掃除当番の任命式
それはそうと……要求は掃除かぁ……。
この音楽室は全面柔らかめのマットが一面敷いてあるだけ。ホウキとちりとりよりも、掃除機のほうが適している。
防音壁に付着しているホコリは適当に落とすとして、やはり課題は掃除機を何処から用意するところからである。
旧校舎に掃除機なんてあったりした?
最悪、自宅から持ってくるのもありか……。
「朝比奈、こっちの前に来てよ」
音楽室の中心部で正座する花音は、穏やかな表情をしてる。
指定された位置へと速やかに動くと、白手袋を外すよう指示された。
「これで良いの?」
「うん、それでよい。これからすることは、朝比奈の今の状態を示すものだからよく把握しておくように」
何か重要そうなことを伝えようとしているのかも。
掃除とは関係なさそうな……。
「両手を出してごらん。綺麗な黒い手なこと」
「な、ナンパですか……?」
「違うよ。朝比奈が今後、護身の為に必要になるかもしれないから伝えようとしているだけ」
「なるほどです」
「理解したなら別にいっか。――それで、朝比奈が思う強い武器の形をイメージして」
いきなり真面目になったかと思うと、イメージトレーニングですか……。
強い武器ね……。身を守る……強くて固そうな……。
斧とか?
私、いま死神の眷属ってことになってるし、それっぽいデザインで振りやすそうな――。
黒い手先から、もやもやっとした液体が天に向かって少し伸びた。
「な、なにが起きてる……」
「朝比奈自身が、身を守るために必要なことだが?」
「それはわかってますけど」
液体はすぐに固まった。斧という形をなして。
そんなに大きくない刃に、円形の模様。色も黒でどことなく死神の鎌に似ているが、ちょっぴり違うっていうのが、私のアイデンティティというものなのか。
「ほー、よきものが出来たね」
花音は絶賛していた。
私には価値がわからないけど、花音にとっては上出来ということかな。
「これ、どういう時に使うのですか?」
「うんとね、へんなものに襲われたとき使って欲しいけど、あまり乱用しないように。いろいろなもの壊しちゃう恐れがあるから、いざ必要という時までは他の誰にも伝えないで隠し持ってほしいところだね」
「奥の手……」
「そんなところかな」
「わかりました。ところで、花音くんって何者なの?」
「あやかし。噂と伝承によって存在を認められた心霊体」
背中をみせる花音は、どことなくしんみりしている気がした。
何か声をかけようと思ったが、言葉が出てこない。
「今はまだ不十分なんだけど、朝比奈が自宅の玄関口へ踏み入れる頃合いには、クラスメイトや家族にも、ちゃんと認識されるようになってるはずだよ。きょうのところは下校して、明日またここに来てくれると嬉しいなっ」
「はい……」
私は音楽室から出ていく。そこから振り返ってドアをゆったりと閉めようとした。
「あれっ……」
どこにいったのかな?
音楽室の中は、誰もいない無人になっていた。
このまま帰るのも悪くない。けど、掃除機のある場所を探しておきたい。
旧校舎の音楽室を掃除することになるのだったら、事前準備は欠かせない。
だがしかし、検討がつかない。
しぶしぶ職員室をのぞき込んでは、ぼんやりと先生の作業風景を眺めていた。
「やあ、どうしたんだい?」
中年男性の先生が、私に向かって話しかけてきた。
「あっ、ごめんなさい。ここ邪魔だからのけますね」
「すまんな。それで、何か捜し物でもあるのかい?」
「あっ、えっと……掃除機どこだっけ……」
思わず、口に出していた。私が言うのはなんか不自然だし、怒られるかもしれない。
「どこで使うんだい」
「掃除したい場所……」
「だからどこで使うんだい」
「旧校舎の音楽室です」
「そうか」
中年男性の先生は頭をかきながら、職員室の奥へと入っていく。
奥まで入り込むとか、やっぱり心配になる……。中年男性の先生が少し困った表情をしているのは目に見えている。
しばらくこの場で待っていると、先生は職員室の奥に詰め込んであった段ボールの山に手をかけ、何かを探し始めた。
教材の山かと思ったのだが、違うのかも。でも、時間が掛かるのはわかっている。
この際、廊下に出て、邪魔にならないところで待っておこう。
「……待たせたな」
十五分くらいしたら、中年男性の先生が大きめの段ボールを台車に乗せて持って来てくれた。
「これは……」
「製造日から考えても、結構新しめの掃除機だ。丁度ひとつ余っているらしくって、適当なところに使っても大丈夫なものだ」
「これ本当に、よいのですか?」
「別に構わないさ。あくまでも学校の備品だから校外に持ち出すことは許さないけど、旧校舎も立派な校内だからな。丁重に扱うんだぞ?」
「はい、ありがとうございます!」
ほっと息をつく私は、旧校舎の音楽室がある方向に顔を向ける。
「段ボールそこそこ大きいから気を付けな」
「はい、使い終わったら台車返しにきますので」
そう言った私は、台車をゆっくりと押していく。
旧校舎の音楽室の前まで運んでおくのだ。