表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

ホテル:リバーサイド・ブルー

「はーい、みなさーん!」

スマホのカメラに向かって手を振る男性の声が、熱海の山に響いた。

夕方の温泉街で、一人でテンションを上げているのは、YouTuber「ゆーと」こと近藤雄斗(24歳)だ。

「今日はですね、超ヤバい心霊スポットに来ちゃいました!ここ、ホテル・リバーサイド・ブルーの312号室っていうところなんですけど、もうね、エグいんですよ。誰もいないのにテレビがついちゃうっていう」

雄斗はスマホを自撮り棒につけて、ホテルの外観を映した。

古くて重そうな建物で、看板の「リバーサイド・ブルー」の文字も色があせている。

「しかもですよ、そのテレビに映る番組がマジでヤバくて、昔のアニメなんですけど内容が変わってるっていう。キャラクターが『一緒に遊ぼう』って話しかけてくるんですって。もう完全にホラーじゃないですか」

チャンネル登録者数3万人の雄斗にとって、これは大チャンスだった。

YouTuberとして有名になるためには、視聴者を集めるためのとんでもない映像が必要だったのだ。

「さあ何が起こるんでしょうね!期待しててください!」


ホテルのフロントで迎えてくれたのは、60歳くらいの女性スタッフだった。

名札には「中野」と書いてある。

「近藤様ですね。お待ちしておりました」

中野さんの顔は複雑だった。嬉しいような、困ったような、よくわからない笑顔を浮かべている。

「あの、312号室の件でいらっしゃったんですよね?」

「はい!YouTubeの取材で。話は通してあると思うんですが」

「ええ、わかっています。ただ、一応お聞きしますが、お一人でお泊まりということで...」

雄斗はカメラを回しながら答えた。

「もちろんです!一人の方が現象も起きやすいって言いますしね」

中野さんは小さくため息をついた。

「そうですか。それでは、こちらが同意書になります。何かあっても、当ホテルは責任を負えませんので...」

厚い同意書にサインをしながら、雄斗は心の中でニヤリとした。これだけ念を押されるということは、本当に何かが起こるということだ。

「あ、そうそう。312号室って、予約システムに『永住希望』って予約が入り続けてるって本当ですか?」

中野さんの顔が青くなった。

「あ、あの件は...どちらでお聞きになったんでしょうか?」

「ネットの情報ですよ。毎月入力されてるって」

「...はい。確かにそんなことが。誰が入力しているのか、全然わからないんです。」

雄斗の目が輝いた。これは確実に再生数が稼げる。


エレベーターで3階に上がり、312号室の前に立った時、雄斗は軽い違和感を覚えた。

廊下の温度が、なぜかこの部屋の前だけ少し暖かい気がする。

そして、かすかに子供の笑い声のようなものが聞こえるような...

「まさか、もう始まってる?」

雄斗は慌ててカメラを構えた。

「みなさん、今312号室の前に来ました。なんかもう異常を感じます。温度が違うというか...」

ドアのカードキーを差し込むと、電子音と一緒に開く音が響いた。

でも、その音がなぜか「ピンポンパンポーン♪」というチャイムのように聞こえる。

「え?今のチャイム、普通のホテルのドア音じゃなくない?」

部屋に入ると、年季の入ったビジネスホテルの部屋だった。

ベッドが一つ、小さなテーブルと椅子、そして壁にある32インチのテレビ。

特に変わったところはない。

でも、部屋に足を入れた瞬間、テレビの電源が勝手に入った。

「うおっ!」

画面に映ったのは、確かに1980年代らしいアニメーション。

パステルカラーで描かれた森の中で、動物のキャラクターたちが踊っている。

音楽も懐かしい感じのメロディーだ。

「来た来た来たー!これですよこれ!もう電源入っちゃいましたよ!」

雄斗は興奮してカメラを振り回した。

でも、画面をよく見ると、確かに何かがおかしい。

アニメの中の動物たち、うさぎやくまや猫のキャラクターが、なぜか画面の向こうからこちらを見つめているのだ。

そして、音楽が止まると、うさぎのキャラクターが口を開いた。

「こんにちは、ゆーとくん」

雄斗の手が止まった。

「え...今、名前...」

そこで、彼はカメラを落としてしまった。あまりのことに冷や汗が止まらない。

顔が真っ青になり、手が震え出した。

画面の中のうさぎは、満面の笑みを浮かべている。

「ゆーとくん、一緒に遊ぼう!」

今度は猫のキャラクターが話しかけてきた。

昔のアニメらしい、シンプルで可愛い絵だが、その目がなぜかやけにリアルだ。

雄斗は慌ててスマホのカメラを拾い上げ、テレビを撮影する。

「ヤバい、ヤバいですよこれ!完全に僕の名前呼んでますからね!しかも『一緒に遊ぼう』って言ってる!」

すると、画面の中のくまのキャラクターがゆっくりと首をかしげた。

「ゆーとくん、なんでそんなに興奮してるの?僕たち、ずっと待ってたんだよ」

雄斗は椅子に座った。動揺してしまったが、これは予想以上だ。

名前を呼ばれるだけでなく、まるで会話が成立しているじゃないか。

くまのキャラクターがゆっくりと振り返った。その目が、雄斗をじっと見つめている。

「ゆーとくん大丈夫?...疲れてなあい?」

雄斗はドキッとした。確かに疲れていた。

毎日動画のことばかり考えて、再生数に一喜一憂して、コメント欄の批判に落ち込んで。

「君たち...僕のこと、どこまで知ってるの?」

うさぎが首をかしげた。

「全部だよ。チャンネル登録者数も、最近の動画の再生数も、昨日の夜中まで編集してたことも」

雄斗は背筋が冷たくなった。

「でも、大変だったね。毎日数字ばっかり気にして」

猫が優しく言った。

「でも、ここなら大丈夫。数字なんて関係ない世界があるよ」

くまが続けた。

三匹は雄斗を見つめ続けた。雄斗はまるで心の奥底を覗き込まれているような感覚に陥った。

「ゆーとくん」

うさぎが言った。

「こっちの世界、見てみない?」

画面が急にぼんやりと光り始めた。

森の背景が少しずつ変化し、もっと明るく、もっと暖色系の場所に変わっていく。

雄斗は興味深そうに画面を見つめた。

「こっちの世界って?」

猫が説明した。

「再生数も、登録者数も、批判コメントも何もない世界。ただ楽しいだけの場所」

くまが付け加えた。

「時間も忘れられる。嫌なことも全部忘れられる」

「もちろん、お金もいらないよ?」

雄斗の心が揺れた。確かに魅力的だった。

毎日のプレッシャーから解放される場所があるなら、少しくらい覗いてみてもいいんじゃないか。

「でも、どうやって?」

うさぎが手を差し出した。

「簡単だよ。画面に触ってみて」

雄斗は迷った。これは明らかに危険だ。

でも、YouTuberとしての好奇心も湧いてくる。これは絶対に話題になる映像だ。

「ちょっとだけなら...」

雄斗は恐る恐る手をテレビ画面に近づけた。

画面は固いガラスではなく、まるで水面のようにゆらゆらと波打っている。

「え、これ...」

手を画面に触れた瞬間、不思議な感覚に包まれた。

暖かくて、柔らかくて、まるで雲の中に手を入れたような感じ。

「大丈夫だよ」

猫が優しく言った。

「怖くないから」

くまが続ける。

「みんな、最初は怖がるけど、入ってみると気持ちいいよ」


画面に手を入れた瞬間、雄斗の体が急に軽くなった。まるで重力がなくなったかのような感覚。

気づくと、体全体がテレビの中に吸い込まれていく。

「なんだこれ!」

でも、恐怖よりも不思議な心地よさの方が強かった。

まるで暖かいお風呂に入っているような感覚。

そして、気がついたときには、雄斗は全く違う世界にいた。


足元は雲のようにふわふわした白い地面。空は薄いピンクと水色で、あちこちにキラキラ光る星が浮かんでいる。遠くには虹色の山が見え、近くには巨大なキノコの家やお菓子でできたような建物が並んでいる。

「すげえ...」

三匹が雄斗の前に現れた。

でも、今度はテレビの中で見た時よりも、もっとリアルで立体的だった。

「ようこそ」

うさぎが言った。

「ここが僕たちの世界だよ」

猫が続けた。

「どう?素敵でしょ?」

くまが嬉しそうに言った。

「ここなら、何も心配することないよ」

雄斗は周りを見回した。確かに美しい世界だった。子供の頃に夢で見たような、夢の世界。

「これ...全部本物?」

うさぎがうなずいた。

「本物だよ。君の理想の世界さ」

雄斗は歩き回った。空気も甘くて、すべてが柔らかくて、心地よかった。

「すごいなあ...でも、僕、そろそろ戻らないと。動画の編集もしないといけないし」

三匹の表情が一瞬曇った。

「帰る?」

猫が首をかしげた。

「なんで?」

雄斗は当然のように答えた。

「だって、現実世界に戻らないと。仕事もあるし」

くまが首を振った。

「でも、ここにいれば、働かなくて良いんだよ?」

うさぎが付け加えた。

「お金だっていらないし。毎日遊んで暮らせるんだよ」

雄斗は考えた。確かにそうだ。

「少しだけでも、ゆっくりしていけばいいじゃない」

猫が優しく言った。

雄斗は時計を見ようとしたが、気づくと腕時計がなくなっていた。

「あれ?時計が...」

いや、時間という概念そのものが、この世界にはないような気がする。

「ここには時間がないんだ。だから、いつまでも遊んでいられる」

くまが説明した。

「疲れることも、年を取ることもない」

うさぎが続けた。

「永遠に、子供の頃のままでいられるよ」

猫が最後に言った。

「でも、やっぱり帰らないと...」

三匹が顔を見合わせた。

そして、うさぎが申し訳なさそうに言った。

「実は...帰るのは、ちょっと難しいんだ」

「え?」雄斗は驚いた。

「難しいって、どういうこと?」

猫が説明した。

「この世界に来るのは簡単だけど、出るのには条件があるの」

くまが続けた。

「でも、ゆーとくんは、心の奥では、ここにいたいって思ってるでしょ?」

雄斗はドキッとした。

確かに、ここは居心地がよかった。

プレッシャーもないし、数字を気にする必要もない。

「そんなこと...」

でも、言葉が出てこなかった。

本当に、心の奥で「このままここにいたい」と思っている自分がいることに気づいたからだ。

猫が優しく微笑んだ。

「大丈夫。みんな最初はそう言うの。でも、しばらくすると、ここが好きになる」

くまが付け加えた。

「現実世界の嫌なことも、だんだん忘れちゃうよ」

うさぎが最後に言った。

「そして、本当に帰りたいと思わなくなる」

雄斗は次第に、それでも良いかもと思い始めた。


雄斗はこの世界で、いろんなことをして遊んだ。空を飛んだり、虹を滑り台にしたり、雲のベッドで眠ったり。時間の感覚がなくなっていた。

この世界には、実はいろいろな人がいることがわかった。

子供たち、若者、おじいさんやおばあさん。

「おーい、みんな行くよ〜」

子供たちが遊んでいると、宇宙飛行士が来て彼らをどこかへ連れて行った。

雄斗はその様子をぼんやりとした頭で眺めていた。

「あれ?僕、何の仕事してたっけ?」

そして気づくと、現実世界のことが少しずつ思い出せなくなっていた。

「YouTuberでしょ?でも、もうそんなこと考えなくてもいいよ」

うさぎが答えた。

「辛い思い出は忘れちゃえばいいの」

猫が続けた。

「楽しいことだけ覚えていればいいんだよ」

くまが最後に言った。

雄斗は頭がぼんやりしてきた。

確かに、YouTube のことを考えると頭が痛くなる。

再生数、登録者数、コメント、批判...全部嫌な思い出だ。

「そうだね...忘れちゃえばいいのかも」

三匹は満足そうに微笑んだ。


雄斗は考えた。確かにこの世界は楽しい。

プレッシャーもないし、批判もない。

「でも、僕...やっぱり帰りたい」雄斗は言った。

そういうと、三匹の雰囲気が変わった気がした。

「帰りたいだって?」うさぎが首をかしげた。

「今からだと遅いかもね」

「そうだね。どうしようか?」

雄斗はドキッとした。

「遅いって...どういうこと?」

猫が説明した。

「君、もうここに来てから何日経ったと思う?」

雄斗は考えた。でも、時間の感覚が全くない。

「わからない...数時間?」

くまが笑った。

「もう3か月だよ」

「3か月?そんなはずない!」

雄斗の顔が青くなった。

「現実世界では、君はもうずっと312号室で眠り続けてる」

「ホテルの人も心配してるよ。でも、君の体は生きてるから、そのままにしてある」

「でも、もうすぐ君の現実の体も限界かな」

雄斗は恐怖で震えた。

「嘘だ...そんなはずない!」

雄斗は必死に抵抗しようとした。

「帰る!絶対に帰る!」

でも、三匹は首を振った。

「もうすぐ君のことなんか、みんな忘れちゃうよ」

「残念だけど、今からだと厳しいかな」

「よっぽどのことがない限り、行き来するのはね」

雄斗は絶望した。

「そんな...僕を騙したのか!」

うさぎが答えた。

「騙してない。本当に楽しい世界だって言ったでしょ?」

猫が続けた。

「ずっとここで楽しく過ごせるよ」

くまが最後に言った。

「永遠にね」


雄斗は泣いた。自分の愚かさを悔やんだ。興味本位で、軽い気持ちでこの世界に入ってしまったことを。

でも、後悔しても遅かった。

泣きながら、段々雄斗は現実世界のことを忘れ始めてしまった。

YouTube のこと、視聴者のこと、家族のこと、友達のこと。全てがぼんやりとしてきた。

「ずっと、ここで一緒に遊ぼう」

三匹は優しく微笑んだ。

雄斗はその言葉に、嬉しそうに笑った。


312号室は、再び宿泊禁止になった。

でも、予約システムには今日も新しい予約が入る。

「永住希望」

その文字は、今度は4人の「住人」によって入力されていた。

テレビの世界では、雄斗が楽しそうに笑っていた。

でも、もう以前の雄斗ではない。三匹と同じような、着ぐるみを着ている。

「今度は誰が来るかな?」うさぎが言った。

「楽しみだね」猫が続けた。

「もっとたくさん友達を作ろう」くまが最後に言った。

雄斗も一緒に微笑んだ。

「そうだね。もっとたくさん友達を作ろう」


テレビの画面の向こうで、4匹の「友達」が今日も待っている。

「一緒に遊ぼう」

その声は、今夜も誰かの耳に届くだろう。

そして、また新しい「友達」が仲間に加わるのだ。

永遠に。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ