前編
「お姉様、ごめんなさいっ!!」
「アルネ…すまない。」
私、子爵家の長女のアルネ・ポーマは婚約者であるキース・デルタ伯爵様に婚約破棄を申し込まれた。その理由は私の妹、ミリナに惚れてしまったからだそうだ。ミリナもキース様の事が好きなのだと言う…。
私とキース様が婚約者になって随分と経つ。政略結婚を目的とした婚約だったけれど、一緒にいるうちに彼を好きになっていた。もうすぐ結婚するのだと、当たり前のように思っていた。それなのに…
「ミリナ、一体どういうつもりだ? 冗談で済まされる話ではないのだぞ!?」
「冗談なんかじゃないわ、お父様! 私は、キース様と結婚するのよ。」
ミリナは貴族令嬢としての言動や行動が伴わない事が多かった。昔から嫌な事があればすぐに投げ出すし、面倒くさがりなところがあった。けれど何処か憎めなくて、何やかんやで姉妹の仲は良かったと思う。お父様は私に優しかったけれど、ミリナには特に甘かった。しかし、今回の件は流石にお父様も見過ごせず、ミリナに怒りを向けた。
「婚約者を奪うだなんて、何て非常識な事をしたんだっ!! しかもよりによって、アルネの、お前の姉の婚約者に手を出すだなんて…。」
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃないっ!! 私がキース様と結婚すれば、家同士の繋がりは出来るのよ。それに、お姉様との婚約だって政略の為だったんでしょ? 想い合っていた訳じゃないお姉様より、私の方が良い筈よ!!」
「っ、そういう問題ではないだろう!! 少しはアルネの立場や気持ちを考えたのか?!」
私は怒りを押し殺しながら、ミリナの言い分を聞く努力をした。お父様の言葉に、ミリナは涙ぐみながら言い返す。
「し、仕方ないじゃない! 私はキース様を好きになってしまったんだもの…。この想いを抑えるなんて出来ないのよ!!」
そして、ミリナは私と目を合わせた。
「…それに、キース様もお姉様じゃなくて、私が好きだって言ってくれたわ。お姉様は、私達を引き裂いてまでキース様の婚約者でいたいの?」
「…もういいです、お父様。婚約破棄、お受けします。」
私はミリナから目線を外して、お父様を見た。伯爵であるキース様からの申し出を断るなんて出来ないし…ミリナを好きだと言ったキース様と結婚生活を送ることなんて到底考えられなかった。
「ア、アルネ…。」
「お姉様……。」
「…申し訳ありませんが、気分が優れませんので失礼します。婚約破棄の手続きはそちらでお願い致します。」
お父様に全てを押し付けて申し訳ないと思いつつ、私はその場を離れた。
部屋につくと、私は声を殺しながら泣き崩れた。婚約破棄の悲しみ、ミリナへの怒りは計り知れない…けれど、私はキース様に愛されず、ミリナを愛したのだから仕方がないという、ミリナの主張に言い返せない自分が惨めだった。さらに、両想いになった二人の邪魔をする存在だと、私が悪いかのように言われた事が悲しくて、許せなかった。あまりの衝撃に、貴族としての振る舞いが出来ずに、最後まであの場にいる事も出来なかった。
「…本当に、駄目ね、私は。」
その後、私とキース様…デルタ伯爵との婚約は正式に破棄され、デルタ伯爵はミリナと婚約した。私は、外に出る時も家の中でもミリナを避けた。ミリナの顔を見たら、平静で居られる自信がなかった。ミリナは私に会おうとしてきたけれど、お父様が牽制して止めてくれた。数日後、ミリナは居づらくなったのか、デルタ伯爵の家で過ごすようになった。
ミリナが居なくなり、心の平穏を少しずつ取り戻してきた私だったけれど、現実問題に向き合い始めた。私の婚約破棄についての噂は広まっている。ミリナを悪く言う声もあるが、私を嘲笑う声もあった。何れにしても、ポーマ子爵家が変な目で見られている事は事実だった。そんな中で、私はまた婚約者を探さなくてはならない。けれど、今回の件で婚約に対してトラウマが出来てしまい、中々踏ん切りがつかなかった。
そんな私に追い打ちをかけるように、ミリナとデルタ伯爵はポーマ家を訪れて、結婚式の日にちを決めた事を話してきた。お父様は無理をしなくて良いと気を使ってくれたけれど、何時までも避けていては駄目だと思い、二人と対面した。デルタ伯爵は気まずそうに私を見ていたが、ミリナは笑顔だった…。
「…ご機嫌麗しゅう、デルタ伯爵様。」
「あ、ああ、アルネ令嬢。その、元気だったかい?」
「…はい、何時もと変わりありません。」
元気な筈がないでしょう? そう言いたくなる気持ちを堪えた。
「もう、やっと顔を見せてくれたのねお姉様。私達の結婚式、絶対にお姉様も出席して下さいね!」
ミリナは嬉しそうに私に言った。私は何とか笑顔を作るけれど、引き攣っている事だろう。お父様を見ると、何とも言えない顔をしていた。
「ねぇ、お姉様。私は伯爵夫人になりますけど、身分とか関係ありませんから! 気軽に、何時でも遊びにいらして下さいね! ねぇ、キース様?」
「も、勿論だよ。」
ミリナの言葉に、デルタ伯爵は吃りながら頷いた。ミリナは何を言いたいのだろうか。本人にそのつもりはないかもしれないけれど、見下されている気分になった。ミリナ達に会いに行きたくなんてないし、「結構です」と突っぱねてやりたい気持ちになったけれど堪えた。
「…ありがとうございます。」
そう言うと、デルタ伯爵は少しホッとしたような顔になったが、ミリナは何故か不満そうな顔をした。
「…ねぇ、お姉様。あれからもう何日も過ぎてるんですよ? そろそろ意地を張るのをやめて下さい。私もキース様も、お姉様に申し訳ないと思っているのです…お姉様のお相手を探すの手伝いますから! 身分が変わっても私達は家族なのですから、仲良くしましょうよ!!」
「デルタ伯爵、大変申し訳ないが私共はこの後用事があるのです。そろそろ、宜しいでしょうか?」
お父様の言葉に、デルタ伯爵は慌てたように頷き、まだ何かを話したそうなミリナを連れて子爵家を出て行った。
…何を言われていたの、私は? 怒りや悲しみを通り越して愕然としていた私に、お父様は「大丈夫か?」と声を掛ける。
「アルネ…ミリナとデルタ伯爵の結婚式に出席しなくても良い。だが、家同士の繋がりを守らなければならない。…理不尽なのは分かっているが、私は、我が家はもうミリナの行いを受け入れなければならない。二人が結婚した後は、過度に避けないようにしてくれないか? ………本当にすまない。」
「…………はい。」
お父様の言葉は理解出来るし、間違ってない。私とミリナが姉妹である以上、何処に嫁ごうが繋がりを完全に消す事なんて出来ない。それに、ポーマ家の噂を早く消す一番の方法は私とミリナが不仲ではなくなる事だろう。私がミリナを避け続ける限り、面白可笑しく噂は立て続けられてしまう。それに、婚約についてはもうどうにもならない問題だ…仕方がないのだ。けれど、私の中にあるモヤモヤとした黒い感情は何時までも消えないのだった。
◆◇◆
「ポーマ令嬢、どうか私と結婚を前提にお付き合い頂けないでしょうか?」
そんなある日、私に婚約を申し込んでくる方が現れた。その方はトーマス・シルドバッド侯爵様だ。突然の申し出に、私もお父様も驚いてしまった。子爵家で、しかも噂の渦中にある私に身分が上の候爵からの告白だなんて…。シルドバット候爵様の外見は美形で素敵だし、とても光栄な事だと思う。でも、すぐに返答する事は出来なかった。その後も彼は、私に会いに来てくれた。
シルドバッド侯爵様は私の事を一目見たときから気になっていたそうだ。でも、その時には既に私はデルタ伯爵の婚約者だった。だから近づく事が出来なかったけれど、婚約破棄された事を知って私に会いに来たと言うのだった。信じられない話だったけれど、彼と関わる内に本当の事を言っているのだと理解した。
でも、本当に私なんかで良いのだろうか? デルタ伯爵みたいに、他に好きな人が出来てまた駄目になってしまうのではないか? 情けないと思いながらも、その不安をシルドバッド侯爵様に伝えてみた。すると、
「…本当に、貴女を傷つけたミリナ嬢と、デルタ伯爵を許せません。何なら、侯爵家の力で伯爵家を潰してしまいましょう!」
「ち、ちょっと、シルドバッド侯爵様!?」
「…私の事は、伯爵家よりも身分が上の権力を持ってる便利な男という認識からで構いませんよ。貴女が結婚しても良いと思ったその時に、結婚して下さい…………いや、先ずは婚約者として認めて貰わないといけませんよね。」
私情で権力を使って家を潰そうだなんて、非常識だし駄目な事である。けれど、私の為にそんな事を言ってくれるシルドバッド侯爵様に、私が惚れてしまうのは仕方がない事だった。身分も明らかに上の立場だと言うのに、私の気持ちを尊重し、自分をあえて卑下してくれる彼に不安なんて無くなっていた。私はシルドバッド侯爵様…トーマス様の婚約者となった。
◇◆◇
「お姉様が……シルドバッド侯爵様の婚約者になった…?」
純白の花嫁衣装を着ているミリナは、私とお父様の言葉に驚いている。
「…初めまして、この度はご結婚おめでとうございます。」
トーマス様は笑顔でミリナと、その隣にいるデルタ伯爵に挨拶をした。今日はミリナ達の結婚式だ。私とお父様、そして私の婚約者となったトーマス様の三人で出席した。私の姿を見た他の貴族達は、私とミリナについて何かを聞こうと近付いてきたけれど、トーマス様のお陰で何の問題もなく過ごす事が出来た。
デルタ伯爵は戸惑ったような、何とも言えない表情で私達を見ている。
「お姉様が、侯爵夫人に…。」
ミリナはトーマス様に近付いていく。何をするつもりか分からずに警戒していると、
「………良かった!! シルドバッド侯爵様、お姉様の事を宜しくお願い致しますね!」
ミリナは満面の笑みで、トーマス様にそう言うと、私を見た。
「お姉様、本当に良かった! 二人の結婚式、楽しみにしていますからね!! あ、そうだわ、明日にでも結婚しちゃいませんか? 早い方が良いですよ! 他の人に取られる前に…。」
ミリナの言葉に、場の空気が静まり返る。デルタ伯爵ですら、顔色を悪くしてミリナを見た。
「…それはどういう意味でしょうか。私が至らない為に、アルネ嬢が他の男を選ぶかもしれないと言う意味で宜しいか?」
トーマス様は真顔になり、声は棘を含んで威圧的になった。
「あっ…ち、違いますよ! 私はシルドバッド侯爵様じゃなくて…いや、それもその…。」
「…トーマス様、妹が無礼な発言をして申し訳ありません。妹はトーマス様ではなく、私に対して言ったのだと思います。トーマス様は、とても魅力的ですから。」
トーマス様は私を見ると、何時もの優しい笑顔を見せた。
「アルネ、貴女の謝罪は必要ありませんよ。……デルタ伯爵夫人、すぐに結婚する事が正解とは限りませんし、それは私達が考える事です。それと、私はアルネを心から愛しておりますのでご心配なく。…婚約者がいる相手に手を出す非常識な連中なんか、相手にしませんよ。」
トーマスの言葉に、ミリナは涙目になっていく。するとデルタ伯爵がミリナを庇うように前に出た。
「シルドバッド侯爵様! も、申し訳御座いません…私の妻は悪気があった訳ではないのです。ポーマ子爵令嬢の事を想ってこその言葉です。しかし、ポーマ子爵令嬢の気分を害してしまいました。すみませんでした…。」
「あ…ご、ごめんなさい。で、でも、私は本当に、お姉様に幸せになって欲しくて言ってしまっただけなんです…。」
「仕方がないじゃない。」何故か、最後にミリナがそう言ったように聞こえた。
「…もう結構ですよ。」
形だけでも謝罪はされたし、これ以上、トーマス様に迷惑をかけたくなかった。それに、仕方がないものは仕方がない、そう心から思えた。
後編に続きます。