ピアノを運んで!!
「花音くん……。気が落ち込んでますか?」
「そんなこと言わないでよ」
「えっと、だって」
「朝比奈は僕の言った通りに、演奏して、笑顔でいて、それだけで良いって思っているから」
「花音くん……その考え嫌いです」
「ええっ!」
「花音くんは優しいのはたしかなんだけど、状況がね……。時と場合を選んでほしいというか」
「そっちなの?」
「演奏する気が起きるのは生きていること前提ですし。それに、花音くんが最初に言ったじゃないですか? あのピアノを、なんとかして運んでほしいって」
「たしかに僕は言ったけど……」
「ここに、生きている者が二人いたら運ぶのは大丈夫でしょ? 天使と、悪魔だけど……」
ミモは賛同しているのかな?
私が様子を気にすると、ミモはコクリと縦に頷く。
「噂を持つピアノを動かすことは、悪魔側にとってもメリットしかないよ。万が一アレが魔界にでもでも運び込まれたら、戦況は更に厳しくなること間違いない」
「だから、ね……!」
「こういうときこそ――」
「でも、どうやって運ぶつもりなんだ?」
「それは……」
私は黙り込んでしまった。
筋力ムキムキとまではいかなくても、せめて重いコンクリートを持ち上げられる力でもあったら状況はすぐに改善していただろうに。
「……仕方ない。悪魔の力で無理矢理こじ開ける」
今度は、ショベル本体に魔法陣が描かれた。
魔法の力でぶっ飛ばそうというのか。
「ピアノの位置を把握したから大丈夫です」
「そ、そうなんだ……」
ショベルはドリルのように回転して、ゴリゴリと地面にめり込んでいった。
しばらくすると、地面が一部崩れて、螺旋階段のようなものが綺麗に出来上がっていた。
「さぁ、運びますよ」
「朝比奈、あまりもたつくなよ。ピアノの噂を駆けつけた――あやかしと呼ぶべきだな。すぐ近くまで来ているぞ」
「花音くん、ありがとうございます」
「お礼はあとで聞くから、いまは……」
「そうですね。ミモと協力して運びます」
「こーちゃん、運ぶってどこに……」
「教会の中ですよー」
「あそこで大丈夫なの?」
「教会でひと晩過ごした僕の勘なんだけど、あの教会の地下にはあやかしが寄りつけない秘密を施しているんじゃないかって思うんだ」
「花音くん、あやかしを寄りつけない秘密ですか?」
「朝比奈は持ち上げるのに集中して」
「うーん……あとで考えます」
ミモと目を合わせる私は、集中する。
かけ声はしなかったが、息はぴったりだったようですぐに持ち上がった。
これで不安要素はひとつ消えた。
あとは目的地まで運ぶだけ。
天使の羽と悪魔の羽が交差するように舞い上がり、黒いピアノが優雅に空を飛びはじめる。
「秘密っていうのは、きっとあれのこと。あっ、わたし喋れるようになってる――!」
「時間がないから、魔女さんは急いで護衛に回って」
「わかった」
夏実は私の指示を受けたりしているわけではないが、適宜引き金を引いて援護する。
噂の力を巧みに扱うとされるあやかしに対しても、拳銃はとても有効打であった。
しっかり効いていたし、何よりも拘束するのは優秀過ぎる。
この銃を避け続けてもうかつに近づけば、今度は花音が日本刀で一刀両断が待っているはずなので、少し安心することが出来た。
――そして。
「ここまで運んだら――」
「こーちゃん。これで、だいじょうぶです……?」
息をあがらせる私とミモは、教会の中で倒れこんでいた。
ピアノが想定よりも重たかった。これに尽きる。
「ふぅ。もう、平気でしょう」
夏実は外の様子を伺って、ドアを閉める。
花音の予想通り、あやかしは教会が建っている敷地の中へは入れないようだ。
「僕も疲れたよ。皆そろってお疲れ様ってことで」
結局出番がなかった花音は、いつも通りややクールそうな表情をしていた。
「花音くんが一番元気そう……」
「朝比奈、それはただの気のせいで」
「そんなことあるわけない!」
花音のいつも通りの喋り声に戻っているのはたしか。
憎みそうで、憎めない。
一旦怒りを沈めよと態度で示すミモに、腕を掴まれていた。
「こーちゃんは一度落ち着いて!」
「…………。わかりました」
「本当? こーちゃん、無理してないかなって」
「無理はしてないと思いたい……」
ピアノは確かに重たかったが、あの立ち回りで、一番無茶をしていたのは夏実だろう。
体力的にも、精神的にも。
見えざる笹倉家の使命をなしにしても、複雑な心境なのは間違いない。
「夏実さんは、レジスタンスを存在をどう思いますか?」
「レジスタンス、ですか……。未来では変な噂が出来たのね……」
「そうですね。噂を悪いように捉えられると、花音くんと同じように迷惑に――って夏実さん、どうしたの?」
「えっと……。小鳥ちゃんはこの後どうするのかな……」
「ふむふむ。今後のことですかね……」
その場で私は周囲を見渡す。
私を含めた疲れている者が大多数、つまり動ける者はいない。
外にはまだ『あやかし』がうろついている危険性がある。
姿こそみる余裕はなかったが、悪魔側についていると見なされている私たちには容赦なく戦闘を仕掛けてくるだろう。
そして私は――。
「とりあえず、ひと休みしたらピアノの掃除をしたいと思います」
堂々と胸を張って言った。
私は一応、このピアノの掃除当番だからということで。
一方で、念押しという意味もある。
気が向いたらミモ辺りが掃除してましたは、なんか変なことが起きそうなのもあるから。
「こーちゃんはそれで構わないとして、あたしと魔女さんでちょっとやっておきたいことあるけど時間とか大丈夫かな?」
「わたしは大丈夫。特別、行くところないし」
「断ってこないか心配になったけど、よかった。それじゃあね、教会の地下にある資料をいくつか地上に引き上げたいのだけど、それを手伝ってもらえる?」
「それくらいは、手伝います」
「じゃあ、あっちのほうに地下へと下りれる梯子があるからあとで……」
ミモは梯子がある方向に指さしたが、ごろんと寝転がっていた。
「すやすや……」
「ミモさん、寝ちゃった……?」
「寝る子はすくすく育つ、という噂があるようにミモさんも成長が早いのでしょうか?」
「夏実さん、それはたぶん気のせいで終わります……」
そのまま寝て風邪ひいたりしないのかな。
ほんの少し心配だから、よろめきながらも私は身体を起こした。
「二階のベッドに連れて行ってきます。地下に降りるのは、ミモさんがちゃんと起きてからにしてください」
とだけ言って、私は教会の二階に飛んでいった。
とても疲労が蓄積しているが、ベッドに運ぶまでくらいならなんとかなりそうだった。
「――ここで大丈夫でしょう」
二階の部屋にあるベッドにミモを寝かせると、天使の羽がふわっと消えた。
疲労で限界なのだろう。
体力が回復するまで、天使の羽は使えない。
「さてと、私はどこで休もうかな……」
「朝比奈、ここにある本を取ってよ」
「花音くん……?」
私は一冊の本を手に取ってみると、タイトルも確認せず中を見開いた。
そこには世界的に有名な交響曲、によく似たけど違っている楽譜がいくつも掲載されていた。おそらくこの本の作者が我流にアレンジした要素が混ざっているのだろう。
「この本の作者は……」
「朝比奈、こっちに書いてるね」
「うんうん。この本の作者は――朝比奈寧々で――」
寧々さんはたしか、私の家にいた専属メイドだった名前で……いや違う。
朝比奈寧々は、私の母親の名前だ。
いまになってちゃんと思い出したのはどうして?
そもそも、母親は長期入院になっていたはずではないのか。
寧々と教え込まれていたあのメイドは一体……。
「駄目かもね。専属メイドの顔を思い出せない」
疲労困憊としている以上、もう動けないかも。
私はすぐ近くのべっドに入り込んで、そのまま眠りについた。




