第35話 おはよう攻防戦(和解)②
皇帝を見送り、二人きりになった部屋の中、ランディはバッと振り向いた。
「すみません。わたしの配慮が足りませんでした!」
その言葉と同時に床に頭をつけた。
そう土下座だ。
「は?」
ランディの行動に驚いた元帥閣下も同じく床に座り、ランディの顔を上げさせた。
「わたしが平気だと思うことを、他の方が平気なわけがありません。元帥閣下は自分の与り知らぬところで寝相とか寝言とかベラベラとプライベートを話されるのはやはり恥ずかしいですよね。わたし個人としては貶す意図などは全くなかったのですが、皇女殿下や侍女様方、皆様の元帥閣下への憧れに応えてしまいました!」
元帥はランディの言葉についていけず、瞬きを繰り返す。
やがて緩やかに眉を寄せた。
「待って待って。それ、僕、ナイーブすぎない?」
「? わたしが皇女殿下にいらぬお節介を焼こうとしたことに怒っているではないのですか?」
「うん、そう。そうなんだけど……あれ?」
ランディと元帥閣下の会話に少しのズレが生じている。
「うーん、ちょっと変なことを聞くけど、君って皇女様に言われて僕とくっつけようとしてたんじゃないの?」
「えっと……皇女殿下からはそういった協力要請はいただいていませんが、あの……」
「なに?」
元帥閣下の表情が不機嫌そうに歪む。
でもだからこそ自分の考えは伝えておかないと、また誤解を生む。
「ただおはよう係としては、可愛らしい皇女殿下と恋仲になれば、元帥閣下の目覚めは良いのかとは考えました」
「あはははははっ!」
不機嫌になると思われたが、逆に元帥は声を上げた。
こんなに大きく笑うのは初めて見たかもしれない。
最近はだんだんと表情が豊かになっている。
「そっかぁー……なんか僕が悪かったみたい。怖がらせてごめんね」
「いえ、悪いのは配慮が無かったわたしです」
「君は君なりに僕のことを考えてくれて、起こし方を考えてくれたってわけだ」
「は、はい」
「僕はさ、てっきり君が簡単におはよう係を投げ出すように見えたし? 誰かと僕をくっつけようとしたのがむかついたというか?」
――あれ? やはりわたしが悪いと言われているのか?
疑問形で同意を求められているあたり、何だか責められているようだ。
何となくだが、元帥が怒っていた理由が分かった気がした。
「元帥閣下、仕事を投げ出したつもりはなかったのですが……」
「違うよ、ごめんごめん。責めてるわけじゃないんだ。君じゃ貴族の命令には逆らえないでしょ」
しょぼんとするランディに、元帥は目を閉じたまま笑う。
「ね、この仕事好き?」
「好きと問われると難しいですが、やりがいはありますよ」
「辞めさせられる時、どうして僕に相談してくれなかったの」
「すみません。でも家政婦長とは話をして了解をいただきましたし、元帥閣下には相談する権利自体があるとは思いもしませんでした。あとは……」
「あと?」
「いえ、なんでもありません」
ランディはふと視線を逸らす。
「えー、そんな歯切れが悪そうだと気になるよ」
「元帥閣下は常に寝てますから、相談する時間は取れなかったと思います」
拗ねた口調で反論してしまった。慌てて姿勢を正す。
元帥閣下は何事もないように考え込んだ。
「それもそうだね。君の正直なところは好きだよ」
咎めもせずあっさりと納得したので、少し照れくさくなった。
まだ仕事相手として認めてくれるようだ。
元帥は床から立ち上がると、頬にかかった横髪を耳にかき上げた。
「つまり雇用主の切り替えと、身分差を縮めるのが目下の課題か」
目を瞑ってぽつりと呟く。
そしてランディの方を向き、ふっと微笑んだ。
「身体にガタがきている分、僕の眠りって深いんだけど、これからは君のために起きるよ」
ランディは先ほどから告白を受けているみたいだな――と無遠慮にも思ったが、すぐに頭を振る。
「そうなると、やはりわたしは解雇となってしまいますねぇ」
つい悲哀めいた声を漏らす。
ただ当たり前の生活を送ると言っているだけなのに。
長いようで短い日々だったとしみじみしていると、先ほどの発言が頭にフラッシュバックした。




