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ショッピング施設:ミルキーウェイ・モール

その日、清掃員の野上はいつものように掃除道具を手に中央エスカレーターに向かった。


ミルキーウェイ・モールは千葉県船橋市にある大型ショッピングモールだ。

野上が清掃員として働き始めてもう5年になる。

平日の夜の清掃は彼の担当で、毎晩同じ順序で各フロアを回るのが日課だった。


7月15日の夜、野上は3階から順番に掃除を済ませ、最後に地下1階に向かった。

中央エスカレーターは普段なら午後10時に止まるはずだが、なぜかまだ動いていた。


「あれ、まだ動いてるのか」


野上が首をかしげていると、警備員の鈴木が近づいてきた。

鈴木は野上と同じくらいの年齢の男だ。いつも夜勤をしている男で、2人は顔見知りだった。


「野上さん、お疲れ様です」


鈴木が声をかけた。


「お疲れ様。鈴木さん、このエスカレーター、まだ動いてますね」

「そうなんです。さっきから気になってたんですよ。普通なら10時には止まるはずなんですが」


二人は不思議に思いながらエスカレーターを見つめた。


「点検のために動かしてることもありますからね。とりあえず様子を見てみましょうか」


野上が提案した。


「そうですね。行きましょう」


二人はエスカレーターに乗り込んだ。

エスカレーターがB1階に着くと、野上と鈴木は同時に違和感を覚えた。

いつもなら地下1階で終わりのはずなのに、エスカレーターはさらに下へと続いていた。


表示板には「B2」と書かれている。


「えっ?B2?」


鈴木の声が裏返った。


「そんな、まさか...」

「おかしい、これは絶対におかしいです!」野上の顔が青ざめていく。

「B2なんて階、あるわけないんです!」

「野上さん、落ち着いてください。」


鈴木の声も震えていた。


「でも、確かにないはずなんです。私も5年働いてますが、こんなの初めて見ます。」


野上の言葉に、2人は顔を見合わせた。


「ど、どうしましょうか?上に戻りましょうか?」


鈴木がうろたえた。


「でも...でも、何かの間違いかもしれません。機械の故障とか...」


しかし、振り向くと、乗ってきたはずの上りのエスカレーターが見当たらない。

あるのは、さらに下へ向かうエスカレーターだけだった。


「え?えええ?上りが...上りがない!」


鈴木が絶望的な声を上げた。


「そんなはずありません!」


野上が必死に辺りを見回した。


「階段は?階段はありませんか?」


二人は血相を変えて階段を探したが、どこにも見つからない。エレベーターもない。


「どうして上に戻れないんですか?」

「落ち着いて、落ち着いてください」


野上も動揺していたが、なんとか冷静さを保とうとした。


「きっと他に方法があります」

「でも、下に行くしかないじゃないですか!出口もないんですよ!?」


野上の声も震えていた。


「そんな馬鹿な」


鈴木が恐怖で顔を歪めた。


「降りるしか、ないのか?」


野上も混乱していたが、なんとか理由を見つけようとした。


「だ、大丈夫ですよ、ちょっと見てみるだけなら...」


震える声で、二人はB2階に降りることにした。


B2階に着くと、そこには見たことのない光景が広がっていた。

フロア全体がパステルピンクの柔らかな光に包まれている。

まるで夕焼けのような、温かみのある色合いだった。

そして、普通の店舗が立ち並んでいるのが見えた。


「これは...これは一体...」


鈴木の声が震え、顔が真っ青になった。


「こんな色の照明、見たことない...気持ち悪い」


野上の体がガタガタと震え始めた。


二人は恐る恐る、足音を殺して歩いてみた。

店の中を覗くと、どこも子供向けの商品ばかりが並んでいた。

おもちゃ屋、子供服の店、お菓子屋、絵本を売る書店。

全ての商品がきちんと陳列されているのに、店員は一人もいない。


「電気は点いてるのに、人が...人が誰もいない」


鈴木の声が震えた。


「これ、おかしすぎます!どういうことなんですか!?」


野上が鈴木の肩を強く握った。


「階を見間違えたんですよ!...そうですよね?そうに決まってます!」


野上は必死に自分を納得させようとした。


「でも、こんな店舗ってありました?フロアの間取りも見たことがないし…」


鈴木がそういうと、2人は沈黙した。

しん、と静まり返った空間に2人だけが異様な雰囲気のまま取り残されている。


鈴木は近くのおもちゃ屋を覗いて、わざとらしく明るい声を出した。


「の、野上さん、これ見てください。全部子供向けの商品ですね!」

「本当ですね。人形や積み木、絵本...でも、なんか普通じゃない感じがします」


鈴木の言う通りだった。商品は確かに子供向けだったが、どこか現実離れしていた。

光る石でできた積み木、宙に浮いているような宇宙飛行士の人形、音を立てずに動く車のおもちゃ。


「これ、これ本物でしょうか?」


野上の声が震えながら、人形に手を伸ばそうとした。


「だめです!触っちゃだめです!」


鈴木が慌てて野上の手を掴んだ。


「なんか、触ったら取り返しのつかないことになる気がします!」


二人は慌てて店から離れた。


相変わらず、上へ向かうエスカレーターはなかった。

二人は仕方なく、降りるエスカレーターに乗った。


「これ、どこまで続いてるんですか?」


鈴木の声は震えていた。


B3階もB2階と同じような雰囲気だった。

パステルカラーの照明、空っぽの子供向けの店舗。

しかし、照明の色が少し違っていた。B2階がピンクだったのに対し、B3階は薄い水色だった。


「野上さん…。」


鈴木が野上の袖を掴んだ。


「私たち、とんでもないところに来てしまったんじゃないですか?」


二人はB3階も足早に見て回った。やはり子供向けの商品ばかりで、人の気配は全くなかった。


「そうかもしれません...でも、今更どうすることも...」


野上の顔は恐怖で青ざめていた。


「でも、きっと出口は見つかります。きっと...」


野上は鈴木を励ましたが、内心は絶望的な不安でいっぱいだった。


B4、B5、B6...エスカレーターは延々と続いた。

各階は基本構造は同じだったが、照明の色だけが少しずつ変わっていた。

薄い緑、淡い黄色、薄紫、オレンジ...まるで虹のような色の変化だった。


「怖い...でもきれいですね…」


だんだんと、野上も鈴木もこの状況に慣れてきてしまっていた。


「まるで夢の中にいるみたいです。これ、現実なんでしょうか?」


B10階を過ぎた頃、二人は妙な感覚に襲われた。


「なんか、体が軽くないですか?」鈴木が言った。

「私も感じてます。疲れてるはずなのに、足が軽いです」

「重力が変わったんでしょうか?」

「そんなことあるんですか?」


二人は不思議な感覚を味わいながら、さらに下へと向かった。


B15階を過ぎると、さらに奇妙なことが起こった。


「あっ!何か聞こえます!」


野上が立ち止まった。


「僕も聞こえます。子供の声?」


確かに、どこからか小さな子供の笑い声が聞こえてきた。

しかし、姿は見えない。


「どこから聞こえてるんでしょう」


鈴木が辺りを見回した。


「店の中からでしょうか」


二人は近くの店を覗いてみたが、やはり人はいない。

しかし、笑い声は確実に聞こえている。


「見えない子供がいるんでしょうか」


野上が呟いた。


「そんなこと...でも、確かに聞こえますね」


笑い声は楽しそうで、悪意は感じられなかった。

しかし、姿の見えない子供の声というのは、やはり不気味だった。


「急ぎましょうか」


鈴木が提案した。


「そうですね」


野上は目を瞑ってそう答えた。


B20、B25、B30...二人は無言でエスカレーターを降り続けた。

階数を数えることで、なんとか正気を保とうとしていた。

B35階を過ぎた頃、鈴木が口を開いた。


「野上さん、これって夢なんでしょうか」

「わかりません。でも、二人同時に同じ夢を見るなんてことあるんでしょうか」

「そうですね。それに、こんなにはっきりした夢は見たことないです」

「私もです。痛みも感じますし」


野上は自分の頬をつねってみせた。


「痛いです。夢じゃないと思います」

「じゃあ、これは現実なんですね」

「みたいですね」


二人は現実を受け入れるしかなかった。


B50階に到着すると、鈴木が突然立ち止まった。


「どうしたんですか?行きましょう」


野上が不安そうに言った。しかし、その言葉に鈴木はゆっくりと首を振った。


「僕はこの階に残ります」


鈴木の声は先ほどまでの震え声とは全く違っていた。

平坦で、感情がない。まるで別人が話しているようだった。


「え?何を言ってるんですか?冗談はやめてください!」


野上は慌てた。


「こんなところで一人になったら...」

「調査しなくてはいけません」


鈴木の目が虚ろになっていく。


「それに、何だか気になりませんか?どこかで見たような気がして」


鈴木はB50階の紫の光に照らされた店舗を見つめていた。

その視線は焦点が合っておらず、何か遠くの物を見ているようだった。


「だめですよ!一人は危険です!」


野上が必死に鈴木の腕を掴んだ。


「鈴木さん!さっきから何を言ってるんですか!一緒に行きましょう!」


しかし、鈴木は野上の手を振り払うように腕を動かした。

その動きは機械的で、まるで操り人形のようだった。


「野上さん」


鈴木がゆっくりと振り返った。


「さっき聞こえた子どもの声、なんだか楽しそうでしたよね?」


野上は背筋が凍った。鈴木の顔を見て、心臓が止まりそうになった。

目は開いているが、まるで魂が抜けたような空っぽの目をしていた。

口元にはかすかな笑みが浮かんでいるが、人形が無理やり笑わされているような、不自然で恐ろしい表情だった。


「鈴木さん...鈴木さん!しっかりしてください!」


野上が震え声で呼びかけた。


「みんな、楽しそうに遊んでいるんです。僕も一緒に遊びたい」


鈴木はふらふらと店舗の方に歩き始めた。

その歩き方はまるで糸で引かれているようで、自分の意志で歩いているようには見えなかった。


「鈴木さん!だめです!」


野上が後を追った。


「あなた今度家族で旅行に行くって言っていましたよね?奥さんと子どもさんが待ってるって!」


その瞬間、鈴木の足が止まった。


「か...家族?」


鈴木の声に初めて感情が戻った。


「そうです!今度の三連休に温泉に行くって!子どもさんがずっと楽しみにしてるって言ってたじゃないですか!


鈴木の目に、少しずつ光が戻ってきた。

虚ろだった瞳に、人間らしい困惑の色が浮かんだ。


「あ...あれ?僕、何を...」


鈴木が混乱して辺りを見回した。


「ここは...B50階?僕はなぜここに?」

「鈴木さん!」


野上が駆け寄って鈴木の肩を強く掴んだ。


「すみません、なんだか頭がぼんやりして...」


鈴木の震えが戻ってきた。体に人間らしい温かさが戻っている。


「怖いです、本当に怖い。僕、何をしようとしてたんですか?」

「覚えてないんですか?」

「全然...ただ、なんだかとても心地よい感じがして...」


野上は安堵のため息をついた。そして、ハッとして周りを見渡した。


気がつくと、野上と鈴木はエスカレーターの前に立っていた。

壁の表記はB1階。それを見て、2人は顔を見合わせた。


「夢だったのか?でも...」


時計を見ると午前6時を過ぎている。

野上の制服は汗でびっしょりと濡れ、体は恐怖の余韻で震えていた。

そして、靴の裏には見たことのない薄いピンク色の粉がついていた。


「野上さん、あの体験、覚えてますか?あれ、本当に起こったんですよね?」


鈴木の声がまだ震えていた。


「覚えてます、全部。...あの恐ろしい体験も…」

「やっぱり夢じゃなかった...本当に怖かった」


二人は急いで靴を確認した。どちらの靴にも、薄いピンク色の粉がついていた。


「これが証拠ですね」


鈴木の声が震えた。


「でも、誰が信じてくれるでしょうか」


「わかりませんが、報告しなければ...他の人も同じ目に遭うかもしれません」


二人は恐怖に震えながら中央エスカレーターを確認しに行った。

しかし、エスカレーターは普通に止まっており、B1階で終わっていた。


「普通に戻ってる...でも、あの体験は確実に現実でした」


鈴木が呟いた。


「忘れることはできません。あの恐怖は...」


その後、野上と鈴木は上司に報告した。最初は信じてもらえなかったが、二人の証言が一致していること、そして靴についた謎の粉の存在により、調査が開始されることになった。


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2001年7月15日夜、千葉県船橋市の大型ショッピングモール「ミルキーウェイ・モール」で発生した「無限降下現象」について報告する。この異常現象は、清掃員の野上太郎氏(52歳)と警備員の鈴木次郎氏(41歳)が午後10時の閉店後に中央エスカレーターで体験したもので、通常は地下1階で終わるはずのエスカレーターが、B2、B3と存在しないはずの地下階層へと無限に続いたというものである。


その後の調査で、同様の体験をした者が計6名確認された。証言者は野上氏と鈴木氏に加え、警備員の佐藤美香氏(28歳・B42階到達)、店舗スタッフの田中一郎氏(35歳・B38階到達)、清掃員の山田花子氏(45歳・B51階到達)、事務員の高橋恵子氏(39歳・B45階到達)である。全員が午後10時以降の体験で、各階にはパステルカラーの照明に照らされた子供向け商品を扱う空の店舗が並んでいたと一致して証言している。


建築構造の詳細調査を行った結果、ミルキーウェイ・モールは設計上、地下1階のみの構造であり、B2階以下の設計図面は存在しない。構造計算上、B1階より下の階層を建設することは不可能で、地盤調査でもB1階の床下は土壌のみであることが確認された。しかし、全体験者の靴から建物内では使用されていない薄いパステル色の粉が検出され、体験者からは通常では考えられない疲労物質が検出された。また、エスカレーターの稼働記録には深夜の異常なデータが残っており、現在も電源を切っても機械音が響き続けている。


この現象は複数の独立した証言と物理的証拠により、単なる幻覚や建築事故では説明できないものである。現代の科学では説明困難な未知の現象が発生していることは間違いなく、2001年8月1日より中央エスカレーターは安全のため無期限で使用禁止とし、立入禁止区域を設定して警備を強化している。


現在も深夜になると「誰かが降り続けている音」が確認されており、継続的な調査と監視を行っている。この「ミルキーウェイ・モール無限降下現象」は原因不明の異常現象として、今後も慎重な対応が必要である。


おわり

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