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第40話 夜更かし①

本屋でのアドバイスや双子の反応を受け、元帥との直接対決に挑む。


“仕事とプライベートの切り替え”

“後は成るようになれ”

“失敗するなら今後に生かす”

“最初からうまくいく人間なんていない”

“凡人は凡人らしく努力をする”

“元帥閣下はランディの失敗に幻滅するほど心が狭い人間ではない”


そんな言葉を頭の中で繰り返し、気分を落ち着かせる。

セルフマインドコントロールだ。

寮の廊下でぶつぶつと呟いていると――


「あらランディさん、びっくりしたわ。もう就寝時間よ?」


不意に声をかけられ、ビクッと肩を揺らす。

振り向くと手にランタンを持った家政婦長が立っていた。

戸締まりのチェックをしていたようだ。

こんな夜中に暗い廊下でひとり言をしていれば驚くのも当然だろう。


「すみません。喉が渇いたので水をいただこうと思いまして」

「そうだったのね。今日はもう遅いから水を汲んだら早く部屋に戻ってね」

「はい、わかりました」

「じゃあ、おやすみなさい」


家政婦長が廊下の角を曲がり、気配が消えるまで確認した後、急ぎ足で調理場へ向かった。









「どうしたの、夜這い?」


元帥閣下がさらりと質問する。

いつもの仕事場であり元帥閣下の私室。

元帥はまだ寝ておらずベッドの上で読書の最中だった。

ランディは調理場で目的を終えた後、そのまま元帥閣下の部屋に訪れたのだ。


時々、爆弾みたいな発言をするなぁと遠い目をしながら、


「何の冗談ですか。それは結婚を前提とした男女の話ですよね。わたしと元帥閣下は……と、友達なのですから、正しくは夜更かしに来た、です」


ランディはわずかに頬を赤らめた。

メモに書いた“お泊まり会をする。お菓子を持ち寄って、互いの興味のありそうなことを話す”を実行に移したのだ。

友達を難しく考えるなとアドバイスをもらった結果、早速の行動力である。


「えっと、テーブルセットはありませんか?」


ランディは手にトレーを持っていた。

基本的に元帥の部屋はベッド以外の家具は置かれていない。

どこに仕舞っているのだろうと辺りを見回す。


すると元帥は指をパチンッと鳴らした。

虚空からテーブルと椅子が落ちる。


――そういえば異空間から物を呼び寄せられる魔法が使えるんでしたね。


ランディはティーセットをテーブルの上に置いた。

そう、調理場から拝借したのだ。

元帥は瞳の中に少年のような悪戯っぽい微笑を浮かべ、本を閉じた。


「悪い子だね」

「そうですよ、見つかったら叱られてしまいます」


ランディは唇の上に人差し指を乗せた。

夜更かしとは小さな背徳感が心を躍らせるもの。


「差し支えなければ、今から勝手をしてもよろしいですか?」

「いいよ」


ランディは隠し持っていた袋からフライパンや卵、牛乳、小麦粉といった食材を順に取り出す。

手際よく材料を全てボールに入れ混ぜた後、フライパンの底に火の魔法陣紙を貼り付けた。




数分後、元帥の部屋に甘い匂いが立ちこめる。


おやつとして作っていた過去を思い出しながら、作り上げたのはパンケーキだった。

そのまま食べても問題ないが、煮詰めた花蜜をかけても美味しい。


それからテーブルにクロスを敷き、ティーポットにお湯を注ぐ。

ランディの準備が終わった頃を見計らい、アイヴァーはソファに腰掛けた。


「夜更かしねぇ……その昔、夜といえば天候や野獣に襲われる危険で不安な時間だったのに、それが今や、灯りを持ち、頑丈な住まいを持ち、穏やかな夜を過ごせるようになった。夜が楽しいなんて、いい時代だよねぇ」


忙しく動くランディを眺めながら、しみじみと呟く。

ランディがカップに紅茶を注ぎ終わった瞬間、とあることに気がついてしまった。


「――しまった。わたし、自分基準で用意してしまったのですが、紅茶よりお酒の方がよかったですか?」

「君って変なとこで気が利くよね。大丈夫。紅茶でかまわないよ」


元帥はふっと目を細めた。

ランディはほっと息を吐くと、手のひらサイズに出来上がったパンケーキを一口サイズに切り分けた。

アイヴァーも皿に乗せられたパンケーキにフォークを刺し、もぐもぐと頬張る。


「ふふ、就寝前の元帥閣下に会うなんてとても不思議な感覚ですね。いつもは――」

「ランディ」


言葉を遮られ、ランディは顔を上げた。

いつも見ていた真顔だったが、やや拗ねているような気がした。

覚悟を決め、一拍の間を置いてから――


「~~~~ア、アイヴァー様でしたね」


態度は友人のような気安さで踏み込んでいたが、やはり名前呼びは意識してしまう。

逃げるようにティーカップに目を移した。紅茶を味わうことに集中する。


「様もいらないけど」

「そ、それはご勘弁いただけませんか。どうしても呼び捨てはわたしの中でもぞもぞすると言いますか、難しいのです」


ランディは上着の裾を握った。

生まれてこの方、誰かを呼び捨てにしたことがない。

呼び捨てでもいいと許可を得ても気疲れしてしまう。だから自分の気持ちを正直に伝えてみた。

“友達”ならどう反応するだろうか。


「そっか。それが逆に気を遣っちゃうなら別にいいよ」


アイヴァーはあっけらかんと言った。その言葉に心の底から安堵する。


まだ名前呼びはこそばゆいが、敬称込みなら問題無さそうだ。

時が経てば慣れてもくるだろう。


それに逆に考えると使用人であるランディを「ねぇ」「そこの人」との呼びかけでは無く、名前で覚えてくれているのだ。

友人であるなら名前呼びは親しくなる一歩。


「さて、そんなに寝起き悪いかな、僕は」


話題を変えるようにアイヴァーは、先ほど途切らせてしまった会話を続けた。


「はい、性格が変わりすぎです」

「うーん、ごめんねー」

「魔法陣紙や魔石の消費が激しいですからね。起こすためだけにお金が湯水のごとく消えていきます。こう言ってはなんですが、その攻撃性は素なのですか?」

「寝起き前は多少の記憶はあるんだけど睡眠欲に引っ張られるみたい」

「理性が利かない……と」


その他大勢とは違う生を歩んでいる人だ。

睡眠時間は他人には充分でも、彼にとっては一時間しか眠っていない状態なのかもしれないと、ランディは考え込んだ。


アイヴァーの持つ美貌や色味は、誰も寄せ付けない氷河の世界を連想させる。

庶民では、その神秘さに気圧されるが、本人はいたって穏やかで話しやすい。

あまり階級や見た目で、人の印象を決めつけるものでは無いのかもしれない。


ランディはアイヴァーのティーカップが空いたことに気づく。


「おかわりはいかがですか?」

「うん、もらおっかな」

「では、カップを下げますね」


とカップに手を伸ばす。


「あ、そうだ。ねぇ、君はこの世界に僕が要らないとは思わない?」


あまりの気軽さだったので、空耳だったのかと思い、目をぱちくりとさせた。

頭に疑問符が浮かぶが、ただ否定するには不正解な気がした。

ランディは少し迷ってから、


「――……急にどうしました?」


と、切り出した。


「わたしに必要だと言われたいわけではないですよね。何か思うところがあるのですか?」


その問いにやや俯き、静かに口を開く。


「違うけど。僕はね、自分の生きている価値が見い出せないんだ」


ぽつり。

その瞳にはここではない別の景色を映しているようだった。

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