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Call my name-心に響く声-  作者: 橙子
慎吾編
20/37

言えない想い


 それから一週間ほどは何もなく。慎吾も、普段通りの生活を過ごしていた。これまでの二年間は、一度も逢わなくても平気────ほんとうはそうでもなかったが────だったのに、一度再会してしまったら、たかだか一週間彼女の姿が見られないことが淋しくて。用もないのに実家方面に向かう電車に乗ってしまおうかと思ったことも、一度や二度でもない。電車に乗ったからといって、逢える保証なんてまったくないけれど。


 だから、滅多に活動しないサークルの飲み会に誘われた時は、気晴らしも兼ねてつい参加してしまった。普段はそんなに積極的に参加しないのだけれど。「未成年のうちは酒を飲むな」と厳命を言い渡していた祐真まで、「酒を飲まなきゃいいんスよね?」とくっついてきたのには少々驚いてしまったが、深く考えずに大学の最寄り駅前の居酒屋に皆で入った。久しぶりの飲み会だったせいもあって、少々ピッチが早かったらしく、いつもより早くトイレに行きたくなって、トイレの出入り口から出てきた時には驚いてしまった。あんなにも逢いたくて仕方がなかった彼女が、数メートル先の通路で友人らしき女性二人と共に小声で話していたからだ。


「ちょっとこれ、どういうこと!? 女の子だけの飲み会じゃなかったの!? 何で男の人たちがいるのっ!?」


「まあまあ、落ち着いて、亜衣子」


「黙って連れてきたのは悪いと思うけどさ、実は一人急に来れなくなっちゃって、どうしてもピンチヒッターが見つからなかったのよ」


「あんたには例の好きな人がいるのは知ってたけどさ、とりあえず今回だけでいいから、お願い、つきあって!」


「えっ えええええっ!?」


「言いづらいけどさ、互いに両想いならともかく、まだ片想いでしかも実るとは限らないんでしょ? もしかしたら、この機会にもっといいひとがいるかも知れないじゃん」


 とたんに泣きそうな顔になる彼女を、友人たちが必死に慰めている。その表情を見て心を痛めると同時に、もしかして以前言っていた相手を現在もまだ好きなのかと思い、心の奥底で暗い炎が燃え始めるのを自覚する。嫉妬は醜いと、誰よりもよくわかっているのに。


「あっ 亜衣子、泣かないでよ~っっ」


「そうそ、人生どこに出逢いが転がってるかわからないんだしさ、普通の飲み会だと思って気楽に行こうよ、ね?」


 二人の労わるような声に、亜衣子もようやく笑顔を見せて。こくりとうなずいた。


「じゃ、席に戻ろうか」


「うん…」


 その後ろ姿を眺めていた慎吾は、彼女たちの戻っていったテーブルに、見覚えのある男たちが座っているのを見て、愕然とする。先刻の彼女の反応からして、彼女が何も知らずにいわゆる合コンの席に連れ出されたことは明白だ。万が一にも、他の男とでもまとまってしまったらどうしようと気が気でなくて、自分の座っていた席に戻ってからもちょくちょくあちらを気にしていたせいで、仲間の話をろくに聞いていなくて何度も聞き返すという醜態をさらしてしまった。心なしか彼女は大して楽しそうにしているように見えなくて、ホッとすると同時にその場からさらってしまいたいという衝動に耐えるのに精いっぱいで、酔いが回るどころではなかった。


 そのうちに、あちらのテーブルはお開きの様相を呈してきて、亜衣子がホッとしたような表情を見せたのを見て、こちらもホッとする。どうやら彼女にとっては苦痛でしかなかった時間だったようだ。しかし、安堵したのも束の間、新たな問題が発生していた。


「亜衣子ちゃーん、二次会のカラオケもちろん行くっしょー? 綺麗な歌声、是非聞かせてよ~」


 明らかに酔っぱらった、先刻まで彼女の目前に座っていた男が、彼女の細い手を半ば強引に掴んでいた。


「い、いえ、私はもう帰りますのでっ」


「そんなこと言わないでさあ、いいじゃん、もうちょっと~」


「ごめんなさい、家が厳しいのでっっ」


 明らかに嫌がっているような表情で亜衣子は懸命に手をはらおうとしているが、男も意地になっているのか手を放す様子はない。


「ちょっと、やめなさいよっ」


「そうよ、亜衣子嫌がってんじゃんっ」


「え~?」


 亜衣子の友人たちも制止しているが、男はまるで意に介していない様子だ。それにはさすがに腹が立って、とっさに駆け寄ろうと思ったが、ここで自分が出てはよけいにややこしいことになりかねないと思い、すぐそばにいた祐真の腕を引っ張って、「あっちを見ろ」と半ば無理やり目前の光景を見せつける。すると祐真は何も言わず、即座に靴を履いて走り出した。やはり、たったひとりの姉が大事だったのだなと思い、安堵の息をもらす。


「すんませんね、先輩。うちの姉貴すげー内気なんで、勘弁してやってください」


 相手は祐真にとっては上級生であるし、もしも祐真が場をおさめられなかったら自分が出ていくつもりでいつでも立ち上がれるよう体勢を整えるが、さすがに剣道部で三年間鍛えられた高校時代は伊達でなかったらしい。祐真の気迫に気圧されたのか、男は不承不承といった感ではあるが、意外にあっさりと退いて店を出ていってしまった。


「ホント、ありがと祐真。もうどうしていいかわからなかったの」


「いいってことよ、姉ちゃんにはさんざん世話になってるしなっ たまには恩返しもしないと。それよか姉ちゃん、気分直しに俺たちのテーブルに来なよ。こっちはみんな気のいい連中ばっかだからさ」


「えっ ちょ、ちょっと待って!」


 まさか祐真が、そのまま彼女をこちらの座敷に連れてくるとは、予想外の出来事だったが。その上、


「少しでも知ってる人のそばのがいいだろ」


 そう言って祐真が亜衣子を座らせたのは、何と慎吾の隣だった!


「こ、高坂くんっ!?」


 彼女も自分がいることには気付いていなかったのか、驚愕の声を上げる。慎吾自身も、驚きのあまり声も出せなかった。


「何だよ、高坂、笹野の姉さんと知り合いなのか?」


「高校三年間、同じクラスだったんだよ」


「なんて言って、実は彼女とかだったりしてなっ」


「ちっげーよ、ばーか」


 照れ隠しもあって、つい乱暴な口調になってしまう。亜衣子が彼女だったなら、どれだけ幸せな高校生活であったろう。いまさら言っても栓ないことだけれど。


「じゃ先輩、姉ちゃんのお守りは頼んます。おーい、川崎ーっ 今日教授に言われたレポートなんだけどさーっ」


 言うが早いか、祐真はさっさと他の後輩の元へ行ってしまった。


 ちょっと待て。ふたりきりでも困るけど、こんな、下手にボロを出したら秘めた想いまで彼女の前で暴露されそうなところで、彼女をまかされても困るだろうが!


 内心で叫んでみても、祐真に届くはずもなく。気まずい雰囲気が、慎吾と亜衣子の間に流れる。


「きょ…今日のこれは、何の集まりなの?」


「一応サークルの…なんだけど、大して活動してないんだよな。まあ、バイトするのに都合がいいから、つきあいで入ったようなものだけど」


「そうなんだ……」


 ああやっぱり、会話が続かない。どうしたものかと考えあぐねていたところで、他の男どもが興味津々といった表情を隠しもせずに、一斉に彼女に話しかけ始める。彼女の身体が一瞬強張ったのがわかった。まあそうだろう。ただでさえ男慣れしていないところに、こんな男だらけの席に連れてこられれば、緊張するなというほうが無理な話だ。


「てめーら、いっぺんに話しかけんなっての。笹野が混乱してるだろうがっ」


「何だよ高坂、てめーマネージャーかよっ」


「身内に頼まれてんだから、当然だろ」


 最強の大義名分を与えてくれた祐真に、慎吾は心の底から感謝した。まさに水戸黄門の印籠の如く、たいていの奴らは渋々とだがそれで退いてくれるからだ。けれど、そんな自分の隣で、亜衣子が何を思っているかなど気付くこともなかったから、唐突に見せられた涙に何も考えられなくなるほどに驚いてしまった。


「お酒ってあんまり飲まないから、悪酔いしちゃったのかも」


「そ、そうか、気をつけろよ」


 ハンカチで涙を拭う亜衣子に戸惑いながら、慎吾はそれだけ答える。ハッキリ言って、心臓に悪いったらない。


 亜衣子の涙など初めて見たから─────否、高校時代の合唱部の発表で、彼女がソロをまかされて歌った部分が校内でも評判となって、学校中から絶賛された時に見た嬉し涙と卒業式の時の涙以来か。とにかくそれぐらいしか彼女の涙など見たことがなかったから、免疫のない慎吾には戸惑うことしかできなかった。そして思う。やはり、嬉しい時や感動した時以外の彼女の涙は見たくないなと。実際には無理だろうけれど、彼女の心に憂いや悲しみを与えるものすべて、取り除いてやりたいと。


 それから、一時間かそこらで飲み会はお開きとなって、亜衣子は祐真と共に祐真のアパートへと帰っていった。自宅に電話したら、そのほうがよいだろうと言われたと祐真が言っていた。ご両親にしてみたら、こんなに遅くなってから家に帰るより、息子のアパートに泊まるほうが安全だと判断したのだろう。


「迷惑をかけてごめんなさい」


 小さな声でそれだけ言ってから、彼女は帰っていった。いつも以上に慎吾の顔を見ないようにしているように見えたのは、果たして気のせいだろうか。彼女の行動を、慎吾が迷惑に思ったことなど、一度もない。むしろ、彼女に関わることができるなら、どんなことでも構わないぐらいに思っているほどだ。口に出して告げなければ、何事も伝わるはずがないことはわかっているけれど──────。




          *     *     *




 それからしばらくは、また彼女に逢えない日が続いて。昼間時間がある時は、つい祐真のアパートの部屋のベランダを見てしまうのが癖になってしまった。彼女が来ているならば、きっと洗濯物や布団が干してあるはずだから。自分でも、女々しい男だとわかってはいる。こんな行動、一歩間違えればストーカーと何ら変わらないということも。道を歩いていて、長い黒髪の女性を見かけるとつい振り向いてしまって。そうして、彼女との差異を見つけては彼女でないことに失望して、再び歩きだすという不毛な行動に走ったりもした。


 そんなに逢いたいのならば、とっとと想いを伝えろと告げる自分も内心にはいて。もしかしたらうまくいくかも知れないだろうと甘い誘惑をかけてきたりもする。けれど、もし友達以上に思われていなかったら?とささやく自分もいたりして、慎吾の心は混乱する一方だ。もしも友達以上の感情を持たれていなかった場合、慎吾の告白は彼女にとって迷惑以外の何物でもなくて、もしかしたら、現在のとりあえず普通に話せている関係さえ失ってしまうかも知れないと思うと、恐ろしくて行動に出ようという気になれなくなるのだ。誰よりも大切で愛しい彼女だから。たとえ元クラスメートで、弟の親しい先輩というポジションでもいいから、そばにいたいと。話がしたいと。笑顔が見たいと。そう結論づけてしまう自分がいて、情けないことこの上ないと自分でも思ってしまうのだ。


 そんなことばかり考えていたから、連日見る夢は彼女のことばかりで。それも、高校時代のとりあえず毎日逢えていた頃の夢ばかりで、自分でも現実逃避だということはわかっている。けれど、後ろ向きにばかりなっていく自分自身は止められなくて、つい想い出に浸ってしまうのだ。


 そういえば、彼女は練習ばかりでなくて、試合もよく見に来てくれていたな。


 もちろん、学校や自分の部活のない時に限るが。そして、部活仲間の渡部の彼女のつきあいだということも、重々わかってはいたが─────。


 それでも彼女が来てくれた時は嬉しくて、自分でも単純だと思うが、いつも以上の実力を発揮してしまったりして。礼を言いたくても言えない日々が続いていた。その代わりといっては何だけど、合唱部の発表会の時には、今度は自分が渡部につきあうふりをして見にいくという姑息な手段を使ったりもした。何人もいるソプラノ担当の少女たちの中から、彼女の声だけを聴き当てるという、他に何の役に立つんだという特技など会得したりして、自分でもバカみたいだったなと思う。


 考えれば考えるほど坂道を転がるように際限なく沈んでいって、ドツボにはまっていくのが自分でもわかる。もうどうしていいかわからなくて、気付いたら学校もバイトもない休日に、電車に乗って実家の最寄り駅にやってきている自分がいた。ほんの数カ月帰ってこなかっただけだというのに、もうずいぶん帰っていなかったような気がして、何だか懐かしい。実家へ電話することも帰ることも忘れ、高坂が向かったのは通っていた高校だった。たかだか二年前に卒業したばかりだというのに、もう何年も離れていたような懐かしさを覚え、胸が熱くなる。休日だからか校門も固く閉ざされていて、中には入ることもできない状態だったけれど、校舎と剣道場だけは外から見ただけでもありありと中を思い出せて。慎吾は、しばしの間独り想い出に浸っていた。


 亜衣子と三年間共に通ったそれぞれの教室、亜衣子の入っていた合唱部の部室でもあった音楽室、自分の入っていた剣道部の部室や道場……そのどれもに忘れがたい想い出がたくさん詰まっていて、どんなに小さな出来事でも、忘れずにいたいと思う。たとえ亜衣子と離れることがあったとしても、いま彼女を愛しく想うこの心だけはまぎれもない真実だから。これから先、何があっても、手放したくないと思う。それさえあれば、たとえ彼女が別の男のものになってしまったとしても、きっと自分は生きていけると思うから。


 その気持ちだけを強く確認して、慎吾は高校を後にした。


 その翌日のバイトの時間。店長に確認する必要がある仕事を思い出した慎吾は、レジを祐真ともう一人のバイトの少女にまかせて、バックヤードへと向かう。事務室のドアをノックしようとした瞬間、中から聞こえてきた賑やかな笑い声に気圧されて、控えめにノックをしてからドアを開ける。


「あら高坂くん」


 少し前に時間になって上がっていった、パートの中年女性たちだった。


「何ごとですか? ずいぶん賑やかですね」


 店長に確認してもらうための書類を渡し、女性たちに問いかける。


「いや、いまねえ、もし時間を戻せるならいつに戻りたい?って話してたのよ。高坂くんなら、いつ頃に戻りたい?」


「あらまだ若いものねえ、そんなことないわよねえ」


「そうでもないですよ」


 反射的に返していた答えに、女性たちが目を丸くする。


「できることなら……高校一年ぐらいに戻りたいですね。たとえフラレたとしても、すぐに忘れられたあの頃に──────」


 それは、慎吾の偽らざる本音。亜衣子を想う気持ちをずっと抱いていたいと思う心も、真実。だけど、まだここまで好きになる前の……ただの淡い想いで済ませられたかも知れないうちに、想いを告げてしっかりフラレていれば、いまになってこんなに苦しまないで済んだかも知れないと思う気持ちも─────また、真実。矛盾していると自分でも思うけれど、もしもあの頃からやり直せれば。いまとは違う未来が待っていたかも知れないと思うと……どうにもやりきれない気持ちがあふれてくるのだ。


「何かわかんないけど……若いのに、苦労してるのね」


 女性たちがしみじみとした表情で呟く。それに、自嘲を多分に含んだ微笑みで応えながら、ふと思ったことを口にする。


「あ。いま言ったことは、絶対祐真には言わないでくださいね。あいつ変なとこで勘が鋭いから、全部バレちまいそうで」


 そう。普段は抜けまくっているように見えるくせに、姉に関することについては妙に鋭い時がある祐真だから。そんなことを言ったが最後、いままで必死の思いで隠してきた気持ちまで全部悟られてしまいそうで、怖いのだ。


「あ、うん……何のことかわかんないけど、わかったわ」


 店長は何かを察したのか、何も言わない。さすがに自分の倍は人生経験を積んでいるような人は、他人の気持ちを思いやることにも長けているのだろう。その優しさが、いまは胸に深く染みいる。感謝の気持ちを込めて、慎吾は深々と頭を下げた。


 事務室の扉の前で、祐真が何も言わないままで立ち尽くしていたことに、まるで気付かないままで…………。

やはり、何事も言葉にしなければ何も始まりません…。

果たして慎吾は、前を向いて歩きだすことができるのか。

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