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第一章 気化葬 其の四

 八月十七日 午後七時 真白 希樹


 私の名前は真白希樹ましろ きじゅ

 二〇三〇年にオープンした付添特化型安置施設「OASIS」のオーナー兼支配人。

 それまでは都内にあった葬儀社「想別社」に約十八年間勤務し、無遅刻、無欠勤。

 同僚からは「ヘラクレス」と呼ばれていた。

 

 二十五歳の時、葬祭フェアで余命予測サービス会社を経営していた真白幸作と出会い、約一年の交際を経て結婚。翌年には一人娘の詩希を授かった。慣れない育児と主婦生活はストレスになったが、家族三人で過ごした約四年間は、私の人生史上最も平穏な日々だった。


 八月前半分の経理作業を終え、ブラックコーヒを啜る。

 待ちに待った迷い鹿との再会を果たし、私は久しく興奮を覚えた。贅肉のないスラっと伸びた手足。皮膚から香る湿った汗の匂い。(親とはぐれた僕はどこに行けばいい?)と訴える瞳が堪らなかった。(そんなの、闘うしかない。)と即答してあげたかったけれど。


 二〇二六年の首都直下型地震で、祖父と夫を失った。公民館で公演中だった夫は瓦礫の下敷きに。父は愛犬との散歩中に火災旋風に巻き込まれ溶解したため、骨が遺らなかった。その頃、葬儀社に復職していた私は頑丈な火葬場に守られ、保育園にいた詩希も無事だった。


 悲しみに暮れる時間は皆無だった。都内の火葬場はパンクし、学校、屋内広場、公共スペースが霊安所に様変わりした。私は遺体処置と納棺業務に追われた。目の前の遺体と、故人を探し彷徨う遺族の叫び声が私の本能を目覚ませ、次に生きるべく目的を与えてくれた。


 遺体安置所は震災前から不足傾向にあり、死亡人口は増加しても火葬場の枠が増えることは無かった。繁忙期となる夏、冬場は逝去から一週間前後も火葬を待つことは一般的で、それならと故人とゆっくりとした時を過ごせる自由度の高い安置場所が無かったのだ。故人は霊安室と呼ばれる殺風景な一室で、銀色の冷蔵庫に格納され凍えることしか出来ず、遺族と会える時間も限られていた。


 気化葬はそんな現状を大きく変化させた。二〇二七年に新東京構想の一つとして発表され、二〇三一年に施行。新しい葬送のカタチを東京に根付かせた。


 一瞬で遺体を気体化することで圧倒的な回転率を誇り、火葬場の抱えた混雑を解消。遺骨が無いため、火葬中の休憩や収骨が無くなり、墓や樹木葬などの納骨先が不要に。施設もロボットを大々的に採用し、人件費の削減に成功。気化をすることで翌年の都民税が減税されるメリットも追い風になり、死後の世界があるはずないと大多数の都民に支持されている。


 私は気化葬を否定しない。

 寧ろ、共に寄り添っていきたいと思っている。


 新時代を迎えても、手間や未完成を愛する人々がいるように、高額な費用を払ってでも遺骨を残して弔いたい人がいて、死後六十時間以内に心の整理などできないと、長らく故人に寄り添っていたい人がいる。


 起業当初はKIKKA建設予定地の近くで開業したいと考えていたが、都と近隣住民の猛烈な反対運動に制圧された。エリアを広げても、「不吉だ」「不幸ごとを連れてくるな」と罵られ、「死臭がする」と煙たがられ、私はようやくこの地に辿り着いたのだった。


 都心からかなり離れた立地に不安はあったが、夫の保険金や、家を売って作った予算内で土地と物件を購入。余剰資金でリフォーム費用と家具代金を賄うことも出来た。


 吹き抜けのロビースペース、一階には六部屋の安置室、二階には執務室に、私と娘の個室、食事会場をリフォームしてリビングとキッチンスペースを作った。


 安置室には一層こだわりがある。

 冷却カプセルベッドはドライアイスが不要の特注品。派手な色は避けつつ、遺族の心が冷えないように明るい色の家具を採用。遺族が気を遣わなくて済むよう、食事や遺体処置の各種依頼は、専用タブレットで完結できるアプリを業者に開発していただいた。

 

―私はここで生きていく。利用者の心を救っていく―

 そう決意してから、まもなく十年が経過しようとしている。


 コーヒーを飲み終えると、タイミングよくチャイムが鳴った。


 安心してください。各安置室は防音完備ですので、外音は気になりません。

 急な安置依頼かもとモニターを覗くと、苦しそうな迷い鹿が扉の前に立っている。


「どうされました?娘は財布以外にも何か忘れたのかしら?」

「いいえ、そうではないのですが…」


 下に降りると、彼は握っていた皺くちゃな紙袋から大きな瓶を取り出した。


「佐々木さん達がバーでキープしていた日本酒です。皆さんが揃ってお酒を呑めるのは、今日が最後と思ったので…」

 お酒のバトンを差し出す彼に「あなたから直接渡して差し上げて」と伝え、室内へ向か入れる。彼の親切心と、一日に二度会えた喜びに、自然と歩幅が広がる。


 ドアベルを鳴らし扉が開くと、四人の男性が顔を赤くして、往年の演歌を合唱している。

 気が利くでしょう?オアシスにはカラオケもあるの。

 しかし小恥ずかしそうな彼は、声をかけられないどころか、部屋にも入れない。


「皆様、不愛想な店員さんから、素敵な差し入れが届きました。」と代わりに大声を出すと、

 瞬時に目を輝かせた岡林様がソファーを立ち、柿の種を飛ばしながら彼からお酒を受取った。


「これや!皆で一番飲みたかった酒や!兄ちゃん、気が利くやないか!おい、今聞えたよな?ささやんが、「ありがとうな」って言ったよな?」


「そや、そや!ささやんがそう言うたで!」


 どんよりしていた室内が賑わい、私は廊下にあった花瓶から一輪の白いユリを摘む。

 そしてお酒の水滴を花びらに落とし、佐々木様の唇に浸す、献酒を提案した。


「ささやん、うまい、うまいって言うとるわ!これで生き返ったりしてな!」

「岡やん、そんな一気にあげたら、ささやん倒れてまうわ!」

「阿呆陀羅!すでに倒れとるからあげているんやで!」

 

 佐々木様の唇も、お仲間様の喪失も、少しでも満たされてくれれば嬉しい。


「よっしゃ、いくぞ!」

 しんみり演歌がJ-POPに変わって安堵する。


「またお店に来てくださいね。」

 残念ながら彼の小声に返答は無かったけれど、届いたと信じて二人で部屋を出た。


「今のお気持ちは?」と彼に尋ねてみる。

「家に帰ろうと思いましたが、自然に足がバーに向いてしまって。これまでの僕だったらこんなことは…」


「何かあったのですか?」

「実は先日、父が自殺したんです。会社が倒産して。」


「それは…大変ご愁傷様でございます。」

「ありがとうございます。あのお酒は父への当てつけです。僕一人だけに立ち会われて、寂しく消えていった父に、こんなに仲間に愛されて呑み会している故人がいるんだぞって伝えたくて。」


 彼には人を思い遣る優しさと素直さがある。お店のお客様であったことを差し引いても、自分に出来ることを考え、直ちに実行した。それだけ、死は人を変える。遺された人間は(喪失)と(転生)の天秤にかけられ、吉と出れば劇的に変わるきっかけを得るのだ。


「あてつけではないですよ。死に感化され、優しさが溢れただけです。」

 彼は「そうですかね」と下を向くだけだ。


 間もなく娘が帰宅する頃合いだと彼に二度目のティータイムを提案するが、「遅いので」と断れてしまった。「さようなら」さえ言わず、軽く会釈した彼は走り出す。


 暗闇に消えゆく彼の後姿は、母親に負けじと美しい。

 だが、そんな貧弱な走りでは、チーターやハイエナに喰われてしまう。


 彼の背中に問う。

 今、あなたは何のために走っているの?

 貧しい人生から現実逃避をするため?単なる健康維持のため?

 

 私はあなたに闘って欲しい。

 ヌーやインパラの大群に紛れていて欲しくはない。

 分断された東京というサバンナを、思うがままに駆けて欲しいの。

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