3-2 あたしが売れたらコミリにもドラマの役を回してあげるわ
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おはようございます。北トルカ村のコミリです。そして今だけは河内小阪のコミリでもあります。
大阪で迎えた初めての朝は格別に気持ち良いものでした。ふわふわの布団。しっかりした枕。柔らかい日差し。起き抜けにいただいたコップのお水も。全て天音さんからの施しです。
「ありがとうございます。天音さん。お布団のお礼に祭壇の飾りを増やしておきました」
「うわっ。おばあちゃんの遺骨が3つになってる」
天音さんは持っていた手拭いを落としました。喜んでいただけたようで何よりです。せっかくですし、あと5つほど──「コミリ。今すぐ元に戻して」
すみません。本物以外は別の大陸に転送しておきます。
転送。昨夜の天音さんは悩んでいました。でも今の天音さんはスッキリしているように見えます。お化粧を落としたから、かもしれません。
そんな彼女の唇に再び鮮やかな紅色が戻ってきます。あの小さな棒(?)はおそらく血根草の粉末を泥と混ぜ合わせ、日光で固めたものですね。故郷の村では壁の装飾に使われています。指先で触るとヒリヒリするやつです。
「あたし決めたから」
「今日の朝御飯ですか?」
「朝御飯は駅前で統制局がやってる『炊き出し』をいただくわ。最近お米の配給が遅いでしょ。そうじゃなくて。あたしは決めたの。あっちで日本代表クラスの超美女軍団に挑むくらいなら、今の狭い大阪で天下を狙う」
彼女は卓上の鏡に決意をぶつけます。
余所者の私には比喩的な表現がいまいち伝わってきませんが。きっと大阪に残るということだと思います。
天音さんは前髪を整えつつ。こちらへ振り向きます。やはり華のある女の子です。肩紐で吊る形の衣服が似合っています。
「あたしが売れたらコミリにもドラマの役を回してあげるわ」
「本当ですか?」
「だから、それまでウチに居ていいわよ。あんたが居たら楽しそうだし」
「本当ですか!?」
私は飛び上がります。日本語の文字通りです。浮遊魔法を使っちゃいます。自分自身に術式を刻むと大変なことになりますから、周りの空気を操作する形です。
自然と天音さんも巻き込んでしまい、彼女には狭い部屋の中で水泳の真似事を強いてしまいました。
私は慌てて術式を消去します。
成り行き上、その場の全てが床に落ちました。お尻に痛みが走ります。
幸いにして天音さんは布団の上に落ちていました。
「ちょっとコミリ。せっかく髪の毛セットしたのにめちゃくちゃなんだけど」
「す、すみません」
「二度と今の魔法は使わないで。タンスもソファも浮いちゃってさあ。もう竜巻にぶつかった気分なんだけど。あんたの魔法すごいわね。本当に。もう出ないと仕事に間に合わないのに。くふふ。笑っちゃうじゃん」
「お仕事ですか?」
「そう。大したことないアシスタントだけど。大阪城で自衛隊のイベントがあるのよ。そのお手伝い」
天音さんは怒ったり笑ったりしながら立ち上がります。
私はそれどころではありません。自衛隊。余所者の私は彼らから追われる立場なのです。
しかしながら。それを彼女に伝えてしまえば。まあ今さらではありますが。万が一にも出ていけと言われてしまうかもしれません。
私は不安で喉元を抑えつつ。
彼女のお仕事についていくことにしました。
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大阪城は南側から眺めても美しい姿をしています。昨日は足元を歩かせていただいた王宮の巨塔群が、さながら屏風のように大阪城の後背を支えています。素敵です。
私たちは地下鉄の出口から横断歩道を渡ります。石造りの雨除け(天音さんのお話では高速道路と呼ぶそうです)をくぐりますと、赤茶色の版築で作られたような壁が見えてきました。奥には簡素な城門があります。
天音さんの足取りには迷いがありません。
深緑色の鉢を被った門番(女性です)に挨拶をぶつけます。
「今日呼ばれた劇団の者です」
「ああ。寸劇の手伝いに来てくれた方ですか。どうぞお入りください」
余所者を見つけた時とは正反対の友好的な口調です。私としては腑に落ちませんが。ひとまずパーカーで耳を隠しながら天音さんについていきます。
城門を抜けますと。通路の左右に銀色の地下鉄車両が並んでいました。たくさんあります。それぞれ車内にベッドが詰め込まれています。自衛隊はここに住んでいるのでしょうか。ベッドのシーツにはシワひとつ見当たりません。
地下鉄の群れを抜けた先には広場がありました。中央に石造りの舞台が用意されています。天音さんはあそこでお仕事をされるそうです。
私は訊いてみます。
「天音さん。ここでドラマをやるんですか?」
「そんな大げさな話じゃないわ。自衛隊の駐屯地祭でコントをやるから、手伝いの役者が欲しいらしいの」
「そうでしたか」
「送ってもらった台本を読んだ感じ、あたしは一般市民の女子高生をやればいいみたい。街に飛んできた異世界の魔獣に怯えていたところを、自衛隊の人たちに助けてもらうって流れになるわ」
私は天音さんから台本を見せてもらいます。細い金具で留められた小冊子に台詞が並んでいました。
単純な物語です。大阪らしくボケ・ツッコミが設定されていますが。残念ながら河村さんたち『ジングシュピール』の漫才と比べますと、言葉選びのセンスで雲泥の差があります。
しかしながら。頭の中で情景を想像してみますと──どういうわけでしょう。かなり楽しそうに思えてきます。
もしも主役が私だったら?
どんなふうに大阪の危機を伝えましょうか?
どんなふうに天音さんを助けるでしょうか?
想像が術式のように巡ります。すごく楽しいです。やってみたいです。
「……いいなあ」
「お家に帰ったら、あたしと一通り演ってみる?」
「良いんですか!」
「当たり前じゃん」
天音さんは得意気に笑います。本当にありがたい方です。もう足を向けて眠れそうにないです。
私はさっそく台本を読み込みます。もう絶対に覚えるしかありません。ドラマのように諳んじるつもりです。
「おーい」
ふと。視界の片隅に自衛隊の男性が映りました。城門の方向からこちらに近づいてきます。
深緑色の鉢ではなく紺色の帽子を被っています。衣服も紺色です。華魚の脂身と同じ色に見えます。
「どうもどうも。今日はお世話になります。自分は今回の駐屯地祭を任されてます、佐々木と申します」
自衛隊の男性が天音さんに小さな紙を手渡してきます。なぜか私にも同じ紙をくださいました。
紙には漢字が並んでいます。
【防衛省・自衛隊大阪地方協力本部】
【広報官・三等陸佐】
【佐々木智信】
私は首を傾げるしかありません。相変わらず専門用語には疎いです。称号の数から考えますと、自衛隊の騎士身分でしょうか。
天音さんは冷静な笑みを浮かべています。
「初めまして。〇〇さんの紹介で来ました。小林天音です。佐々木三佐はコントのツッコミ役ですか? ボケ役ですか?」
「まさか。自分は出ませんよ。恥ずかしいですから。みんな若い衆がやります」
「ということは佐々木三佐が『演出』ですね?」
「劇団の人にそう呼ばれると照れちゃいますねえ。いやはや」
天音さんの軽妙な会話で雰囲気がほぐれていきます。地元にある酒屋の女主人と印象が似ています。皆さんの言葉でいうところの営業トークというやつです。
お二人が衣装合わせに向かった後、私は何となくみんなの役に立ちたい気分になりました。
テレビドラマと比べたら。所詮はお祭りの余興。シンプルなコントではありますが。せっかく大阪の人たちに見てもらうわけです。
及ばずながら。私の力で皆さんにより楽しい時間を過ごしていただけるのならば。
やらないという選択肢は存在しないはずです。