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6 リーリエ、恐れられる

リーリエは激怒した。その日は、子どものうち、娘だけを連れて町に食料と日常品の買い出しに来ていた。

リーリエは28歳、娘は8歳、そして自らの希望で留守番をしている息子は6歳の時である。


トーマスが浮気していたのだ。

もともと、前からチラホラと友人や知り合いから注意を促されていた。

「あまり言いたくないけど、お宅のダンナ、浮気してるわよ、リーリエ」という感じで。

町で、知り合いとも呼べない他人から、変な笑い方で噂話をされることも何度かあった。

「山から降りてきた芋おばさんよ、浮気されてるのにね」という嫌な感じである。

直接言ってくれば話もできるのに、遠くで言うものだからタチが悪い。単に性格が曲がっている。


トーマスに確認したとして、この状態では「気のせいだ」と言われて終わりになる。

リーリエも確認しようがない。

単に噂で、真実は違うという可能性もあるので迷う。この1年ほど不信と不安と共に過ごしてきた。


ところが本日、目撃してしまったのだ。自分より若い、ふくよかなタイプの女の肩を抱きつつ、イチャイチャした態度で町を歩いている姿を。


リーリエについてきた娘も、

「えっ、パパ?」

と驚きの声を上げた。

間違いない。トーマス!! リーリエは、雷に打たれたように怒りを感じ、血がドッと全身を巡るのを感じた。


リーリエは娘の腕を掴み、足早にトーマスの側に至った。娘もリーリエのただならぬ気配を察したようで、小走りになってついてくる。

「あなたっ! 何してんのっ!」


途中から気づいて目を丸くしていたトーマスに、リーリエは怒り声を投げかけた。

トーマスは呆気に取られたようだが、数秒遅れてハッと気づき、女の肩に回していた腕をそうっと外した。

女の方も、マズイ、と思ったのか口をへの字の曲げた。


「違う、違う違う違うこれは違う」

とトーマスは急に早口で言った。

「違う違う違う、勘違いだ」

そんなトーマスの横の女の機嫌が悪くなり、ムッとした目つきでトーマスを睨んだ。


「違う違う、誤解だ。な、そうだろ」

「何が、どこが」

と話しながら、リーリエは気づいた。トーマスが逃亡姿勢に入り出していることに。

伊達に夫婦ではない。トーマスは現役の冒険者。そんなトーマスは逃亡に対する判断と反応が早いのだ、とリーリエは聞いたことがある。


私関係ないんでしょ、と捨て台詞のように小さくトーマスに向けて言った女は、さっとこの場から離脱した。

あとで誰か問い詰めることとして、リーリエの怒りの矛先はトーマスである。

あ。トーマス、いよいよ逃げ出しそう。

リーリエはすぐに察し、咄嗟に背中の武器に手を伸ばした。弓と、矢と。

矢を手にしようとした時、リーリエは瞬間に判断し、選んだ。銀の矢を。


トーマスは逃げ足が早い。素早いのだ。そして案外、強い。

ずっと冒険者を大怪我もせず死にもせず続けているのは実力があるからだ。


木の矢なら避けるか防ぐか叩き落とすに決まっている。


リーリエは触りごごちで選び取った銀の矢をつがえる。トーマスに向けて。

「おまっ、旦那に向けて矢を向けるヤツがいるかよ!」

トーマスは喚いたが、奴は変わらず逃げだす体勢のままだ。


ちなみにリーリエたちを囲むように人が引いて、町中でちょっとした見せ物である。気にしてはならない。このタイミングを逃すとトーマスは絶対にのらりくらりとかわすだろう。

見間違い、誤解だ、と言い通す未来しか見えない。

今しかない。


なお、リーリエのそばにいる娘を、「こっちおいで、リーナちゃん。おばちゃんの家でお茶してリンゴでも食べていかないかい」と離そうとしてくれている人もいる。すみません、感謝します。


「ねぇ、さっきのは何? あんた浮気してるよね? しかもずーっとよ。私が知らないとでも思ってたの?」

「知らねぇよ、ぜんっぜん、誤解、見間違いだろ」

「何言ってんのよ、さっきのは何って聞いてるでしょ! 答えなさい! 鼻の下伸ばして肩抱いちゃってて、何が誤解? あら、どういう経緯で通りすがりの? 女の? 肩を抱いてるんでしょう?」

「お前、子どもの前で何てことをいうんだよ、リーナが見てる前で!」

「そっちこそ恥ずかしくないの、娘に、浮気現場バッチリ見られてんのよ!」


あ、トーマスが逃げる、とリーリエが矢を引く右手を放とうとした瞬間。

「待てぇ、ストップじゃ!」

リーリエの右手に、誰の手が重なって押さえた。

えっ? と見れば、リーリエが小さな頃からギルドで顔見知りの、今は老人となった大魔術師だった。

「リーリエちゃん、いかんぞ、落ち着け、落ち着け、な? ふー、深呼吸じゃ」

さらに、リーリエの前に大柄な誰かが現れたと思ったら、弓を押す左手がその誰かに重ねられて押さえられた。ついでに、右手もさらに包まれ。

正体は、やはりリーリエの小さな頃から顔見知り。今やギルドの最上位クラスの壮年の大剣士だ。

「まぁまぁ」

と軽い感じに言いながら、その表情は非常に深刻にリーリエを見下ろしている。

両手とも押さえられて身動きが取れない。

あっ、トーマスが逃げるじゃないの。

リーリエは慌ててトーマスに視線を移した、するとトーマスはなぜか床に尻餅をついていた。その前に、リーリエがギルドを退職する前に、別の町から移住してきたという、凄腕の女性の魔法使いが立っていた。魔法で展開した障壁をリーリエに向けて。なんかすごい感じ。魔獣用に使いそうな。


えっ?


リーリエの動揺を感じ取ったのかなんなのか、その障壁の後ろで、手だれの剣士がトーマスの肩に鞘ごとの剣を乗せて、トーマスの動きを止めつつ、リーリエの方を振り向いた。

「俺は決して、こいつの味方ではない。落ち着いてくれ。誰の味方でもない。俺は俺の味方だ」


何を言われたか分からない。

リーリエの怪訝な顔に、障壁を展開中の魔法使いも言った。

「誤解しないでください! 私は決して、この浮気男を守っているわけではないのですよ!」


リーリエはその言葉に、「やっぱりトーマス、浮気決定」とさらに怒りが湧いてきた。

弓矢を取り戻そうと力を込めるがびくともしない。

放して、という前に、リーリエを抑える大剣士と大魔術師が言った。

「リーリエちゃん、今はこのジジイの顔を立てて、とりあえず、一旦武器をおろしなさい」

「そうだぞ、町中で矢を打つとか、ちょっと無いぞ」


顔見知りの二人にリーリエは思うところを言った。

「何言ってるんですか、殴る蹴るはもちろん、決闘だなんだって剣を撃ち合ったりもしてるでしょ、冒険者みんな!」

一般市民は巻き込まない配慮はするが、冒険者同士は気が荒く、町中だろうが普通に衝突するのである。

ケンカの仲裁もギルドの仕事なのでその頻度が結構多いことも知っている。


「そりゃそうなんだが」

「なぁ、リーリエちゃんや。ワシは少なくともトーマスよりリーリエちゃんが可愛い。一旦引いてくれんか。頼む。そうじゃ、美味しいもの食べさせてやるから。リーナちゃんも一緒なんじゃろ」

「・・・でもトーマスは逃げるのが上手いんです! 今追い詰めないと!」

「じゃあ、木の矢にしよう。そうしよう」

「はぁ?」

リーリエが訝しげにするのに、大魔術師は大剣士の言葉に真面目な表情で頷いた。

「そうじゃな、木の矢なら、まぁワシらも手を引こう」

「ダメですよ、トーマスはあぁ見えて強いんですから! 木の矢なんて、私の矢なんて、ナイフで軽く叩き落とす、だから、この」

銀の矢で。


「待て待て待て待て。わかった、じゃあ、俺が代わりにあいつ殴ってやるから、な? それでどうだ」

大剣士が申し出てくる。

「はぁ? 何言ってんですか」

自分の手で何かしないとこの怒りは収まらないです、と言いかける前に、大剣士が諭すように言ってくる。

「とにかくこの矢を収めろ、な、みんなの平和のためだ。みろ、障壁は、トーマスを守るためじゃない、みんなを守るためのもんだ」

「大袈裟な」

「夫婦喧嘩で大袈裟にも弓矢を持ち出してんのはそっちだろ」

まだ弓矢なら可愛い方だと思いますが、とリーリエは思う。


真顔で大剣士と見つめあうリーリエに、大魔導師が重ねて言ってきた。

「リーリエちゃん、美味しいもの奢ってやるから。リーナちゃんの分も、もちろん。このジジィの顔を立てておくれ。ほれ、ワシはジジィじゃが、顔立ててくれも良いぐらいの地位と名声と実力を持ってると思わんか。コネじゃなく、努力しての大物じゃ。だから、リーリエちゃん、頼む!」

リーリエは、なんだか分からないけどここまで言わせて、この老人に申し訳ないような気持ちになり出した。


「リーリエさん、私からもお願いします。そして、私は、多分あなたの味方です、信じてください!」

障壁を張っている女性からも頼まれた。


弓を持つ手は強く押さえつけられたまま、動きは取れない。

どうしようもない。

リーリエは仕方なく力を抜いた。

すぐに大剣士が弓から銀の矢を外した。なぜか、リーリエとトーマスの間に立ちはだかった四人が大きく息を吐いた。

大剣士は、それから銀の矢をじっと眺めた。

「まぁ・・・お嬢ちゃんのだしな」

と呟いて背中の矢筒に戻してくれた。


なんなの。と思いつつ、ふとリーリエが目をやると、トーマスの姿がなかった。

ついさっきまでいたのに! ちくしょう逃げられた! リーリエは心の中で悪態をついた。


あいつ逃げ足早いな、と呟いてから、

「大丈夫、俺が必要な時にまた引きずってきてやるから」

とトーマス側にいた剣士が言ったので、一旦渋々頷いた。


その後、約束通り、大魔導師が、リーリエと娘とを、ちょっと高級な食堂に連れて行ってくれた。

嫌なことは一旦忘れて、好きなものを頼みなさい、お金は心配いらないよ、と大盤振る舞いしてくれる。

大魔導師は小さい頃からの知り合いで、実力者で、だからお金持ちでもあることを知っているリーリエは、お言葉に甘えて、普段注文できない品物を食べさせてもらった。

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