9.王からの召喚
エサイアス殿下の葬儀から十日ほど経ったある日、リクハルド様のお見送りが終わってすぐに、国王陛下の護衛騎士であるタルヴィティエ卿が我が家を訪れた。
第三王子のエサイアス殿下と婚約していたので、タルヴィティエ卿の顔は知っている。ただそれだけで、特に言葉を交わしたこともない。そんなタルヴィティエ卿が、貴族の妻ならばまだ就寝中かもしれない時間帯に訪れるなんて、いったい何事かと訝しく思いながら彼が待つ応接室へと向かった。
タルヴィティエ卿はメイドが淹れたお茶を優雅に飲んでいた。さすが近衛騎士だと思わせる所作だけれど、リクハルド様を無視していた近衛隊の一員だと思うと印象はかなり悪い。もちろん、それを顔に出したりはしないけれど。
「お待たせして申し訳ございません。リクハルド・コイヴィストの妻エルナでございます」
「このような時間に申し訳ありませんが、陛下が内々にお伺いしたいことがあるとお望みでございますので、これからご同行願えますか?」
立ち上がったタルヴィティエ卿は騎士の礼をした後で、そう訊いてきた。
「父も夫も不在ですので、わたくし一人では決めかねます。せめて、夫の許可を得てからにしていただけませんでしょうか? 今すぐ衛兵隊に連絡いたしますので」
近衛騎士が陛下の名を使ってまで私を貶めようとするとは思えないけれど、やはり不安だった。不用意にタルヴィティエ卿について行って、不義の噂でも流されたら、リクハルド様が恥をかくことになる。リクハルド様に辛く当たっていた近衛騎士隊なので信用ならない。
「陛下はエルナ夫人からお話をお訊きになりたいのです。勅命での召喚という形をとらなかったのは、陛下の優しさと思いますよ」
タルヴィティエ卿の口元は笑っているのに、目は笑っていない。私に断るという選択肢は与えられていないようだった。
「それでは急いで着替えて参ります。馬車も用意いしなければなりませんので、しばらくお待ちください。それから、我が家の護衛と侍女の同行をお許し願います」
「着替えは必要でしょうね。できるだけ素早く済ませてください。馬車はこちらで用意しております。護衛として近衛騎士を二人連れてきていますので、そちらの護衛は必要ございません。侍女は同行しても構いませんが、控室で待ってもらうことになります」
護衛も連れていけないのか。不安だけれど、国王陛下を待たせることもできない。とにかく急いで着替えなければ。
第三王子を亡くしたばかりの国王陛下とお会いするのだから、派手な色のドレスは着ていけない。できるだけ地味な灰色のドレスに着替えることにした。そして、タルヴィティエ卿の待つ玄関ホールへと急ぐ。
「リクハルド殿との夫婦仲がとても良いと伺っております。衛兵隊からの噂が我々の耳にまで届いているのですよ。ご夫人には男性を虜にする魅力があるようですね」
私の地味なドレス姿を確認したタルヴィティエ卿は、上品な微笑みを浮かべながらこんなことを言ってきた。これは衛兵隊で流れているという下世話な噂を揶揄しているに違いない。
衛兵隊員が噂する分は許せる。彼らはリクハルド様を仲間だと思ってくれていて、仲間同士の軽口に過ぎないから。でも、リクハルド様を冷遇していた近衛騎士には言われたくはない。
「わたくしは貴婦人として扱うに値いたしませんか? 夫は公爵家から縁を切ったとはいえ、現国王陛下の甥であることは変わりありません。卿が守るべき貴き血が流れているのですよ」
近衛騎士たちは王家に剣を捧げているはずなのに、王家の血を引くリクハルド様を無視し、私まで侮蔑している。もっと近衛騎士としての誇りを持ってもらいたいものだわ。
「い、いえ、そういう意味ではございません」
慌てて否定するなんて、本当のことだと白状しているようなもの。どうせ、こんな地味な女が愛されているのは抱き心地が良いからとでも思っているのだろう。
「陛下がお待ちになっているのでしょう? とにかく急ぎましょう」
もうタルヴィティエ卿とは話もしたくない。
一人の侍女を連れて玄関を出てさっさと王家の紋章が描かれた馬車に向かう。確かに見知った近衛騎士が二人騎乗したまま待っていた。
コイヴィスト家のタウンハウスは王宮からそれほど離れていない。三十分も経たないうちに到着した。王宮の中に入ってから長い廊下を歩き、途中で侍女と別れ、豪華なドアの前に連れてこられた。その前には二人の護衛騎士が立っている。
タルヴィティエ卿がゆっくりと重そうなドアを開ける。その先の豪華な部屋には国王陛下が待っていた。エサイアス殿下の葬儀の時より更に憔悴しているように見える。
「国王陛下、お招きいただきありがとうございます。エルナ・コイヴィスト、馳せ参じました。エサイアス殿下におかれましては誠にご愁傷さまでございます」
義理の父親になるはずだった陛下だけれど、数回ほどしか会ったことはなかった。しかもすべて父と一緒だったのだ。こうして私一人で会うのは初めての経験で、やはり緊張する。
「そう畏まらないでくれ。私は君の伯父なのだから。まずはそこに座ってくれ。茶を用意しよう」
丸いテーブルの前に置かれた椅子に座ると、あっという間に茶と軽食が用意された。さすがに王宮の侍女は手際が良い。そして、侍女たちは静かに部屋を出ていく。残されたのは向かいの椅子に座っている国王陛下と、壁際に控えているタルヴィティエ卿、そして私だけとなった。
「エサイアスのことは本当に申し訳なかった。愚かなあいつは君をどれほど傷つけていたのだろうか? 結婚すれば次期伯爵としての自覚も目覚め、有能なコイヴィスト伯に学び立派な領主になってくれると期待していたのだが、私の読み違いだったらしい」
本当にエサイアス殿下からは蔑ろにされたと思うけれど、今更亡くなった殿下を責める気持ちはない。
「もう過去のことですから、お気になさらないでください」
そう言うと陛下は心底ほっとしたようだった。
「エルナはとても綺麗になった。やはり、女性は愛されていると美しくなるのだな。リクハルドと仲が良いと聞いている。今は幸せか?」
リクハルド様は父に感謝しているだけで、私を愛してはいないと思う。でも、とても大切にしてもらってはいる。それだけで十分幸せだと感じている。
「はい。幸せです」
そう答えると、陛下は満足そうに頷いた。
「今日、君に来てもらったのは、シーカヴィルタ公爵家でリクハルドがどのような扱いを受けていたか聞きたかったのだ。知っていることをすべて教えてくれないか?」
陛下の質問の意図はわからない。でも、嘘をつくつもりもなく、知っている限りのことを伝えたい。本当のことなのだから、リクハルド様の不利になるようなことはないだろう。
「公爵夫妻と弟はもちろんのこと、使用人までリクハルド様を無視し、愛情など露ほどもかけられなかったと聞いています。嫡男として必要な教育も施さず、お菓子や遊具は一切与えなかった。あまっさえ、病気になっても放置していたそうです」
こうして言葉にしてみれば、本当に残酷な行いだと実感する。母親がどのような女性であったとしても、シーカヴィルタ公爵にとっては実の息子なのに、どうしてこんな酷いことができたのだろうか。
国王陛下は何も言わずに黙って聞いていた。ただ、悔しそうに手を握りしめて顔をしかめている。
「私はプルムのことを自由奔放過ぎて王家の品位を下げる難儀な存在だと思っていた。突然婚約者のいる男性と結婚したいと言い出すし、妊娠した時も急に離宮で産みたいと押しかけて来た。年が離れていることもあり、私は本当に妹を苦手だと感じていた」
陛下のおっしゃるプルム様とはリクハルド様の母親で、陛下の妹君のことだ。シーカヴィルタ公爵家でも我儘な王女だと嫌われていたらしい。
今度もまた、いきなりプルム様の話をする陛下の意図が全くつかめない。
「でも、違ったのだ! プルムはあいつらに嵌められた」
あいつらとは誰のことなのか訊きたかったが、怒り心頭の陛下に尋ねる勇気はなかった。