3-1 おかげで寂しい葬式になっちゃった
× × ×
悲しいです。悔しいです。私は夢破れてしまいました。オーディションに不合格でした。
一回落ちた程度でいちいち落ち込んでたら生きていけないわよ、と天音さんは慰めてくださいます。彼女には感謝しかありません。貸風呂をご馳走になったばかりか、大阪では行く宛のない私を自宅に招いてくださったのです。
天音さんのおうちは──お世辞にも立派とは言えませんでした。細長い廃屋を各家庭が等分に切り分け、赤錆びた屋根の下でどうにか雨風を凌いでいます。引き戸のサッシも歪んでいますね。
「私には直線に見える」
「うわっ。サッシがまっすぐになった」
天音さんが目を丸くしてくださいます。ふふふ。河村さんの時もそうでしたが。大阪の人に魔法を見せると反応が面白いです。
私は調子に乗らせていただき、今にも朽ちてしまいそうな天音邸を修理させてもらいます。
窓ガラスのキズ? 床板のヘコミ? 雨漏り?
全てコミリにお任せください。
石鹸が足りないようでしたら複製させていただきます。ほほう牛乳石鹸ですか。美味しそうな匂いですが、天音さん曰く食べられないそうです。
ふう。ちょっと疲れてきました。同じ空間とはいえ術式の想定には頭を使います。甘いものが欲しいです。
「すみません。天音さん。私に果物をお恵みいただけませんか」
「缶詰なら出せるけど」
天音さんは戸棚の奥から円柱状の金属を出してくださいました。表面に橙色の果物が描かれています。みかん、という品種でしょうか。私もテレビで見たことがあります。
彼女の手で金属のフタが剥がされていきます。ペリペリ。途端に甘い匂いがしてきました。これは絶対に美味しいやつです。間違いないです。
「いただきます……うふふ。たまりません」
「全部あんたにあげる。あたしフルーツ好きじゃないし。おばあちゃんが売らずに残してたのかな」
「天音さんにはおばあちゃんがいますか?」
「去年までいたんだよね」
天音さんがアンニュイなため息をつきます。私はテレビ局で出会った時から思っていましたが。この人はきっと何をやっても絵になります。モハイ・コ・ツイスレイ、とても目を惹く女性です。横顔が特に美しいです。
私も彼女の姿に変身したら。いずれオーディションに合格できるかもしれません。残念ながら魔法使いは自分自身に術式を刻めませんが──刻んだら体内の魔力がずっと術式に流れ込み続けますから。魔力が尽きるまで術式の発動が続きます。生き地獄です。
トトトン。夜の雨音が赤錆びた屋根を叩きます。
天音さんはタンスの天板に設けられた祭壇(?)に祈りを捧げた後、押入から布団(大阪式の寝具です!)を出してくださいました。きっと彼女のおばあちゃんが使っていた布団ですね。ほのかに布の匂いがします。
私も祭壇に祈りを捧げます。パンパン。手のひらを交互にズラしながら叩きます。ひとまず北トルカ村のしきたりに合わせてみました。天音さんの反応は良好です。
「オリジナリティあるね。さすがエルフ」
「そういえば。どうして大阪の人は私たちをエルフと呼ぶのでしょうか」
「さあ。耳が長いからじゃない」
「なるほど」
日本語特有の表現だったようです。勉強になりました。漢字だと何の文字を宛てるのでしょう。
私は国語辞典が欲しくなります。村から持ってくるべきでした。天音さんの家の中には見当たりません。
天音さんが洗面所から小瓶を運んできます。
「あとさ。一応言っとくけど。あたしは大阪生まれじゃないからね。基本、共通語でしょ」
「たしかに河村さんの言葉より聞き取りやすいです」
「宇和島って町から旅行で来てたの。おばあちゃんと2人で。そしたら変な騒ぎに巻き込まれて。あんたたちの変な世界に閉じ込められたわけ。おかげで寂しい葬式になっちゃった」
「天音さんは元の世界に戻りたいですか?」
「戻れるの?」
ペチペチ。頬を叩く音が途切れます。私は天音さんの力強い双眸に射抜かれてしまいます。
火山岩を思わせる瞳です。美男美女が集う社交場でも遊び相手には困らないでしょう。こんな方でなければ、こんな方であっても、ドラマの主人公にはなれないとしたら。私の希望はいったい。
「え……えっ。なんで急に泣いてんの。やだちょっと。別にあたしらが異世界に飛ばされたのはあんたのせいじゃないんでしょ。ガラチナとかいうクソ女のせいだってテレビで」
「すみません。私、オーディションに落ちて。落ち込んでしまいました」
「だから気にしなくていいわよ。また受けたら良いじゃない。ああもう。演技ならあたしが教えてあげるから」
「本当ですか?」
「あたしもそんなに上手くないけど。まあ劇団に知り合いいるし。ほら元気出しなさいよ。ティッシュティッシュ」
「すみません。ありがとうございます」
天音さんから薄切り紙を受け取ります。鼻紙ですね。大阪のものは空気のようにふわふわしています。
私は目元と口元を拭きました。
失敗した時に自分のことばかり考えていたら悲しくなります。魔法使いの本分に立ち返りましょう。天音さんは元の世界に戻りたいみたいです。河村さんもそのようでした。当然ですよね。准賢者ガラチナ様が勝手に連れてきたわけですから。大阪の人たちに断りを入れることなく。
たとえ10年間、食うに困らない環境を与えられたとしても。突然、誘拐されるのは辛いはずです。
「ええと。私の力では。ガラチナ様の魔法を上書きすることは不可能です」
「別に良いわよ。あと2年なんでしょ」
「天音さんおひとりをあちらに飛ばすことはできます」
「できんの?」
「できます」
私は正直に伝えます。都市全体を転送するのは無茶苦茶ですが。いわゆる遠隔地空間転送術自体は初歩的な魔法です。北トルカ村でも家庭ゴミを定期的に別大陸に送りつけています。どうせ他の大陸には魔獣の類しか居ませんし。誰も困りません。
天音さんには一宿一飯の恩があります。私の疲労はピークに達しつつありますが。転送しろと言われたらやり遂げるつもりです。
もっとも今から想定術式を組んだとして。私は皆さんの世界をよく知りません。テレビでも大阪の風景ばかり目にしていますし。もしかすると変な場所に飛んでしまうかもしれません。皆さんの世界にも海はありますよね?
「う~ん」
天音さんは悩んでいらっしゃいます。
やがて日付が変わっても。彼女から答えが出ることはありませんでした。