第60話 誘拐
ガランガランガラン――
勢いよく駆けていく馬の蹄、回転する車輪、激しい振動。
「そろそろ頭は冷えたか、ランディ」
目隠しが外された先にいたのは――
「父さん……」
ランディはひゅっと息を呑んだ。
父であるケネトは足を組み、向かいの席に座っていた。
「逃げれたつもりだったか? ランディ。ノーウェリア帝国にいたのは盲点だったが、ジョシュアに頼ったのはまずかったな」
ランディは兄の助言を思い返していた。
もしランディが誰かを頼るとしたら、兄のジョシュアが適任である。
ジョシュアが普段と違う動きをすれば、後はその経路を調べ、辿るだけ。
――ジョシュア兄さんは初日から忠告はしてくれていましたからね。
だけどあまりにも充実していた毎日で、居心地のいい場所だったから、ずるずると留まり続けてしまった。
「さすがに帝国軍寮の住み込みとは想定外だったがな。しかも男と偽って。始めは話が噛み合わなくて苦労したよ。相当嫌われているのかお前を追い出したい連中にお金を少し積んだら協力してくれたよ」
おそらく寮にいた魔導士の誰かなのだろう。
アイヴァーの唯一のお世話係。その上、平民で無能力。
ランディの立場をあまり好ましくは思っていなかった。
「とはいえ、こんな夜中に馬を走らせるなんてリスクが高くありませんか?」
「一度逃げられたお転婆が、次に何をしでかすか分かったもんじゃない」
「わたしは事故の心配しているのです」
「心配なら明日からの自分の身の振り方にしておけ。それに明日にはフィンデクス王国に到着するのだからな」
「!」
ランディは目を見開いた。
てっきりデンガーン王国にあるスバエ商会に戻されて、しばらく監禁生活を送ると思っていたからだ。
「つまり……すぐに婚約相手の元へ……?」
「そうなるな」
「そんなに早く……?」
「そんなはずはない。婚約の話はだいぶ前に説明したはずだ。それに婚約としていたのは適正年齢に達していなかっただけだ。正確には結婚相手、だな。フィンデクスに到着次第、式の準備をする」
「せ、せめてもう少し時間をいただけませんか」
「今更何を言う。すでに時間はたっぷりやっただろう。私としてはお前に薬を与えて自我を失わせることも出来たのだ。それをしないのは親心だとは思わないか。これ以上反抗するなら、私も手段を選ばなくてはならないのだが……?」
ランディは湧き出しそうになる感情を一旦呑みこんだ。
これ以上に話し合うと、ますます悪い方向に流れてしまう。
瞳を伏せ俯く。
これがランディにとっての精一杯の抵抗。
「やっと観念したか」
ケネトはふっと笑うように鼻を鳴らした。
その言葉を最後に、室内に沈黙が続く。
やがて駆け足だった馬車の動きもゆっくりとしたペースに落ちていく。
――逃亡生活もこれで終わり、か。
明日になれば、宮廷に家政婦長もアイヴァーも盗人ではないと訴えて、迎えに来てくれるだろう。
その頃にはランディはフィンデクス王国にたどり着いているだろうが。
アイヴァーに至っては今やランディがいなくても自分で起きてくれるようになった。
寮の家事手伝いもランディがいなくても回るだろう。
その事実だけで思い残すことが無い気もしてきた。
観念した方がいいのだろうか。
ノーウェリア帝国でも一人でうまくやっていけたのだ。
もしかしたら嫁ぎ先でもどうにかなるのかもしれない。
心残りと言えば……元帥閣下と会う約束が守れなかったことくらい。
心の一つ一つに整理をつけていく。
――でも、本当にそれで……いいのでしょうか。
長く続いた振動がぴたりと止まった。
もう着いたのだろうか。いや、さすがに早すぎる。
すると御者が扉をノックした。
「馬を替えますんで一旦、下りてお待ちいただけますかねぇ、旦那」
「ちょうどいい。私も一息つきたいところだった」
と、扉の枠に手をかけ、外に出た。
扉から見える外の景色は暗闇に包まれ、どこにいるのか皆目見当がつかない。
「ついでに娘の服も着替えさせてくれるか」
馬車から下りたすぐ先で、ケネトは葉巻を取り出した。
「なぜです。現地に着いてからでいいんでは?」
「娘は“代替魔法”が使える。着ている服や靴に魔法陣紙や魔石を仕込んでいる可能性が高い。多少の体術の心得もあるが、そちらの護衛には敵わないだろう。それに枷をつけたまま、フィンデクスに入れば奴隷売買も疑われる。このタイミングが一番いいだろう」
「へい、わかりやした」




