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Call my name-心に響く声-  作者: 橙子
慎吾編
33/37

大切な君への贈り物


 それから三ヶ月ほど経った、三月三日の午後。アパートの部屋の洗面所の鏡の前で、ひとり顔をゆるませる慎吾の姿があった。慎吾の上半身を包んでいるのは、鮮やかな青色の毛糸で編まれたセーター。慎吾のサイズにぴったりの代物だった。


「はっ!」


 鏡を見ていた高坂は、みずからの顔の状態に気付き、両手のひらで頬をビシッとたたく。これから亜衣子と逢うというのに、こんな顔、とても彼女には見せられない。いくら、嬉しいからといってもだ。


 あの後────クリスマスイブのディナーの後、慎吾を手前で待たせて駅の中に行っていた亜衣子は、コインロッカーに入れていたという少し大きめの紙袋を持って戻ってきた。その紙袋が地元のブティックのものだったので、てっきり事前に洋服でも買って、邪魔だったからロッカーに仕舞っていたのだろうと慎吾は疑いもせず、持ってやろうと思って提案したものの「かさばるだけでそんなに重くないから」と返されて、「なら大変になるようだったらいつでも言えよ?」と告げた後はすっかり忘れていたぐらいだったのに。ふたりでイルミネーションを堪能して、人波から少し離れた喫茶店に移ってから、このいいムードの勢いに乗ってプレゼントのネックレスを渡してしまおうと思ったのに、こちらがバッグから出すより早く、亜衣子に前述の紙袋を渡されて逆に驚いてしまった。


 「開けてみて」と言われて中を見ると、ご丁寧にまた別の色の濃いナイロン袋に入れられていて、中身が何なのかまるでわからない状態だった。その袋を開けると、目が覚めるような鮮やかな青色が瞳に飛び込んできて、そっと手を入れると柔らかな感触が指先に伝わってきて、更に驚いてしまった。何かにひっかけたりしないように気をつけながら袋の中から出すと、現れたのは青い色の毛糸で編まれたセーターで……一瞬既製品かとも思ったが、そのわりにはタグも何もついていないので不思議に思ったところで、ひとつの可能性に思い当たる。


「もしかして……これ、亜衣子の手編み──────?」


 ずいぶん昔、祖母に編んでもらったものと同じ雰囲気を感じ取って、思いきって訊いてみると、亜衣子はほんとうに恥ずかしそうにこくりとうなずいた。


「私、男の人が何を欲しがってるかなんてよくわからなくて……祐真にも訊いたんだけど、ふざけた答えしか返ってこなくて」


 祐真の言いそうなことは想像がつく。恐らく、渡部や自分の兄の言いそうなことを言ったに違いない。でなくても祐真は、慎吾より亜衣子に縁の深い相手だ、亜衣子に対して渡部たちが言えないようなことも平気で言ったのだろうと、安易に想像ができる。


 あいつ……後でシメる。


 その頃、祐真がくしゃみをしたかはさだかではない。


「あっ そういうの『重い』とか思うようなら、返してくれて全然構わないからっ ただあたしにはこんなことぐらいしかできないから、これ以外思い浮かばなかったってだけだからっっ」


 慌てたように亜衣子が言ってくるが、その瞳がどことなく泣き出しそうに見えるのは、決して気のせいではないだろう。


「何言ってるんだよ。俺が、亜衣子の作ってくれるものに不満なんか持つ訳ないだろ? むしろ嬉しくて仕方がないってのに。ずっと憧れてたんだぜ? 彼女の手料理や手編みのセーター」


 それは、まぎれもない本心。夢見過ぎと言われようが、ほんとうなのだから仕方がない。ただいままでは、亜衣子への負担を考えて、口にできなかっただけだ。


「だってこれを作ってくれてる間は、亜衣子はずっと俺のこと考えてくれていたってことだろ? それって俺にとってはすげー幸せなことなんだぜ? マジな話、できるなら空も飛べちゃいそうなくらい、俺いますっげー浮かれてるんだから」


 言いながら、普段亜衣子相手では壊してしまいそうで怖くてできないぐらいの力をこめて、その胸にセーターを抱き締める。


「むしろ、『返せ』って言われても断固断るぐらい、俺はこれが欲しい。毎晩亜衣子の代わりに抱き締めて眠りたいぐらい、嬉しいんだぜ?」


 慎吾がそう告げたとたん、亜衣子の顔が一気に紅潮して……ふたりの脇のほうから、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの小さな声の呟きが聞こえてきたのは、次の瞬間のこと。


「いーなー…彼女の手編みー……」


「ほら、な?」


 どこの誰だか知らない低い声の呟きに、吹き出しそうになりながら慎吾が告げると同時に、亜衣子の顔が更に赤くなった。一度どこまで赤くなるのか試してみたい気もするけれど、慎吾にはとりあえず好きなコをいじめる趣味はないのでそれは心の奥底に仕舞い込む。


「だから……ありがとう。俺いま最高に幸せだ」


 そう告げながら、用意していたもうひとつのもののことを思い出す。そうだ。あれを渡して、亜衣子が心から喜んでくれない限り、ほんとうの意味での最高にはなれない。


「そうだ。すっかり先を越されちまって、忘れるところだった」


 セーターを丁寧に元の袋に戻してから、バッグの中に入れたままだった包みを取り出す。


「これ。俺からのクリスマスプレゼント」


 自分がもらうほうは想定していなかったのか、亜衣子が目を丸くする。


「私に…?」


「他に誰がいるんだ? 亜衣子のためだけに用意したってのに」


 慎吾に促されるままに包装紙を丁寧に開けていった亜衣子が、小さな驚きの声を上げる。


「綺麗……これってもしかしてアクアマリン? 私の誕生石の?」


「ああ。情けないけど、藤原さんに教えてもらった。男はそういうの全然気にしないからなー」


「で、でもこれ、結構したんじゃないの? そんな高いもの…!」


「こら。俺、前に言っただろ? 『ごめん』より『ありがとう』が聞きたいって」


 そう答えた瞬間、亜衣子が躊躇いがちに見せた笑顔のまた可愛かったこと…! 思い出すだけで、悶絶しそうになってしまう。


 洗面台に突っ伏していた顔をふと上げると、鏡に映った時計が視界に飛び込んできた。その長針と短針が指す時刻に気が付いて、ハッとする。いけない、このままでは約束の時間に遅れてしまう。今日は大事な亜衣子の誕生日なのだ、待ち合わせに遅刻する訳にはいかない。上着のポケットに例の指輪の包みを入れて、簡単に身支度を済ませてアパートを出て駅へと向かう。大学も春休みに入っているし、バイトの休みもあらかじめとってあるし、今夜は実家に帰ることになっているから────また母の「家に連れてこい」攻撃がすさまじいだろうが────亜衣子の両親が許してくれる限りは一緒にいられる。


 電車に乗って地元の駅に着くと、まだ待ち合わせの時間には十数分の余裕があるにも関わらず、亜衣子は既に待ち合わせの場所で立っていた。慎吾もいつも早く逢いたいがために早めに着くようにしているのだが、亜衣子も同じ気持ちなのだろうかと思うと嬉しくて仕方がない。そうして、慎吾の姿を認めて微笑みかけてくる瞬間が、慎吾はとても好きだった。例の五年間、何度夢に見たか知れない。


 さりげなく誕生日プレゼントに何が欲しいかと訊いたところ、亜衣子は映画が観たいと答えた。ほんとうに観たいのかも知れないが、わざわざ誕生日に観なくてもいいのではないかと慎吾は思う。やはりまだ、遠慮をしているのかも知れない。それならそれでいいさと思い直す。今度はこちらがサプライズを仕掛ける番だ。


 映画はジャンル分けするなら恋愛ものに入るのかも知れないが、慎吾を退屈させないためかアクションも適度に入っているものだった。ヒロインとヒーローがクライマックスで互いの想いを確かめ合うシーンに差しかかったところで、真剣な顔で観ている亜衣子の膝の上に置かれた手をそっと握ると、亜衣子の身体が目に見えてぴくりと反応した。ほんの一瞬、慎吾のほうを見たのが気配でわかったが、慎吾は素知らぬ顔をしてスクリーンから視線をそらさなかったので、亜衣子もすぐに視線を前に戻す。平静を装ってはいるが、恐らく内心は焦りまくっているであろうことが、先刻より確実に体温が上がっているその手を見れば明らかだった。ほんとうに、可愛くて仕方がない。


 映画の後は、適当なところで食事を摂って────門限の都合上、あまり凝ったところに予約ができなかったのだ。それも考えて、亜衣子は映画と答えたのかも知れないと慎吾は思う。自分のために、慎吾に無理をさせないように────そのへんの店をいくらか見て回ってから、亜衣子の家に向かって並んで歩きだす。


 亜衣子の家のそばの、例の公園の近くまでやってきたところで、慎吾は「ちょっと寄ってみないか」と提案してみた。夏のあの頃と違って夕刻をだいぶ過ぎたいまごろは、既に辺りはかなり暗くなっていて、子どもも帰ってしまった後の公園の中には誰もいない。快諾する亜衣子の手を引いて、中のベンチに並んで腰を下ろす。思い出すのは、あの、夏の夜のこと。


「─────あの時さ」


「え?」


「あの、夏の夜さ。ここで並んで座ってた時、俺もう死んじまうんじゃないかっつーぐらい心臓がバクバク言ってたんだよな」


「わ…私も」


 辺りは暗いけれど、すぐそばで座っている亜衣子の顔が真っ赤に染まっているのは安易に見てとれた。


「あの時は、本気で自分は病気になっちゃったのかと思っちゃったもの……いまでもときどき夢に見るの。あの時の慎吾さんの言葉はホントに幻聴だったっていう、怖い夢」


 いまは、お守りがあるから大丈夫だけど。


 そう続けながら、亜衣子は服の中から胸元のネックレスを引きだしてみせた。自分と同じように、大事に身につけてくれているのかと思うと、胸の中が幸福感で満たされていく。


「ならもうひとつ、もっと強力なお守りをあげようか」


「え?」


 上着のポケットから例の包みを取り出して、そっと亜衣子の手の中に握らせる。


「これって…!?」


「開けてみな」


 亜衣子の細い指が、躊躇いがちに包みを開けていくのを黙って見つめながら、ベンチの背もたれに片腕を乗せて体重をあずける。やがて中身を確認した亜衣子が慌てたようにこちらを見るのを、楽しく思う心のままに笑みを浮かべて、口を開いた。


「誕生日おめでとう。それ、プレゼント」


「映画でいいって言ったのに…!」


「俺も『遠慮はなしな』って言ったよな?」


 そう言ってやると、やはりそういうつもりだったらしく無言のままで俯いてしまった。


「…まあ、謙虚なところも亜衣子のいいところだと思うんだけどさ。甘えていい時は遠慮なく甘えてほしいんだよな、男としては。あ、ちなみにそれ亜衣子のサイズに合わせてあるから、返品は不可な」


「何でサイズまで知って…っ」


「藤原さんに訊いた。いやー、先輩想いの後輩を持つと幸せだよな、お互い」


 言いながら、驚きのあまり声も出せないでいるらしい亜衣子の手の中のケースから指輪を取り出して、そっと取った亜衣子の右手の薬指にはめてやる。


「いつか……左手の薬指用には別に買ってやるから、それまでの予約な」


 どうしても気恥ずかしくて、視線はそらしてしまったが、これだけはちゃんと言わないとと思い、全身全霊の勇気を奮い立たせて言い切った。亜衣子に関することだけは、絶対に逃げないと……誰にも譲らないと、他の誰でもない自分自身に誓っていたから。あの五年間も、忘れようとしても忘れられなかったけれど、互いの想いが通じたいまとなっては、もう二度と亜衣子を手放す気などなかった。


 そんな想いを胸に、亜衣子に視線を戻した慎吾は、亜衣子の瞳からぽろりとこぼれた透明な雫を見て、たったいままでの固い決意などどこへやら、頭の中が真っ白になってしまった。


「あっ 嫌だった、とか─────?」


 不安が、見る見るうちに心にわき上がってくる。とたんに自信のなさが表れてしまった声に、両手で口元を覆った亜衣子がふるふると首を横に振って……やがて、消え入りそうな声で「違うの…」と答えるのが聞こえてきた。


「嬉しくて……だけど、ほんとうに私でいいのかなって自信もなくて…………」


 いまだ涙の止まらない亜衣子の華奢な身体を、ぎゅ…っとその両腕で抱き締める。


「亜衣子じゃなきゃ、ダメなんだ─────他の誰でもない亜衣子だから、俺は好きなんだから。だから。『自分なんて』なんて絶対に言うな。自信なんか、俺だってないさ。だけど亜衣子が俺を必要としてくれるから。俺の名前を呼んでくれるから、俺はどこまでも強くなろうと思えるんだ──────」


 それは、まぎれもない本気。生きていれば辛いことも苦しいこともあるけれど、亜衣子がいるから頑張れる。亜衣子がいるから、諦めないでいられるのだ。胸の中から、「ありがとう……」というささやきが聞こえてきたのは、決して気のせいではないだろう。


 あとはもう、言葉は必要なかった…………。




──────名前を呼んでほしい。誰でもない、君の声で。君が誰でもない自分の名を呼んでくれるなら、自分はきっと、誰よりも何よりも強くなれるから。君のその声が、自分に力を与えてくれるから…………。

ついに、本編最終話です。

慎吾も最後の最後で、やっと締められたようです。このふたりはどこまでも、ふたりのペースでゆっくりと進んでいくのでしょう。じれったいふたりに最後までつきあってくださり、感謝感謝です!

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