1-2 私、すっごく勉強しました
× × ×
准賢者ガラチナ様は偉大な魔法使いです。異世界の王城から半径60リーガルの大地を切り取り、私たちの世界に召喚してみせるなんて。とてもマネできることではありません。
加えて「元の世界に戻す」まで異世界の人々が悲しまないように、必要な物はなるべく供給しているらしいです。
何といいますか。あまりに壮大な話すぎますよね。どれだけ多くの術式をかけているのか、私には想像もつきません。
「うひゃあ」
地元の村から2日ほど歩き、ようやく大阪の街が見えてきます。
私は心の底から感動しました。
広大な演習場の中心部に、灰色の円形都市が生まれていたのです。
以前、叔母と来た時にはもちろん何もありませんでしたから、もうビックリでした。ガラチナ様の構想力を肌身に感じました。
丘の上から眺めた大阪の街は、辺縁部の禿山を除けば、箱状の建物で敷き詰められていました。中央の巨塔群を含め、色鮮やかに飾られていますが、火山の近くに生えている柱石の列に似ています。
私は草原の轍を辿りながら、一歩ずつ大阪に近づいていきます。
途中で『立入禁止』の日本語看板を見つけた時には笑みがこぼれました。自分でも簡単に読めちゃったからです。
灰色の市街地をぐるりと囲む草原「緩衝分離帯」は約4キロメートル(16リーガル)に及びます。私の足なら1時間もかかりません。
途中、御者の居ない荷車に追い抜かれました。街に近づくにつれ、荷運び用の土人形を多く見かけるようになります。
あれらはガラチナ様の依代でしょう。想定上の魂魄を吹き込まれた召使いです。私たちはアギュイと呼びます。ひとまず「依代」と訳していますが、皆さんの感覚だと「式神」「使い魔」が近いかもしれません。
土人形は手提げ袋の中にガラス片を詰め込んでいました。ひょっとして、あれがあのスマートフォンなのでしょうか。テレビドラマではみんな使っていますよね。
「わああっ」
本物は初めて見ました。
すごくツルツルしてます。私も触ってみたいです。検索したいです。1枚欲しいです。
しかしながら。もし他人が袋の中に手を伸ばそうものなら、すぐさま反応攻撃が飛んでくるのは目に見えています。
准賢者様の攻撃です。私の身体は即座に消し炭と化します。下手なマネはやめておくべきです。
私は土人形の群れに巻き込まれながら、徒歩で大阪の城門を目指します。
やがて足元の草むらが途切れ、召喚術の痕跡が残る赤土と、炭色のアスファルト(あのアスファルトです!)に変わりました。
すごい。カチコチで歩きやすいです。
タムタム。私が草履で舗装路を踏みしめていると、大阪のほうから寂しげな人影が近づいてきました。
初老の男性です。威圧感のある飾り付きの帽子をかぶっています。暗色系の分厚い服装には少し見覚えがありました。
きっと腰の革包には小さな金属発射機を携えているはずです。
私は挨拶を試みます。
「こんにちは。私は北トルカ村のコミリです」
「退去・地元民・此処……なんや君、今、日本語喋ったんか?」
お巡りさんは目を丸くしています。
私も同じ気持ちです。お巡りさんって本当にいらっしゃるんですね。ドラマで見てきたとおりの目立つ格好で。
初めての挨拶を成功させた私は、初めての会話に挑みます。
「そうなんです! 私、すっごく勉強しました!」
「そらすごいな……よう頑張ったやん。上手い上手い。いやアカンねん。君らに来てもろたら。はよ出てってくれな」
「私は大阪に入りたいです。ドラマのオーディションに呼ばれています。テレビなんです!」
「ドラマ? なんや知らんけど、アカンもんはアカンで」
お巡りさんににらまれてしまいます。叔母より年長の男性だからといって、必ずしも子供のやることを何でも許してくれるわけではなさそうです。これが文化の違いでしょうか。
仕方ありません。
私は袖口から杖を取り出します。トルカの森の巨木から削り出した手作りの杖です。毎日ピカピカに磨いています。
「お巡りさん。私にお手伝いできることはありませんか?」
「お手伝い?」
「前にニュースで見ました。大阪の方は足りないものがある時、身近な土人形に言伝を頼み、准賢者ガラチナ様に複製してもらっているそうです。いかがですか。私も複製なら心得があります」
ちょうど私の傍らを土人形が通り過ぎていきます。白麻の手提げ袋の中には灰色の植物の茎みたいなものがたくさん束ねられていました。テレビドラマでスマートフォンの穴に挿したり、人間の耳の穴に入れているやつです。
私の申し出にお巡りさんは油氷を浴びたように口元を歪ませます。お気に召さなかったみたいです。
「お嬢ちゃん。そういうのはお巡りさんに言うもんとちゃうで。こっちもギリギリやねんから」
「はい。肝に銘じておきます」
「そんな日本語よう知っとるなあ。エルフやなかったら、喫茶店でコーヒーぐらいおごったるとこやわ」
「コーヒーは飲み物ですね」
「まあ。まあ。お互いのためや。早よ家帰り。あんまりこのへんうろついてると、あっこの検問所におる、緑色の厳つい兄ちゃんに尻叩かれるで」
お巡りさんが指差した先には窓つきの小屋がありました。
深緑色の鉢を被った男性が、眠たそうにあくびをしています。
「あれは自衛隊の方ですか」
「ホンマによう知っとるなあ。どっかの日本語の試験受かるんちゃう?」
「えへへ」
私は思わず照れてしまいます。日本人のお巡りさんにたくさん言葉を褒めてもらえました。勉強した甲斐がありました。
とはいえ。
街の門番に足止めされていたら話が進みません。
これでも私は魔法使いの端くれです。ここは一つ。叔母から教わった「かしこいやり方」でいきましょう。
「失礼しました」
私はお巡りさんに頭の旋毛を見せます。これが日本の作法だったはずです。そして。小刻みに杖を振り、小声で呪文を唱えます。
偽去術。目眩ましの公認魔法です。
相手の視界から術者の姿だけを消してしまいます。
「うわあああっ!?」
お巡りさんは叫び声をあげ、尻餅をついていました。
ごめんなさい。たしかに突然、目の前にいた人が消えたら怯えちゃいますよね。うっかりしてました。
私は再び杖を振ります。成功です。お巡りさんの武器が2つになりました。どうか通行料としてお納めください。
私は再び旋毛を向けつつ。アスファルトの白線を辿ります。念のため、監視小屋の自衛隊さんにも偽去術をかけておきましょう。
さあ。大阪探検の始まりです。