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第一章 気化葬 其の陸

 九月二日 真白 希樹


 彼はきっと来る。

 そう信じ、背伸びした花々に水を与え、玄関前を箒で掃く。

 昨日に彼用のバスタオルを新調したし、準備万端だと来るその時を待ち侘びる。


 午前八時半。予測通り、リュックを背負ったランニング姿の彼が現れた。

 激しい呼吸音に、一体どれくらいの距離を走って来たのかと興味をそそられる。

 

「あくまで体験入社ですから。」

「もちろんです。」と返し、裏手にあるスタッフ専用口へ先導する。

 外階段で二階へ上がると、直ぐ左手にスタッフルームがある。ドライバーの右京さんや取引先様用の部屋で、有名海外ブランドのベッド、マッサージチェア、給湯室に台所、それにシャワールームまで備えている。

 

 シャワーと着替えを済ませた彼が、指示通りに執務室へやってきた。


「久遠駆流さん、ようこそオアシスへ。突然の申入れに応えていただき、心から感謝致します。」

 頭を掻いた彼に、施設設立の経緯、葬祭業界の現状と知見、オアシスの業務内容を伝える。そしてようやく冷たい麦茶を差し出すと、「何故、僕を雇いたいと思われたのですか?」と切り込んできた。私は肉食主義。遠回しにはせず、ストレートに勝負する。


「実は私、あなたのお母様と知り合いだったの。」

 麦茶が濃すぎたのか、彼は表情を歪める。


「彼女は高校の同級生でした。三年生の時に一緒のクラスになって、私が一方的に彼女のファンであっただけなのですが。」

 その表情は見る見る曇り、慣れないネクタイを緩めて荒い呼吸を始めた。やはり流美の死から全く立ち直れていないのね。無理もない。息子との未来より、自分の足を守った女なのだから。

 

 「帰ります。」

 彼は部屋を出て、スタッフルームへ荷物を取りに行く。私は朝から携帯でタイマーをかけていた。右京さんの運転は自動運転並みに正確。裏口は専用IDを入力しないと出入り出来ない。チャイムの後、私は彼より先に一階へ降りて故人を迎え入れる。


 「金城様でござますね。この度は誠に御愁傷様でございます。私は当施設の支配人、真白でございます。ご出発まで誠心誠意、お手伝いさせていただきます。」


 タイ産の棺桶が運び込まれ、ご両親が脇を固める。お母様が「海ちゃん!」と連呼する。その悲惨な声に気付き、彼は二階からこちらを凝視している。


 「おい、新入り!今日からだろ?ぼさっと立っていないで手伝え!」

 これも想定内。言葉遣いは酷いが右京さんは視野が広い。そしてスーツ姿の彼は渋々と安置室にやってきた。そう、それでいいの。あなたにはもっと死のスパイスが必要なの。


 右京さんが部屋の外で待つよう静止しても、母親は棺から離れずにいる。右京さんは慣れた手つきで釘を抜き、彼に指示をして、何重にも巻かれる強力なテープを二人で剥していく。そして蓋を開けた後、三人で故人様をカプセルベッドに移動した。


 彼は自身と然程年齢の離れていない故人様を前にして唖然としている。


 故人様の名前は金城海かねしろ うみ)様。享年二十四歳。一週間の有給休暇を取って、タイへ一人旅をしていた。しかし歩道を歩いていたにも関わらず、飲酒運転した車両に後方から跳ねられ即死されてしまった。ご両親は火葬を希望されているが日程は未定で、心が落ち着くまでオアシスで安置することになっている。

 

 気化葬が九割で火葬が一割。

 気化の台頭で火葬件数は著しく減少した。以前は外国資本の民間企業が都内の火葬場の多くを運営していたが、現在は都が運営する二か所のみになった。そして、二〇二〇年代には六万円程度だった火葬費用は上がり続け、今では三十万円にまで膨れ上がった。それでも海様のご両親のように、しばらくは寄り添うことしか出来ない遺族が存在している。


 安置を終えても、彼は帰らずに紅茶の誘いを受け入れた。取り敢えず作戦は成功ね。

 

「気化を選択したら、お別れする時間は短いのですよね?」

「お父様をどのプランで見送られたのですか?」

「シンプルでした。」

「シンプルは三分。スタンダードは十分。スイートは一時間。スイートを選べば広い個室が用意されて、飲食が出来て、宗教様を呼んで葬儀をすることも出来ます。遺骨は残りませんが。」


「全てはお金次第なんですね。」

「しかし、気化葬が生まれる前から、火葬にもランクがありました。それに、もう随分前からお葬式は簡素化していたのです。」

 私はそう話をしながら、勤めていた葬儀社の社長の言葉を思い出す。


「死は疎遠化したのだよ。」

 遠い昭和時代には自宅で故人を看取ることが当たり前で、死化粧、食事、生花の手配は遺族や近所の人々が率先して行った。地域ごとに仕来りがあり、それを順守することで地域の輪が守られていた。どの家にも遺影写真が飾られ、仏壇と本位牌に故人の魂が込められていた。


 経済の発展と共に葬儀の意味合いは変化した。亡くなる場所は自宅から病院へ、葬儀を行う場所は自宅から葬儀場へと移った。大金を叩いて立派な祭壇を組み、知人や職場の関係者などが参列する一般葬が増加し、葬儀に見栄が加わった。平成に入ると不景気の風に煽られ、身近な者だけに声をかけ、こじんまりと簡素に行う家族葬が流行。地域の交流を失った都会人は、故人を自宅には帰せず、安置施設の利用が増加した。

 

 折角作った遺影を押し入れにしまい、地方の墓参りは減少。そして、平成の終盤には火葬式が増加。葬儀式を行わず、火葬場で故人を見送るだけのシンプルで安価なスタイルが受け入れられた。加えて宗教への信仰心が軽薄化し、檀家を失った寺院などが廃業に追い込まれ、宗教者が葬儀社に営業する時代になった。


 「多くの反対と罵声を受けましたが、私はオアシスを開業して本当に良かったと思っています。」

 話し相手がいる喜びに、三杯目のブラックコーヒーを啜る。


「どうして、いつか誰もが必要な場所が反対を受けるのですか?」

 

「他人の死は、単なる不幸事でしかないのです。いつか遺体となる人間が、平気で不幸、不吉、臭いなどと言えてしまう。あれだけの震災を経験したのに、そういう人間はこの世に多く存在しています。」


 私は今晩のクロージングを始める。

「オアシスは早く火葬が出来ない、家には安置できない、そういった仕方がない場所ではありません。気化が始まったからこそ、本心から故人に寄り添ってあげたい。佐々木様のように利用者様が思うがままにお別れが出来る安置場所です。オアシスが存在することで救われる人々がいると、私は信じています。


 彼は静かに頷くと、「体験入社、もう少し延ばしてみます。」と答えてくれた。

 

「あら、新入り君。逃げずに来ているなんて意外だわ。案外スーツも似合っているし。」

 ダンスレッスンを終えた詩希が帰って来た。

「夕食済ませてきたから、お風呂に入って寝るね。」と素っ気なく姿を消した。


「まだ火葬日が決まっていない金城さんは、これからどうなるのでしょうか?」

 金城様の部屋から呼び出し音は鳴っていない。ご両親からアクションがあるまでは必要最低限のサポート以外はそっと見守るしかない。


「待つしかありません。他人に委ねた決意には、後悔しか残りませんから。」

 決意出来ないあなたのように、人生には予想だにしない岐路が突然やってくる。それが必然に仕組まれたものだとしても、オアシスがあなたを変えてみせる。


 私は冗談抜きで、人間が死と近付くことで、この歪んだ世界は変わると信じているの。

 どんなバイブルや政策よりも、死を基点とした優しく強い人間が増えることが、この腐った世を緩和する一番の近道だと思っているのよ。


 スーツを脱いだ彼は、窓越しに走り姿を見せてくれる。

 その姿を毎日のように拝めるかもしれない。

 私は四杯目のコーヒーカップを持ちながら、喜びの苦味を堪能した。


第一章 気化葬 完 ~ 第二章 青い瞳の納棺士 へ続く

 

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