第36話 おはよう攻防戦(和解)③
「……ん? 雇用主の切り替えと身分差を縮めるとはどういうことでしょうか?」
元帥の微笑むその姿はどんな俗物をも寄せ付けない
聖人のごとく清らかであった。そこの真意が全く見えない。
「つまりさ、僕とランディの間には溝があるんだよね」
「溝……ですか?」
「そう、溝。君って僕を単純に仕事相手としか思っていないでしょう。無礼を働いてはいけない。余計なことを言ってはいけない。だから一歩引いて接する。それを僕は溝だと感じる」
そうだろうか。
自分としては元帥閣下の穏やかさに引っ張られて、素が出ている気がしてならない。
元帥はそう感じていないのだろうか。
元帥閣下は遠い目をした。
千年以上も生きている、もはや生きた伝説。
神に近いそんな人が、普通に接してもらえることが尊いと考えているのだ。
だがその“普通”が出来る人間が身近にはいない。なんと寂しいのだろう。
だからつい――
「溝を埋めるにはどうしたらいいのでしょうね」
と訊いてしまった。
「友達になろうよ、ランディ」
「ええ!?」
予想外の発言だった。
「それは、恐れ多い……」
「じゃあ僕が平民になれば友達になってくれるの?」
「そんな滅相な……わたしの為におっしゃっているのなら光栄ですが荷が重すぎます」
「僕のために言っているんだよ」
「それに友達とは同世代相手を指すのではないでしょうか」
「僕に同世代の相手なんていないんだけど?」
沈黙が落ちる。
物心ついた頃から兄達と一緒に行脚していた。
仕事を覚えるのに必死だった。
家族、従業員、得意客、無礼客、取引先、野盗――との接し方は知っている。
今思えば、友達などいたことは無かった。
最近、皇女殿下からも友達になろうと言われたが、
後ろに控えていた侍女の不満そうな顔を見ると、お互いが不幸になる未来しか見えなかった。
「単純に考えない? 一緒におしゃべりして遊んで、そういう楽しいことが共有できるのが友達。君とは気さくな間柄になりたいんだ」
「周囲が反対しませんか?」
「なんで僕と君のことを周囲に決めさせるの? 余計なお世話でしょう」
「身分や地位には線を引かないと、他に示しがつかないとか言われませんか?」
「なにそれ。誰かに言われたことあるの? 例えそれで世界が敵に回るって言うんなら僕は喜んで滅ぼすけど?」
言葉のあやにしても本当に出来そうだから怖い。
「それに君は僕を臆することなく攻撃も出来るでしょう。気心も知れている。今更不敬だとか身分だとか、どうのこうの言わないで」
「あとですね。大変言いづらいのですが、わたしは今まで友達と言っていい友達はおらず……うまく出来る自信がありません」
「あはは、友達に出来がよいも悪いもないよ。ありのままの君でいいんだよ」
元帥の子供みたいにまっすぐな言葉に、心がくすぐられてしまう。
「ね、僕と一緒にいたら楽しく思えない?」
確かにランディとは違う世界を持った人だ。
ただ起こすだけの仕事関係ではなく、時々話をして、一緒に食事を摂るのもいいのかもしれない。
元帥がランディに向かって手を差し出した。
ランディはその手を見つめた。
ここまで言われて拒否できるだろうか――答えは否だ。
ランディは意を決して、頭を下げた。
「ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
そう言い、手を握った。
とたんに胸の音が弾けた気がした。
「じゃあ、早速だけど」
これで話も終わったとランディは思った。
次は朝食の準備の話だろうかと構えていたが――
「これから先、僕のことはアイヴァーって呼んでくれる?」
「はい!」
と、予想だにしない言葉に、空返事をしてしまった。
……
…………
………………え?
「あーよかったぁ。君って気づいているかわかんないけど、身分が高いと思った相手は絶対名前呼びしないんだよねー」
そう言って元帥は浴室へ向かっていった。
今日は朝風呂から始めるらしい。
ランディは笑みを貼り付けたまま、頭の中で元帥の言葉をリフレインしていた。
どうやら友達のハードルを見誤ったようだ。
それから部屋を離れた後、電光石火の早さで本屋に向かったのであった。




