家の畑を手伝おうかと思っています。ただ、実家の方も、私の事を必要としてはいないんですけどね」
股間をぶらぶらさせて踊っている。いや、透明になっているつもりらしい。
「ぶぉーん」と彼が口で言った。この『ぶぉーん』が、彼曰く、その姿を現わした音、らしい。
「私は、あなたがいなくなって、とても淋しい」
私はその言葉に、目頭が熱くなるのを感じた。
私の事を必要としてくれている人がいる。こんな事は初めての事だった。その相手が例え、全裸で『ホラデター』と名乗る異常者だとしても。私は嬉しかった。
「有難う」私は彼に言った。本心だった。
少しの沈黙が私達を包んだ。
そして突然、彼が神妙な面持ちになり、私の方を見て言った。
「最後に一つ、頼まれてくれないだろうか」
私は彼の言葉を受け、「なんだい?」と問いかけた。
「手紙を書こうと思うんだ。それを、君がある人に届けてほしい。駄目だろうか?」
私は考える事なく、頷いた。
「いいよ。だけど、普通に出しては駄目かい?私でも、別の刑務官でも、手紙を出したいと言えば、出してくれるよ」
「それでは駄目なんだ」とホラデター。
「それでは中身を読まれてしまう。一度、検閲されるだろ?それでは駄目だ。私は君に手紙を届けてもらいたいんだ。君を信用している。君じゃなきゃダメなんだ。中身は決して読まないでくれ」
私はその言葉に感動した。『私を信用している』そんな事を言われたのも初めての事だと思う。
こんなに人に頼られている事も、必要とされている事も、生涯の中で一度もなかった。
私の中に使命感が宿った。
手紙を絶対に、届けてやる。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」私は叫びながら戦地を走っている。
何故、戦地を走っているのか。それは、手紙を届ける相手が、この戦地にいる事を知ったからだ。
相手はヨハンソンという女性だ。彼女の実家を訪れた時、彼女の母親が戸口に現われ、娘が今、内戦の起きている国に派遣され、そこで戦っていると言った。
「写真をくれませんか?」私がそう言うと、母親が言った。
「娘は写真が嫌いなの。だから、写真がないの、ごめんね」
私は彼女の顔も知らぬまま、直ぐにその国に向かった。
この国では、東と西が争っている。
内戦の理由は、東の偉い人が西の偉い人に対して、「口が臭せぇんだよ」と言った事。
それに対して西の偉い人が、「てめぇも臭せぇじゃねぇかよ」と言い、戦争が始まった。
戦争はいつも、下らない事が理由で始まる。
銃声も、砲弾の音も、全てが神の怒りのように私には感じられた。
「おい!」私は崩れた建物の陰に隠れる、男性兵士の横に滑り込み、尋ねた。
彼はヨハンソンと同じ、この国に送られた兵士だ。ヘルメットにトランペットのマークが刻まれている。
彼女の国の国旗のマークだ。
東側の援護をしているようだ。戦争に善も悪も存在しない。戦わなければならない。それが兵士たちのたった一つの理由となる。
「ヨハンソンという女性兵士を知らないか?きっとこの戦地にいると思うんだが」
「知らねぇよ!」男が答える。
「そうか・・」私は肩を落とし、項垂れた。
「いや、待てよ・・」男が考え込み、やがて口を開いた。
「あのセクシーなヨハンソンの事か?」銃撃は続いている。何処かで爆発の音が聞こえた。地雷でも踏んだのだろうか。
「わからない!でも、きっとセクシーな筈だ!」
「そうか、セクシーなヨハンソンか。多分、あっちの方にいるぞ!」男がそう言って指を差した。
『バキューン』と銃声。「うぉ!」と兵士の声。
指が飛んでいく。
私は物陰から、銃が撃たれた方を素早く覗き見た。
少年が銃を構えているのが見えた。あんなに小さな少年まで戦わなくはいけないなんて。
この世界は、本当は地獄なんだ。そう理解した。
「セクシー!!!」指を飛ばされた男が、半狂乱で立ち上がった。
銃を構える。
「あぁぁぁぁ!」と男の声。私は男を見上げた。指が飛ばされているから、引き金を引く事が出来ないようだ。
立ち上がってから気がついた模様。
『バキューン』と男の頭部を、銃弾が貫通していった。
「セクシー!!」と叫びながら倒れていく男。
私は理解した。
ヨハンソンは、余程セクシーなのだと。
男の指差した方角へ、私は再び走り始めていた。
彼女はまだ生きているだろうか。死んではいないだろうか。
少しでも早く彼女に合わなくてはいけない。そう心の中で何度も呪文のように唱えていた。
もしもまだ生きていたら、私がちんたらしている間に死んでしまう恐れがある。それであれば、悔やまれる。
あと一秒でも早ければ生きていた。そんな状況には出くわしたくない。後悔のないよう、全力で彼女の元に辿り着くのが使命だ。
ホラデターよ。私は君の為に走る。
「ちょっと!」走る私を、誰かが呼びとめた。
私は立ち止り、誰も乗っていない、赤い車の陰の方を見た。
「こっちこっち!」そう手招きしたのは、銃ではなく、カメラを持っている男だった。
私は彼に言われるがまま、車の方に寄っていき、身を隠した。
「あなた、なにやってるんですか?兵士のようには見えないし、この国の人間でもないでしょう」
私の方にICレコーダーが向けられた。私はそのレコーダーに顔を近づけ、言葉を話す。
「私は、この国で戦っているある女性に手紙を届ける為、走っています」
「手紙ですか?」
「はい、手紙です。私は刑務官でした。そこの受刑者、ホラデターと名乗る男から、手紙を預かったんです。どうしても私に届けてほしい。そう言われました」
「何が書いてあるんですか?」
「わかりません。中身は見るなと言われました。きっと大事な事が書かれているんでしょう」
ICレコーダーを向けた男は、首から下げたカメラを私に向け、写真を一枚撮った。
「その受刑者の方、ホラデターさんですか?何をして、刑務所に入られたんですか?」
「なんもしてませんよ!」私はむきになっていた。彼の事を侮辱しようとする人間は許さない。
「ただ、裸で・・裸が好きで・・だから全裸で人々の前に現れた。ただそれだけの事ですよ」
私は泣いていた。彼とは別の形で会いたかった。檻の中と外、そんな関係ではなく。境の無い、空の下で。
「そうですか・・」カメラを持った男は呟いた。
「わいせつ罪ですか」
「うるせぇ!」私は男を殴っていた。
「お前、ホラデターに謝れ!」
「謝りたくても、場所が・・」
私はホラデターのいる刑務所の場所を教えた。
そして、「フアッ〇ユー」と言って彼のもとを去った。
再び走る、走る。
銃弾が飛び交っていく。誰かの悲鳴、叫び声。
どれくらい走っただろう。あのあとも私は何人もの男性兵士に尋ねながら、文字通り命がけで彼女を探し続けた。
みんなヨハンソンの名前を聞くと、「あぁ、あのセクシーのことか」と答え、急に生気を取り戻したようになり、取り乱した。
余程にセクシーに違いない。
私も別な意味で会いたくなっていた。
そして、日も暮れかけてきたころ、前方に、女性の姿が見えた。
ふくよかな胸、引き締まった腰、丸く大きな臀部。迷彩服の上からでもそれがはっきりとわかる。
「セクシー・・」私は呟いていた。
そして、気がつかないうちに、立ち止ってしまっていたようだ。
そのせいで、足を撃たれた。
「いてぇ」
倒れこむ私。目の前にヨハンソンらしき女性が見える。だが、私は道端に倒れ込み、そこに辿り着く事が出来ないかもしれない。
「ちくしょう・・」涙が溢れ出てきた。
彼女の姿を目の前にしながら、約束を果たすことが出来ないかもしれない。
それは全て、彼女がセクシーだからだよ、ホラデター。
「大丈夫!?」彼女の声が聞こえた。
こちらに向かってくる彼女。ヘルメットから覗く、金髪のショートカット。白い肌に、厚い唇。円らな瞳に、小さな鼻。
私のタイプだ。
「セクシーさん?」と名前を呼び、間違えた事に気がついて「あっ、違った!ヨハンソンさんですか?」
と言いなおした。
「どうして名前を知っているの?」
彼女が私の傍に辿り着く。
そして、彼女が機関銃を周囲に向かって乱射する。
「立って!頑張って!」
私はそう言われ、力を振り絞って立ち上がった。
「こっちよ!」
言われるがままに彼女についていく、そして二人、建物の陰に隠れた。
「ヨハンソンさん、恐らくあなたに手紙を預かっています」
「私に?」
「そうです。だけど、あなたが私の探しているヨハンソンさんなのか、どうか確認させてください」
私はヨハンソンに実家の住所を尋ねた。間違いなく、私の探しているヨハンソンだった。
「よかった。私はあなたに手紙を渡すため、ここまでやってきました。よかった、本当によかった」
私は嬉しくて泣いていた。何度も何度も息を吸っては吐き、息を吸っては吐き。
こんな戦場でも、空気が上手いのか。とても不思議で、私は笑っていた。
「ねぇ、嬉しそうだけど、私には時間がないの。誰からの手紙なの?」
私は『ホラデターさんからですよ』と言いかけて飲み込んだ。
それはまずいような気がした。
彼に『ヨハンソンは恋人なのか?』と聞いたら、『それよりももっと深い関係だ』と答えた。
なんかよくわからなかった。
そのあと、『その女性とはどれくらい話をしていないのか?』と尋ねた時、彼は言った。
『毎日話をしているよ、夢の中で』
その言葉で、恐らく長い間話をしていないのだろうと理解した。
だから彼が『ホラデター』に生まれ変わった事も知らないだろう。
私は彼に『なんて言えば、彼女はわかる?』と聞いた。
そしたら彼は『たくさんのハートが連なったブレスレットを、君にプレゼントした男。そう言えばわかる』
そう言っていた。
だから私は彼女にそう言った。
すると彼女が突然、険しい表情に変わり、ゲロを吐いた。
私は唖然として、ただその様子を見ている事しか出来なかった。
「そんな手紙、いらないわ!」
「はっ!?」私は驚いて目を丸くする。
「ストーカーからの手紙なんて、気持悪い」
「はっ!?」
私は驚きで狼狽し、呼吸を荒げた。
「いや、預かってきたんだ。手紙。読んでくれよ」
呼吸が困難になる。ここまで死に物狂いで走ってきた。それなのに、それなのに・・。
「頼むよ、読んでくれよ」
私は手紙を彼女に差しだす。その手は勢いよく撥ねつけられ、手紙は地面に落ちて行った。
「私はここまで必死になって辿り着いたんだ。命がけだよ。なぁ、お願いだ。私の為に読んでくれ」
彼女は嘆願する私を見て、憐憫さを感じたのだろう。
手紙を受け取り、封を破り、その中身を見た。
「見たわ。これでいいでしょう?」
そう言って彼女は、私に紙切れを渡す。
「じゃあ、生きて帰ってね。さようなら、勇敢なお人よしさん」
彼女は再び銃を乱射しながら、戦いの場に帰って行った。
私は受け取った紙切れを見た。
そこにはたった一言、大きくこう書かれていた。
『愛してる』
馬鹿野郎!!!私の叫び声が、戦地を切り裂いた。
「知っています。他人の為に命を掛けている人がいる。感銘を受けたのを、思い出しました」
「そうだろう?」
白衣の男、大きな窓に背を向けて座っている。デスクランプの明かりが、白衣の男の側面をボンヤリと照らしている。
外はどんよりとした闇。部屋の中にもそれは侵食し、不思議とパイプ椅子の男の心を落ち着かせていた。
人間は闇に身を置くと、その安らかさに囚われ、心地の良さに溺れてしまう。
パイプ椅子の男は持論から、いつも電気を点けましょうとは言わない。
きっと、白衣の男も似たような事を感じているのだろう。
パイプ椅子の男が口を開いた。
「では、そろそろ行きますね」
「あぁ」白衣の男がパイプ椅子の男を見ず、そう言った。
パイプ椅子の男が立ち上がり、扉の前まで辿り着いた。
そして振り返り、言った。
「そう言えば、家族、いらっしゃらないんですか?」
「家族?」白衣の男、パイプ椅子の男を見る。
「えぇ、家族」
パイプ椅子の男、再び尋ねる。
白衣の男がパイプ椅子の男からゆっくりと目を逸らし、小さく呟いた。
「いるよ・・いるけど・・そうだね・・その話は、また今度。今日はなんか、疲れちゃった」
「そうですか」
パイプ椅子の男が会釈をし、ノブを回した。
部屋から出ていくパイプ椅子の男。
一人、取り残された白衣の男。
小さく息を吸い込み、呟いた。
「いるよ・・でもその話は」
デスクランプのスイッチを切る。一つの小さな世界が、闇に飲み込まれる。
闇に沈みゆく人間が、最後に残した言葉。
短い言葉。
「また、今度ね」




