崖っぷちの男爵令嬢 ~一つの出来心と三つの一目惚れ~
男爵令嬢ジゼル・サンカンは崖っぷちにいた。
単純にピンチという意味ではないが間違いなくピンチという、物語の冒頭あるいは結末に見かけそうなシチュエーションである。
ジゼルを追い詰めたのは悪役令嬢、ではなく伯爵令息。
誘われて、のこのこやってきてしまった令嬢は、事前情報との食い違いに騙されたと思った。
『若い令嬢令息を招いた勉強会を、我が家の別荘でするのだけれど、よかったら君も参加してみないか?』
あの、爽やかスマイルの彼が下心満載だったなんて。
着いた別荘はオーシャンビュー。
そこだけは素敵だったが、勉強会の参加者はいくら待ってもやって来ない。
しばらくすると、他の参加者たちからは急な用事でキャンセルの連絡が来た、と説明された。
二人だけでは勉強会も延期だと、海辺の散策に誘われた。
最初は楽しく会話しながら歩いていたのだ。
それなのに突然、肩を抱かれて驚いた。
さすがに初心な令嬢とて、これは不味いと気付く。
令息の実家の伯爵家は人脈も太く、商売も盛んで、波に乗っている。
悪い噂もなく、信用がある家だ。
しかも、同じ寄り親の下、言うなれば上司のような家。
何かあった後に訴えたとしても、誰にも相手にされないかもしれない。
ジゼルは、下級貴族ゆえに自分の足で歩くことも多い。
走って逃げられることを、この時ばかりは感謝した。
だが、若い男性の体力にかなうことはない。
伯爵令息は顔が良く、実家の羽振りがよく、体力があって、頭もそう悪くはないのだろう。
なかなか秀逸な物件だ。
これが、もし見合い相手ならば、だ。
だが、彼が自分に望むのは一夜の相手に違いない。
ポイ捨て確定物件。
とりたててメリットも無い男爵家の令嬢に、羽振りの良い伯爵家から縁談が来ることは無いと思う。
ジゼルの思考は走馬灯のごとく駆け巡り、その結果、自分が本当に崖っぷちにいることを自覚した。
伯爵令息に捕まれば、考えたくはないが当然、そうなる。
そうなったら、もう傷物だ。
まだ婚約者もいないのに、噂が流れることに怯えて生きねばならない。
仮に逃げおおせたとしても、もし嘘の噂がたったら?
どちらに転んでも誰も証明してくれないし、自分でも証明できない。
ここまで大事に育ててくれた親には申し訳ないが、純潔と名誉を守るために残された道は崖の上から飛び降りることのみ。
ジゼルは決意を固めた。
伯爵令息ブリュノ・ヴィクスは焦っていた。
彼はそもそも悪人ではない。
ジゼルに勉強会の誘いをした時点では、下心などなかったのだ。
正直言って、茶会で見かけた彼女が可愛いな、とは思った。
記憶に残ったので声をかけた、それだけだった。
ところが別荘に着いてから、他の参加者から次々と不参加の連絡が来た。
たまたま一つの不幸があり、参加者にその関係筋が複数いた結果、当日のキャンセルが続いたのだ。
純然たる不可抗力である。
これでは勉強会にならないだろうと、彼女を散策に誘った。
二人きりで歩いていると、ついついジゼルのことばかり気にかかる。
見れば見るほど可愛い。好みだ。
ブリュノはまだ、婚約者は決まっていない。
こんな子と婚姻出来たらいいな。
ついつい肩を抱いていた。
嫌がられなければ、その先も、と思わなかったとは言わない。
しかし、彼女は嫌がるを通り越して恐怖していた。
社交界でちやほやされることの多い彼は、自分がそこまで拒絶されるなどとは想像も出来なかった。
更に彼女は、崖っぷちまで走って逃げた挙句、飛び降りようとしているのである。
嘘だろう、そんなつもりじゃなかったんだ!
ジゼルが崖に向かい、身を翻した時だった。
「待て! 早まるな!」
正義感の強さを感じさせる男らしい声が響く。
同時に、馬の駆ける音が間近に迫り、ジゼルは神業のように軽々と馬上に抱き上げられた。
なんとか飛び降りを阻止しようと手を伸ばしていたブリュノは、ホッとする間もなくバランスを崩し、自分が足を踏み外す。
「え? ああー!」
そのまま、はるか下の海へ落下するかと思われたところに、もう一頭の馬と騎手が現れた。
「ハイッ」
掛け声とともに長く太い鞭がしなり、ブリュノの身体に巻き付く。
そのまま崖の上へと乱暴に引き上げられ、荷物のように雑に放り出された。
「………ッ」
あちこちぶつけたブリュノは息も絶え絶え。
命に別状はないが、全身に湿布が必要だ。
「失礼、咄嗟のことで力加減が出来なかった。
どこか、折れていないだろうか?」
華麗なる鞭捌きでブリュノを救った人物が、ひらりと馬から降りた。
地面に降り立ってみれば、背は高く乗馬服姿ながら、華奢で可憐なご令嬢に見える。
ブリュノはひたすら呻いていた。
「立てるか? 立てなければ、縄で馬に括りつけて運ぶが……」
「……」
これ以上、乱暴に扱われては命の危険があるかもしれない。
ブリュノはようやっとながら立ち上がる。
「よかった、ご無事なようだ」
「き、君たちは誰なんだ?」
「これは失礼。申し遅れたが、わたしはジョフロワ侯爵家の長女マルジョレーヌだ。
馬上にいるのは、弟で嫡男のラファエル。以後、お見知りおきを」
馬上でジゼルを抱き留めたまま、ラファエルが軽く頭を下げた。
「……侯爵家のご姉弟が、どうしてここへ?」
「こちらで若い貴族対象の勉強会を催されていると耳にし、参加させていただけないかと馳せ参じたのだが、何やら、崖っぷちで揉めている気配だったので」
「……勉強会は、急に参加できなくなった者が多くて中止にしました。
それで、一人だけの参加者となった、こちらのジゼル嬢と散策に出たのですが」
「なるほど、それでうっかりご令嬢が足を滑らせた、と」
「そ、そうそう。そういうことです」
「では、我々二人を追加の参加者にして、勉強会を開催していただくことは出来そうだな」
マルジョレーヌは若い女性ながら舌鋒鋭く、頭の回転も速い。
男性さながらの口調で、自分の思い通りに話を進めていく。
「え?」
「出来ないのか?」
「えーと?」
「我が侯爵家は、父の実の姉である伯母上が現王太后様なのだ。
それで、王家とは非常に近しい。
つまり、ヴィクス伯爵家の嫡男ブリュノ殿は、婚約者でもないご令嬢を人気のない別荘に呼び寄せて手籠めにしようとしていたなどと、あらぬ噂が立たぬよう、手回しすることにやぶさかではないのだが?」
すっかり、ブリュノの罪状は出来上がっていた。
噂を広められるか、大人しく従って何事もなかったことにするか、もはや二択しかない。
馬上の二人は、傍観者に徹している。
助けられた安心感からジゼルはすっかり寛いでいた。
「かっこいい、お姉様ですね」
「ええ、自慢の姉です」
見上げれば、ハウッと変な声が出そうな美形男子が微笑んでいる。
子供の頃に見た絵本の王子様より素敵!
わたし、一目惚れしちゃったかも。
「あ、あの助けていただいてありがとうございました。
その、あまりに居心地が良いのでウットリしてましたが、そろそろ降りた方が?」
「いえ、ほら、まだ貴女の心臓の鼓動がこんなにも速い。
今降ろしては倒れてしまうかもしれません」
その言葉で、余計に鼓動が速くなる。
さっきまでは貞操の危機と逃走の相乗効果により鼓動が速まっていたのだが、今は違う。
優しく見目麗しい侯爵令息の腕の中、ドキドキの理由はほぼ上書きされていた。
もう一押しするかのごとく、ラファエルは穏やかに微笑んだ。
「貴女を見て触れて、子供の頃に飼っていたポメラニアンを思い出していたのです」
「ポメちゃん?」
「犬と一緒にされてご不快かもしれませんが」
「そんなことありませんわ! わたしも、お家でポメちゃんを飼っています」
「そうですか。それは素敵だ。
貴女の茶色い髪と、黒く丸い瞳。
そして、この抱き心地の良さ。たいへん、癒されます」
「まあ、わたしでよければいくらでも」
誰が見ても、伯爵令息よりよほど距離感のない侯爵令息であるが、当の男爵令嬢が気にしていないので問題ない。
抱き心地の良さ、とは小柄ながらお胸の立派なジゼル最大の武器であった。
幸か不幸か本人には、まだ自覚がない。
「姉上、ご令嬢が潮風で身体を冷やしてしまいそうです。
我々の宿で温まっていただこうかと思いますが」
「それがいい。か弱いご令嬢だ。しっかりおもてなしを」
「な、彼女を連れて行くのか……いや、行くんですか?」
ブリュノが戸惑う。
「ああ。かわりにわたしが、貴公の別荘に泊めていただくとしよう。
なに、たいしたもてなしは要らない。
じっくり話したいこともあるのでな」
ブリュノには、もはや勉強会を開く選択肢も無いのだった。
マルジョレーヌに連行されたブリュノが別荘に帰ると当然、使用人たちが騒ついた。
しかし、彼女が侯爵令嬢然として華麗に微笑み自己紹介すれば、執事がさっと空気を読んで居間に案内する。
身分の上下および、その場の主導権が誰にあるか、それを見極められることこそ良い使用人の証である。
なんだったら、未来を予見する能力すら必要であった。
将来の自分の主人が誰になるのか、それは他者に仕える者にとって最重要事項である。
「皆、いいか?
ジョフロワ侯爵家のご令嬢マルジョレーヌ様は嫁ぎ先をお探しの最中との噂だ。
うちの坊ちゃまは射程圏内だろう。
侯爵家は王家とも親密なお家柄。
くれぐれも、失礼のないように!」
執事の激が飛ぶ。
別荘の使用人一同は、姿勢を正した。
使用人の態度から、自分がこの場を制したことを察知したマルジョレーヌは恥じらいのひとかけらも無く執事に告げた。
「出来れば今夜、ブリュノ殿と同じ寝室で休みたいのだが」
ブリュノは真っ青になったが、執事は冷静に答える。
「かしこまりました」
その頃、別荘から少し離れた場所にある豪華なホテルでは、ラファエルとジゼルが寛いでいた。
この辺りの海岸は保養地として有名で、別荘も多いが、良いホテルも何軒かある。
貴族向けの高級店も、いくつか支店を出していた。
「こんな可愛い部屋着を着たのは初めてです。
ラファエル様、ありがとうございます」
「よく似合っているよ。それを選んだメイドのセンスが素晴らしいね。
アンナ、いい仕事をしてくれた」
褒められて、メイドのアンナは頭を下げた。
彼女は本来、マルジョレーヌのメイドだ。
かの侯爵令嬢は美しさでは社交界の誰にも負けないのだが、いかんせん凛々しすぎる。
保養地に出かけるというのでドレスを五着選んでも、乗馬服を二着でよい、と言い出す始末。
まことに、仕え甲斐がない令嬢であった。
その点、男爵令嬢は本当に可愛らしい。
ドレッサーの前で髪を梳かしただけでも、鏡の中で、はにかんだ笑顔を見せてくれる。
侯爵令息の指示で彼女の着る物を見繕ってきたが、久しぶりに楽しかった。
ああ、女の子って素敵!
……というようなメイドの心情を、その雰囲気からくみ取った侯爵令息は彼女を労った。
「アンナ、姉上に付き合うのは大変だろう。
君はよくやってくれている、いつもありがとう」
メイドは少し目を瞠ったが、言葉にはせず、会釈すると黙ってお茶を注いだ。
「ケーキも可愛いですね。わあ、宝石みたいに綺麗。
食べるのがもったいないくらい」
「たくさんあるから、遠慮せずにおあがり」
「ラファエル様、ありがとうございます」
テーブルのケーキスタンドには、色とりどりのお菓子が並んでいた。
このホテルの名物だ。
「お姉様の分は大丈夫ですか?」
「お気遣いありがとう。だが、姉上は辛党だ。気にしなくてもいい」
「まあ、ますますかっこいいお姉様なのですね」
「本当にそうなんだ。少し聞いてくれるかい?」
「はい」
ジゼルはちゃんと聞きます、と言わんばかりにラファエルを真っすぐに見た。
「私は生まれつき身体が弱くてね。
家族をずいぶん心配させた。
特に、姉上には迷惑をかけ通しだ」
ラファエルは十二歳になる頃までは、季節の変わり目ごとに寝込み、身体も小さかった。
そのため、三歳年上の姉は、何かと彼を気遣ってくれた。
「私に万一のことがあれば、姉上が婿を迎える立場だ。
領主としての教育は一緒に受けたし、私が寝込んでいる時は姉上だけが授業を受けて、後で私に教えてくれたんだ。
姉上は当然のように、剣の稽古も受けていた。
木剣での打ち合いも、よく付き合ってもらった。
今では五分五分の腕だが、最初の頃は姉上に勝てたことがなかったな。
そして姉上は剣に加えて鞭も得意だ」
優秀な姉に任せておけば家のことは大丈夫、と安心出来たのも良かったかもしれない。
ラファエルはだんだん丈夫になり、身体も鍛えて身長も伸びた。
姉は自分のことのように喜んでくれたが、ここで問題が起きる。
「私が次期侯爵として大丈夫そうだ、となった時、姉上は他の家へ嫁ぐ決心をした。
侯爵家一同協力を惜しまなかったのだが……」
適齢期に婚約者を見繕わなかった侯爵令嬢に、適切な相手はいなかった。
身分と年齢が釣り合う相手は皆無だ。
後妻でもよい、と探してみても、男勝りの侯爵令嬢を受け入れる年上の男は見つからない。
「それは皆さま、見る目がないですわ」
ジゼルは憤慨した。
「君は優しいね。
まあ、そういうわけで、旧家や名門でなくともと独身男性を探して、行き当たった一人がヴィクス伯爵令息だった」
釣り書きを持って当主を訪ねてみれば、好感触。
その時は、令息本人には会えなかったが、別荘で勉強会があることを聞き及んだ。
「日が無かったので、直接こちらに出向いた結果が今だ」
「伯爵令息は、あのような方でしたけど?」
「大変な目に遭った君は気の毒だけれど、そのおかげで姉上は伯爵令息の弱みを握った。
伯爵家は堅実で、しかも次期当主を御す鍵を得た。
これは、侯爵家にとって良縁と言えるだろう」
「まあ」
少し悪い笑顔も魅力的!
ジゼルはまたもウットリしてしまう。
ラファエルに甘やかされ、ジゼルの抱いた恐怖や嫌悪は解消された。
彼女にとってのブリュノはもう、ただの気の毒な人だ。
安心したせいか、眠気まで襲ってくる。
手で隠した小さな欠伸を、ラファエルに見つかってしまった。
「今日はいろいろあったから疲れただろう。ゆっくりおやすみ」
「……はい、ラファエル様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。アンナ、彼女を頼むよ」
「かしこまりました」
ラファエルは、姉用の寝室に案内されるジゼルの後ろ姿をじっと見つめながら考えていた。
素直で可愛い、癒される。抱き心地は最高。
彼女はいい。逃がしたくない。
一目惚れだ。決めた。
彼は両親に宛て、急ぎ婚約についての手紙を書いた。
翌朝のこと、ラファエルはジゼルを伴って、伯爵家の別荘を訪れた。
彼女の荷物を取りに来たのだ。
出迎えたのは、すでに当主然としたマルジョレーヌだった。
「おはよう」
「おはようございます姉上。
よい夜をお過ごしでしたか?」
「ああ。なかなか興味深い夜だった」
「それはよかった」
「ラファエルはどうだったのだ?」
「ジゼル嬢には、しっかり休んでいただきました」
「お前は紳士だな。わたしの誇りだ」
「ありがとうございます。ところで、ブリュノ殿は?」
夜通し尋問され、精神力を極限まで削られて、魂の抜けたブリュノは今日は起き上がれそうも無いらしい。
「昨夜は取り調べだけで終わってしまってな。
その結果、婦女子への無体は昨日が初犯だ。
本人は出来心と言ったが、事実は事実」
そこでマルジョレーヌはジゼルに向き直った。
「ジゼル嬢、未遂とはいえ、わたしたちが証言してもいい。
貴女が訴えるつもりなら、力になるが」
ジゼルは少し考えてから口を開いた。
「ありがとうございます。
でも、お二人に助けていただいて、こうして無事でした。
それに、ホテルでラファエル様から……甘やかしていただいて、なんだか崖の上のことは、正直どうでもよくなってしまいました」
マルジョレーヌは顔を赤らめたジゼルを抱き寄せる。
「貴女が心を痛めないことが、一番大事だ。
あの男は今後、わたしが責任を持って締めるから、安心してくれ」
「はい、お姉様」
「お姉様? おやおや?」
ふぅーん? と言わんばかりに、マルジョレーヌは弟の顔を見た。
「姉上、揶揄わないでください」
ラファエルは、更に顔を赤くしたジゼルを姉から取り戻し、優しく頭を撫でた。
それからしばらく後、ラファエルは自身の釣り書きをサンカン男爵家に送った。
一家は驚いたが、とりあえず挨拶に伺いたい、と言われれば断ることも出来無い。
平凡な男爵一家は、侯爵家と縁が出来ることに及び腰だった。
しかし、侯爵令息の土産がその雰囲気をくつがえす。
たくさんの品物を持って来たラファエルだったが、彼が自ら、最も慎重に選んだのはジゼルとポメちゃんのお揃いのリボンだ。
ジゼルとポメちゃんは一家のアイドルで、二人を大事にしてくれる人は絶対良い人である。
こうして、彼は信頼を勝ち取った。
さて、婚約は調ったものの、やはり、身分の差は大きい。
ラファエルの父母である現侯爵夫妻も温かく迎えてくれるのだが、ジゼルの自信にはつながらない。
そんなある日、ジゼルはラファエルから相談を受けた。
「うちの領地は広くて気候がいいのだけど、ただ、それだけなんだ。
畜産が盛んなのはいいが、牧場なんかはどうしても臭いが気になるだろう?
美味しい肉料理を用意できるし、のんびりするにはいいと思うんだけど、オーシャンビューの保養地のようにはいかないんだ」
「それでしたら、ワンちゃんが好きな方向けのホテルはどうですか?」
「どういうこと?」
「侯爵領までは王都から街道も整備されてますし、馬車の旅も快適です。
ワンちゃんを一緒に連れてきても、大丈夫じゃないかしら」
「犬と一緒に泊まれるホテル、ということかな?」
「ええ。ワンちゃんを可愛がっている方なら、動物は臭うものと分かってらっしゃるでしょう。
いいお肉は、ワンちゃんも喜びます。
土地が広ければ、ワンちゃんが駆け回れるお庭を作ってあげてもいいかも」
「犬用の運動場付きのホテル、か。
いや、凄いよジゼル。早速、父上に相談してみよう」
この話はホテル建設に始まり、侯爵領を気に入った犬好きの貴族やお金持ちのための貸別荘建設へと広がった。
更にジゼルの発案により、畜産を活かした高級ドッグフードも開発され、大いに侯爵家を潤すこととなる。
特にドッグフードの開発には愛犬と共に直接協力し、おかげで、だんだんとジゼルにも自信がついていったのだった。
一方、ヴィクス伯爵家に乗り込んだマルジョレーヌもしっかり目的を果たした。
一目惚れだったと艶やかに微笑まれ、ブリュノはその場で気絶した。
幸いにもソファに座っており、脈をとった従僕によれば特に緊急性はない。
事前に釣り書きはもらっているし、新たに王家からの推薦状も頂いた。
別荘では一夜を同じ寝室で過ごしたと、使用人一同から証言もとれている。
伯爵は息子が息を吹き返す前に、婚約承諾の返事をした。
あの出会いから三年。
ジョフロワ侯爵領にあるドッグランに、二組の婚約者たちが集まっていた。
幸福そうな三人と、やや気まずげな一人。
合同婚姻式は、もうじきだ。
侯爵家では最近、若いオスのシェパードを飼い始めた。
犬種を選んだのはマルジョレーヌだ。
「お姉様みたいに凛々しいですね。ディアボロちゃん」
「ジゼル嬢、褒めてもらって嬉しいが、ディアボロは名前のわりに少し気が小さい所がある」
「慎重なのは良いことですわ」
「それは、言えるな」
ディアボロは、ジゼルの愛犬、ポメラニアンのアンジュちゃんに興味津々だ。
近づこうとして、ちょっと凄まれ、怖気づく。
「まあ、アンジュ、お姉さんなんだからディアボロちゃんを脅かしちゃ駄目よ」
「アンジュは小さいのだから、気をしっかり持つのは正しい」
「あら、アンジュ、お姉様に褒めていただけて嬉しいわね」
ディアボロは一時撤退して、別のテーブルにいるラファエルとブリュノの元へ駆け寄った。
「はは、ディアボロ、尻尾を巻いて逃げてきたか。
偉いぞ。撤退も時には必要だからな」
ラファエルはディアボロの首を撫でてやる。
「もっと優しい女の子と付き合いなよ、ディアボロ」
ブリュノがシェパードに向かって話しかけた。
「いや、アンジュは優しいと思うよ。
要はタイミングが大事なんだ」
「タイミング?」
「そう。女の子には優しく。
そうしたら、きっとチャンスが来る」
「そんなものですか?」
「待て、が出来なきゃ、男はモテないよ」
ラファエルがニヤリと笑い、ブリュノはテーブルに突っ伏す。
伸び上がってブリュノの膝に前足を乗せたディアボロが、慰めるように彼を見上げて首を傾げた。