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Call my name-心に響く声-  作者: 橙子
亜衣子編
12/37

真夏の夜の…

 アパートに着いて、亜衣子が主導となって三人で夕飯を作り始めながら、話を聞いていた祐真の顔から次第に余裕がなくなっていき。ついには憤怒の表情になって、すさまじい勢いで部屋から飛び出して行こうとするのを、高坂が即座に全身を使って止めた。とてもではないが、亜衣子には制止の言葉ひとつ発することのできない迫力だった。まさかここまで怒るなんて、亜衣子自身でさえ思ってもみなかった────後で高坂に聞いたところによると、兄弟として当然のことらしいが。


「待て祐真、落ち着けっ!」


「これが落ち着いていられますかっ あんにゃろ、ブッ殺してやるっ!!」


「その必要はないっ 俺がお前の分もぶちのめしておいたからっ」


 高坂がそう答えたところで、祐真の突進もようやく止まり、真剣な顔で自分の身を引き止めていた高坂を振り返った。


「……マジっスか? マジで思いっきりぶん殴ってくれたんスか?」


「ああ、あんまり頭にきたんで、つい我を忘れて……途中で正気に戻らなかったら、病院送りにしてたかも知れない」


 珍しく自嘲気味に言う高坂に、さすがに祐真も驚いたらしく、先刻までとは打って変わって冷静な表情になって軽く息をついた。


「慎吾先輩がそこまで言うんなら……これ以上やったらヤバいかな」


「だからお前は、これからそのへんででも大学ででも奴を見かけたら、思いっきり睨みつけてやれ。それこそ奴が夢に見そうになるぐらいに」


「了解っス! 全身全霊かけて呪う勢いで睨んでやるっス!!」


 まるで兵隊のようにビッと敬礼する祐真が何だか可笑しくて、亜衣子は思わず小さく吹きだしていた。そのとたん、祐真と高坂にそろって注目されて、奇妙な居心地の悪さを味わってしまった。


「……姉ちゃんは、大丈夫なのか? その…ショックっつーかトラウマっつーか」


「そうだな。被害者は笹野なんだ、笹野がそうしたいなら、いまから警察に訴えてもいいんだぞ? それなら俺も証人になるし、仮に奴が俺を訴えてきて正当防衛の域でおさまらなかったとしても、俺は全然構わないし」


 あまりにも唐突に思ってもみなかったことを言い出されて、亜衣子のほうが驚いてしまう。


「あ、あたしなら大丈夫よっ 腕を掴まれたぐらいで、それ以上される前に高坂くんが助けてくれたし、そ、そんな訴えるなんて…っ それに…これ以上あの人と関わりたくないし」


 そんな大事にしたくないというのもあるし────そんなことになったら両親が卒倒してしまいそうだ────何よりほんとうに危なくなる前に高坂が助けてくれたのだから、深刻なトラウマにまで陥ることもなさそうだ。だから、そんなこと考えたこともなかったのだ。


「…そうなのか? ほんとうに?」


 高坂に真剣極まりない瞳で訊ねられて、恥ずかしくて目をそらしたかったけれど、何とか堪えながらまっすぐにその目を見返して、こくりと頷く。


「─────笹野がそう言うなら、こっちとしてももう何も言えないが……」


「姉ちゃん、今度防犯ブザー買ってやるから、肌身離さず持ち歩けよっ ああ、スタンガンとかもいいな、あれはどこで売ってるんだ?」


「ちょ、ちょっとそれは過剰防衛の域に入っちゃうんじゃないの?」


 あまりにも過激なことを言う弟を、控えめにたしなめる。大体そんな武器?を持ったところで、亜衣子に使いこなせるとは思えない。


「そうだぞ、祐真。せめて警棒くらいにしておけ」


「そ、それも何か違う気がするんだけど……」


 何だかんだと談笑しながら食事を作り、三人で楽しく食事を終える。後片付けも二人が手伝ってくれたので、あっという間に終わってしまって。食休みを経たところで、高坂がゆっくりと立ち上がった。


「さて。遅くなる前に、俺は帰るよ。久々の美味いメシ、ご馳走さんな」


「え…」


「もう少しゆっくりしてけばいいのに」


 言いながら立ち上がる祐真の肩を、ぽんっと高坂がたたく。


「まあ今日は二人とも疲れただろ、早めに寝ちまえよ」


「まあ……先輩こそ、今日はありがとうございましたっ!」


 深々と頭を下げる祐真の前で、高坂が「いやいや」と笑顔で手を振るのを見て、亜衣子は慌てて立ち上がって。玄関の上がり框に腰を下ろしてスニーカーを履いている高坂の背後まで歩み寄る。


「あ、の…高坂くん」


「ん?」


 スニーカーを履き終えた高坂が、振り返りながら立ち上がるのをまっすぐに見据えて、素直に胸の内を吐露してみせる。


「今日はほんとうに…ありがとう。もしもあの時高坂くんが来てくれなかったらと思うと、私……っ」


 怖くて、それ以上は口に出せなかった。けれど高坂はそんな亜衣子の気持ちを完全に理解しているようで、こちらの目をまっすぐに見つめながら亜衣子の頭をぐりぐりと撫でる。


「そんなこと気にしなくていいから、早く寝てさっさと忘れちまえ。な?」


 思わず上目遣いで見上げてしまう亜衣子に、高坂はほんとうに何も気にしていないような顔で笑って、玄関の内鍵を開けてドアを開ける。


「じゃ、またな」


「う、うん…またね。お休みなさい」


「祐真もいるからって安心しないで、ちゃんと鍵閉めろよー。んじゃお休み」


 それだけ言って、高坂は笑顔のまま静かにドアを閉めて。夜分だから気を遣っているのか控えめな足音が遠ざかっていくのが完全に聞こえなくなるまで、亜衣子は玄関のところに立ち尽くしていた。そんな後ろ姿を、祐真がじっと見つめていることに、気付くこともなく……。


 それから。高坂に言われた通りちゃんと戸締りをして、祐真と交代で風呂に入ってから布団に入ったのは、いつもよりずいぶんと早い時間だった。タイマーをセットしたエアコンの音だけが鳴り響く暗闇の中、薄い上掛けを羽織って横になっていた亜衣子は、ふと鼻先をかすめる匂いに気がついた。


「ね、祐真…起きてる?」


「あに?」


「このお布団、誰か使った?」


 祐真の布団は別にちゃんとあるし、こちらの布団は客用布団だから、誰かが泊まりにでも来ないと使わないはずだ。亜衣子が来た時には既に窓の外に干してあったから、押し入れのそれとも違うだろう匂いが、ほのかに漂ってくるのだ。


「あっ 汗臭いとかっ!? 悪い、ちゃんとシーツも替えて、消臭剤もまいて干しといたんだけど、消しきれなかったかっ」


「あ、別に臭いとまでは思わないから大丈夫よっ ただ、誰か泊まりに来たのかなと思って」


「あー、昨夜慎吾先輩が泊まったから、先輩の匂いだろ。他に泊まりに来る奴そんなにいないし」


「高坂くん…? そうなんだ……」


 言われてみれば、抱き締められていた時に嗅いだ香りに似ている気がする。あの時は、香りになど気付く余裕はなかったけれど。二人には告げなかったが、ほんとうは今夜悪夢を見ない自信がなくて、少し怖かったのだけれど……高坂の香りに包まれていたら、安心して眠れる気がする。万が一悪夢を見ても、昼間のように高坂が救けに来てくれるような気がして、不安が少しずつ薄れていく。


「なあ、姉ちゃん…」


「なあに?」


 目を閉じたまま、答えた亜衣子の耳に飛び込んでくる、信じられない祐真の言葉。


「俺…慎吾先輩なら、兄貴になってもいいな……てゆーか、慎吾先輩じゃなきゃやだっつーか」


 祐真の言う「兄貴」というのが、ただの兄弟を意味するものではないということに気付いた瞬間、亜衣子の顔がかあっと赤くなるが、暗闇の中だから気付かれずに済んだ。


「な…何言ってるのよっ!?」


「姉ちゃんさえよければ、俺、親父がどんだけ反対してもふたりを支援するし。何なら、俺んとこに泊まってることにして先輩んち行くのも協力するし。だから」


 かかかかか。室温とは関係なく、顔が熱くて仕方ない。


「ば、馬鹿っ そういうことは、高坂くんの気持ちを確認してからの話でしょうっ!?」


「…先輩の気持ち…? 知らぬは本人ばかりなり、か……」


 それはどういうことかと訊ねようと、言葉を色々選んでいるうちに祐真の寝息が聞こえてきてしまったので、亜衣子はそこで会話の続行を断念せざるを得なかった。小さくため息をついて、そっと目を閉じる。そのまま高坂の香りに包まれていたら、まるで高坂に抱き締められている気がして、心の底から安心できて。気付かないうちに、亜衣子は深い眠りの深淵に落ちていった…………。




        *      *      *




 とくに悪い夢も見ずに目覚めた次の日。この日も、祐真と高坂は交代でできるだけ亜衣子を独りにしないように気をつけてくれて、亜衣子はほとんど不安を覚えることなく過ごすことができた。


 その翌日の午後になってから、二人に心からの感謝をこめて礼を告げて、亜衣子は帰途についた。両親が帰る前に、自宅を快適に過ごせるように整えておかなければならないからだ。家に帰ってから雨戸や窓を全開にして、持って帰ってきた洗濯物を取り出して洗濯籠に入れる。祐真が使っている洗剤の香りはするが、高坂の香りはもうしないことを少々残念に思いながら、次の作業に移る。いっそのこと、ずっとずっと高坂の香りに包まれていたかったのに……。


 そんなことを思いながら、三人分の夕食を作っていたところで両親が帰ってきたので、ふたりの不在の間に何も問題はなかったように振舞うのに全神経を費やしてしまって、高坂のことを思い出す余裕もなかったから。


 それから二、三日経った夜、携帯に高坂から着信があった時には、とても驚いてしまった。


「はい、亜衣子です」


『高坂だけど、いま大丈夫か?』


 いつものように始まる、会話。けれど、高坂の声がいつもより緊張しているように聞こえるのは、亜衣子の気のせいだろうか?


「ええ、大丈夫よ。今日は家庭教師のバイトもないし」


『あ、の…悪いんだけどさ、いま笹野の家のそばに来てるんだけど、ちょっとだけ…出てこれないかな。あっ こんな時間に呼び出すなんて、親父さんに怒られちまうよな、ごめんっ』


「え、大丈夫よ、今日は父は会社の飲み会で遅くなるって話だし、そんなに長い時間でなければ、母も何も言わないわ」


 それは事実だったので、亜衣子は素直に答える。厳格な父に対して、母は同じ女だからかわりと柔軟な思考の持ち主なので、よほど非常識なことでなければあまり口うるさくないのだ。


「だから……どこに行けばいいのか教えて?」


 ついさっき風呂に入ったばかりで夏用のパジャマに着替えていたけれど、家や近所用で着ているシンプルなTシャツとロングスカートに着替えて、母親にすぐ近所まで行ってくる旨を伝えてから、亜衣子は高坂に指定された公園へと向かう。その公園は、家を出てすぐの角を曲がったところにあるもので、幼い頃は祐真と一緒によく遊んだ場所だった。最近は脇を通り過ぎることしかしていなかったが、いまでも幼い子どもたちや母親たちが集っている、ある意味近所の社交場といえる場所だ。そんな懐かしい公園の、見慣れた遊具のそばに高坂の姿を認めて、亜衣子は小走りで近付きながらそっと微笑んでみせる。


「ごめんなさい、お待たせして」


「いや、俺が予告なしに呼び出したのが悪いんだし…ごめん、こんな急に」


 いつものように笑顔を浮かべてはいるが、どこか硬い感じがして、何だか奇妙なものを感じる。


「どうしたの? 何だか、いつもと感じが違うみたい」


「そ、そうか?」


「それに、汗もいっぱい…よかったわ、一応ハンドタオル持ってきて」


 ミニトートからタオルを出して高坂の額やこめかみにそっと当てると、高坂の身体がすごい勢いで後ずさった。


「あ…っ ごめんなさい、ちょっとなれなれし過ぎたわよね……」


 いくら友人とはいえ、そこまで親しくない自分にされたら迷惑だったかも知れないと思い反省するが、高坂はぶるぶると首を横に振った。その慌てようも普段と全然違っていて、亜衣子の不思議に思う心に拍車をかけた。


「ち、ちが…っ ちょっと驚いただけだから…こっちこそごめん」


 そう告げる高坂の声は妙に掠れていて……その声に、高坂自身が一番驚いているように見えたのは、決して気のせいではないだろう。ジーンズのポケットから出した自分のハンカチで汗を拭きながら、高坂はふと公園脇の自販機に目をやった。


「あ…俺、ちょっと飲み物買ってくる。笹野は? 何がいい?」


「えっ いいわよ、私自分の分は出すわ…」


 と言いかけてミニトートの中を見た亜衣子は、財布を入れ忘れていたことにこの時になって初めて気付いた。


「や、やだ、お財布忘れてきちゃった!」


「うん、だからいいって。好きなの選びな」


「ご、ごめんなさい、ご馳走になります」


 軽い自己嫌悪に陥りながら、高坂に促されるままに自販機のボタンを押す。ゴトンと音を立てて出てきた商品を亜衣子が取るのを確認してから、高坂も自分の分のボタンを押した。そのまま、近くのベンチにふたり並んで腰を下ろし、しばし飲み物で喉を潤す。


「あー美味しい。ちょうどお風呂上がりで何か飲もうと思ってたところだから、よけいだわ」


 風呂上がり、という言葉を聞いて高坂がぴくりと反応したが、好きな飲み物を飲んでいてご満悦状態の亜衣子は気付かない。


「ところで。今日はどうしたの? 実家に帰ってきてるの?」


 高坂のほうを向き直って問いかけると、高坂は軽く狼狽しながら答える。


「あ、いや、実家に帰ってきた訳じゃなくて…単にバイトが終わってすぐ来ただけの話で」


「え、バイト帰りなの? なら疲れちゃったでしょう、電話やメールじゃダメだったの?」


 素朴な疑問をぶつけると、高坂は明らかに動揺したように身を震わせた。


「ちょっと……そういうんじゃ言えない話だったから」


「?」


 亜衣子のまっすぐな視線に耐えられないかのようにふいと視線をあちらこちらに泳がせて、高坂は唐突な話題変換をしてのける。


「……のどかでいいところだな、ここ」


「あ、うん。小さい頃は、よく祐真と一緒に遊びに来たわ。そのうち大きくなってからは、それぞれの友達と遊ぶようになったり別の場所に行っちゃったりしたけど」


「笹野の子どもの頃か…きっと可愛かったんだろうな。祐真は絶対悪ガキだったろ」


 その言葉に一瞬どきりとするものの、恐らくは社交辞令だろうと思って、後半部分に関してだけコメントを返す。


「さすがにわかってるのね。でもあれで、何だかんだ言って昔から優しいところもあったのよ、私が男の子にいじめられたりしたら、どこにいてもすぐ飛んできて助けてくれたりして」


「すごいな、目に見えるようだ」


 そうして、しばし談笑した後に、高坂がふいにおし黙った。


「──────昔…というには、まだそんなに経ってない頃だけどさ。俺さ、実は高校に入った時、自分で決めた結果を出せなかったら高校までで剣道を辞めるつもりで、高校三年間は剣道に専念しようと思ってたんだよな」


「え、そうなの?」


 初めて聞く話に純粋に驚いてしまう。確かに当時の高坂はとても真面目に剣道に打ち込んでいると思ったが……そこまで真剣に考えていたとは、思ってもみなかった。高坂の言う「結果」という名の目標が、どれほどの高みにあるものなのかはわからないけれど、大学に入った現在は剣道をすっぱり辞めているということは、その目標にまでたどり着けなかったことを意味しているのだろう。そこまで訊いてしまうほど、亜衣子は無神経でもなかったので、それ以上は口にしなかった。


「それがさ。そんなえらそうな志を胸に入学したのはいいけど、高校に入ったとたんにそんな目標なんかどうでもよくなっちゃいそうな現実に遭遇して、頭の中は大パニックだよ」


 そんな固い決意がどうでもよくなりそうな現実…? いったい、どんな出来事なのだろう?


「笑っちゃうよな。剣道部に入って、まだ腕試しの域にも入ってなかった時期に、ろくに知りもしない相手に一目惚れ…でもないな、何ていうんだ、ああいうの」


 高坂が何を言っているのかはよくわからなかったけれど、「一目惚れ」などという単語が出てくるということは、当時誰か好きなひとでもできたということなのだろうか? 心の奥底ではそんな話聞きたくないと思っているのに、何とか顔に出さないように努めながら、亜衣子は続きを待つ。


「だって、ほとんど話もしたことない相手だってのに、歌声だけが耳に残って、それ以来気になって仕方なくなっちまったんだぜ? 目じゃないよな、一耳惚れ…? 聞いたことないよな、そんな言葉」


「確かにそんな言葉は聞いたことないわねえ……でも。そのひとって、合唱部の人なの?」


 当時高一の高坂が歌声を聴いたということは、自分たちと同じ学年から二学年上までの相手ということになる。その頃在籍していた、素晴らしい歌声の持ち主というと……。


「北見先輩か中川先輩か宮本先輩か…遥ちゃんか美緒ちゃんか……」


 高坂の心を奪った相手のことなんて、考えたくもないのに。ほとんど無意識に当時のメンバーを思い出して、つい口に出していた。


「え? 何のことだ?」


「え、当時評判の高かった合唱部のメンバーだけど…? その人たちの誰かを好きになったって話なんじゃないの? それで私から連絡をつけてほしいって話かと…」


 すると高坂は、半ば放心したような、半ば自嘲的に見える顔をして、ガリガリとみずからの頭をかいた。


「何でそっちに行っちゃうのかなあ……」


 違うのだろうか…? それならそれで、亜衣子としてはとりあえず安心なのだけど。万が一にも高坂と別の誰かとの橋渡しを頼まれたりしたら、いまこの場で泣いてしまわない自信などまったくなかったから。そうしたら、いまのこの心地いい友人関係さえも…きっと終わってしまう。それだけは、絶対に避けたい事態だったから。


 もしも高坂が他の誰かとつきあい始めたとしても、いまのこの立場だけは絶対に守り抜きたかったから。たとえ陰でどんなに泣いたとしても、高坂の幸せを祝福できるぐらいには強くなりたかったから、だから。


「……とにかく、剣道一筋に打ち込めなくなったのは他の誰でもない自分の責任だから、それについては彼女に対して思うことなんかないし、剣道にはもう未練はないんだけど。だけど、彼女に対する想いだけは……いまでも忘れられなくて。いや、むしろ以前よりもっともっと大きいものに育ってしまっているといっていいぐらいなんだ」


 膝の上で両手をグ…ッと握り締めて、真剣極まりない瞳で高坂は前をまっすぐ見据えている。高校一年の頃から、もう五年は経っているというのに─────自分自身もそうだという事実をすっかり忘れているあたり、亜衣子も抜けているといえるが─────高坂らしいと思う反面、どうしていま、誰でもない自分にそんな話をするのだろうと、亜衣子は不思議で仕方がなかった。


「自分でも、バカみたいだと思うよ。彼女とは必要以上に話したこともなくて、単に同じクラスだっただけなのに、ちょっと聴いた歌声だけで気になり始めて、ついにはこんなに忘れられないぐらいに好きになっちまってるんだから」


「…………」


 亜衣子はもう、何と答えていいのかわからない。ここまできても、まだその相手が自分であるという可能性には思い当たっていないのだから、どうしようもないが。


 そこで高坂は飲んでいたコーヒーを一気に飲み干して、空き缶をベンチにコトリと置いてから立ち上がる。


「一歩間違えたらストーカーみたいだよな。自己満足で少しでも彼女に近づきたくて、友達のつきあいなんて銘打ってコンクールの応援に行ったり、激励とも言えないような激励をしたり、告白もできないのに強引に送っていったり、とどめには彼女の兄弟をある意味利用したりして」


 そこまで言ってから、高坂はくるりと振り返って、亜衣子の真正面に来る位置に歩を進めて、亜衣子の瞳をまっすぐに見据えた。


「ずっと、忘れられなかった。俺のことなんて、ただの友達にしか思ってくれてないかも知れないけど…………」


 そこで一度呼吸を整えてから、真剣な顔をした高坂は一言ずつ噛みしめるようにハッキリと告げる。


「俺は、笹野が好きだ。五年前の……春からずっと──────」

ついに、高坂告白に踏み切りました。その内心ではどれほどの葛藤があったのか……。

そして、亜衣子の答えは…?

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