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市営住宅:虹ヶ丘団地

「虹ヶ丘団地のカーテンが勝手に踊ってる。誰もいないはずなのに、全部の窓で同時に揺れてるんだ。」


この書き込みを見つけた瞬間、私の心臓は小さく跳ねた。

「誰かのいたずらか?フェイクニュースか?」

そう思いながらも、指先が勝手にスクロールしていく。

すると、似たような書き込みがいくつも見つかった。


「昨日も見た。本当に全部の窓で同時に動いてる」

「友達と一緒に見に行ったけど、鳥肌が止まらなかった」

「あそこ、本当に誰も住んでないの?」

「子供の声が聞こえるって話もある」


まるで謎の現象を裏付けるかのように、次々と現れる証言の数々。

「これは...記事になるかもしれない」

フリーランスのネットニュース記者として、これは見逃せない情報だった。

「…なるほど、これか。横浜の虹ヶ丘団地」

詳しく調べてみると、噂の出所は虹ヶ丘団地。

神奈川県横浜市にある、築40年を超える古い公営住宅だ。

2003年に取り壊しが決定され、2017年に全住民が退去したという。

しかし、なぜか解体作業は進んでいない。

「なんで放置されてるんだ?」

好奇心と疑問が同時に頭をもたげた。

横浜市住宅供給公社のホームページには、簡潔な情報しか載っていない。

建物の老朽化、耐震性の問題、住民の高齢化...よくある公営住宅の問題が並んでいるだけだ。


正直に言うと、私は心霊的なゴシップを期待していた。

「幽霊か妖怪か、あるいはもっと恐ろしいものか…」

そんな下世話な気持ちが先行していた。

読者は怖い話が大好きだ。血の気の引くような心霊現象、説明のつかない怪奇事件。

そういう記事はアクセス数も稼げるし、収入に直結する。

「今度はどんな恐怖体験が書けるだろうか」

そんなことを考えながら、私は興味深く画面を見つめていた。

「現地で確認するしかないな」

私は決意を固めた。記者として、真実を確かめる必要がある。

机の上に散らばった資料を整理しながら、明日の行動計画を立てた。


翌日の午前中、私は虹ヶ丘団地の周辺地域に向かった。

JR東海道線で横浜駅まで行き、そこからバスを乗り継いで現地に向かう。

電車の中で、緊張と期待が入り混じった感情が胸を高鳴らせていた。

「本当に何かあるのだろうか」

そんな思いを抱きながら、車窓から流れる住宅街の風景を眺めていた。


バスを降りると、そこは典型的な郊外の住宅地だった。

昭和の匂いが残る古い商店街と、新しく建てられたマンションが混在している。

そして、その奥に見えるのが問題の虹ヶ丘団地。

5階建ての建物が数棟並んでいる、一見普通の公営住宅に見えた。

「あれがそうか...」

遠目に見ても、確かに人の気配は感じられない。

窓という窓は全て閉ざされ、ベランダには洗濯物一つ干されていない。

まさに無人の建物という印象だった。


まずは近隣の住民に話を聞いてみることにした。

最初に訪ねたのは、団地の向かいの通りにある商店だった。

「ああ、あの団地のことですか...」

店主の山田さん(60代男性)は、私の質問に少し困った表情を見せた。

その表情を見た瞬間、「やはり何かある」と確信した。何も知らなければ、もっと素っ気ない反応をするはずだ。

山田さんは言葉を選ぶように話し始めた。

「確かに変なんですよ。時々、子供の歌声が聞こえてくるんです。童謡を歌ってる声が」

その言葉に、私の背筋に小さな震えが走った。

「子供の歌声?でも、誰も住んでいないはずでは...」

「そうなんです。それが不思議でして」

山田さんの顔には困惑の色が浮かんでいた。

眉間に深いしわを寄せて、まるで自分でも信じられないといった様子だ。

「複数の子供のもので、まるで合唱しているような感じなんです。最初は聞き間違いかと思ったんですが、うちの女房も同じことを言うもので」

「いつ頃から聞こえるようになったんですか?」

「2019年の春頃からですかね。最初は気にしてなかったんですが」

山田さんは遠い目をして続けた。

「でも、だんだん頻繁になってきて。他の人にも聞こえているみたいなんです」

(これは間違いなく何かある)私は心の中で興奮していた。

しかし、同時に科学的な疑問も湧いてくる。音の反響、錯覚、集団心理...様々な可能性を考えなければならない。

「他に変わったことはありませんか?」

「そういえば...」

山田さんは思い出すように話し始めた。

「朝早く、ゴミを出しに行く時に見るんですが、あの団地の窓にカーテンが掛かってるんです。全部の窓に、色とりどりの。でも、誰もいないはずなのに」

私の心臓が早鐘を打った。これはネットの書き込みと一致する証言だ。

「そのカーテンは...動いたりしませんか?」

「ええ、風もないのにひらひらと。不思議ですよね」

山田さんは首を振った。

「近所の人たちもみんな気にしてるんです。でも、誰も近づこうとはしないんですよね」

商店を後にした私は、さらに情報を求めて街を歩いた。

洋品店、薬局、小さな食堂...どの店でも、虹ヶ丘団地の話になると、店主たちは同じような困惑の表情を見せた。


洋品店の女性店主は「子供たちの笑い声が聞こえる」と証言し、薬局の店主は「団地の周りを子供が走り回っているような足音がする」と話した。

しかし、実際に子供の姿を見た人は誰もいなかった。


次に訪ねたのは、団地の管理を担当している横浜市住宅供給公社だった。

横浜市役所の近くにある公社のビル。

受付で名前を告げると、すぐに杉崎さんが迎えに来てくれた。

事前に電話で約束を取り付けておいた取材だ。

電話口で話しているから、担当者の杉崎さんの声には明らかな困惑が感じられた。

彼は40代後半とおぼしき男性で、複雑な表情を浮かべている。

きっと、この件で相当悩まされているのかもしれない。


会議室に通されると、杉崎さんは大きなため息をついた。

「正直に言いますと、我々も困惑しています」

杉崎さんは額に汗を浮かべながら話し始めた。

「2018年4月の定期点検で、全ての住戸にパステルカラーのカーテンが掛かっているのを発見しました。退去時には確実に撤去したはずなのに」

「確実に撤去した...?それなのにカーテンが?」

私の頭の中で疑問がぐるぐると回っていた。

「ええ、退去の際には立ち会いの職員が一軒一軒確認して、残置物は全て撤去しました。カーテン、家具、電化製品...何も残していません」

杉崎さんは資料を取り出しながら説明した。

「それなのに、点検に行ってみると、全ての窓にカーテンがかかっていたんです。しかも、新品のように綺麗な状態で」

私は息を呑んだ。

「それは...誰かが侵入して取り付けたということですか?」

「それも考えました。でも、建物は施錠されていますし、防犯カメラにも不審者の映像はありません」

杉崎さんの表情はどんどん暗くなっていく。

「さらに、これだけではないんです。不可解なことはまだあります。」

私がその声に顔をあげると、彼の手が小刻みに震えているのが見えた。

「定期的に見回りをしているのですが、各住戸の郵便受けが、差出人不明の手紙で満杯になっているんです」

杉崎さんは声を落として続けた。

「毎日?一体誰が...」

私の喉が渇いた。

「筆跡鑑定を依頼したところ、全て小学生のものだという結果が出ました。そこで、最初はいたずらだと考えていたんです。」

杉崎さんは資料を私に見せた。

「『ゆめの ゆうた』『そらの みらい』『はなの あやか』『ほしの たくや』...調べてみましたが、全て実在しない名前でした」

私は資料を見て愕然とした。確かに子供らしい丸い字で書かれた名前が並んでいる。

どれも漢字とひらがなを混ぜた、いかにも小学生らしい書き方だ。

「でも問題は、それだけではありませんでした。玄関のネームプレートも、これらの名前に変わっているんです」

杉崎さんは続けた。

「退去時には全て外したはずなのに、いつの間にか新しいプレートが取り付けられている。しかも、住民が住んでいた時よりも綺麗な状態で」

私はそれを聞いて、背筋に寒気を覚えた。

「もちろん、防犯カメラには何も写っていません。子どもどころか、人影も何も。」

「実際に建物の中に入って確認されましたか?」

「ええ、月に一度は点検に入っています」

そこで、杉崎さんは困った表情になった。

「でも、建物の中に入ると...何というか、子供たちの気配を感じるんです。足音、笑い声、歌声...でも、実際には誰もいない」

「気配、ですか?」

「ええ、そうなんです。職員の中には、もう一人では点検に行きたがらない者もいます。複数人で行っても、みんな同じことを感じるんです」

杉崎さんは声を震わせた。

「建物は無人のはずなのに、まるで子供たちが楽しそうに遊んでいるような雰囲気があるんです」


その日の午後、私は虹ヶ丘団地を訪れた。

バスを降りて徒歩で現地に向かう道中、心臓の鼓動が次第に早くなっていくのを感じた。

昼間の明るい陽射しの中でも、団地は不気味な雰囲気を醸し出していた。

「昼間なら大丈夫だろう」

そう自分に言い聞かせながらも、心の奥底では不安が渦巻いていた。


近づいてみると、建物の外観は思っていたより綺麗だった。

築40年を超える建物にしては、壁の汚れも少なく、まるで最近まで人が住んでいたかのようだ。

しかし、その静寂が逆に不気味さを増している。

本来なら子供たちの声や生活音が聞こえるはずの団地が、まるで時が止まったように静まり返っている。

周囲には「立入禁止」の看板と柵が設置されている。

赤い文字で「危険・立入禁止」と書かれた看板が、まるで私を威嚇するように立っていた。

私は辺りを見回しながら考えた。

記者として真実を知りたい。その気持ちが恐怖を上回った。

昼間とはいえ、平日の午後ということもあり、周辺には人影がない。

住宅街の静寂の中で、私の息遣いだけが聞こえる。

(誰も見ていない...今のうちだ)

私は息を殺しながら、柵の隙間を見つけて敷地内に侵入した。

心臓の鼓動が耳に響く。

(もし見つかったらどう言い訳しよう)

そんな思いが頭をよぎったが、もう後戻りできない。


敷地に足を踏み入れた瞬間、空気が変わったような気がした。

外の世界とは違う、重い空気。

まるで別の次元に足を踏み入れたような感覚だ。

私は恐る恐る団地に近づいた。


そして、確かに見えた。

全ての窓にパステルカラーのカーテンが掛かっている。

ピンク、水色、黄色、薄紫、ライトグリーン...。

まさに子供部屋にありそうな、可愛らしい色合いのカーテンだ。

「本当にあった...」

息を呑む私。

まるで子供部屋のようなカーテンが、風もないのにゆらゆらと踊っていた。

全ての窓で、完全に同期して。

まるで見えない糸で操られているかのように、同じリズムで左右に揺れている。

「なんだこれは...?」

さすがに、この光景は理解できなかった。

私は急いでスマートフォンで動画を撮影した。手が震えているのがわかる。

画面越しに見ても、カーテンの動きは明らかに異常だった。

風が吹いているなら不規則に動くはずなのに、まるでダンスを踊っているかのように規則正しく揺れている。

「これは間違いなく異常な現象だ。でも、なぜこんなことが...」

疑問と興奮が入り混じった感情が胸を支配していた。


そのまま私は団地の中へ入って行った。

建物の内部の床は掃除されており、壁にも目立った汚れはない。

しかし、何よりも驚いたのは、廊下にものが置かれていることだった。

クレヨンで描かれた絵、折り紙で作られた花、粘土で作られた小さな人形...。

そして、それらの作品には「ゆうた」「みらい」「あやか」「たくや」といった名前が書かれている。

「これは一体...」

私は一つ一つを丁寧に観察した。どれも新しく、まるで最近作られたもののようだ。

特に驚いたのは、季節に合わせたものがあることだった。

春の桜の絵、夏の海の絵、秋の紅葉の絵...まるで一年を通して子供たちが作品を作り続けているかのようだ。

階段を上って2階に向かうと、さらに不可解な光景が待っていた。

各住戸のドアが開いており、中には子供部屋らしい部屋が見えた。

ベッド、机、本棚、おもちゃ箱...全て綺麗に整理されており、まるで今でも子供たちが生活しているかのようだ。

私は恐る恐る一つの部屋に入ってみた。

「ゆめの ゆうた」という表札が掛かっている部屋だ。中に入ると、少年の部屋らしい雰囲気が漂っていた。机の上には宿題らしきノートが開かれており、鉛筆も転がっている。

まるで今しがた勉強していた子供が、ちょっと席を外しただけのような雰囲気だ。

ノートを見ると、算数の問題が解かれていた。

小学3年生くらいの内容で、丁寧な字で答えが書かれている。

しかし、インクは新しく、紙も真っ白だ。

「これはつい最近書かれたものだ...」

他の部屋も同様だった。

「そらの みらい」の部屋は女の子らしく、可愛いぬいぐるみやお人形が並んでいた。

「はなの あやか」の部屋には絵本がたくさん置かれており、「ほしの たくや」の部屋にはサッカーボールや野球のグローブがあった。


そして、そのまま廊下を歩いていると、ある住戸の郵便受けから手紙が溢れているのが見えた。

「杉崎さんが言っていた手紙か...」

私の好奇心が恐怖を押しのけた。恐る恐る一通を取り出して読んでみる。

『ゆうたくん、お帰リなサい。みんなでお待チしてイます。』

確かに小学生の字だった。

丸くて少し歪んだ文字が、無邪気な子供の存在を物語っている。

しかし、紙質は新しく、インクも乾いたばかりのようだ。


他の住戸も確認してみると、どこも同じような状況だった。

「みらいちゃん、お誕生日おめでトう」

「あヤかちゃん、今度一緒にオ人形で遊ボうね」

「たくやクん、かけっこノ練習、がんばっテ」

...全て子供らしい筆跡で書かれた、温かいメッセージばかりだ。

「...一体誰が?」

私の頭の中で疑問がぐるぐると回る。手紙を持つ手が小刻みに震えていた。


そうしていると、突然、団地の上階から子供たちの歌声が聞こえてきた。

「嘘だろ...」

私の血の気が引いた。

複数の子供の声が美しいハーモニーを奏でている。

透き通った、無邪気な歌声だ。

「昼間なのに、本当に歌声が...」

私は思わず上を見上げた。

すると、3階の窓から小さな影がこちらを見下ろしているのが見えた。

「誰かいるのか...?」

心臓が激しく鼓動する。

影は子供のような小さなシルエットで、窓際に立っているように見えた。

しかし、じっと見詰めていると、影は次第に薄くなっていく。

「今日は平日だ。こんなところに子どもはいないはず…」

混乱した頭で必死に理解しようとしたが、現実が受け入れられない。

歌声は続いていた。

今度は別のメロディーが聞こえてきた。

複数の子供たちが、まるで合唱団のように美しく歌っている。


私は人影を追うべく、一度団地の外へ出た。

「もしかすると、何か掴めるかもしれない…」

しかし、私は団地の中央広場で、最も不思議なものを発見した。


「これは...」

砂場の中央に、小さな花壇が作られていた。

そこには、色とりどりの花が美しく咲いていた。

チューリップ、パンジー、マリーゴールド、ヒナギク...まるで小学校の花壇のような、可愛らしい花々が咲き誇っている。

(ここは無人の団地のはず。誰がこの花を植え、世話をしているんだ?)

思わず息を呑む。疑問が頭から離れない。

花壇の手入れは完璧で、まるで昨日植えたばかりのように新鮮だった。

土も湿っており、最近水やりをした形跡がある。

しかし、ホースや水やり道具は見当たらない。

花壇の前には、小さな看板が立っていた。

手作りの木製看板で、子供が作ったものと思われる。

そこには、子供らしい字でこう書かれていた。

「みんなの にわ いつまでも いっしょだよ ゆめの ゆうた、そらの みらい、はなの あやか、ほしの たくや」

その瞬間、私は理解した。

「この団地では、何らかの理由で子供たちの『想い』が残っているんだ」

背筋に温かいものと寒気が同時に走る。

「彼らは今でもここで遊び、歌い、花を育てている...」

現実と幻想の境界が曖昧になった、不思議な空間。

(これは怖いけれど、同時に美しい…。)

そんな複雑な感情が心を支配していた。

花壇の周りをよく見ると、小さな足跡がいくつも残っていた。

子供の足跡だ。新しいものもあれば、少し古いものもある。

まるで毎日のように子供たちがここを訪れているかのようだ。

私は辺りを見回した。

砂場には子供たちが作ったと思われる砂のお城があり、ブランコも新しく設置されている。

滑り台も、本来なら撤去されているはずなのに、まるで新品のように綺麗な状態で残っている。

「誰がこれらを設置したんだ?」

私の疑問は深まるばかりだった。


数日後、私は再び横浜市住宅供給公社の杉崎さんに連絡を取った。

あの日見た光景が頭から離れない。

しかし、虹ヶ丘団地で撮った写真や映像には、何の音も姿も映ってはいなかった。

(あの現象について、公社としてはどう考えているのか聞いてみたい)

そんな思いが私を駆り立てていた。

「実は、私たちもこの件について、長い間検討を重ねているんです」

杉崎さんは電話の向こうで静かに言った。

その声には深い思慮が込められているように感じられた。

「どのような検討を?」

「まず最初に考えたのは、心霊現象の類かということでした」

杉崎さんは慎重に言葉を選びながら話し始めた。

「でも、専門家に相談したり、様々な角度から検証した結果...どうやら幽霊や妖怪の類ではなさそうだ、という結論に至ったんです」

私は興味深く聞き入った。

「それはなぜですか?」

「神社の関係者や、霊能者の方に来ていただいたこともありますが、皆さん口を揃えて何も感じないと言うことをおっしゃるんです。一般的な心霊現象とは明らかに違うと。」

杉崎さんは続けた。

「そのため、最初は原因が分からず途方に暮れていました。しかし、そのうち私たちはあることに気づいたんです」

「と、おっしゃいますと?」

「恐怖を与えるような要素が全くない。むしろ、温かみを感じるんです。職員の中には、最初は怖がっていた者もいましたが、今では皆、あの子供たちに愛着を感じています」

「あの子供たちに、ですか」

「ええ。実は、私たちにだけ、少し思うところがありまして…。」

杉崎さんが声を潜めた。

「点検に行く職員が増えると、あの団地の現象がより活発になるんです。まるで...」

「まるで?」

「まるで、一緒に遊ぶ友達が増えたら楽しいだろうと本気で思っているような反応なんです」

杉崎さんは少し困ったような笑い声を立てた。

「おかしな話ですが、彼らは私たちを仲間だと思っているのかもしれません」

私は驚いた。

「それは...」

「先月なんて、新人の職員が一人で点検に行った時、迷子になってしまったんです。建物の構造は単純なはずなのに、なぜか出口が見つからなくて」

杉崎さんは苦笑した。

「でも、しばらくすると、どこからともなく子供たちの声で『こっちだよ』って聞こえてきて、その通りに歩いたら無事に出られたんです」

「まるで案内してくれたみたいですね」

「ええ。害を与えるどころか、むしろ助けてくれたんですよね」

杉崎さんの声には安堵が感じられた。

「私たちの見解では、彼らには悪意というものが全くないのだろうと考えています」

杉崎さんの声が温かくなった。

「むしろ、純粋に楽しそうなんです。歌を歌い、手紙を書き、部屋を綺麗に保って...まるで本当にそこで生活を楽しんでいるかのように」

私は杉崎さんの話を聞きながら、昨日見た光景を思い出していた。

確かに、あの現象には恐ろしさよりも、不思議な温かさがあった。

「職員の間では、この現象を『子供たちの楽園』と呼んでいます。現実と想像の境界にある、特別な空間だと」

私は深く考え込んだ。

「公社としては、今後どうされるのですか?」

「正直なところ、害はないので、ひとまずはこのままの状態を維持する予定です」

杉崎さんは率直に答えた。

「維持、ですか?」

「ええ。最初は気味が悪がっていた近隣住民も、今では『子供たちが元気そうで良かった』なんて言ってくれるんです」

杉崎さんの声が明るくなった。

「とりあえず、解体作業はできる部分から進める予定ですが、コロナの影響で急いで進める必要は無くなりました。我々もできるだけ長く、あの場所を留めておきたいという気持ちがあるのです。」


私は記事を書くことを諦めた。「これが正しい選択だ」心の中でそう確信していた。


虹ヶ丘団地は今日も静かに佇んでいる。

パステルカラーのカーテンが風もないのに踊り、子供たちの歌声が青空に響く。

誰もいない団地で、子供たちの想いだけが永遠に生き続けている。

それは少し不思議で、でも、とても美しい物語だった。


私は今でも時々、あの団地のことを思い出す。

「あの子供たちは今も元気に遊んでいるのだろうか」

現実と想像の境界で生まれた小さな楽園。

そこでは今日も、見えない子供たちの笑い声が響いているのだ。

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