2.最悪な結婚
またあのカッリネン男爵令嬢の自慢話を聞かされるのかと、気が重かったお茶会だったけれど、彼女が現れることはなかった。
「リクハルド様の噂をお聞きになりました?」
「ええ、なんでも交際していた方が複数いらして、その中の一人に背中を刺されたとか。飽きたからとあっさり捨て去った女性らしいのよ」
「リクハルド様に愛されていると自慢していたカッリネン男爵令嬢も、多くの情人の一人だったのよね。こんなに噂になってはまともな結婚もできないから、修道院へ入れられたらしいわ」
「これからはゆっくりとお茶を楽しめそうね」
若い令嬢たちがとても楽しそうに社交界に飛び交っている醜聞について話している。
リクハルド様は一応騎士なのに、ただの令嬢に刺されてしまうなんてどうなのと思うわ。怪我をしたのは気の毒かもしれないけれど、体を鍛えることもせず、何人もの女性を弄んでいたなんて、本当に自業自得だと思う。
カッリネン男爵令嬢は本気でリクハルド様に愛されていると思っていたみたいだから、騙されたことは哀れだと思うけれど、もう少し慎ましく恋人との関係を秘めておけば、こんなに噂になることはなかったのよね。
でも、そんな渦中の二人には感謝しなければならないのかもしれない。
先日、暗い顔をした父が私の部屋を訪ねてきて、エサイアス殿下との婚約解消を告げられたから。理由は殿下の病気療養のため。私の有責ではないとはいえ、王族との婚約解消。通常ならば噂の的になっていたはず。でも、リクハルド様の醜聞が酷すぎて、私たちのことは殆ど話題に上らない。
それにしても、エサイアス殿下に未練など全くないけれど、二十二歳になっての婚約解消は酷い。どうせ婚約解消するのなら、もっと早くにしてほしかった。理由は病気だと聞かされたけれど、それはかなり疑わしい。解消したとはいえ五年も婚約者として過ごしてきたので、せめてお見舞いに伺いたいと思ったのに、それすら拒否されたのだから。殿下に嫌われていた私は体よく切り捨てられたに違いない。
この年になって次の婚約者は見つかるだろうか。新たな婚約者を探さなければいけない父は大変だろうなと、まるで人ごとのように考えていた。
エサイアス殿下と婚約解消して三か月ほど経った頃、久しぶりに父が部屋に訪ねてきた。
「エルナの結婚相手が決まった。本当に急なことだが、二か月後に結婚式を挙げて欲しいんだ」
「あの、お父様。その結婚相手とは、どなたなのですか?」
私も貴族の娘。政略結婚の覚悟はできている。それに、結婚適齢期をとっくに過ぎてもう二十二歳になるので、父が結婚を急ぐのも理解している。だから、良く知らない相手であっても、二か月後に結婚することに反対するつもりはないけれど、まずは結婚する相手が誰なのか教えて欲しい。
「それが、シーカヴィルタ公爵家のリクハルド君だ。彼はまだ十九歳で、エルナより三歳下だが、訳あって結婚を急いでいるそうだ」
シーカヴィルタ公爵は、放蕩息子を無理やり結婚させて、社交界に蔓延る醜聞を消そうとでも考えているのだろうか。
「でも、私は一人娘だから婿をとらなくてはなりません。リクハルド様は嫡男ですから、婿入りできないと思うのですが」
「いや、シーカヴィルタ公爵家は弟のヤルノ君が継ぐことになったので、リクハルド君は我が家に婿入りしてくれるそうだ」
シーカヴィルタ公爵はリクハルド様を切り捨て、我が家に押し付けようという魂胆らしい。家を守るためと理解できるけれど、そのために私が犠牲にならなければいけないの?
「そ、そんな。お父様。私が不幸になっても良いと思っているのですか? リクハルド様の噂はご存じでしょう」
公爵家からの打診ならば、伯爵の父は拒否できなかったのかもしれない。でも、文句の一つも言いたい。
「いや、私はエルナの幸せを誰よりも願っている」
いつになく真剣な顔をした父は、何度も首を横に振った。
「でも、リクハルド様は……」
この世で一番夫にしたくない人だとまでは言わない。でも、彼と結婚して幸せになれるとはとても思えなかった。
「リクハルド君の母君は、婚約者がいた公爵嫡男に惚れこんで、無理やり結婚を迫った我儘王女と有名でね。そして、無理を通し結婚したが、彼を産んですぐに亡くなってしまった。結婚後爵位を継いだ現シーカヴィルタ公爵は彼女の死後一年も経たず、元の婚約者と再婚してしまい、リクハルド君は公爵家でかなり冷遇されていたようなんだ」
父と公爵は同年代。その当時はかなりの醜聞だったのだろう。
「でも、自分が不幸だといって、何をしてもいいわけではないと思います」
リクハルド様は何人もの女性と不実な交際をしていた。平民女性もいたらしいが、その大半が下位貴族の令嬢で、その多くは修道院へ送られたと聞く。
「それはわかっている。しかし、リクハルド君はまだ若い。私は彼にも幸せになってもらいたいと思っている。そして、エルナなら彼と幸せな家庭を築くことができると信じているんだ」
父は目を逸らすことなく、まっすぐに私を見つめている。その言葉が本気なのだと言うように。
高位貴族の嫡男に産まれながら、家族に冷遇されて育ったというリクハルド様。それを証明するように、かなりの醜聞だったとはいえ、すぐに廃嫡されて捨てられるように我が家に婿に出されようとしている。
彼はまだ十九歳。確かに更生の余地はあるはず。それに今回女性に刺されたことで、女遊びにも懲り、誠実な夫になってくれるかもしれない。
私ではない一人の女性を想い続けている誠実な男性の妻になるよりは、幸せになる可能性もある。
私はリクハルド様の好みの女性ではないだろう。でも、彼に女性として愛されることはなくても、温かい家庭を築くことはできるかもしれない。
とにかく、彼と一緒にこの伯爵家を盛り立てていけるよう努力しようと思った。
「わかりました。このお話お受けします」
そう答えると、父はその大きな手で頭を撫でてくれた。まるで幼い頃に戻ったようでちょっと恥ずかしい。