『ゾンビから逃げている』人がいる。
「そう、それは大変だったね」
白衣の男。白髪混じりの頭髪は撫で付けられ、細目に鍵鼻、顔の所々に染みがある。
男はデスクを前に椅子に座り、パイプ椅子に座った若い男を見ている。
彼らのいる部屋の壁は白く、白衣の男の後ろに丸い掛け時計、木板の背の低いボックス、そこに並べられた本。デスクの上で灯る、デスクランプ。その他にはなにもない。
そして、二人を側面から見て奥、壁一面が全て窓になっていて、高いビルの頭の部分や、途中の部分、広告の大きな看板など、外の景色が広がっている。
「はい、本当に辛くて」
パイプ椅子の男が顔を歪めながら言った。
白衣の男がデスクに両肘をつけ、両手を組んだ。
「でもね、君も辛いかもしれないけどね、もっと辛い人がいるんだよ」
パイプ椅子の男はなにも言わない。白衣の男が窓の外、雨の降る夕暮れ時に視線を移した。
「君も知ってると思うけど・・」
薄暗い外に、ノイズの雨。パイプ椅子の男も、窓の外をみた。
「今も、何処かで・・」
『ゾンビから逃げている』人がいるんだよ。
「うぉぉぉぉぉ!」
私は死に物狂いで走っている。
もう、本当に死に物狂い。
何故なら後方十メートルくらいの距離に、ゾンビがいるから。
捕まったらまさに、死んで、狂ってしまう。
朝起きた時、その日自分に何が起きるかなんて、想像がつかないのが殆どだと思う。
もしかしたら仕事で大きな失敗をするかもしれないし、事故にあうかもしれないし、運命の人に巡りあうかもしれないし。
ただ、そんな想像がつかない事を遥かに越えた現実が、私には訪れた。
朝起きたら、ゾンビが町に溢れてた。
朝起きて、歯を磨いて、顔を洗って、煙草吸って、外に出て、アパートの階段を下りて、ゾンビ。
もう、走りすぎて腹がいたくなってきた。
どんな状況かというと、あちこちで人間が噛まれている。
そして一匹のゾンビが、ずーっと私を追いかけている。
そんな状況。
「もうダメだ」
そう思った矢先、一台のプリウスが私の前に停車した。
「早く乗って!」金髪の女性が、窓を開けて叫んだ。
私は力をふりしぼり、車に飛びのった。
そう、何故か屋根の上に。
人間は極限状況に陥ると、意味のわからない行動に出ることがある。
それが、屋根の上に飛び乗るという行為の理由だ。
車は動き出した。
アクションスターのように屋根にしがみついた、私を乗せて。
車の屋根にしがみついているのは、本当に大変な事だった。
自分でやったんだから仕方ないが、『なぜ停車させて、私を屋根から救いだしてくれないんだ?』と、運転している女性を何度も恨んだ。
車は急な方向転換、急カーブをなんども繰り返し、走っていく。
『こいつ、わざとやってんじゃねぇのか?』とも思った。
キキーッ!!と急ブレーキ。私はすっ飛んでいきそうになるのを堪える。
堪えきれた私は、停車しているすきに、屋根からおりようと、顔をあげた。
「ん?」驚きで目を見開く。
目の前に戦車を確認。
ドーンという、世界を殴ったような音。私の横を砲弾が飛んでいくのがみえた。
更にもう一発!!後方で爆発しているのがわかった。
武装した軍隊の姿もみえる。
彼らが私の横をとおり、ゾンビに向かっていく。
向かっていく途中、私の方をみて首を傾げる者、顔を歪める者、銃を向けてくる者。
「ダメダメ!俺はゾンビじゃない!!」
慌ててそういうと、「じゃあなんで車の屋根にいる?」と聞かれ、
「なんで屋根にいると思う?」と逆に聞いてやった。
そしたらみんな、私を構わないで、ゾンビに向かっていく。
私は、ほっと胸をなでおろした。
刹那、動き出した車。再びしがみつく私。
降りるのを忘れてしまった。ちっくしょう。
猛スピードで走る車。落ちたら私はゾンビの餌食だ。
あちこちで人間が噛まれている。
軍人が銃を連射しているが、ゾンビには殆どききめがない。ボロボロになりながらも向かっていき、噛みつく。
そして噛みつかれた人間も、またゾンビになる。
戦車が炎上している光景を横切る。あらゆるものが燃えている。
まるで地獄だ。私は車の屋根にしがみつきながら、地上と走る車の屋根、どちらが地獄かを考えていた。
と、車が急ブレーキをかけた。今度は堪え切れず、吹っ飛ばされていく体。
やがて地面にたたきつけられた。
私は痛みに喚きながら顔をあげた。
『なんだ!?』そこには唖然とさせられる光景があった。
縮れ頭の赤いジャケットの男性を先頭に、ゾンビが大勢、群れをなしてこちらに歩いてくる。
私は目を凝らしてみた。赤いジャケットの男、ゾンビではない。なのに、ゾンビを引き連れて・・なんなんだあいつは。
近づいてくるにつれ、赤いジャケットの男がなにやら呟いているのが聞こえてきた。
「ビチャビチャ、オーイエ、ビチャビチャ♪」歌っている。
「ゾーンビー♪オーゾーンビー♪」踊っている。そして後ろのゾンビも踊っている。
いつの間にか私も踊り出していた。
バーン!突如聞こえた銃声。
右足に激痛が走り、私は地面に転がった。
右足を抑え、うめき声を上げながら、後方を見ると、そこには先程まで運転していた女性が立っていて、
その右手に握られた拳銃からは、煙がたっている。
「ごめんね、仕方がなかったの。あなた、あの男の術にかかっていたのよ」
「はっ!?」
「あの男が、今回のゾンビ騒動の元凶よ。あいつがウィルスを使って、こんな事になってしまったの」
「なんだって!?」私は痛みに顔を歪めながら、言った。
「じゃあ、なんであいつを撃たないんだ!」
「あいつが、私の彼氏だからよ!」
この野郎、ふざけやがって。私は女性を睨みつけた。
金髪に、迷彩服。乳がでかい。端正な顔立ちで、なまめかしくて、いろっぽい。
「ちきしょう!」私は大勢のゾンビの先頭、踊っている男を睨みつけた。
「じゃあ、君もあいつの仲間なのか!!」
「違う!そうじゃないわ。仲間だったのよ。私たちは、人をゾンビにさせたくてあんなものを作ったんじゃなかった。そういう用途じゃなかったのよ本当は!!」
「ジュリア」ゾンビの先頭にいる男が、踊るのをやめた。
「なんだ、その男は?」
ジュリアが叫ぶ。
「あなたには関係ないわ。それより、こんな事はもうやめて!!」ジュリアが泣きだした。
そして、私も痛みで泣きだした。
「やめられないよジュリア。これは我々の組織、暗部ローラ上層部からの指令だ。だから、僕はそれに従っているだけだよ」
暗部ローラ!?なんだそれは!?
「マイコー!あなたがその指令に従い続けるつもりなら、私はあなたを殺すまでよ。お願いだから、そこをどいて!」
「出来ないよジュリア。僕と一緒に、世界をゾンビで埋め尽くそう」
ジュリアは持っていた銃を地面に落した。その落した銃が、私の頭に直撃した。
なんか、別の人に助けてもらいたかった。そう思った。
俯きながら涙を流しているジュリア。やがて、おもむろに顔を上げ、私に言った。
「行きましょう・・」
ジュリアが運転席に乗り込む。私は慌てて足を引きずりながら、今度は助手席の扉を開け、乗り込んだ。
カーステレオから聞こえるのは、『ちいさな古惚系』という切ない曲。
「行くわよ。シートベルトをちゃんとしていてね」
動き出す車。
ちいさなちいさな古惚系 おばあさんのウォッチ~♪
加速する車。踊るゾンビ達に向かっていく。
九十年つねに動いていたから 古惚けた おばあさんのウォッチ 本当にもう処分しようかしら♪
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ジュリアが目をつぶりながら叫ぶ。
「ジュリア!!!!!」マイコーの声が、窓を閉め切っている車内にまで聞こえてきた。
そして撥ねられるマイコー。
おばあさんの暴れた夜に 勝手に来たウォッチさぁ~♪
たくさんのゾンビ達も撥ねられていく。
今日は もう おばあさんもうごかないでベッドにねたっきり おばあさんのウォッチもいっしょさ~♪
車は町を抜け、荒涼とした土地に停車した。
あたりには、砂山、疎らに見える枯れた木々。
私は運転席で遠くを見ているジュリアに言った。
「びょういん・・」に連れて行ってくれと続けようとしたが、ジュリアの言葉に遮られる。
「聖なる涙の滴」
「はっ!?」ジュリアが続ける。
「聖なる涙の滴をふりかければ、ゾンビと化した人々は、もとに戻れるはず。それに、それを飲めば、人々はゾンビにはならない。世界を救える」
「よかったね。それよりも、病院・・」
「世界を、救いましょう」ジュリアが決意を持った瞳で、私を見た。
私は小刻みに頷きながら、何度も何度も心の中で呟いた。
「勝手にやってくれ」
デスクランプだけが点いた室内。外からの明りは殆どなく、薄暗い。
「そうですね、確かに、そんな事がこの世界で起こっていますね。私もニュースで見ました」
パイプ椅子に座った男が、白衣の男を見て、そう言った。
「確かにそれに比べれば、私の悩みなんてちっぽけです」
「そんなことはないよ。だけど、そう思えるのならば、そう思うのが一番いい事なんだ」
パイプ椅子の男は立ち上がり、窓の方に向かっていく。
雨が止んだ世界。空模様は夜に隠され、明日の行方もボンヤリとしている。
「じゃあ、また来ますね」そう言って男は白衣の男に頭を下げた。
「うん、また来なさい。待ってるよ」
扉を出ていく男を、座ったままに見送ると、白衣の男は机の抽斗を開け、
一冊のノートを取り出した。
机上に広げ、ペンを持つ。
ペンを走らせる白衣の男。
やがて白衣の男がペンを止め、ノートを閉じた。
外の世界を見る。またきっと雨がやってくる。
「暗部ローラ・・」そう呟き、白衣の男が、
瞼を閉じた。




