第61話 逃亡交渉
ランディは馬車から降ろされた。
茜色の空はやがて帳を下ろそうとしていた。
辺りは木々で覆われており、人は見当たらない。
森の中を隠れるように通ってきたようだ。
乗っていた馬車の他にも、もう一台馬車が止まっていた。
護衛兼予備としてついてきているようだ。
さすがはデンガーン随一の大商会の会長。抜かりがない。
その中から二人ほど男が出た後、身なりのいい女性が降りてきた。
毛皮のコートに胸元が大きく開いたトップス。紅一点とは珍しい。
御者たちが頭を下げ、伺いを立てているところを見ると、この中で立場が一番上の者のようだ。
男たちは女性の指示を受け、馬を交代させたり、ランプの火を灯したりしていた。
「ほら、アンタはこっち」
ぐいっと女性リーダーがランディの腕を引っ張った。
即席で作られた間仕切りの奥に連れて行かされると、手枷を外した。
「それに着替えな」
と、女性リーダーが顎をしゃくった。
木の枝に白い衣装が掛かっており、その下には白のヒールが置かれていた。
――悪趣味……。
ランディは眉をひそめた。
たっぷりとしたボリュームがある白いミニ丈のワンピース。
ただしスカートのバックの裾は長い。
まるでウェディングドレスのようだ。
だが理には適っている。
これなら歩くだけでも動きづらい。
裾を踏みやすいし、裾を破るにも時間が掛かる。
手で持つとそれだけ走りづらい。しかも白なら暗闇に潜んでも目立つ。
これでは逃亡しても、すぐに捕まえられてしまうだろう。
「アンタの親父さんから事情を聞いてるからね。特注だよ」
「……そうですか」
ランディは下着だけを残し、着ている服を淡々と脱ぎ捨てる。
「潔いね。アンタみたいな年頃の小娘ならもっと恥じらうもんよ。ほんと、女なの?」
「恥ずかしがったところで時間も体力も無駄になりますので」
ランディは服を整えながら、つっけんどんに答える。
「はん、反抗期かい?」
腕を組み、大人の余裕を見せる女性リーダー。
小娘だと油断している今なら逃げるチャンスかもしれない。
ランディは顔をパンと打ち、気合いを入れる。
唐突な行動に女性は驚いた。
「何だい、急に」
「……少し、話をしても?」
片眉をつり上げ、挑むように視線を向ける。
「父とはどういうご関係で?」
「安心しな。ただの雇用関係だよ」
「では、お金だけの関係ということですね」
「そ。だいぶ弾んでもらっているよ。下手な貴族より金は持っているだろうね」
「あなたがたに任された仕事の内容はわたしをフィンデクスへ届けるだけでしょうか?」
「そうだよ」
「ではいくら積まれたかは知りませんが、わたしがそれよりも高い金額を提示すれば逃がしていただくのは可能ですか?」
女性は愉快そうに口角を上げた。
「交渉かい。大した度胸だね。でもアンタが親父より金を出せるとは思えないんだけど……?」
まじまじとランディを眺めた。
「それもそうですね。わたしは今まで働いた給金を使っておりません。過去に取引先からいただいた稀少な魔導具を所持しております。換金すれば相当な値が張りますよ。さらわれたので今は持っておりませんが、そのままわたしを逃がすのではなく、誰かつけていただければ証明もできます。いかがでしょう」
ランディは息を呑み、女性の反応を待った。
女性は顔に手を当て、肩を小刻みに揺らした。
「ふふふ、面白いことを言うじゃないか。乗ってやりたいところだねぇ」
「っ! では……!」
ランディは喜色を浮かべるが、女性は人差し指を横に振った。
「ただスバエ商会は敵に回したくないねぇ。それにアタイたちは別に盗賊や誘拐犯といった悪人でもない。培ってきた信用度もある。増額どころでは動かないよ。もっと魅力的な提示をしてもらえるかい?」
この会話をもって、ただごろつきを寄せ集めた協力者ではないのだと悟る。
ランディは大きく息を吐いた。
「なるほど。わたしの提案はデメリットしかありませんね」
「わかっているじゃないか」
「失礼しました。こんな夜更けに馬車を走らせるなんて、盗賊に襲われでもしたらどうするのかと、つい取り乱しての交渉でした」
「その割には冷静すぎないかね」
女性は呆れたように腰に手を当てた。
これが今時の若者なのかと首を傾げるが、すぐに気を取り直す。
「でも安心しな。もう一台の馬車は護衛用だ。剣だけじゃない。催涙弾も手投げ弾といった遠距離武器も積んでる」
「それは良かったと言いたいところですが、誰の目から見てもあなたがリーダーでしょう。もしあなたが捕らえられたら、誰も為す術がないのでは?」
「アタイがそんなに気弱に見えるかねぇ」
女性リーダーは腰に付けていたベルトを滑らせる。
「自分の身は自分で守れるさ」
ベルトには短剣と三つほどの丸い膨らみがついていた。
ランディはわずかに目を見開いた。
「なぁに、信頼と取引物の損失に比べたらこれくらいは普通だろう。まあ、そうならないように護衛馬車をつけているんだがね」
そういってベルトを元の位置に戻す。
ランディはほっと息をついた。これで不安が無くなった。
――やっぱり暗い森を通るなら防犯グッズは必需品ですよねぇ。
そしてこの女性が魔法を使えないこともわかり、胸を撫で下ろした。
もしランディが非力な女性であれば、短剣を恐れて、大人しく従うしかないだろう。
だが女一人で辺境地を二年も行商で回ってきた実績がある。
強盗に襲われる、もてあそばれる、殺される、骨を折られる。
常に自分における様々な最悪の可能性は想定していた。
だからこそある程度の体術も代替魔法も覚えた。
「ほら、いくよ」
女性が後ろを振り向いたその瞬間。
ランディはすかさず女性のコートをまくり上げた。
「!?」
目的はベルトについた短剣――ではなく丸い膨らみ、威嚇玉の方だ。
山道などに現れる熊などの害獣相手に投げると、破裂音と光と煙と匂いで追い払うことが出来る。
威力は空に撃ち上げる花火レベルであるが、これが近距離で破裂すると腹に衝撃が来るほど強烈だ。
「アンタ、一体何をするつも――っ!?」
ランディは女性から威嚇玉をもぎとり、そのまま地面に叩きつけ破裂させた。
――ドンッ!
爆音が鳴り響き、煙が上がる。
「なにごとだっ!?」
御者や護衛たちが大声を上げる。
その隙にランディは走り出した。
――やっぱり、自分の人生は自分で決めたい、ですから。
説得が出来ないなら行動あるのみ。
ランディは木々を縫いながら闇の中に消えていった。




