「戦友だから」と言って他の女と馴れ合う婚約者は成敗します
「ごめんなさいね、リリア様。わたくしたち、ただの戦友ですから」
マリエル・サンドラス伯爵令嬢が、口元に手を当ててくすりと笑った。
その隣で、私の婚約者であるルドルフ・ヴァイゲル侯爵令息が、面倒くさそうに首を鳴らしている。
「そういうわけだ、リリア。明後日の茶会には行けない」
ルドルフが言った。
「マリエルと〈嘆きの回廊〉に潜る。三日は戻らん」
「三日、ですか」
「あぁ、訓練だ。文句はないな」
王立アルディス学院の中庭。
昼休みの人通りが一番多い時間に、わざわざ呼び止めてこれを言う。
周りの生徒たちが、聞こえないふりをしながらしっかり聞いているのが分かった。
いつもなら、ここで私は笑う。
「お気をつけて」と言って、頭を下げて、それで終わりだ。
二年間で、この二人の口から「ただの戦友」という言葉を嫌ほど聞いた。
戦友なら良いか、と納得したつもりは一度としてない。
だけど私にはそれしかできなかった。
でも今日は、そうしないと決めていた。
そうしないで済むように、二ヶ月かけて準備をしてきたのだから。
「——ルドルフ様」
返事を待たずにそのまま中庭を去ろうとしたルドルフたちを呼び止めた。
「なんだ」
「お二人は、戦友でいらっしゃるのですよね」
「今更なんだ? 何度も言わせるな」
「では、それを証明していただけますか」
ルドルフの眉が寄った。
「……は?」
「この学院には、古い慣習がございますでしょう。生徒同士の不満は、身分を問わず立会決闘で決着をつけてよい、と」
中庭の空気が、ぴたりと止まった。
「お二人まとめて、決闘を申し込ませていただきます」
最初に噴き出したのはマリエルだった。
「リリア様、ご冗談でしょう? わたくしたち、Aランクですのよ?」
「はい、存じております」
「あなた、冒険者登録もしていらっしゃらないでしょう。剣を握ったことは?」
「一年生の必修で、木剣を振ったことなら」
「お話になりませんわ」
「ええ。ですから、証明になるのです」
私は、笑顔のまま続けた。
「本当に毎週訓練に行っていらっしゃるのなら、お二人が私のような一般人に負けるはずがありませんもの」
ルドルフの顔が、みるみる赤くなった。
怒っている顔ではない。
痛いところを突かれて、言い返す言葉を探している顔だ。
二年も隣にいれば、それくらいは分かる。
「条件を申し上げます」
私は指を一本立てた。
「私が負けましたら、今後一切、お二人の関係に口を挟みません。茶会を何度すっぽかされても、黙って笑っております」
「……ほう」
「私が勝ちましたら、お二人は二度と、二人きりでダンジョンに行かないでください」
我ながら、控えめな条件だと思う。
婚約を破棄しろとも、謝罪しろとも言っていない。
だが、だからこそ、断る理由がない。
ここで断れば、「令嬢一人に怯えて逃げた」と中庭中に知れ渡るのだから。
「……受けてやるよ」
ルドルフが、吐き捨てるように言った。
「三日後だ。恥をかいても知らんぞ」
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
私が、あの二人に決闘を申し込めるようになった経緯を話すには、二ヶ月前まで遡らなければならない。
そして、それを話すには、まず「神経質」という言葉から始めなければならない。
◇
私、リリア・エストハルは、エストハル子爵家の長女だ。
ヴァイゲル侯爵家の嫡男ルドルフとの婚約は、私が七つのときに決まった。
子爵家から侯爵家へ。
身に余る縁談だと、私は物心つく前から言い聞かされて育った。
だから、相手の機嫌を損ねないように笑うのが、とても上手になった。
ルドルフは、学院の許可を得てギルドに登録している数少ない生徒の一人で、冒険者ランクはA。
そして、同じく登録生でAランクのマリエルと、いつも一緒にいる。
この学院で「登録生」といえば、それだけで一目置かれる。
剣や魔法の実技は一年次の必修があるだけで、あとは各自が勝手にやる。
だからこそ、ギルドのランクが、そのまま校内の序列になっていた。
「ルドルフ様、マリエル様のお召し物から、ルドルフ様と同じ香水の香りがいたしましたが」
一年生の冬、一度だけ、勇気を出して訊いたことがある。
「……お前な」
ルドルフは、心底うんざりした顔をした。
「同じダンジョンで同じ埃をかぶってるんだ。においくらい移るだろう」
「香水は、埃では移らないと思いますが」
「ったく、そういうところだ、リリア。お前は神経質すぎる」
神経質。
この二年で、「ただの戦友」の次によく聞いた言葉だ。
「そんな大したことないことをいちいち気にするから、自分で自分を苦しめるんだ。もっと大らかになれ」
そう言って、ルドルフは私の頭をぽんと撫でた。
その手の甲に、細い引っかき傷が三本並んでいた。
魔物の爪にしては浅すぎるし、間隔が狭すぎる。
ちょうど、女性が伸ばした爪くらいの幅だった。
私は、それに気づいた自分を叱った。
(ほら、またやった)
こういうところが神経質だと言われるのだ。
気になったことを口に出せば、「神経質」と言われる。
黙っていれば、胸の奥に溜まっていく。
どちらを選んでも苦しいなら、せめて相手の機嫌を損ねない方を選ぶ。
そうやって、私は二年間、笑って流してきた。
けれど、流しきれないものがいくつかあった。
三日間ダンジョンに潜って帰ってきたはずなのに、髪はいつも綺麗に整っていること。
毎週のように潜っているにしては、ブーツの底がほとんど減っていないこと。
ギルドに提出しているという魔物素材の切り口があまりにも真っ直ぐだったこと。
ルドルフが一度、自慢げに見せてくれたことがある。
戦闘で斬った傷は見当たらなく、まな板の上で、刃物を当てて切り分けたような断面だった。
一つだけなら、気のせいで済む。
でも三つ揃うと、気のせいで片づけるのは難しい。
もし、二人が訓練に行っていないのだとしたら。
もし、Aランクという肩書きすら嘘なのだとしたら。
そこまで考えて、私は自分に言い聞かせた。
仮にそうだとして、私に何ができるのか、と。
父に相談しても、「侯爵家に物申すなどできるわけない」と突っ張られるだろう。
学院に訴えても、子爵令嬢のことを聞く教員がいるだろうか。それも告発相手が侯爵令息であれば、結果は分かりきってる。
残るのは、身分を問わず受理される立会決闘だけ。
ただし、勝てなければ意味がない。
そして私が勝てるかどうかは、二人が本当に強いかどうかにかかっている。
つまり、確かめるしかない。
冒険者のランクが、どういう基準で与えられるのか。
Aランクの冒険者とは、どの程度の強さなのか。
それを知るために、私は生まれて初めて、王都の冒険者ギルドへ足を運んだ。
外出用のドレスのままで。
ギルドの掲示板には、色とりどりの張り紙が重なって貼られていた。
パーティー募集。
薬草の買取価格改定。
ランク認定の基準について——これだ。
『ランクは討伐実績と提出素材により認定する』
やはり、素材を提出すればランクは上がる。
でも、その素材が本当に本人の討伐によるものかどうかは、誰が確かめているのだろう。
そう考えながら掲示板を眺めていたとき、一枚だけ、明らかにおかしな張り紙が目に入った。
『今すぐにAランクになりたい方大募集』
それだけだった。
署名もなければ、連絡先もない。
報酬も条件も、何ひとつ書いていない。
Aランクは、国から特別な許可証が下りる階級だ。
なりたくてなれるものではないし、「今すぐ」なれるものでは絶対にない。
(詐欺だろうか?)
でも、連絡先がないのだから、詐欺としても成立していない。
じゃあ、これを貼った人はいったい何がしたいのだろう。
「それ、やっぱ気になる?」
真後ろから声がして、私の全身がすっぽりと影に入った。
「わわっ!?」
「いやいや〜。君、その張り紙の前で十分くらい立ってたからさ。何がそんなに気になるのかなーって」
振り返ると、男の人が立っていた。
背が高い。
私の頭が、彼の胸にも届いていない。
黒に近い紺色の髪を後ろへ流していて、目は薄い銀色だった。
年は二十歳くらいだろうか。
身軽な旅装で、にこにこと私を見下ろしている。
「えっ、私そんなに長く立っていましたか?」
「うっそー。十分は流石に盛ったね」
「はい?」
「五分? いや、一分もないか」
けらけらと笑われた。
「ごめんごめん。人をからかうのが趣味なんで」
「最低の趣味ですね」
「いや、よく言われるよそれ〜」
まったく悪びれていない。
「あの、それであなたはどなたですか?」
「そりゃこっちの質問だよ。そんな素敵なドレス着ちゃって、この場には不自然なくらいだ。ほら、みんな見てるし」
言われて、ようやく周りを見た。
装備を担いだ冒険者たちが、受付の列から、テーブルから、階段の途中から、こちらを見ていた。
張り紙のことばかり考えていて、まったく気づかなかった。
「ほんで名前は?」
「存じ上げない方に名乗る名はございません」
「うわ、お堅いね。じゃあ僕はフォルゼン。はい、これで知り合いね。君は?」
「……そういうものなんでしょうか」
「うん、そういうもの」
なんか押しが強い。
話の主導権を握られるってこう言うことを指すのか。
「……リリアです」
「リリアか! いい名前だ。えーっとね、リリ子、リリアっち、リリリン……いやぁ、あだ名の考えようがある良い名前だ!」
「ちょっと……人の名前で遊ばないでくださいよ」
「あは、ごめんて。じゃあリリっちで」
「なんでもいいですから」
初対面から五分で、あだ名が決まってしまった。
と言うか、リリっちって何……?
「それでさ、それ、応募すんの?」
彼が指さしたのは、例の怪しい張り紙だった。
「こ、これですか? しませんよ! 署名も連絡先もない張り紙に、どうやって応募するって言うんですか」
「あー、確かに。リリっちめーっちゃかしこさんだね」
「言い方、馬鹿にしてますよね」
「してない、してない!」
「そもそも、こんな怪しすぎる張り紙に応募するなんて、正気の沙汰とは思えませんし、この張り紙作った人にはセンスが無いというか、受け手側を全く考慮してないところが——」
「あ、ちなみにそれ貼ったの僕ね」
え。
「……えっと」
「で、応募するの? しないの? どっちなの? 早く決めてね」
「し、します」
「じゃあ、早速いこうか」
「は、はい」
突然、早口になったフォルゼンに私は屈した。
圧があった、というより、申し訳なかった。
あれだけ「怪しすぎる」「正気の沙汰ではない」と目の前でダメ出ししといて、これでついていかないのは、さすがに失礼な気がしたのだ。
我ながら、どういう理屈だろうと思う。
けれど、こういうときに相手の厚意を無下にしないことだけは、淑女教育で嫌というほど叩き込まれている。
だから私は、結局ついていくことにした。
そうして三十分後、私は森の奥にぽっかりと口を開けた、暗い穴の前に立っていた。
「……えっと、ここは?」
「〈静かな沼〉。Cランククラスのダンジョンだよ」
「……Cランク」
私は復唱した。
ダンジョンで言うCランクというのは、Cランク冒険者が十人がかりで、ようやく攻略できるという意味だ。
Bランク冒険者であれば二人で潜れる。
つまり、ランクの数字は「一人の強さ」ではなく「必要な人数」を裏返した目安になっている。
どちらにしても、初心者が来る場所ではない。
「こんなところでいきなり訓練ですか? いやいや、順序というものがあるでしょう?」
「順序?」
「普通は座学から始めません? 訓練場で打ち合いをして、薬草採取の依頼を受けて、それから——」
「でもすぐAランクになりたいなら、まずはCからじゃない?」
本気で言ってるらしい。
フォルゼンは、不思議そうな顔をしていた。
「で、次がBで、その次がA。たった三回の訓練でAランクになれちゃうってわけ」
「……」
「効率的でしょ?」
(効率の話でぐちぐち言ってるわけじゃないんだけどな……)
「そもそも私は冒険をしたことすらない、ドがつく初心者です! あなたがどれだけお強いか存じませんが、初心者を連れてCランクなんて無謀なんですよ!」
「お、急に口数増えたね。道中ずっと無言だったのに」
「知らない人についていけば、無言にもなりますって!」
正確には、彼がずっと喋っていて、口を挟む隙がなかったのだ。
王都の屋台の話、昨日食べた串焼きの話、なぜか鳩に恨まれている話。
内容は一つも頭に入ってこなかったけど。
「大丈夫だって。僕がいれば、ランクなんて関係ないから」
この自信は、なんなのだろう。
一体どこから来るのだろう。
「……ちなみに、フォルゼン様は何ランクなのですか」
もしかしてSランクなのではないだろうか。
だからこんな大口を叩けて、余裕でこんな発言をするのかもしれない。
「ランク?」
だが、彼は首を傾げた。
「なにそれ、美味しいの?」
え。
「……もしかして、ランク分けすらされていない感じですか」
「そ」
はぁぁぁ??
そ、じゃないよ……!
「つまり無級じゃないですか!」
「無級って言い方やめて。響きが悪い。『無法冒険者』とでも呼びたまえ」
「呼びたまえ、ってなに言ってるんですか……」
「まあまあ。いいからとりあえずついてきてよ」
言われるがまま私は、ずるずると穴の中へ引きずり込まれた。
中は思っていたより広かった。
天井が高く、濡れた石の壁のどこかで、ずっと水の滴る音がしている。
そして、空気が重い。
殺気、というのだろうか。
肌にまとわりつくような、粘っこい圧がある。
フォルゼン曰く、これが魔力というらしい。
「じゃ、訓練開始ね」
「あの、それなんですけど……」
「ん?」
「剣を持っていないのですが」
沈黙が流れた。
「え、持ってないの、リリっち?」
「持ってるように見えますか?」
外出用のドレスを着ていて、薄手のショールに小さなハンドバッグを持った令嬢だ。
どこからどう見ても、これから午後の茶会に向かいそうな子爵令嬢が、剣を持参していると本気で思っているのだろうか。
「じゃあ僕の貸すよ。でも、次からは持ってきてね」
「……次があればですけどね」
「え、なんか言った?」
「いえいえ、何も!」
思わずボソっと言ってしまった本音が混じった言葉を私は誤魔化した。
差し出されたのは、鞘に入った長剣だった。
両手で受け取って、そのまま床に落としそうになった。
「重すぎます……こんなの持てません」
「リリっち、見るからに細いしね」
彼は私の腕をしげしげと眺めた。
「じゃあバフかけてあげるよ。重いものが持ち上がるくらいにはなると思う」
「バフ、ですか
「うん、じゃあいくよ? 〈身体強化〉」
すると温かいものが、肩から手首に流れ込んだ。
途端に、剣が軽くなる。
いや、軽くはない。
重いことは重いのだが、持ち上がる。
両手で構えれば、なんとか形になる程度には。
「よし。じゃ、あれ」
彼が指さした先に、大きな影があった。
カエルだ。
私の背丈より大きい、ぬめった緑色のカエル。
目玉が三つあって、そのすべてがこちらを見ている。
「グロウルトード。Cランクの中では弱い方だから」
「弱い方」
「うん。頑張って」
背中を押された。
押された勢いで、私はカエルの真正面に出てしまった。
いや待って。
どうして私は、剣を持ってこんな生き物の前に立っているの。
普通に負けるでしょ、これ。
「ケロケロ」
カエルが鳴いて、跳ねた。
ものすごい勢いで、こちらに向かってる。
「ゴーゴー、リリっち!」
後ろから謎の声援が飛んでくる。
でも、それどころではない。
これは死ぬやつだ。
思わず、私は淑女教育を恨んだ。
フォルゼンについてきてしまったのは、元を辿れば、私が淑女教育を受けたせいだ。
普通の冒険者だったら、あの場で、「舐めんじゃねえ!」とかだって言えたはずだ。
でも、そんなことを言っても仕方がない。
私はきっとこの星の元に生まれた可哀想な令嬢なのだ。
そう思い、諦めたつもりで、目を閉じようとして——でも閉じられなかった。
見えてしまったからだ。
このカエル、さっきから右の後ろ足を引きずっている。
跳ねるとき、左右で踏み切るタイミングがわずかにずれている。
着地のたびに、右側だけ泥の飛び方が小さい。
右足が悪いのかしら。
いや、今そんなことを考えている場合ではない。
こういうところが、ルドルフに神経質と言われる所以だ。
もうすぐ食べられるというのに、余計なことばかり考えて。
……でも、あれ?
これだけ思考を働かせてるのに、まだ襲われない。
というより、カエルの動きが、やけにゆっくりに見える。
これはもしや、架空の物語によくあるあれではないだろうか。
危機に陥った瞬間、思考が加速して世界が止まって見えるという、あれ。
え、私、冒険者の才能があるの?
と横を見ると、フォルゼンがカエルに手をかざしていた。
「はい、〈動作停止〉」
って……あんたかい。
まあ、でも助かった。
私は剣を握り直した。
振り方は知らないし、構えも知らない。
ただ、当てるなら、あの右足だと思った。
一番痛そうだったから。
だから、振った。
腰も入っていない、ぐらぐらの、木剣遊びみたいな一振りを。
剣先が、カエルの右足をかすめた。
次の瞬間、グロウルトードは通路の壁まで吹き飛んだ。
石壁にぶつかって、ずるりと落ちて、それきり動かなくなった。
「……え?」
私は自分の手元を見た。
かすっただけだ。
間違いなく、かすっただけだったのに。
「やったね、リリっち。すごい怪力だね」
「いえ、おかしいですよね!? 私、全然強く振っていません! まさかフォルゼン様、ものすごく強いバフをかけてくださったのですか?」
「ううん」
フォルゼンは、首を横に振った。
「剣を持ち上げられるくらいの力しか足してないはずだよ」
「……え」
「リリっちさ。もしかしてスキル、持ってるんじゃないかな」
スキル。
言葉としては知っている。
ごく稀に、人が生まれつき持っている特異な才能のことだ。
炎を自在に操るとか、大怪我を癒すとか、そういうもの。
「私にそんなものが?」
「令嬢とか貴族は戦う機会がないから、一生気づかないことが多いんだよね」
「でも、心当たりなんて……」
あるとすれば。
……いや、まさか。
「そもそもさ」
フォルゼンが言った。
「なんでリリっちは、わざわざ敵の右足を斬ったの? 俺だったら、あのカエルの頭大きいし、頭を狙ったけど」
「えっと、それは」
私は答えた。
「あの子、襲ってくるとき、右足を引きずっていましたから」
沈黙。
「……え?」
「フォルゼン様にも見えていましたよね?」
「うーん? いやぁ、右足なんか引きずってたっけ」
今度はフォルゼンが黙る番だった。
「気づかなかったのですか?」
「全然〜」
「私、昔から神経質だとよく言われますので、もしかするとそれかもしれません」
自分で言いながら、少し笑ってしまった。
「ただの性格ですけどね。そんなものがスキルなわけ——」
「神経質スキル?」
フォルゼンが、あっさり言った。
「あー、あるよ〜?」
◇
その日、私が倒した魔物は二十体を超えた。
すべてCランクだった。
やることは単純だった。
まず、相手を見る。
一番「気になるところ」に、剣を当てる。
それだけで、相手は吹き飛ぶ。
ダンジョンを出る頃には、日が傾いていた。
ドレスは泥だらけで、裾は破れ、手のひらには豆ができて潰れていた。
髪はぐしゃぐしゃで、頬には何か粘っこいものがついている。
人生で一番ひどい格好だった。
それなのに、不思議と嫌な気分ではなかった。
帰りにギルドへ寄ると、フォルゼンが受付で何やら話をつけて、一枚の金属板を持ってきた。
『冒険者証 Cランク
リリア・エストハル』
「冒険者証。今日の討伐数で、ぶっちぎりのC認定だって」
「こんなにあっさり?」
「普通はCになるのに何年もかかるよ。生涯かけてなれない人だっている。でも、リリっちは半日」
「そうですか……ありがとうございます」
私は板を両手で持って、しばらく眺めていた。
「フォルゼン様。それで神経質スキルというのは、正確にはどういうものなのですか」
「相手の弱点が、勝手に目に入る。で、その弱点に当てると威力が百倍くらいになる。剣でも指でも関係ない」
「百倍」
「だから、あの振り方でカエルが壁まで飛んだわけ」
百倍。
刺繍と、お茶と、手紙を書くためだけに使ってきた手に、そんな力があったなんて。
「珍しいスキルなのですか」
「大陸に何人いるかなってくらいには」
フォルゼンは、夕焼けの空を見上げた。
「気づかないまま死んでいく人が、たぶん一番多いけどね」
ぞくりとした。
あの張り紙の前で足を止めていなかったら。
この失礼な人に声をかけられていなかったら。
私は死ぬまで、自分のことを「気にしすぎる面倒な女」だと思って生きていたのかもしれない。
「じゃ、また来週ここでね」
「え」
「来るでしょ?」
少しだけ迷って、私は頷いた。
「……はい」
それから二ヶ月、私は週に二度、あの森へ通った。
家には「刺繍の会に行ってまいります」と言った。
実際に刺繍の会には顔を出して、それから裏口で着替えて森へ向かった。
嘘はついていない。
ただ、全部は言っていないだけだ。
フォルゼンは、訓練という癖に剣の振り方を一つも教えてくれなかった。
構えも、足運びも、間合いも、何ひとつ。
「気になったところ、全部言って、気になったら、そこに当てて」
それだけだった。
週を重ねるごとに、見えるものも増えていった。
足を引きずっているとか、羽ばたきがずれているとか、最初は分かりやすいものだけだったのが、呼吸の浅さ、瞬きの間隔、地面の湿り具合にまで及ぶようになった。
そして、それが魔物にだけ働くわけではないことにも、気づいてしまった。
「あの、フォルゼン様」
「なーに? リリっち?」
ダンジョンを攻略した帰路のことだった。
「フォルゼン様の右手の人差し指に指輪の跡がありますが、普段は、かなり大きな指輪をしていらっしゃいますよね」
人差し指にはめる大きな指輪は、たいてい印章指輪だ。
つまり、この人は書類に家の印を押す立場にある。
(私と同じ貴族だったのだろうか?)
フォルゼンは右手を隠すようにひらひらと振った。
「よく見てるねえ」
「神経質ですから」
「うん、そうだね」
いつものへらへらした笑い方だった。
なのに、そのときだけ少し違って見えた。
それに、もう一つ気になっていることがあった。
この人の弱点だけが、見えないのだ。
どんな魔物でも、どんな人間でも、見た瞬間に「ここ」という場所が目に飛び込んでくる。
ギルドの受付の人でも、すれ違う冒険者でも、それは同じだった。
なのにフォルゼンを見ても、何も浮かばない。
見えないのではないと思う。
そこには何もない、と言われているような真っ白さだった。
そのことについて訊こうとして、やめた。
訊いたら、この妙な日々が終わってしまう気がしたから。
◇
それから二ヶ月で、私の冒険者証はBになった。
Bまでくると、なりたくてもなれないほどだとフォルゼンが教えてくれた。
といっても、実感はまるでない。
私にできるのは、弱点を見てそこに当てることだけだ。
まともな打ち合いになれば、剣を習っている一年生にも負けるだろう。
でも、それで構わなかった。
私が確かめたいのは、自分の剣の腕ではない。
あの二人が、本当に「戦友」と呼べるほど強いのかどうか、元々の目的はそれだけだ。
そして、その答えは、思っていたよりずっと早く出た。
秋の初めの放課後。
校舎裏で落とした髪飾りを探していた私は、正門の方から歩いてくる二人を見つけた。
ルドルフとマリエル。
朝に「ダンジョンに行く」と言って出ていったはずの二人が、制服のまま歩いてくる。
私は、反射的に茂みへ飛び込んでいた。
婚約者を見て隠れる婚約者がどこにいるのか、と自分でも思う。
でも、正面から「どこへ行っていらしたのですか」と訊けば、返ってくる答えは決まっている。
——どこでもいいだろ。俺たちはただの戦友だから、と。
それなら、聞かない方がいいだろう。
「ルドルフ様。では明日も、〈静かな沼〉の前で」
「ああ、ベイビー。また明日な」
ベイビー……?
どう転んでも、戦友をベイビーとは呼ばないと思う。
「なになに、なんか面白いことになってるね」
すぐ隣から声がした。
振り向くと、同じ茂みの中に、フォルゼンがしゃがんでいた。
「わっ……!?」
「しっー、大きな声出すとバレるよ」
「なんの音だ?」
ルドルフの声がした。
二人とも、こちらを向いている。
「ちょっと、なんでこんなとこにいるんですか! ここ学院ですよ!」
「用事、ってそれよりもまずいことになったね」
お互い、できるだけ声を潜めて話す。
だが、本当にまずいことになった。
ルドルフがこちらまで歩いてきているのだ。
しかも、隠れている茂みのすぐそばまで。
何かでごまかさないと。
こういうときは、猫の鳴き真似が定番だろうか。
だが、定番すぎてバレてしまうだろうか?
いや、考える暇もない。
やるだけやってみよう。
私は小さく息を吸って——
「ケロケロ」
隣のフォルゼンが言った。
「ちょっ何してるんですか!」
私は声を殺して抗議した。
「いや、ごまかそうと思って。普通にグロウルトードの鳴き声を」
「普通ってなんですか! ここ、ダンジョンじゃないんですよ!」
「あ、そうじゃん」
「なんだ? カエルか?」
足音がさらに近づいてくる。
侯爵家嫡男の婚約者が、正体不明の男と茂みに隠れて、カエルの鳴き真似をしている。
——どう転んでも、破滅だ。
明日にはその噂が学院中に広まり、退学処分、婚約破棄、そして国外追放まで待ったなしだろう。
(降伏しようか)
諦めて、身を隠すのをやめようと思った。
ただその瞬間、フォルゼンが、私の手を掴んだ。
もう片方の手の指が、そっと私の唇に当てられる。
「ちょっと、静かにしててね」
そう言われて、息が止まった。
茂みの葉が、かき分けられる。
ルドルフと、確実に目が合った。
合ったはずなのに、彼は私を見ていなかった。
私の顔をまっすぐ見ているのに、その目には何も映っていない。
「本当にカエルだ。こんな季節に珍しいな」
「行きましょう、ルドルフ様」
と二人は、あっさりと去っていった。
足音が聞こえなくなってから、私はようやく息を吐いた。
「今のは……」
「〈心象投影〉。相手が『そうだ』と思ってるものを、そのまま見せる魔法。あの人、カエルだと思い込んでたからね。僕の鳴き真似のおかげだね」
「そ、そうですね」
よかった。
いや、よくない。
「あの、フォルゼン様」
「ん?」
「あなた、何者なんですか」
敵の動きを遅くする魔法。
人の認識に干渉する魔法。
両方とも、学院の授業で習う範囲ではない。
どちらも、宮廷魔法士が扱う領域のはずだ。
「ただの通りすがりのお節介さ」
「それで納得すると思いますか」
「思わない」
「でしょうね」
彼はけらけら笑って、話を変えた。
「で、なんでリリっちはあの二人を覗いてたの?」
「べ、別に覗いていたわけでは……」
「じゃあ茂みに隠れるのはただの趣味?」
「趣味でもありません!」
絶対に分かっていて訊いている。
この人は、そういう人だ。
「で、なんで?」
「えっと、話が長くなるのですけれど……」
私は、仕方なく全てを話した。
茂みに隠れる変態令嬢だと思われるより、過去を知られた方がこの際マシだからだ。
フォルゼンは珍しく、一度も口を挟まずに聞いていた。
「つまり、あれがリリっちの婚約者で、あの女とつるんでるのを『ただの戦友だから』でごまかしてると」
「……はい」
「さっきベイビーって言ってたけど」
「……はい」
「そりゃひどいね。だからリリっちは、僕の特訓で強くなって、あの二人をやっつけたいわけだ」
「まあ、そうですね」
彼は頬を掻いてから、ふいに立ち上がった。
「よし、面白いこと思いついた」
「なんですか……?」
「明日、いいところに連れてってあげるよ」
「いえ、嫌な予感がするので、遠慮します」
「リリっち〜! そう言わずにさ〜」
「はいはい……」
嫌な予感しかしなかった。
そして、だいたいそれは当たってしまうものだ。
翌日連れて行かれたのは、〈静かな沼〉だった。
いつも通っている、あのCランクダンジョンだ。
フォルゼンは入り口から少し離れた斜面の茂みに、私を引っ張り込んだ。
また茂みである。
待つこと、三十分。
森の道を、二人が歩いてきた。
ルドルフとマリエルだ。
今日はきちんと装備をつけている。
剣を差し、軽鎧を着て、荷袋を背負っている。
そして——手を繋いでいた。
マリエルが身を寄せて笑い、ルドルフがその髪に指を絡める。
胃のあたりが、すっと冷えた。
それでも、ダンジョンには入るのだ。
浮ついてはいても、訓練はしている。
それなら、少なくとも「戦友」の半分は本当だということになる。
そう思った、そのとき。
二人は、入り口の三歩手前で止まった。
マリエルが荷袋を下ろし、大きな布を取り出して、地面に広げた。
その上に、二人並んで座った。
荷袋の中から出てきたのは、パン、果物、瓶入りの果実水、それから可愛らしい包み紙の焼き菓子だった。
これはまるで——
「ピクニックじゃない……嘘でしょ」
思わず声が出た。
「ダンジョンに入ってすらいないじゃない!」
隣でフォルゼンが肩を震わせていた。
「あはは。ダンジョンの前で団欒。団欒ジョン、ってね!」
「……」
「ねえ、今のけっこううまくない?」
「うまくありませんし、笑えません」
「というか」
私は、彼を睨んだ。
「今日はもしかして、あの二人を観察して、そのしょうもない駄洒落を言うために私を呼んだのではないでしょうね?」
「しょうもないとは失礼な!」
「本当のことですけど」
「でも、まあ、違うよ。面白いのはここからだから」
フォルゼンは背中の袋から、白磁のような仮面を二つ取り出した。
目元だけを覆う、上等な作りのものだ。
「これつけて。あと服はこれね」
続いて渡されたのは、黒い布の塊だった。
広げてみると、全身を覆う、体の線がそのまま出る服だった。
「……これは」
「動きやすいよ」
「そういう問題ではなく」
「着たら説明するから」
変な人だけれど、おかしなことはしない人だ。
この二ヶ月で、いつの間にかそう思えるようになっていた自分が、少し怖い。
まったく二ヶ月分の緊張を返してほしい。
私はこの二人の実力を確かめるために、二ヶ月も泥だらけになっていたのに。
いや、でもこれで分かったことがある。
ここらの人が近づかないCランクダンジョンの入り口の前で一日過ごしてから、夕方に帰る。
それなら、髪は乱れないし、ブーツの底も減らない。
そして素材は、どこかで買ったものを提出すればいい。
肉屋が捌いたような、あの真っ直ぐな切り口の素材を。
三つの気になることが、全部一本の線で繋がった。
木の陰で着替えて出ていくと、フォルゼンも同じ格好になっていた。
全身黒ずくめに、白い仮面。
背の高い男がそれを着ていると、かなりの威圧感がある。
私が着ていると、たぶんかなり間抜けだ。
「着替えましたけど……」
「よし。じゃ、突っ込むよ」
「え?」
手を引かれ、勢いよく走り出す。
斜面を駆け下りる。
その方向は、ダンジョンの入り口であり、つまり、二人が優雅にピクニックをしている真正面だった。
「ちょっ……!!」
そして、私たちは二人の前に立った。
恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
というか、バレないといいけれど。
「やあ」
フォルゼンが朗らかに言った。
お互いの口に苺を運ぼうとしていた二人が、そのままの姿勢で固まった。
「……ど、どちら様ですか」
ルドルフは苺を持ったまま言った。
「見ての通り、冒険者さ」
「見ての通り、と言われましても」
「君たちがここでピクニックしてるから、ダンジョンの中に入りづらくてさ」
「あ、どうぞ。俺たち入る気ないんで」
「あ、そう? じゃあ勝手に入るね」
「どうぞどうぞ」
「……じゃなくて」
フォルゼンが咳払いをした。
「君たち、近辺の学院の生徒でしょ。鎧の下から制服が見えてるよ」
二人の顔から、血の気が引いた。
というのも、学院には、はっきりとした規則がある。
生徒がダンジョンに入る場合は、事前に届け出を出して教員の許可を得ること。そして、届け出を出しておきながら実際には入っていなかった場合、それはすなわちサボったということで虚偽申告として扱われる。
最悪、退学もあり得る。
「が、学院に通報するつもりですか」
「うん。そのつもり……だけど。でもまあこの条件を呑んでくれたら、黙っててあげる」
「条件……?」
「このダンジョンを、二人で攻略できるのなら見逃してあげるよ」
そう聞いて、私は仮面の下で首を傾げた。
二人はAランク冒険者だ。
そして、ここはCランク。
Aランク冒険者なら一人でも余裕で潜れる難度なのだから、これは条件でも何でもない。
むしろ、ずいぶん甘い話だ。
なんてったって、ルドルフ曰く二人は「戦友」なのだから。
「……わ、分かりました」
震える声でルドルフは言った。
「ルドルフ様、でも……!」
「だ、大丈夫だ、ベイビー! 俺らなら、やれる」
どうして震えているのだろう。
私が一人で潜れるダンジョンを前に、Aランクが二人揃って。
二人は恐る恐る、暗闇へと入っていった。
「……これ、何なんですか」
私は小声で訊いた。
「じきに分かるさ、リリっち」
答えを聞くまでもなかった。
「きゃあああああ!!!」
悲鳴が、中から響いた。
入って、たぶん二十を数えるかどうかという時間だった。
「よし、中に入ろうか」
フォルゼンが、楽しそうに言った。
最初の広間に入った私たちは、立ち尽くした。
ルドルフとマリエルが、走っていた。
というよりも、逃げていた。
剣は抜いている。
抜いてはいるが、振っていない。
両腕で抱きかかえるように持ったまま、広間の中をぐるぐると走っている。
その後ろを、グロウルトードが一匹、ぴょんぴょんと追いかけていた。
二ヶ月前、私が初日の一振りで壁まで飛ばした、あのカエルの魔物だ。
「タスケテェ!」
ルドルフが叫んだ。
「誰か! 誰かァ!」
私は、口を開けたまま立ち尽くした。
(まさか、この二人。こんな魔物にも、勝てないの?)
いや、勝てないどころではない。
戦おうともしていない。
「——きゃっ!」
するとマリエルが、石の段差に足を取られた。
右足だった。
ぐきり、と嫌な音がして、彼女はその場に崩れ落ちた。
「痛い、痛いっ……!」
「マ、マリエル!」
カエルが跳ねる。
ようやくルドルフは剣をカエルに振る。
だが、それは剣の振り方を知らない人間の振り方だ。
兄弟にふざけて虫を顔の前へ突き出されたとき、必死に手で払いのけようとする——ちょうどそんな動きだ。
「はい、そこまで」
フォルゼンが軽く手を上げると、カエルの動きが鈍った。
私はできるだけゆっくり歩いていって、剣を抜いた。
今度は左の前足を、ちょんと突く。
カエルは壁まで吹き飛んで、動かなくなった。
そして、何も言わずに鞘に剣をしまった。
広間が、静まり返った。
(ふっ、見たか、この強者感)
と思いながら、ルドルフの方を振り返ると、彼は両膝をついていた。
「あ……ありがとうございます! ありがとうございます!」
何度も何度も頭を下げる。
鼻水を垂らしながら。
正直に言うと、がっかりした。
彼に好意やかっこいいという感情はもともとなかった。
ただ、私が二年間、機嫌を損ねないように笑い続けてきた相手がこれなのか、と思った。
「お、お二人とも、ものすごくお強い……! もしやSランク帯の方々ですか!?」
「違う違う。ただの無法冒険者さ」
私は何も言わなかった。
声を出せば、正体がばれるからだ。
代わりに、マリエルの右足首を見ていた。
靴の上からでも分かるほど、もう腫れ始めている。
軽い捻挫ではない。
治るまで、ひと月はかかるだろう。
私の目には、それがはっきりと見えた。
「それであの学院に通報するお話ですがー」
「まあいいよ。今日のところは、学院には黙っといてあげるよ」
「ほ、本当ですか!」
二人は何度も頭を下げて、私とフォルゼンの手を握った。
ルドルフが、両手で私の手を握る。
二年間、婚約者として何度かしか触れてこなかった手だ。
その手が今、私を命の恩人として握りしめている。
私が誰なのかも知らずに。
「まあ、痛い目を見るのは後からだけどね」
フォルゼンが、ぼそりと呟いた。
「今、何かおっしゃいましたか?」
「いやいや、君たちが無事でよかったなって」
ダンジョンを出て服を着替えた後、森の道を歩く間、私はしばらく黙っていた。
「リリっち。怒ってる?」
「怒っては、いません」
「じゃあ?」
言葉を探した。
「——よかったです」
「よかった?」
「はい。ルドルフ様は私に、神経質だと言いました」
「うん」
「そんな大したことないことを気にするな、と」
「うん」
「でも、大したこと、だったんですね」
声が震えた。
「私が気にしていたのは、全部、大したことだったんです。その事実が確認できたから、よかったです」
フォルゼンは何も言わなかった。
ただ、歩く速さを少しだけ落として、私の歩幅に合わせてくれた。
それだけのことが、やけに優しく感じた。
その日を最後に、フォルゼンは姿を見せなくなった。
次の週、いつもの森へ行っても、彼はいなかった。
その次の週もいなかった。
ギルドの掲示板からは、例の張り紙も剥がされていた。
それからも一人でダンジョンに潜った。
何の問題もなかった。
見て、当てて、見て、当てての繰り返し。
それだけで、魔物は私に触れることもできなかった。
ただ、帰り道に串焼きの話も鳩の話もないのは、思っていたより物足りなかった。
そして二週間後、私は中庭で、何回目かの「ただの戦友」を言われた。
決闘を申し込むと決めたのは、その場の勢いではない。
あのピクニックの日から、ずっと考えていた。
二人が本当はAランクの実力を持っていないことを、私は知っている。
けれど、私が「あの二人は弱い」と言ったところで、誰も信じない。
「神経質な婚約者の言いがかり」で片づけられるだけだ。
だから、大勢の前で、実際に負けてもらうしかない。
剣も握ったことのない令嬢に一撃で負けるAランクがいれば、誰だって思うはずだ。
でも、もしも私が勝てばどうなる?
そこから先は、私が何か言うまでもない。
◇
——三日後。
決闘の日は、よく晴れていた。
立会決闘は、学院の南闘技場で行われる。
石を円形に組んだ、古い闘技場だ。
使うのは木剣のみで、攻撃魔法は禁止。
立会人は教員が務め、どちらかが地に伏すか、降参を口にした時点で終わる。
観客席は、満員だった。
剣を握ったこともない令嬢が、Aランクの登録生二人に決闘を申し込んだのだ。
こんな面白い見世物が、学院中に広まらないはずがない。
闘技場に出ると、歓声と笑い声が半々で上がった。
私は制服の上に、簡素な胴当てだけをつけている。髪は後ろで一つに束ねた。
対する二人は、学院支給の訓練着に、磨き上げられた革鎧。手には、使い込まれた木剣。
絵面だけを見れば、勝負は見えている。
「リリア、今からでも遅くない。取り下げろ」
「いいえ」
「恥をかくのはお前だぞ」
「では、かかせてくださいませ」
彼は舌打ちをした。
「マリエル嬢。あまり傷ましくない方法でやってやれ」
婚約者の味方を装うのは、はなから無いらしい。
観客席がざわめく。
——見ろよ、ヴァイゲル様を令嬢二人が取り合ってるぞ!
——修羅場だ、修羅場!
——でもまさか、剣も持ったことのない令嬢が、あの二人に喧嘩を売るなんてなあ。
その声を聞いて、ルドルフは、まんざらでもない顔をした。
口の端が、少し上がっていた。
自分を取り合って女二人が争っている、と思われるのが嬉しいのだ。
この男は二年間、ずっとそうだったのかもしれない。
「双方、位置に——」
「始め!」
教員の声を遮って、ルドルフが勝手に合図をした。
規則違反だが、誰も止めなかった。
マリエルが、木剣を肩に担いで歩いてくる。
走りもしない。
二週間前、あのダンジョンで鼻水を垂らして頭を下げていたのと同じ顔に、余裕の笑みを浮かべて。
剣も握ったことのない令嬢には負けないと自負しているのだろう。
「リリア様。この際ですから、はっきり申し上げますわ」
観客席が、しんと静まった。
「根暗で、神経質で、いつも俯いてばかり。そんなあなたが、ルドルフ様の隣に立てるとでもお思い?」
「……」
「ルドルフ様のためになることなんて、何ひとつできないくせに。婚約者の座にしがみついているだけの、お荷物ですわ」
まるで酷い言われようだ。
マリエルが、木剣を振り上げて踏み込んだ。
「ルドルフ様に必要なのは、強くて、華やかで、あの方を支えて差し上げられるわたくしのようなぁぁ——!」
ドン、と鈍い音がした。
そして、立会人が少しして口を開いた。
「……しょ、勝者、リリア・エストハル」
立会人の声が裏返っていた。
一拍遅れて、闘技場が爆発した。
——今の見たか!?
——一撃で、マリエル嬢が床を三回跳ねてから……。
——闘技場の壁際に転がってったぞ!?
——何した!? 今、何したってんだ!
何をしたのか、と聞かれても、大したことはしていない。
マリエルが台詞の途中で木剣を振り上げて、喋りながら仕掛けて、こちらの不意を突くつもりだったのだろう。
その瞬間に、右足首が空いた。
二週間前に捻ったあの足首を、彼女は無意識に庇っている。
右足に体重を乗せる直前、ほんの一瞬だけ、重心を左に逃がす。
だから踏み込んだその一瞬だけ、右足首が完全に無防備になる。
私は腰を落とさず、構えも取らなかった。
ただ下から、とん、と木剣の先を当てただけ。
撫でたくらいの感触だった。
マリエルの体が、石の床を三回跳ねて、闘技場の壁際まで転がっていった。
ルドルフは、口を開けたまま固まっていた。
次に私は彼に向き直った。
「では、次はルドルフ様の番ですね」
「……え?」
観客席から、間の抜けた声が漏れた。
——取り合いじゃなかったの?
——本当に婚約者に決闘を申し込むのか!?
「ま、待て。俺はお前の婚約者だぞ」
ルドルフが、一歩下がった。
「婚約者に剣を向けるのか!」
「はい、向けます。お二人まとめて、と申し上げましたので」
木剣は、構えなかった。
必要がないのだ。
ルドルフは、昔から姿勢が悪い。
書き物をするとき、いつも体が左に傾いている。
そのせいで、右の腰骨の上がいつも強張っていて、剣を振り上げるときに無意識にそこを庇う。
二年間、近くで神経質に見てきたおかげだ。
まさか、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「俺がお前なんかに負けるわけが——」
振り上げた。
右の腰が、空いた。
——とん。
ルドルフ・ヴァイゲルは、闘技場の真ん中で、見事に宙を舞った。
そして、尻から落ちた。
びりっ、と派手な音がして、訓練着のお尻が裂けた。
一瞬の静寂のあと、誰かが噴き出した。
それが三人になり、十人になり、やがて闘技場全体が爆笑に包まれた。
「……まさか、ここまで手応えがないなんて」
尻もちをついたまま、ルドルフが真っ赤な顔で私を見上げていた。
その目には、怒りも屈辱も恐怖もあった。
でも、そんなものはいらなかった。
「勝者、リリア・エストハル!」
今度こそはっきりと、立会人が宣言した。
闘技場が沸いた。
——こりゃルドルフ様とマリエル嬢がAランクってのは嘘かもしれんな。
——二人が訓練って言ってたのも怪しいんじゃねえか?
——そういえば、帰ってくる時も無傷でしたし。
だが、その中で観客席から鋭い声が飛んだ。
「だが待て、これはまずくないか!」
上級生の男子生徒だった。
「ヴァイゲル侯爵家とエストハル子爵家の縁談だぞ! 格下の家の令嬢が、婚約者を公衆の面前で打ち負かすなんて!」
ざわめきの質が変わった。
——確かに……侯爵家の面子が丸潰れだ。
——勝負に勝ったのはすごいが……。
——エストハル家、ただじゃ済まないんじゃないか。
まずいことになった。
賭けには出た。
ここまで見せれば、どちらに非があるかは誰の目にも明らかになるはずだと。
侯爵家を敵に回す危険くらい、百も承知の上だった。
浮気は証明されたも同然だ。
「ただの戦友」が嘘だったことも、もう誰にも否定できない。
それなのに、この場の人たちが先に見たのは、結局、家の格だった。
(失敗した、読み違えてしまった。決闘という習わしを鵜呑みにしすぎてしまったか)
婚約破棄だけでは済まないかもしれない。
断罪も、国外追放さえもあるかもしれない。
大衆が一気にルドルフの肩を持つようになった今、私にできることはない。
木剣を下ろして、私に対する野次がし始めた闘技場を出ようとしたときだった。
風が吹いた。
上からだった。
その人影が、飛び降りた。
十数メートルはあったはずだ。
なのに、着地の音はひとつもしなかった。
「待たせたね、リリア」
声は、聞き覚えのあるものだった。
けれど、いつもの軽い調子ではない。
低く落ち着いた、よく通る声だった。
白を基調にした服に、金糸の刺繍。
肩には深い青のマント。
胸には、王家の紋章。
右手の人差し指には、大きな印章指輪。
そして顔は、見慣れた顔だった。
「……フォルゼン様?」
誰かが椅子を倒した。
誰かが、悲鳴のような声を上げた。
「だ、第一王子殿下……!?」
観客席の全員が、一斉に立ち上がり、その場に膝をついた。
第一王子、フォルゼン・アルディス・レイヴンハルト殿下。
十四歳で国外の魔法学院へ留学して以来、ほとんど王都に戻っていないと噂されていた方だ。
だから、私は第一王子の顔を知らなかった。
殿下の後ろから伝令官が羊皮紙を開いた。
『王命により申し渡す』
ざわめきが、断ち切られたように止まった。
『ヴァイゲル侯爵家ルドルフ・ヴァイゲル。並びに、サンドラス伯爵家マリエル・サンドラス』
名を呼ばれた二人が、同時に顔を上げた。
『両名は学院規定に違反したものと認める。よって、いずれも放校とする。
併せて、両名の冒険者等級を剥奪し、以後の再登録を認めない』
悲鳴に近い声が上がった。
『そして両家の縁談に関する非は、エストハル子爵家にはないものと王家が認める』
さっきまで私に向いていた視線が、行き場をなくして揺れていた。
伝令官が羊皮紙を持ち替えた。
『続けて、ここに申し上げる』
その声が、わずかに張った。
『——第一王子フォルゼン・アルディス・レイヴンハルト殿下は、本日この場にて、リリア・エストハル嬢との婚約を正式に発表させる』
……え?
……ええええええええええええええええ????
一拍置いて、闘技場が揺れた。
悲鳴なのか歓声なのか分からない声が、四方から押し寄せてくる。
尻を出したまま座り込んでいたルドルフが、白目を剥いて後ろに倒れた。
私は何ひとつ状況を飲み込めないまま、フォルゼンに手を取られ、闘技場の外に待たせてあった馬車へと連れて行かれた。
◇
馬車の中は、外の騒ぎが嘘のように静かだった。
向かいに座ったフォルゼンは、正装のまま足を組んでいる。
座っていても、頭が天井に届きそうだった。
「あの、フォルゼン様」
「なんだい」
「王子殿下だったんですか……?」
「うん、そうだよ」
あっさりだった。
「あ、なになに。もしかして王子様らしく白馬で来なかったから感動が薄い?」
「そういう話ではありません!」
私は頭を抱えた。
おかしいとは思っていたのだ。
宮廷魔法士の領域の魔法を使い、Cランクダンジョンを散歩のように歩き、右手には印章指輪の跡があった。
そして、彼の弱点が見えなかった。
「フォルゼン様。なぜ私には、あなたの弱点が見えなかったのでしょう」
「お、そこ気づいてたんだ」
「二ヶ月間、ずっと気になっていました」
「さすが神経質」
「それ……褒めてますか?」
「そりゃ最大級に」
彼は笑って、窓の外に目を向けた。
「王家の人間はね、生まれたときに〈遮断〉の加護をかけられるんだ。読心も鑑定も弱点看破も、全部弾く。だから君には、僕が真っ白に見えた」
「そうだったんですね……」
なるほど。
あの真っ白さには、ちゃんと理由があったのだ。
「では……王子殿下ともあろう方が、どうしてあんな張り紙を」
「あー、ギルドの張り紙? あれは釣り。僕、実は国内の未発見スキル持ちを探して回ってるんだよ。学院での研究の延長戦上のものなんだけどね」
彼は指を一本立てた。
「で、一番見つからないのが、自分のスキルを『性格の欠点』だと思い込んでる人。気が散りやすいとか、しつこいとか、心配性とか」
「……神経質、とか」
「そうそう。そういう人は、誰かに言われて自分を直そうとする。だから一生気づかない」
「でも、あんな怪しい張り紙、誰も引っかからないと思いますけど」
「そんなことはないじゃない。一人だけ足を止めてくれた子がいたもん。十分もジーッと見つめてた子が」
「だから一分も見てないですって!」
でも、普通の人だったら、三秒で通り過ぎる張り紙。
わざわざ立ち止まって、連絡先がないことに気づいて、書いた人の意図まで考えるのは、よほど細かいことが気になる人間だけだ。
つまりあの張り紙は、最初から神経質な人間だけを釣るための罠だったのだ。
「えっと……では、この二週間、姿を見せなかったのは」
「ああ、それね? 書類仕事」
フォルゼンは、指を折って数え始めた。
「まずギルドに頼んで、あの二人が提出した素材の出どころを調べてもらったでしょ? 全部、王都の素材問屋で買ったものだったよ。切り口が綺麗すぎるって、君が言ってたからね」
「……」
「それをヴァイゲル侯爵に見せた。侯爵、顔が真っ青になってたなあ。息子の虚偽申告と素材の偽装が表に出る前に、エストハル家との婚約は自分から解消するってさ。今朝付けで、署名もしてある」
私は、ぽかんと口を開けた。
「それから急いで君のお父上に会って、宰相を説得して、父上——陛下の許可をもらって。いやあ、忙しかった」
「決闘の前から、全部……」
「君が勝つのは分かってたからね。あとは、勝ったあとに君が困らないようにしておいただけ」
上級生が心配していた「侯爵家の面子」は、もうどこにもなかったのだ。
決闘が始まる前から、とっくに。
——でも。
「では、私との婚約も……スキルのため、ということなんですね」
王家が希少なスキル持ちを囲い込むのは、珍しい話ではない。
そう考えれば、全部に説明がつく。
子爵令嬢が第一王子の婚約者になるという、ありえない話も。
これだけ手厚く、先回りして守られたことも。
ありがたいことだ。
ただ、胸の奥が、なぜかすっと冷えた。
二年間、味わってきたものとは違う冷え方だった。
「……そうですよね。それなら、納得です」
私は笑った。
口角を上げて、目を細めて、少しだけ首を傾げて。
二年間、ずっとそうしてきたように。
「その顔、やめてほしいな」
フォルゼンが言った。一段、低い声だった。
「リリっち、何か嫌なことがあれば、その顔するよね。あんまり好きじゃないからやめてほしいよ」
「す、すみません」
彼は身を乗り出して、私の顔を覗き込んだ。
薄い銀色の目が、すぐそこにあった。
「宰相にはスキルが理由だって説明したし、書面にもそう書く。そう書いておけば、誰も文句を言えないからね」
「……はい」
「でも僕は、そんな理由で結婚相手を決めたりしないよ」
馬車が、がたんと揺れた。
「じゃあ、どうして」
「——君のことが好きになったから。それだけ」
言葉が出てこなかった。
「怪しい張り紙の前で真剣に考え込んで、怪しい男に面と向かって説教して、なのに律儀についてきて。ドレスで泥まみれになって、文句を言いながら、でも次の週もちゃんと来た」
「それは……」
「指輪の跡のことを気づいた子なんて、君だけだよ」
顔が熱くなった。
「そ、それはただ、神経質なだけで」
「うん」
「本当に、ただの性格で」
「うん」
彼は頷いてから、こう言った。
「あのね、リリア。君には僕の弱点が見えないかもだけど、僕には君の弱点が明白に見えるよ」
「え……もしかして、フォルゼン様も〈神経質スキル〉を?」
「違う違う、スキルは関係ないの。これはただの、僕の観察」
指が一本、立てられる。
「君の弱点はね、自分が頑張ったことを、自分で認めないところ」
息が詰まった。
「二ヶ月で二百体以上狩って、Bランクまで上がって、ちゃんと決闘に勝つという目標を達成させた。それなのに三日前の中庭で、君、自分のことを『一般人』って言ってたでしょ」
「見てたんですか」
私は、両手で顔を覆った。
視界が滲む。
二年間、一度も泣かなかったのに。
笑うのが、上手になったと思っていたのに。
「……ずるいです」
「うん? ずるい?」
「そんなことを言われたら、断れないじゃないですか」
「断られる気は最初からないよ!」
「もう、開き直らないでください!」
馬車の中に、二人分の笑い声が響いた。
窓の外を、王都の街並みが流れていく。
串焼きの屋台の前を通り過ぎたとき、鳩が一羽、フォルゼンの側の窓に向かって飛んできて、ぶつかる寸前で方向を変えていった。
本当に恨まれているらしい。
◇
後日談を、少しだけ。
ヴァイゲル侯爵家は、嫡男ルドルフを廃嫡した。
理由は、ダンジョン探索の虚偽申告と、ギルドへの素材偽装提出。
二人のAランクは伝令官の報告通り、即座に取り消され、ギルドの記録から名前も消された。
私が何か訴えたわけではない。
彼らが自ら引き起こした結末に過ぎない。
サンドラス伯爵家は、マリエルを領地の修道院へ送った。
右足首はもうすっかり回復したと聞いている。
エストハル子爵家は、王家との縁組によって、一躍その名を知られることになった。
父は三日間寝込み、母は五日間泣き続けた。
どちらも、嬉しさのあまりである。
そして私は、相変わらずダンジョンに潜っている。
今では王家直属のダンジョン攻略隊についていき、楽しくやっている。
王子の婚約者が魔物狩りなどとんでもない、と宰相閣下には何度も止められた。
けれど、その婚約者本人が一番楽しそうについてくるので、隊の誰も強くは言えないらしい。
そして先日、Aランクの認定を受けた。
張り紙の通り「三回の訓練で」とはいかず、六ヶ月と少しかかったけれど。
「ねえ、リリっち」
「殿下。人前ではその呼び方はおやめくださいと、何度も申し上げていますよ?」
「いいじゃーん。今は人前じゃないもん」
ダンジョンからの帰り道。
彼はいつものように、私の隣を歩いている。
「一つ訊いていいかな? あの二人が『ただの戦友』って言ってたの、本当はもっと前から嘘だって気づいてたんじゃないの?」
少し考えた。
確信したのは、あのピクニックの日だ。
確かめようと決めたのは、二ヶ月前。
でも、最初に「おかしい」と思ったのは——
「そうですね、たぶん、最初からです」
一年生の春。
「マリエルとは戦友だからな」と、ルドルフが初めてそう言ったとき。
胸の奥で、何かが小さく引っかかった。
「じゃあ、なんで二年も黙ってたの? 僕だったら、すぐその場で言っちゃうけどなー」
「フォルゼン様はそうかもしれないですけど、私は神経質だと言われましたので」
私は、空を見上げた。
「私は、自分の目より、あの人の言葉の方を信じてしまったんです」
フォルゼンは、しばらく黙っていた。
それから、いつもの軽い調子で言った。
「じゃあ、これからは自分の目を信じてね」
「そうします」
「なんなら、僕のことも疑っていいんだよ」
「もう疑っておりますよ」
「えっ、僕何かしたかな!?」
「先ほど、ギルドの受付の方と親しげにお話しされていましたよね。十秒で終わる会話を一分もかけて」
「数えてたの!?」
私は、にっこりと笑った。
「神経質ですから」
フォルゼンは、心の底から嬉しそうに笑った。
(了)
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