第6話 決意
スバエ商会の二階にある従業員用の休憩室。
ランディは灯りも点けず、仮眠用のベッドの脇で隠れるように膝を抱えていた。
“仕事にしか興味がないくせに気持ちとは何だ”
――そんなに、何も考えていないように見えていたのでしょうか。
“スバエ商会にとってこの結婚は隣国への足がかりになる。分かってくれるな?”
兄たちにはあんなに自由に任せていたのに、自分だけ勝手に将来を決められてしまったのか。
先ほど告げられたケネトの言葉がぐるぐると回っている。
物心ついた頃から父や兄たちの仕事ぶりを見てきた。
落ち込んでいる客、怒っている客、泣いている客を笑顔にして帰した姿や、他国の言葉を使って取引先と対等に渡り合えている様子は頼もしかった。
老若男女、商品を買っていくお客さんの表情を見るのも面白かった。
だからランディも誰かの役に立ってみたいと仕事を手伝ってきたのだ。
行商の毎日は、つらいことも多かったけど、嫌々していた訳ではない。
たくさんの人と出会って、知らない知識や情報を覚えて、話や需要がありそうだと思って持ち込んだ商品が売れた時は手応えも感じた。
息つく間もないほど大変だったけど、やりがいがあった。
辺境地を任されていたのも、信頼されているからだと思っていたのに。
――今まで頑張ってきたのだけど、父さんや兄さん達には力が及ばないってことなのですね。
だから仕事をさせるより、取引先を拡大する方に価値があったのだろう。
ランディを気遣い、拒否してもいいという選択肢を与えてくれれば、もしかしたら政略結婚を了承していたかもしれない。
だが現実は“娘の意思”よりも“仕事の拡大”が重要だと教えてくれた。
「父さんってば……相手側にわたしの姿絵を捏造しています……よねぇ」
いくらお飾りとはいえ、髪も男のように短ければ、地味な顔つきの女を嫁に迎えるはずがない。
身体の真ん中が重りを乗せられたように沈んでいく。
悲しいのだろうか、怒っているのだろうか。
自身の感情がどちらに向いているのかわからない。
隣国で貴族になる。ケネトが提示した未来を想像してみる。
庶民出が淑女の作法なんて分かるわけがない。
ドレスだって着たことも無い。
人に使われることはあっても、使うことは慣れていない。
更に会ったことも話したこともない相手だ。
普段から男の格好をしているので、万が一でもどこかで見初められた可能性は低いだろう。
ケネトは隣国への足がかりとはっきり言った。
となると相手の貴族側はスバエ商会の持参金が目当て。
そんな相手を好きになることは出来るのだろうか。
愛がないどころか、金の掛からない召使いを雇うつもりでいるかもしれない。
恋はまだ知らない。
でも仲睦まじい夫婦像への憧れくらいはある。
「愛人なんて言葉が出ている時点で、すでに親密な相手がいそうですよね。血みどろの愛憎劇が想像できるじゃないですか……」
ランディの心がどんどん沈んでいく。
――こんなことで悩みたくない。
このままじゃダメだ。
自分の価値が“女”しかないなんて思いたくない。
納得の出来ない未来を黙って受け入れられるほど、自分は従順な人間では無い。
それは商売でも同じ。
例えば「商品を買ってやるから、俺以外に売るな」と言われたとしたら、自身の答えはNOだ。
客だからと言って、何でも要望には応えられない。
そう、父親だからといって何でも思い通りになるとは思わないでほしい。
自分の意思は自分で決める。
ランディの中で張っていた糸がぷつんと切れた。
「そうだ。家出をしよう」
否、家出では無い。自立だ。
まるで天啓にうたれたように、床からすくっと立ち上がった。
そもそも結婚できる歳と言うのなら、自立しても構わないのだろう。
性根が子供のままだったせいで、自分の道が決められたのだ。
スバエ商会の業績を見る限り、ランディの結婚がなくなったところで、多少の損失はあっても没落まではしない。
それに三人の兄もスバエ商会を生産面、経理面、売買面で支えている。
自身がいなくても、商売先が増えなかっただけの事実しかない。
「そうと決まれば、ぐずぐずしてられませんね」
思い立ったらすぐ行動。
ランディの目の前が明るくなった気がした。
――今のわたしに怖いものなんて、ない。
ランディは立ち上がると、部屋の灯りを点け、壁に備え付けの立ち鏡に向かって自分の顔を確認する。
目の周りが少し赤く腫れ上がっているが、ゴミが入ったくらいの言い訳は出来る。
目元を冷やす時間がもったいないので、風を取り入れようと窓の鍵を開けた。
少し強めの風がランディの髪を揺らす。
思いっきり息を吸い込み吐くと、少し身体が軽くなった。