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Call my name-心に響く声-  作者: 橙子
亜衣子編
13/37

想い、重ねて

「俺は、笹野が好きだ。五年前の……春からずっと──────」



 高坂の瞳をまっすぐ見上げながら、亜衣子はぼんやりと高校一年の頃のことを思い出していた。


 高坂を初めて意識したのは、いったいいつのことだっただろう…? ああそうだ、同じ合唱部で仲良くなった結花につきあって、自分たちの部活が終わった後に剣道部の練習を見学に行った時……たまたま見ていた打ち合い────後で結花に聞いたところによると、経験者である新一年生の腕試しを兼ねた上級生との打ち合いだったそうだ────で、亜衣子は初めて見るようなすさまじい気迫を放ちながらの攻防の果てに負けた一年生が、その後上級生や顧問に褒められているのに笑顔すら見せずに礼を言いつつ、まだまだ高みに行きたいのだと強い瞳と声で言いきったあの時。一瞬で恋をしたのだ、あのまっすぐな声と瞳に!


 えっと、そうじゃなくて……いま、高坂くんは何て言ったの? 「好き」って…誰を……?


 自分は夢を見ているのかと、亜衣子は思った。こんな都合のいい夢なら、五年間何度も見た。それこそ自分でも呆れ返るほどに。そうして目が覚めてから、意思表示のひとつもしたことのなかった自分を思い出し、自己嫌悪に陥るのだ。


「あ……」


 ほとんど無意識に発した言葉に、高坂の身体がぴくりと反応する。


「あたし、ついに起きながら夢を見るようになっちゃったみたい……だってこんなこと、現実であるはずないもの」


「笹野…?」


 自分の両頬を手のひらで包みながら、亜衣子はひとりごとのように呟く。


「高坂くんがあたしを…なんて、恋愛映画や少女漫画の見過ぎだわ、やだどうしよう、こういうのって何科のお医者さんに行けばいいのかしら」


 自分でも、何を言っているのかわからなくなっている。


「笹野? 何を言ってるんだ?」


 高坂の声も、耳に入らない。


「五年もウジウジ悩んでたから……こんなことになるんなら、さっさと覚悟を決めて玉砕しちゃえばよかった……」


「亜衣子!」


 唐突に名前を呼ばれて、思わずびくりと身をすくませたところで、ぐいと片方の手首を掴まれて引っ張られて……ふいに全身が温もりに包まれる。抱き締められていると気付いた瞬間、耳元で聞こえる、低く優しい声。


「夢じゃ、ないから。俺は現実にここにいて……ほんとうに、お前のことが好きだから、だから」


 そうして、両肩を優しく掴まれて身を離されて、真剣な瞳の高坂にまっすぐに見つめられたその時、亜衣子の心にようやく現実だという実感がわいてきて……。


「うそ……」


「嘘じゃない」


 つい口をついて出た言葉に、瞬時に返る否定の言葉。涙が、瞳にあふれ始める。


「俺は、お前が好きだ。お前は? 俺のこと、どう思ってる……?」


 頬を包むのは、大きくてあたたかい手のひら。涙で滲みながらも瞳に映るのは、誰よりも大好きなひとの優しい微笑み…………。


「──────好き」


 一度あふれだした想いは、もう抑えきれなくて…………。


「五年前からずっとずっと……高坂くんだけが好き───────」


 もう、平静でなんていられない。涙声で聞きとりにくかっただろうに、高坂にはちゃんと通じたようで、涙と同じく震えが止まらない身体を、その広い胸に抱き締めてくれる。この間は思いもしなかったけれど、今度は震える両腕を高坂の背中に回して、そっとその背の服地を両手で掴む。


「やっと…つかまえた」


 高坂の心底ホッとしたような声が、耳をつく。


「よかった……何度も諦めかけたけど、諦めきれなくて。そのたびに『女々しい奴』って自分で自分を嘲笑ってたけど。諦めないでいて、ほんとうによかった…………」


 その言葉に、涙がますます込み上げてくる。


「…あたしも……こんな自分が好かれる訳なんてないって思ってて……なのに諦めきれなくて。祐真と中身だけでも入れ代わりたいって何度も何度も思ったりして…………」


「いや、祐真と代わられたら、俺が困るなあ」


 本気で嫌そうな声で言う高坂に、亜衣子は思わずクスリと笑ってしまう。まさか、高坂とこんな会話ができる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。だけど、いま自分の身体を抱き締めてくれる温もりは夢じゃなくて。耳元で聞こえる優しい声は、他の誰でもない高坂本人のもので…………。


「ずっと…諦めなきゃって思ってて……でもできなくて。自分じゃろくに声もかけられないくせに、いつも結花ちゃんや祐真を隠れ蓑にして未練がましいって自分でも思ってたのに…………」


 高坂の胸に顔をうずめながら、自嘲的に呟く。


「諦めないでいてくれて……ありがとう───────」


 優しい声が、まるで乾いた土に水が染みいっていくように……亜衣子の心に染みいっていく。もう、涙が止まらない。


「…待っていてくれて……ありがとう───────」


 どのくらいそうしていたのか。亜衣子にはわからなかったけれど。長い沈黙の後、高坂が呟くように言った言葉でハッとする。


「…ごめん。何か俺、いつもお前のこと泣かせてばっかりだ」


 申し訳なさそうな声に、ほとんど反射的に否定の言葉を口にする。


「そ…そんなことないわっ だってほとんど嬉し涙だもの。それを言ったらあたしだって、また高坂くんのシャツをぐしゃぐしゃにしちゃって……ごめんなさい…………」


「構わない。誰でもない亜衣子の涙なら、いくらだって」


 亜衣子を抱き締める腕を緩めないまま、高坂が何も気にしていないような声で答える。


「それより。もう、名字呼びはやめてほしいな。名前で…『慎吾』って呼んでくれないか。俺も、『亜衣子』って呼びたい。ずっとずっと……そう呼びたかった」


 先刻までは全然気にならなかったのに、「亜衣子」と呼ばれるたびに身体の奥底からかあっと熱くなる。


「ちょ…ちょっと、待ってて……」


 高坂の胸にそっと両手をついて、顔を下に向けながら身を離す。いまの自分はきっと、ひどい顔をしているに違いないから。とてもではないが、高坂にそんな顔は見せられない。素早く背中を向けて、ミニトートを手に取って、振り返らないままで告げる。


「お、お願いだから、私がいいって言うまでこっちを見ないで。こんな顔見られたら、私もう死んじゃう……」


 お嫁に行けないとかそういう以前に、いまの顔を見られるぐらいなら死んだほうがマシだと亜衣子は真剣に考えてしまった。その気持ちは高坂にもちゃんと伝わったようで、背後から優しく頭を撫でられる。


「わかった。俺はここであっちを向いて待ってるから」


 くるりと高坂が背を向ける気配。それに気付くと同時に、亜衣子は記憶の中にある水道の位置へと早足で歩き始めた。


 どうして高坂の前ではいつもこうなってしまうのだろう? 大好きなひとには、いつもとびっきりの笑顔を見せたいのに。まだ信じられないけれど、両想いであるのなら尚更だ。手早くティッシュで顔を拭いてから、水で洗ってハンドタオルで水滴を拭き取る。泣きはらした目はどうしようもないけれど、とりあえずこれで何とか体裁は整ったはずだと思い、こちらに背を向けたままの高坂の背後にゆっくりと戻る。


「…………」


 広い、がっしりとした大きな背中。祐真もスポーツばかりやっていたからがっしりしているほうだと思うけれど、祐真のそれとは全然違って見える……大好きなひとの背中。ミニトートを再びベンチの上に置いて、ゆっくりと手を伸ばして背後から腹部に回してそっと抱きつく。ずっと、こうしてみたかった。


「もう、そっち向いていいのか?」


 嬉しそうな高坂の声に、何だか気恥ずかしくなって、思わず「ダメ」と答えてしまう。


「何で?」


「目がきっと、充血とかしてすごいことになってるから」


「…亜衣子なら、どんな顔してても俺は平気だけどな」


 半ば強引にくるりと振り返ってこられて、片手で腰をとらえられ、もう片手で片方の手首を掴まれてしまう。真正面から高坂の顔を見た瞬間、自分の顔が一気に紅潮していくのがわかった。


「や…ダメって言ったのに……」


「大丈夫。そんな顔も可愛いから」


 こつん…と額同士をくっつけられて、亜衣子はもうどうしていいかわからなくなってしまった。高坂とは、こんな性格だったか? 恥ずかしくて仕方がない。


「あんまり可愛いから……離したくなくなる…………」


 高坂がささやくように言った直後、背後に置いたミニトートの中から自宅専用の着メロが鳴り響いたので、亜衣子はもう飛び上がらんばかりに驚いた。


「ご、ごめんなさい、家から電話…多分母だわ」


 高坂から慌てて離れて電話に出る。


「はい」


『あ、亜衣子? お父さんがね、もう帰るって言ってタクシーに乗ったらしいから、もうそろそろ帰ってきなさい。お父さんが家に着くまでに帰ってなかったらマズいわよ』


「あ、はい、すぐ帰るわ」


 通話を切って高坂を振り返り、名残惜しいけれどいま聞いたばかりの事柄を告げる。


「ごめんなさい……」


「亜衣子が謝ることじゃないよ。俺が、我慢しきれなくて突然来ちまったのが悪いんだから。さ、家まで送るから。帰ろう」


 空き缶をゴミ箱に捨ててきた高坂が差し伸べてくれた手をそっと取って、寄り添ってゆっくりと歩き出す。ずっと、夢見ていた。高坂と、手をつないで歩くこと。だけどこれは、夢じゃない。


 どうしよう。明日の朝起きて、今夜のこと全部夢だったりしたら……。


 あまりにも唐突に幸せがやってきたせいで、現実だと認識しきれない。やがて、もともと近いせいもあって、あっという間に家の前に着いてしまった。だけど、どうしても手を放すことができない。


「…………」


 高坂も同じ気持ちなのか、そっと顔を見上げた亜衣子を優しい瞳のまま見つめ返している。何だか気恥ずかしくなってそっと視線を伏せたところで、視界に飛び込んでくるのは、ついさっき自分の涙でぐしゃぐしゃにしてしまった高坂のTシャツ。


「あ……ちょ、ちょっとここで待っててくれる?」


 言いながらもう一度見上げると、高坂は優しく笑みを浮かべて頷いた。名残惜しさを感じながらそっと手を離して、家の玄関を開けて二階へと駆け込んでいく。


「亜衣子? 帰ったの?」


「あ、うん。ごめんなさい、遅くなって」


 言いながら、いまは主のいない祐真の部屋に入り、タンスの引き出しを開けて適当なシャツを取り出し、階段を駆け下りる。母親のサンダルをつっかけて、再び玄関の外に出ると、高坂が少々驚いたような顔で見返していた。


「あの…また、シャツぐしゃぐしゃにしちゃったから……また祐真のシャツで悪いんだけど、これに着替えてそれ洗わせてくれる?」


「あ、いや…シャツはありがたく貸してもらうけど、洗うのは持って帰って自分でやるから、大丈夫だよ」


 亜衣子の差し出すシャツを受け取りながら、何も気にしていないような顔で高坂は答える。


「でも…!」


「遠慮とかじゃないから、気にするな。祐真もいないのに、知らない男物の服が洗濯物の中に混じってたら、親父さんがびっくりしちまうだろ?」


「あ……」


 言われてみれば、そうかも知れない。


「で、俺いまここで着替えちまうけど……何だったら、全部見てるか? 俺は全然構わないけど」


 いままで見たことのないようないたずらっぽい笑顔で言う高坂に、言葉の意味を正確に把握した亜衣子の顔が、一瞬にして火山が噴火するかのごとく紅潮する。


「も、もう、ばかっ」


 くるりと振り返って、みずからの頬に両手を当てると、自分の顔がとんでもなく熱くなっているのがわかる。高坂に、こんな一面があるなんて、考えたこともなかった。想い出の中の高坂は、いつでも凛としていてまっすぐで────もっともそれで幻滅してしまうほど、亜衣子の想いも薄っぺらいものでもないので何の問題もないけれど────あまりの意外性に、驚きを隠せない。


「…終わったよ。じゃこれ借りてくな。洗ったら祐真に返せばいいかな」


「あ、うん。そうだわ、ちょっと待って」


 再び家の中に入って、適当なナイロンバッグを取ってくる。


「脱いだ服、これに入れていって。袋は返さなくて構わないから」


「ありがとう」


 それを受け取って、中に服を入れていた高坂が、いまやっと気付いたかのような顔をして亜衣子を見返してきた。


「どうしたの?」


「俺……一番言わなきゃいけないことばっか考えてて、もう一個言わなきゃいけないこと忘れてた」


「?」


 ナイロンバッグを片手首にひっかけて、両手で亜衣子の手を握ってきたので驚いてしまう。


「これから…祐真とは関係なしに、亜衣子個人として俺個人とつきあってほしい。友達としてなんかじゃなく……ちゃんと、恋人として」


「!! ……はい…よろしくお願いします…………」


 驚いたけれど、考える間もなくそう答えを返していた。次の瞬間、高坂の顔がこれ以上ないというほどにほころんで。高坂のそんな無防備な顔を見たのは、亜衣子は初めてだった。


「じゃあ……『慎吾』って呼んでみてくれないか?」


「え…っ」


「頼む」


 だから、その直後に真剣な顔で言われたら、とても断れなくて…。


「し……しん…」


 震える唇で頑張って言おうとするのだけど、それ以上は声にならなくて。


「しん……」


 高坂に期待に満ちた瞳で見られているのもわかっているのに。


「だ、だめっ やっぱり恥ずかしくて言えないっっ」


 ほんのついさっき、一生分の勇気を振り絞る覚悟で想いを打ち明けたばかりなのに、そこまではとても言葉にできなかった。昔よりはかなりマシになったとはいえ、もともと内向的な性格の亜衣子には高過ぎるハードルで、高坂もそれはわかっているのか一瞬だけ残念そうな表情を見せたが、すぐに優しい微笑みを浮かべて、そっと亜衣子の手を放してその頭を優しく撫でてくれる。


「…ごめん。ちょっと、焦り過ぎちゃったみたいだ。五年も待ったんだから、こんなところで急ぐこともないよな。俺たちらしく、ゆっくり行こう。な」


「ごめんなさい…できるだけ早く、呼べるようになるから……もう少しだけ…もう少しだけ待ってて…………」


 それだけ言うのが精いっぱいだった亜衣子の前髪を、高坂はふいに持ち上げて。額にそっと唇を押しあててきた。亜衣子は、何が起こったのか一瞬わからなかった。


「じゃ、それは宿題ということで。ちゃんと呼べるようになる日を、楽しみに待ってる」


 楽しそうにそれだけ言ってから、高坂は一、二歩後退して。


「いい加減にしとかないと、親父さんも帰ってきちゃうだろうし、俺も帰るな。またそのうち……今度は祐真たちも抜きで、ふたりっきりでどこか行こうな」


「あ、うん…」


「じゃ、おやすみ」


「おやすみなさい…………」


 そのまま門から出て、最初の曲がり角を曲がるまで何度も振り返っては笑顔で手を振る高坂を、亜衣子は門扉の所からずっと見送って。高坂の姿が完全に見えなくなるまで、小さく手を振り続けていた。


 いま…自分は高坂に何をされた? それを認識した瞬間、顔が再び一気に紅潮するが、手で一生懸命扇いで何とかクールダウンさせてから家の中に戻る。つっかけていたサンダルを脱いで中に上がったとたんに母親が立っていたのでどきりとするが、焦りつつも何とか平静を保ちながら「ただいま」と告げつつその脇を通り過ぎようとした…のだけれど。


「確か……『慎吾先輩』って名前の、祐真が高校の頃すっごく慕ってた先輩がいたわよねえ。お姉ちゃんと同じ年の男の子だったかしら?」


 ほんとうに単なる世間話のように何気なく言われたので、意味を完全に理解するまでに数瞬かかってしまった。


「今度、うちにご招待なさいな~。お母さん、はりきってご馳走作っちゃうわ~♪」


 いまにも踊り出しそうなほどの浮かれた足どりでリビングのほうに去っていく母の後ろ姿を見つめながら、亜衣子は今度こそ堪えきれずに、完全に顔を噴火させてしまった…………。

ようやく届いた、互いの想い……。

五年分の想いが重なった時、どれほど強い絆が生まれるのか。

ようやく、ふたりのスタート地点です。

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