ティー・レックス
当時僕は田舎で暮らしていた。僕の勤める安土商事は、地元では有名な企業だった。以前賃貸マンションを主に取り扱う不動産屋に物件を探しに行った時そこの店員から「そちらの従業員の方にも何度かご紹介させていただいたことがあるんですよ」と言われたことがあった。それは田舎社会の狭さ、というものをたった一言に詰め込んだ、いわば皮肉にも似た社交辞令のようなもので、特別取って沙汰する必要もないようなものでもあったが、それとは別の理由で僕は「はあ、どこの店舗だろう」と尻下がりな受け答えで曖昧に流そうとした。従業員数の多い会社なのでピンとこなかったということもあるが、なにより県内に十六店舗という地元最大手とはいえパチンコ屋の従業員という職種は僕にとっては肩身の狭いものでしかなかったからである。
ある者は県内の大企業と呼び、ある者は悪名高き…とも言うだろう。まさに因果な商売だった。
二十一歳を迎える一月前に僕と明日美は出会った。
その日僕は栄司の組んでいるバンドの演奏を聴きに、市内にあるライブバー「タマシイ」に来ていた。
一人でカウンターに腰を掛けてマスターである新田さんにビールを注文した。その時彼から紹介されたのが明日美だった。新田さんは自分の姪を店に連れて来たのは初めてだったようで顔の利く常連客に「うちの姪、かわいいだろう」とか「手を出すなよ」とかおちゃらけながら紹介して回った。
実際、明日美は魅力的な女だった。端正な顔立ちの中背で、肩から背中に流れる黒くしなやかなロングヘアー。細身に似合うシンプルな青地のワンピースに、手に抱えるマウントレイニアデザインの小さなアウトドアバッグは…本来肩に掛けているのだろう。どこか少女的な出で立ちで、それでいてこのライブバーの暗がりに浮かぶ彼女の笑顔は妖艶に映えた。
年齢は僕と同じだった。
「宮沢さんってオニオンで働いているんですか?どこの店舗なんですか?」
明日美は常連客に一通り挨拶し終えカウンターに戻ると、一瞬所在なげに持て余したが、僕を見つけ隣に座りなおした。オニオンとは安土商事が展開するパチンコチェーンの名称だ。
「あれ、その話し、誰から聞いたの?」
「えっと、あの、あそこの、シゲさん、でしたっけ」
シゲさんは古きよきブリティッシュ・ビートというものを愛する中年男で、タマシイの常連であるのと同時にオニオンの常連でもあった。何やら隅のテーブルでぶつぶつ独り言を言いながら酒を煽っている。
「シゲさんは”両方”の常連だから」と僕が笑って見せると明日美も笑いながら「好きなんですね」と返した。
「僕はこの近くの店舗だよ」
「どっちだろう、二つ、ありますよね…新しいほうと、古いほう」
「そこは内緒にしとこうかな」
「あはは、内緒なんだ」と言った明日美が手を合わせながら笑う姿に思わず見とれてしまいそうになった。それに初対面が苦手な僕が珍しく自然に笑えた気がした。
「パチンコはやったことは?」
「一度もないかな」
「それならこのまま一生やらないほうがいい」
「うん、一生やらないと思う」
「そのほうがいい」本当に思った。
「でも、宮沢さんのお店には行く」
「いや、教えないよ」
「大丈夫よ、両方顔出してやるもの」
「ははは、参ったな」
会話の流れが心地よい。きっとそれは明日美の魅力のおかげだったのだろうと気付いたのはタマシイを後にし、自宅に戻ってからのことだ。
「叔父さんの影響で音楽、凄く好きになっちゃって」
「どんなバンドが好き?」
対象を「バンド」に限定したのは間違いではなかったようだ。明日美はくるりと周りを見渡すと「あ、あれ」と言って、壁一面に不規則に張られた無数のポスターや外国の新聞、地元バンドのフライヤーなどの中から一枚のポスターを見つけ出すと指差した。
T.REXだった。
明日美と別れる際「また会えますか」と聞かれたので少し考えてから「駅前の新店、新しい方の店だから」と言った。しばらくしてから、少し違ったかな、とも思ったがすぐに気にしなくなった。
明日美はぺこりとお辞儀をしてから僕とは逆のほうに向かって歩き出した。