放課後の旧校舎
『おっと危ない、君のことを探していたよ』
『駄目だよ、廊下で急いだら君の綺麗な制服が台無しになるよ』
『頬を膨らます君の顔に惚れた』
放課後の廊下を歩く上で、不意に言われたい言葉シリーズである。
現実感ないけれど、イケメン男子生徒の口から放たれると幾らでもついて行きそうだ。
脳内全域にまで行き届く妄想に、私の胸が熱くなっていた。
――それはそうと。
「音色が聴こえる……」
旧校舎四階の音楽室が目の前にある場所で、足を止めた。
本日で通算、七回目。
とても優しげのあるリズムが、廊下にまで行き届いている。
「これはピアノの音……」
私は静かに息を呑む。
どちらかというと、公園のもう帰りましょうの放送前に流れていそうな感じの楽曲であった。
でも、少々アレンジが加えられており、癖というか音色の音外れも若干目立っていた。
そんなに上手じゃないのだろうか……。
楽譜の引き出しはあるのはわかっているんだけど。
一回目から六回目までは、また別の音色が流れていることを知っている。
夏実が話していた噂通りなら、この演奏を最後まで聴くと幸福になれるのだろう。
それにしても、この旧音楽室の中がどうなっているか……気になってくる。
誰が演奏しているのか。そこが一番重要になってくるかもしれない。
途中でドアを開けてしまうと、驚いて演奏が止まってしまい幸福が訪れない可能性もありえる。
それが発生すると本末転倒にもなりかねないので、開けるとしたら演奏が終わってすぐだ。
楽曲をちゃんと聴いて、タイミングを見計らうしかない。
……おそらく、楽曲の終盤だ。
もうすぐ終わって、幸福が訪れる。
幸福が来る。
来そう……。
来るかな?
来た。今だーー。
力いっぱい込めて、勢いよく音楽室のドアを開けた。
えっ……?
私の髪がふんわりと髪が揺れ、頬をほんのり赤くする。
充満していたホコリが廊下に吹き出していくにつれて、視界が一気にひろがる。
「この先には……進んで良いのかな?」
私は音楽室に踏み入れていた。
いないはずなのに、そこにいる。
ピアノのすぐ近くの座席には、身に覚えのない小柄な男子生徒がいた。
「貴方は……?」
「僕のことかい? 僕は花音だよ」
いかにも男子高校生という声をしているが、人間ではないことを一瞬で理解できた。
まるで霊体のように、ぷかぷかと空中に浮いていた。
「僕のこと、見えてるね。はじめまして」
黒いグランドピアノの頭上を乗り越えて、男子高校生の顔が急接近した。
やや伸びている前髪で丸みのある幼い顔の片目を隠し、じっと見つめてくる。
なにこのイケメン……。
いやいや、どう見ても幽霊だし。
そもそも無人の旧校舎の音楽室で演奏していた噂の正体に、一目惚れしてしまうなんてありえないし!
少々息が荒くなってきたので、視線を逸らして呼吸を整える。
「あれ、どうかした?」
「何でもありませんから……」
よそ見し続けても、きっと怪しまれるだけ。
それにしても、いままで誰も使ってなかったせいのか、いたるところにあるホコリが目立っていた。
すぐ傍にある立派な黒いグランドピアノも、例外ではない。
「私は1年A組の朝比奈小鳥と言います。この音楽室にはただ見に来ただけであって……」
「そうかそうか。で、僕の演奏はどうだった?」
「どうだったかと言われても…………音、時々外れてる
し」
「うん…………?」
まるで自覚がない反応をした。
私はため息をつきながら、グランドピアノの前にある椅子に腰かけた。
相変わらずホコリが酷く目立っている。このまま鍵盤押すとホコリが手に付着してしまう。
「演奏しても大丈夫?」
「まぁ、一回くらいだけなら……」
指を口にくわえた花音は、グランドピアノと私に注目する。
ド、レ、ミ。と音を鳴らしたあと、私は演奏を始めた。
楽曲は適当に。ダークが漂う有名そうな交響曲っぽい音を奏で始める。
刹那の旋律。空想の世界での悲劇。
決して、好んで演奏しているわけではない。ただ、私が弾きやすいジャンルの楽曲をピアノで奏でているだけなんだ、と自分に言い聞かせる。
朝比奈小鳥は、幼少期からピアノが得意だった。けど、教えの先生がいるわけではなかった。
ただ淡々とひとりで演奏するのが好きで……。
でも、小学校くらいの頃に学校の怪談などのホラー系の本に出会って、それが好きになったんだっけ……?
その本と出会ってから、演奏する気が徐々に減っていった。
でも、どっちも捨てなかった。
ホラー系のジャンルの本も、ピアノの演奏も。
「……っと、ここまでにしておこうかな」
演奏を途中で切りあげて、さっき花音が演奏していた楽曲を弾き始めた。
「そのね、この辺とか音程が違っていて」
「心地良い音色とか、あまり深く考えたことなかったわ」
花音は関心を寄せていた。
演奏する私の隣に寄り添い、指先を動かして演奏の真似っ子をしだす。
他者に教えれるほどでもないけれど、納得してくれたしこれで大丈夫かな。
「ところでさ、僕の忠告を聞いてなかったかい?」
「……はい?」
花音が振り向いて来た瞬間、突如ピアノの音色が止まった。指先は動いているのに関わらず、音が一切鳴らなくなったのである。