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Call my name-心に響く声-  作者: 橙子
亜衣子編
7/37

「友達になろう」


 亜衣子が次に目覚めた時、視界に飛び込んできたのは未唯菜の心配そうな表情だった。


「亜衣子先輩っ!? 大丈夫ですか、気分はっ!?」


「笹野っ!?」


「姉ちゃんっ!?」


 未唯菜の声に反応して、高坂と祐真も振り返って声をかけてくるが、亜衣子には何が何だかわからない。


「わたし……?」


「貧血を起こして倒れたんだよ。覚えてないか?」


 高坂の説明に、記憶をさらうけれど、急に意識に霞がかかったようになったところから記憶が途切れていて、そこでようやく自分が意識を失っていたことに気がついた。頭だけ動かして辺りを見渡すと、亜衣子が寝かされていたのは白いシーツと上掛けのかけられた簡素なベッドで、どうやら園内の救護室のベッドらしい。亜衣子がぼんやりと現実を認識しかけているところで、祐真が唐突に深々と頭を下げてきたので、驚いてしまう。


「姉ちゃん、ごめんっ! 姉ちゃんが絶叫系とかホラー系とか苦手なの知ってたのに、俺悪ノリし過ぎちって……ほんっとーにごめんっ!!」


 放っておいたら土下座に発展しそうな勢いの弟に、ふ…っと微笑みを見せて。


「もういいわよ、ちゃんと反省してくれてるなら……ただし。今度やったら、二度と部屋の掃除もご飯作りもやってあげないわよ?」


 どうせ、しばらく行ってない間にまたすごいことになっているんでしょ?


 そう続けると、祐真は痛いところを突かれたと言わんばかりの顔で胸を押さえて。その様子が可笑しくて、亜衣子はついつい笑ってしまう。ほんとうに…昔から、憎めない弟なんだから。


「あたしも一緒になって調子に乗っちゃったし、お詫びに祐真くんとこのお掃除その他、手伝います!」


 連帯責任のつもりか、未唯菜も手を挙げて申告してきたので、ちょっと驚いてしまう。もしかして未唯菜は、祐真のことを異性として好きなのだろうか? 姉としては微妙に複雑な気分もあるけれど、まあ未唯菜ならいいかと思う。


「まあそれはともかく。気分はどうだ? 起きられそうか?」


 ふたりの懺悔を遮るように高坂が声をかけてきたので、亜衣子の胸が一瞬高鳴る。が、なるべく平静を装って、返事を返す。


「多分、もう大丈夫だと思うわ。それよりみんな、ずっとついててくれたの? ごめんなさい、せっかく遊びに来たのに」


 そう言って、亜衣子が起き上がろうと身を起こしかけたところで、未唯菜の慌てふためいたような声。


「先輩、待って!」


「え?」


 未唯菜が伸ばしてきた手の先を追って、上掛けのずり落ちたみずからの肩を見やってから、亜衣子は初めてその意図に気付いた。着ていたはずの上着が脱がされて、上半身はキャミソール一枚になっていたことに! しかも肩ひもの片方が肩から落ちかけて、ストラップを透明なものに替えてあった中の下着まで見えそうになっていて、亜衣子の脳内を羞恥がすさまじい速度で駆け巡る。


「きゃあっ!」


「男性陣、回れ右!」


 未唯菜の鋭い号令と共に、高坂と祐真が慌てて後ろを向いた。


「先輩ごめんなさい、言い忘れてて……」


 未唯菜がほんとうに申し訳なさそうな声と表情で言いながら、亜衣子の肩に脇に置いてあったらしい上着を掛けてくれる。


「と、とりあえず俺たちは表に行っているから。支度が済んだら呼んでくれ」


 それだけ言って、高坂は祐真と共にそそくさと救護室を後にする。


 ああもう、恥ずかしいっ いまの、絶対下着まで見えちゃってたわよね。祐真はまだしも、高坂くんに見られちゃうなんて……もう最低っっ


 そうは思うが、未唯菜が悪い訳でもないので、できるだけ表面には出さないように努めながら、亜衣子は未唯菜に手伝ってもらって支度を整える。


「私…どのくらい寝ていたの?」


「一時間くらい…ですかねー。夏だからまだまだ明るいけど、今日はもう帰ったほうがいいかもってさっき話してたんですよ」


「そんな…私のせいで、悪いわ、そんなの」


「でも私と祐真くんが一番悪いんだし。高坂先輩も、すごい心配そうだったんですよ? 見せたかったなあ、意識のない亜衣子先輩をお姫さま抱っこして、血相変えてここに飛び込んできた時の高坂先輩の顔。亜衣子先輩ってば愛されてるなあって、同じ女としてすごく羨ましくなっちゃいましたー」


「え」


 高坂が? 自分をお姫さま抱っこして? 嘘みたいだ、信じられない。顔が紅潮していくのを止められない。幸い未唯菜は背後からほどいた髪をとかしてくれているので、顔は見られずに済んでいるけれど。次の瞬間、投げかけられた言葉に、亜衣子はもう何も考えられなくなってしまった。


「ねえ、亜衣子先輩? もういっそのこと告白しちゃったらどうです? 高坂先輩だって、絶対先輩に好意持ってますって」


「ななななな、いきなり何を言い出すのよ、未唯菜ちゃんっ!?」


「もう、高校時代からバレバレでしたよー? 結花先輩も、『自分にあそこまでつきあってくれるのなら、もう告っちゃえばいいのにー』ってよく言ってましたし」


 ゆ、結花にまでバレていたのか!?


「ホントに気付いてなかったんですか? まあ人間、外から見たほうがよく見えるってことありますしねー」


 未唯菜がわざとらしくため息をつく。


「そ…そんなにわかりやすかった? 私……」


 もう、恥ずかしくて仕方がない。


「気付いてなかったの、高坂先輩本人ぐらいじゃないですか? あれだけわかりやすいのに何で気付かないんだろうって、合唱部内でも評判でしたよ」


 祐真くんに言わせれば、「剣道の時はめちゃくちゃ気配に敏感ですごいんだ」そうですけど、恋愛事にはめちゃくちゃ鈍感なんですねー。


 そう未唯菜は続けるけれど、亜衣子には他人のことは笑えない。自分では誰にもバレてないつもりだったのに、合唱部の仲間たちにしてみればバレバレだったなんて。


「はい、できましたー」


 未唯菜が綺麗に結い直してくれた三つ編みが、ぽんと胸の上に下りてくる。そうしてふたりで救護室のスタッフに丁重にお礼を言って深々とお辞儀をしてから、外へのドアを開ける。すると、救護室から数メートル離れたベンチで、飲み物を飲んでいる高坂と祐真の姿が目に入った。


「ごめんなさい、お待たせして」


「あ、済んだか?」


「姉ちゃん、ホントに大丈夫か?」


「大丈夫よ」


「でも、無理はしないほうがいいな。そろそろ帰ったほうがいい」


「えっ 大丈夫よ、ハードなものに乗らなければっ」


 皆までつきあわせて帰らせるのも悪い気がして、亜衣子は懸命に言い募ったのだけど。


「ダメだ。また具合が悪くなったりしたら、ご両親に申し訳がたたなくなる」


 強い口調で言われてしまっては、もう何も言えない。元はといえば、無茶をした亜衣子自身が悪いのに。またしても迷惑をかけてしまって、亜衣子はもう泣きたい気分になってくる。


「ちょっと待ってください、高坂先輩。亜衣子先輩自身は自分が乗りたいものに全然乗ってないんですよ、それで帰れってあんまりです」


 それまで黙っていた未唯菜が、高坂の気迫に気圧されることなく言い出したので、亜衣子は驚いてしまった。未唯菜はこんなにも、強い口調でものが言える少女だっただろうか?


「しかし……」


 これには高坂も困惑してしまったようで、救いを求めるように祐真へと視線を走らせる。


「じゃあ先輩、あれならどうっスか? あれならゆっくり動くし、ただ座ってるだけでいいから姉ちゃんにも負担にならないと思うんスけど」


 そう言って祐真が指差したのは、園内でも一番目立っている観覧車。それを見た高坂の表情が、ふいにやわらいだ。


「確かにあれなら……小さい子どもだって大丈夫だしなあ」


「じゃあ決まり! あれなら周りの景色も見えるし、あれに乗ってから帰ることにしましょう!」


 未唯菜の鶴の一声とも言えるひとことに、高坂も渋々とだが了承して。四人で並んで、観覧車の列に並び始める。


「…ありがとう、未唯菜ちゃん」


「いいえー、これくらいお安いご用ですっ これなら、高所恐怖症でもなければ大丈夫ですものね」


 やがて四人の順番が来て、率先して高坂が乗り込み、亜衣子に手を貸してくれる。その手を借りて乗り込みながら、亜衣子が祐真と未唯菜を振り返った瞬間、


「はいっ 係員さん、ドア閉めちゃって!」


 と叫ぶような祐真の声が響き、その気迫に気圧された係員がとっさにドアを閉めてしまう様子が、亜衣子と高坂の目に映った。祐真と未唯菜は満面の笑顔で、ひらひらと手を振っている。


「あ・い・つ・ら~っ!!」


 高坂の、低い、怒りを圧し殺したような声。最後の最後まで、ふたりにしてやられてしまったようだ。苦笑いしながら、亜衣子は高坂の向かいの座席に腰を下ろした。少しずつ上へと上がっていくゴンドラ。何となく気まずい沈黙の中、ふたりはただ黙って風景を眺めている。


 けれど、これだけは言わなければいけないと思い、亜衣子は震える唇でそっと言葉を紡ぎ始める。


「あ、の……高坂くん」


「え?」


「今日はホントに…ごめんなさい。最初から最後まで、迷惑をかけっぱなしで」


「そんなこと…!」


 申し訳なさ過ぎて顔を上げられないまま、亜衣子は続ける。


「いつかの居酒屋での時も……祐真に頼まれたから、断れなかったんでしょ? 私みたいなタイプの世話なんて、面倒くさいでしょうに。自分でわかってるの。言いたいことのひとつもロクに言えなくて、いつだって一人でウジウジ考えてて……自分でも、お世辞にも友達としてでもつきあいたいタイプとは思わないもの。だから、次からは祐真に何を言われても、放っておいてくれて構わないから。高坂くんは、自分のしたいようにしてくれていいんだから。元同級生だからって、私なんかに気を遣う必要なんてないから…………」


 ほんとうは、涙がこぼれそうな言葉だったけれど。ここで泣いたりしたら、高坂がよけいに気にすると思い、懸命に普通の笑顔を作って亜衣子は言い切った。祐真への義理や、元同級生への気遣いなんて、もう気にする必要はないのだと。高坂には、自由に思うように歩いていってほしいから、なるべく負担に思わせないように亜衣子は告げたつもりだったけれど。高坂から返ったのは、予想外としか言いようのない言葉だった。


「──────迷惑に思ったことなんか、一度もない」


「!?」


 まっすぐに亜衣子の瞳を見つめて高坂が告げてきたので、亜衣子は一瞬呼吸を忘れてしまうぐらい驚いてしまった。高坂の言葉を理解するのに、きっかり二秒ほどの時間を要するほどに。


「何か勘違いしてるみたいだから、この際ちゃんと言っておく。祐真にならともかく、笹野自身に迷惑をかけられた覚えなんて、俺には一度もないぞ」


 いま…高坂は、何と言った? 「祐真にならともかく」って……それではまるで、亜衣子が一度も迷惑をかけたことがないような口ぶりではないか。


「え……」


「高校の三年間から始まって、少し前に再会してからいままで、笹野のすることで迷惑だと思ったことなんて一度もない。あの居酒屋の時だって、祐真に頼まれなくたって俺は他の奴らからお前をガードするつもりでいたし。むしろ、身内の頼みなんて大義名分を与えてくれた祐真に感謝したいぐらいだったんだぞ。でなきゃ、友人でもない俺にそんなことされるなんて不快に思われるかと冷や冷やしてるところだ」


「不快だなんて!」


 思わず声を荒げてしまった自分にハッとして、亜衣子は恥ずかしくなってみずからの口元を手で覆ってしまう。


「そんなこと…思うなんて、ある訳ない……」


 消え入りそうな声で言った言葉だったが、高坂の耳にはちゃんと届いていたようだった。


「よかった…………」


 安堵しきったような高坂の声に思わずそちらを向くと、高坂がほんとうに心の底からホッとしたような笑顔で座席にもたれかかっている姿が目に入った。


「それを言うなら、俺のほうこそ半ば強引に送っていったりして、迷惑がられてるんじゃないかと思って、びくびくしてたってのに」


 高坂が? 自分に…迷惑がられてるのではないかと気をもんでいた? 聞き間違いかと亜衣子は思った。


「そうでもしないと笹野はなかなか他人に甘えようとしてくれないから……少しぐらい強引に行くしかないと思って、必死の思いで実行してたぐらいなのに」


「うそ……」


 あまりにも信じられなくて、思わず呟いていた。そんな都合のいいこと、あるはずが…ない。


「あたし……自分にはずっとマイナスの評価しかつけられてないと思ってたのに。祐真の姉だからって、親切にしてくれてるんだと思ってたのに──────」


「んな訳ないだろう。祐真のことがなくたって、笹野にはずっとプラスの評価しかつけたことないよ。ちょっと内気だけど頑張り屋で。いつだって他人のことばかり優先して自分は後で損してたりして、それでも他人への気遣いはやめないところなんか、バカにする奴もいるかも知れないけど、俺はすごいいいと思ってたよ」


 その言葉に、亜衣子の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。高坂の、ぎょっとした顔も目に入っているのに、自分でも止められなくて。いくつもの雫が、瞳から頬を伝ってこぼれていく。


「あたしずっと……高坂くんに自分が好かれる訳なんてないと思ってた…………まっすぐで強くて、迷いなんて無縁なひとだと…あたしとは真逆なひとだと思ってたから。あたしになんて好意を持たれても迷惑だと思って…………」


「そんな訳ないだろう!」


 高坂がたまりかねたように大きな声を出したので、亜衣子は驚いて目を見開いてしまった。


「そんな風に思ってたら、苦手なのに頑張って走ってるのを見てこっそり声援なんて送ったりしな…!」


 そこまで言ってから、自分の言っている内容に気付いたらしく、高坂が慌ててみずからの口を押さえるが、もう遅い。もしかして、と亜衣子は思う。


「もしかして、高校の頃の…部活の一環で走ってた時のこと? 剣道部の人たちに追い抜かされるたびに『恥ずかしい』と思ってたけど、高坂くんの声によく似た声で『頑張れ』って聞こえてきて……てっきり、あたしが自分に都合よく作りだしてた幻聴かと思ってたけど─────」


 あれはもしかして、高坂本人の声だったのだろうか……?


 信じられない思いで高坂を見やると、高坂はいままで見たこともないぐらいに顔を真っ赤にして、視線をあちらこちらに泳がせている。


「うわ…俺、すげえカッコ悪い……周りの目を気にして、ほとんど自己満足で応援してて、もしもストーカーみたいに思われてたらどうしようってウダウダ考えてたのに…………」


 嘘みたい。あの高坂くんが、こんなに顔を真っ赤にして、そんなこと言うなんて。ずっと、あたしと真逆のひとだと思ってたのに、こんなに自信なさそうにあたしのことを気にしてくれていたなんて。


「『カッコ悪い』なんて…思わないわ」


 ほとんど無意識に、言葉が口をついて出ていた。


「だってあたし、嬉しかったもの。幻聴だったとしても、高坂くんに励まされてるって思うだけで、苦手なランニングだって頑張れたもの。だから」


 ほんとうに励まされてたってわかって、いますごく嬉しいの───────。


 恥ずかしくて顔から火が出そうだったけれど、亜衣子は全身の気力を振り絞って、それだけはハッキリ告げた。もう顔を上げていられなくてそのまま俯いてしまったけれど、高坂の顔も同じように真っ赤になっているだろうことを、亜衣子は見なくても確信できた。


「俺たちって……馬鹿みたいだよな」


 高坂が、ぽつりと呟く。


「……ホント」


「どっちも仲良くしたいと思ってたのに、勝手に相手に迷惑だと思い込んで、ロクに話もしないで高校を卒業しちまって……祐真がいなかったら、もしかしたら一生そのまんまだったかも」


 ほんとうにそうだ。もしも祐真がいなかったら。もしも祐真が高坂を兄のように慕ったりしなかったら。そして、大学やアパートまで追いかけようと思ってくれなかったら……。


 高坂と再会することもなく、ずっと行き場のない想いを抱えたまま、別の誰かと妥協してつきあったりしていたかも知れない。告白する機会も勇気もないまま、後悔だけをずっと抱えて、想いを胸の奥に秘めたまま、別の誰かと結婚でもしてしまったかも……知れない。


「あの…さ。いまさら言い出すのもすごい間抜けだと思うんだけど。よかったら、これから『友達』にならないか? 俺、祐真に聞いた情報ぐらいでしか笹野のことを知らないから……笹野がよかったらの話だけど、俺、これからにでも笹野と普通に友達になりたい」

ようやく誤解を解くことのできたふたり…。

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