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第一章

初めて書きます。ローペースで更新することになりそうですが、お手柔らかにお願いいたします。

 七月七日零時丁度を迎えた時、僕は世田谷にあるマンションの部屋にいた。青山の小さな家具屋で、初任給で購入したエスニック系の装飾がされた照明器具が橙色の光を放つ。

 僕はソファに腰掛けている。

 日付が変わったのを見計らうように、二通のメールを携帯電話が受信した。

 親友の栄司と、僕の恋人の佐緒里。

 栄司からは使い慣れていない絵文字を添えて「おめでとさん」と一言。佐緒里からのメールを読み、僕たちが交際を始めてから今回が四度目の誕生日になるのだと気付いた。

 消音状態にされてから十数分間付け放しにされているテレビは今、ドレス姿の女を映し出している。ぽってりとした男心を擽る分厚い唇に新作ルージュを不敵に塗りつけると、まるで水しぶきが彼女を祝福するように吹き上がり、艶かしい肌にぶつかった。

 

 誕生日というものはもはや子供の時のように嬉々とするようなものではなく、それはもう二十歳という世間的な子供と大人の区切りを迎えて五年が経った今でも変わることはない。すでに、新しい玩具を貰うことの出来るありがたい一日、だとは認識できないくらい大人になってしまった僕には、この観念的な一日をどのような気分で過ごせばよいのか、その答えを見出せないままただ歳を積み重ねてきたように思う。そしてこれからもそれは変わらないのであろう、とも思う。

 そして、はなはだ矛盾だと知りつつも、栄司の誕生日には同じように素っ気無いながらにも旧友としての礼儀を尽くすし、佐緒里には奮発したプレゼントなどを贈ったりするのである。

 そんなことを考えていると、もはや提携文的な文章にしかならないと思い辟易し、二人の大切な者への返信は後回しにしようと、携帯電話をベッドに向けて放り投げた。

 対象物が放物線を描き、柔らかな布団に軟着陸するまさにその瞬間、着信音が鳴り響き僕は一瞬抵抗できずに戦慄いた。

 僕は不時着した携帯電話を拾い上げて通話ボタンを押した。

「もしもし」そう言うと「宮沢くん?」と返ってきた。柔らかな女の声だった。

「そうだけど」

「あたし、明日美、覚えてる?」

…木山明日美。信じられなかった。僕は無音で光を放つフラット画面を一瞥した。

「久しぶり、覚えているよ」と、無理に抑揚を抑えつけた僕の声は不自然だったかもしれない。

「よかった、番号、変わってなかったんだね」と明日美は穏やかに言うと「叔父さんから番号を聞いたの、しばらく会っていないから、番号変わってしまってるかも、って言ってたから」と続けた。

「そうなんだ」

「いま、邪魔だった?」

「ううん、そんなことないよ」

「よかった、うん、とにかく電話が繋がって、よかった」

「なにか、あったの?」

静か過ぎる僕の部屋は、電話の向こうの静寂と一つになる。

「ただ、ちょっと久しぶりに声が聞きたくなって、自分でも変なの、って思ってる、ごめんね、また、電話していい?」

「うん、大丈夫だよ」考える前に言った。

 その後ほとんど余韻に近いような言葉のやり取りを数回だけして明日美は「また、かけるから、電話」と残して電話を切った。

 僕は状況を理解できないまま受け答えをしていた。漫画にしたらきっと僕の吹き出しには無数のクエスチョン・マークが描かれていたに違いない。

 僕らの言う「ひさしぶり」は四年の歳月を埋めるには軽すぎる言葉のように思えた。

 誕生日と知っての電話だったのだろうか。そう思った瞬間、明日美からそのことについって触れられなかったことに対して残念に思っていることに気付いた。自らの誕生日に対する矛盾に次ぐ矛盾を目の当たりにし、自分で可笑しくなり僕はそのままベッドに倒れ込んだ。



*****



 当時僕は田舎で暮らしていた。僕の勤める安土商事は、地元では有名な企業だった。以前賃貸マンションを主に取り扱う不動産屋に物件を探しに行った時そこの店員から「そちらの従業員の方にも何度かご紹介させていただいたことがあるんですよ」と言われたことがあった。それは田舎社会の狭さ、というものをたった一言に詰め込んだ、いわば皮肉にも似た社交辞令のようなもので、特別取って沙汰する必要もないようなものでもあったが、それとは別の理由で僕は「はあ、どこの店舗だろう」と尻下がりな受け答えで曖昧に流そうとした。従業員数の多い会社なのでピンとこなかったということもあるが、なにより県内に十六店舗という地元最大手とはいえパチンコ屋の従業員という職種は僕にとっては肩身の狭いものでしかなかったからである。

 ある者は県内の大企業と呼び、ある者は悪名高き…とも言うだろう。まさに因果な商売だった。


 二十一歳を迎える一月前に僕と明日美は出会った。

 その日僕は栄司の組んでいるバンドの演奏を聴きに、市内にあるライブバー「タマシイ」に来ていた。

 一人でカウンターに腰を掛けてマスターである新田さんにビールを注文した。その時彼から紹介されたのが明日美だった。新田さんは自分の姪を店に連れて来たのは初めてだったようで顔の利く常連客に「うちの姪、かわいいだろう」とか「手を出すなよ」とかおちゃらけながら紹介して回った。

 実際、明日美は魅力的な女だった。端正な顔立ちの中背で、肩から背中に流れる黒くしなやかなロングヘアー。細身に似合うシンプルな青地のワンピースに、手に抱えるマウントレイニアデザインの小さなアウトドアバッグは…本来肩に掛けているのだろう。どこか少女的な出で立ちで、それでいてこのライブバーの暗がりに浮かぶ彼女の笑顔は妖艶に映えた。

 年齢は僕と同じだった。

「宮沢さんってオニオンで働いているんですか?どこの店舗なんですか?」

 明日美は常連客に一通り挨拶し終えカウンターに戻ると、一瞬所在なげに持て余したが、僕を見つけ隣に座りなおした。オニオンとは安土商事が展開するパチンコチェーンの名称だ。

「あれ、その話し、誰から聞いたの?」

「えっと、あの、あそこの、シゲさん、でしたっけ」

 シゲさんは古きよきブリティッシュ・ビートというものを愛する中年男で、タマシイの常連であるのと同時にオニオンの常連でもあった。何やら隅のテーブルでぶつぶつ独り言を言いながら酒を煽っている。

「シゲさんは”両方”の常連だから」と僕が笑って見せると明日美も笑いながら「好きなんですね」と返した。

「僕はこの近くの店舗だよ」

「どっちだろう、二つ、ありますよね…新しいほうと、古いほう」

「そこは内緒にしとこうかな」

「あはは、内緒なんだ」と言った明日美が手を合わせながら笑う姿に思わず見とれてしまいそうになった。それに初対面が苦手な僕が珍しく自然に笑えた気がした。

「パチンコはやったことは?」

「一度もないかな」

「それならこのまま一生やらないほうがいい」

「うん、一生やらないと思う」

「そのほうがいい」本当に思った。

「でも、宮沢さんのお店には行く」

「いや、教えないよ」

「大丈夫よ、両方顔出してやるもの」

「ははは、参ったな」

 会話の流れが心地よい。きっとそれは明日美の魅力のおかげだったのだろうと気付いたのはタマシイを後にし、自宅に戻ってからのことだ。

「叔父さんの影響で音楽、凄く好きになっちゃって」

「どんなバンドが好き?」

 対象を「バンド」に限定したのは間違いではなかったようだ。明日美はくるりと周りを見渡すと「あ、あれ」と言って、壁一面に不規則に張られた無数のポスターや外国の新聞、地元バンドのフライヤーなどの中から一枚のポスターを見つけ出すと指差した。

 T.REXだった。


 明日美と別れる際「また会えますか」と聞かれたので少し考えてから「駅前の新店、新しい方の店だから」と言った。しばらくしてから、少し違ったかな、とも思ったがすぐに気にしなくなった。

 明日美はぺこりとお辞儀をしてから僕とは逆のほうに向かって歩き出した。



*****



タマシイで明日美と出会ってから数日後。仕事が終わり家に着いたのが深夜一時頃だった。夜から降り出した雨は勢いを強め今では屋根に穴が開くのではないかというような轟音を発するようになり、まるで銃撃を受けているかのような気分にさえなった。僕はバスタオルを手に取り頭の水気を拭き取りながらノートパソコンを開いた。

 メールソフトを起動すると同時に数件のメールマガジンと栄司からのメールを受信した。栄司は二年前から鹿児島で大学生活を送っている。地元で暮らしていた頃のバンド活動は鹿児島移住に伴い中断せざるをえなかったが、ここ一年の間で活動を再開させタマシイでのライブをきっかけにこちらへ帰ってくるようになった。ついこの間のライブが三回目のライブだった。

「件名 うまく録れてる 本文 この前のタマシイでのライブ音源を送る。データ容量が大きいので下記URLまでアクセスの上、ダウンロードしてくれ。ICレコーダーにコンデンサーマイク、とてもよく録音できてると思う。さすが宮沢だな。ありがとう。 改行 ところで新田さんの姪の明日美ちゃんとうまくやりやがってこのやろう。彼女、敵は少なくないぞ。やるなら上手くやれよ。」

 僕は栄司に指定されたURLにアクセスしデータのダウンロードを開始した。開始直後慌しく変動した、画面の残り時間表示は最初三十秒前と表示されてから一度はあと八時間まで膨れ上がり、最終的にあと四分三十秒あたりに落ち着き、正常にカウントダウンを始めた。屋根への銃撃は衰えずに続いている。

 僕はステータスバーが満たされるのをじっと待ち見つめた。ライブの音源の録音方法をPAからのライン出力による録音から、別機器を用いてのエアー録音に変えてはどうかとアドバイスしたのは僕だ。理由は栄司たちがライン録音した音源をあまり聴きたがらないので、それはなぜかと尋ねたときに「ひどく下手糞に聞こえる」と答えたからだ。ライン録音ではPAに電気信号として送られた音源しか録音が不可能だということ、つまり客席の手拍子や歓声などの反応はそれ専用にマイクを立てるなどしないと録音が不可能だった。これでは臨場感を失った寂しい音源となるのが当然だ。それに各楽器の音量バランスやイコライジング等の音質調整なども、ただ聴くことだけを目的とするならばきっと最適ではなかっただろう。録音方法としてラインかエアーか、どちらが正しいというのはないのだと思う。それを決めるのはライブ音源の用途と最終的な音の好みなのだろう。それで僕は彼らの意を汲んで録音方法を変えるよう促したのだった。もともと僕自身ラインの音というやつが好きではなかった。客席の笑い声や歓声、時には罵声までそれらが全く聞こえないというのはライブ音源としては不十分としか思えなかった。かたやエアーで録音された音源を聴くと、どんな音が客席から響いても一度バンド演奏が始まれば、すべてが溶け込んだ。客席とステージが一体になる様子が音から伝わった。それは歓声が全くないサッカーの試合がどことなく退屈なスポーツに感じるのと似ているような気がした。

 ステータスバーの半分が満たされたのを視認すると、僕は栄司への返信にかかった。

「件名 ライブおつかれさま 本文 エアー録音気に入ってもらえたようで何より。今ダウンロード中。感想は後ほど送る。ライブ、格好よかったぞ。ギター巧くなったよな。師匠がよかったおかげかな、へへ。 改行 明日美ちゃん」

 明日美のことが話題に及ぶとキーボードをたたく指が一瞬止まった。だがまたすぐ打ち出した。

「明日美ちゃんとはこれから何もないと思う。俺、佐緒里が好きだし。」

 読み返さずに送信のラジオボタンを押した。飛行機が飛び立つような効果音と共にメールは送信された。

 程なくしてデータのダウンロードが完了された。zipファイルを解凍しCD-Rに焼きこむ。そしてシャワーを浴びてからベッドの中でライブ音源を聴いた。

 栄司たちのバンドは下手だった。しかしライブは面白かった。それでいいのだと思う。二曲目のローリングストーンズのカバー曲が終わった直後、シゲさんが「金かえせー」と野次を入れ会場がどっと沸いたところで僕の意識は途切れ深い海に沈んでいった。

 銃撃は疲れを知らず朝方まで続いていた。

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