11.母の日記
「前副長が王宮を去られて以来、リクハルド様は近衛騎士隊の皆様に無視されて、身の置き所がないような辛い思いをしていたようなのです」
家では冷遇され、職場でも無視されて、あまりにも孤独だったリクハルド様。だからエサイアス殿下に頼られたことが嬉しくて、悪いことだと知りながら身代わりになることを拒否できなかった。せめて、近衛騎士隊だけでも仲間として接してもらえていれば、リクハルド様はエサイアス殿下の頼みを拒否できたはずなのに。
「なぜそのようなことを!」
陛下は全く把握していなかったようで、茫然としている。
「先輩方を差し置いて、若くして副長に就いたことで嫉妬されたのではないでしょうか?」
もちろん副長に抜擢したのは国王陛下だとわかっている。下手をすれば不敬罪に問われかねないことも。でも、どうしても陛下に知ってもらいたかった。リクハルド様がこれまでどのような人生を送って来たかを。彼がずっと辛い思いをしてきたのが陛下のせいとは言わないけれど、でも一端くらいの責任はあると思う。
気を悪くするかもと思ったけれど、陛下は私に怒ることなく俯いてしまった。リクハルド様をいきなり副長にしたことを後悔しているのかもしれない。
ちらっとタルヴィティエ卿の方を窺うと、それまでの無表情が崩れ、眉間に深いしわが寄っている。
「陛下、発言をお許しいただけますでしょうか?」
「許す。言いたいことがあるのなら申してみよ」
タルヴィティエ卿の申し出に、陛下は不機嫌そうに答えた。
近衛騎士たちが王家の血を引く年若い上司を無視していたことに、正当な理由があるのなら聴いてあげようじゃない。中途半端な言い訳するくらいなら、黙っていた方がまだ印象は悪くならないのに。
「正直、嫉妬はありました。しかし、それはリクハルド殿が副長に就任したことに対してではありません。端的に言えば、彼の天賦の才にでしょうか。我々近衛騎士は皆貴族の生まれですので、爵位の何たるかは弁えております。近衛騎士の多くは継ぐ爵位を持たず、剣をもって身を立てる覚悟をした者たちです。一方、リクハルド殿はいずれ爵位を受け継ぐ公爵家の長子。近衛騎士をしているのはお遊びに過ぎないのではないかと思っておりました。貴き血を持つ守られし者。それなのに、前副長に直々に鍛えられたリクハルド殿は我々より強かったのです」
結局嫉妬なのね。御託を並べたって、器の小ささが明らかになるだけなのに。
それにしても、リクハルド様って精鋭揃いの近衛騎士を負かすくらいに強かったとは驚いた。それほど真剣に鍛錬したのよね。やっぱり私の旦那様はとっても素敵だわ!
「リクハルド様はシーカヴィルタ公爵家で冷遇されていて、爵位を継ぐような教育を全く受けていませんでした。ですから、騎士として生きていく覚悟をしていたと聞いております」
「リクハルド殿がもう少し頼ってくれていたら、我々も違った対応になったかもしれない」
確かにリクハルド様は無口で、必要なことさえもあまりしゃべろうとしない。それに誤解されていても正そうとしないところもある。でも、頼られなかったといって無視していいという話にはならない。
「リクハルド様が悪いと言いたいのですか?」
かなり強めに聞いてしまった。タルヴィティエ卿は気を悪くするかと思ったけれど、困ったように小さく首を横に振っただけだった。
「いえ。悪いのは我々です。我々はずっとリクハルド殿とどう接すればよいか戸惑っておりました。エサイアス殿下が怪我をされた時、シーカヴィルタ公爵殿があっさりリクハルド殿を見捨てたのを知り、彼はお遊びで騎士をしていたのではないとわかったのです。そして、仲間として接してこなかったことを後悔しました。しかし、最近夫婦仲がよく幸せそうだとの噂を聞き、とても安心していたのです」
タルヴィティエ卿のあの発言は私を揶揄ったわけではなく、リクハルド様が幸せそうなので喜んでいたということなの? タルヴィティエ卿をじっと見つめても本心はわからなかった。
「近衛騎士たちからは後日詳細を聴取するとして、エルナよ、リクハルドは近衛騎士への復帰を望むだろうか?」
タルヴィティエ卿とのやり取りを黙って聞いていた陛下がようやく話し始めた。衛兵隊への異動も陛下の裁定だと思うので、そこも後悔しているのかもしれない。
「いいえ。衛兵隊の勤務はとてもやりがいがあり楽しいと言っておりましたので、今更近衛騎士に戻りたいとは思わないはずです」
最近、リクハルド様の笑顔が増えてきた。衛兵隊の中で大切な仲間ができたおかげだと思う。
「そうだな。リクハルドはシーカヴィルタ公爵を継がねばならぬ。それがプルムの願いなのだ。それに、将来的にはコイヴィスト伯爵家も継ぐことになるから、その分学ぶことも多いだろう。今更近衛騎士へ復帰する余裕などないな」
陛下は一人で納得して頷いていた。
リクハルド様は衛兵隊を辞めることになるのだろうか? 父はまだ元気だし、領地の運営に関しては私も手伝うつもりにしていたので、あと十数年は衛兵隊に勤めてもらうつもりだったのに。居場所ができたと喜んでいたリクハルド様が辛い思いをしないといいのだけれど。
「そうそう、忘れておった。本日エルナに来てもらったのは、プリムの日記を受け取ってほしかったからだ。この日記をリクハルドに渡すかどうかは妻であるエルナに任せたい。エサイアスのこととリクハルドがシーカヴィルタ公爵家で冷遇されていたことは公表するつもりだ。しかし、アハティとオネルヴァがプルムを騙したことを公表するべきか悩んでいる。実の父親がそのような卑怯な男であり、母親は他の男を好いていた。そんなことを知るのは辛いことかもしれない」
陛下は立派な装丁の本を差し出してきた。背表紙には金の飾り文字で外国語の題名が刻まれている。これが本棚に置かれていたのであれば、今まで発見できなかったのも納得できた。
「そんな重要なことを私の一存で決めることは出来かねます」
あれほど冷遇していたシーカヴィルタ公爵が卑怯な人物だったと知っても、今更リクハルド様は辛いと感じないと思う。でも、プルム様が公爵を愛していたと信じていたならば、愛のない結婚の末に自分が生まれたと知れば傷つくかもしれない。
でも、公爵夫妻の罪は暴いてほしい。そして、罪を償ってもらいたい。公爵位をリクハルド様に譲って残りの人生は悠々自適に過ごすなんて絶対に納得できない。
そんな重いこと、私にはとても決められない。
「私はプルムの息子であるリクハルドを守ってやれなかった。その上、王家の体裁を守るためリクハルドを犠牲にした。エサイアスも失うことになった。そんな私に決めることができないのだ。お願いだ。エルナが決めてほしい」
こうして陛下と面談したのは何年ぶりだろう。その時から随分と年をとったと感じる。自信にあふれていた国王陛下が、決定を下すことを恐れるように日記を持った手が震えている。




