第11話 おはよう係、チャレンジ!
翌日、帝国軍寮の食堂。
元帥閣下をどうやって起こそうかと、夜遅くまで考え込んでいたランディの目には隈が出来ていた。
家政婦長には今までどうやって起こしたのか、と確認してみたが「運」という途方も無い答えに肩が重くなった。
朝食時、先に食べ終えた家政婦長の前に、昨日余った魔法陣紙と魔石を置いた。
「あの、昨日はつい代替魔法を使ってしまったのですけど、やっぱり危なくないですかね」
今更ながら問いかける。
家政婦長が攻撃魔法を使った手前、つい同じことをしてしまったが。
紙に描かれた魔法陣の模様を改めて一つ一つ確認していく。
「魔法陣紙は見たところ、全て攻撃用ですよね?」
基本、魔法陣紙には発動内容があらかじめ書き込まれているため、何の魔法が使用できるのかがわかる。
「そうよ」
家政婦長は紅茶を口に運びながら、淡々とした口調で答えた。
その発言にランディは目を大きく見開いた。
「眠っている相手に奇襲のような起こし方は許されるのですか?」
「生ぬるいわ、ランディさん。元帥閣下への不敬は全て許されると申し上げましたし、ランディさんだって昨日はノリノリで攻撃してたじゃないの」
教師のように、にこやかに諭してくる家政婦長。
背景にはぽかぽか陽気の大草原が見える。
「うっ、あれは教えてもらった通りにしただけです」
「昨日の魔法は何がダメだったのかしら。もっと殺傷力が高い魔法陣紙を用意する? ファイヤーフレイムの上位版はなんだったかしら」
発言と表情がまったく合致していない。ランディの額から大量の汗が流れ落ちる。
火柱の上位版だと、
爆炎や獄火猛進といった威力、範囲共に増し増しされた魔法陣紙も存在する。
さすがに使用すれば、元帥閣下どころか地域一帯を業火に包みかねない。
どちらかというと、家政婦長の言葉の方が燃えすぎている。
「一歩間違えば死にます。家政婦長が怒られちゃいますよ?」
「心配無用よ。元帥閣下はあそこまでしないと起きないし、それに、あくまで部屋の中でだけ許される行為よ。もちろん上にも元帥閣下にも許可は得ているわ」
確かに魔核が無い者でも魔法が扱える代替魔法。
呪文詠唱と魔石を当てるタイミングがかなり重要で、タイミングを間違えると発動しない。
更に魔法陣紙と魔石の相性もある。
高額な商品の上、不発の場合は使用済み扱いになるので魔石も魔法陣紙も二度と使えない。
「それにしても前途多難です。しかも起こせなかった場合は罪に問われるかもしれないなんて……」
「ああ、あれはあくまでの規定よ。元帥閣下に死んで欲しい連中は意外にも多くてね。一番手っ取り早い方法がおはよう係になって放置することなの。まあ、ランディさんの反応を見たら大丈夫そうね。万が一、何があってもフォローはするわ。だから安心して起こしてちょうだい」
家政婦長による謎のアドバイスを受け、ランディは再び元帥閣下の部屋へ向かった。
――魔法陣紙と魔石を手に持って。
もし魔法導具で起こすとなれば、一回あたり平民の平均日収の十日分の稼ぎに相当する金額が使われることになる。
色んな意味で贅沢な起こされ方であろう。
しかしだ。しかしである。
それに元帥閣下と言えど、睡眠中に攻撃魔法を打つのだ。
怪我をしないとは言い切れない。躊躇はそれなりにある。
ランディは元帥閣下の私室にたどり着いた。
部屋に入る前にパンと手を叩き、気持ちを切り替える。
扉の先には相変わらず美貌を振りまく、元帥閣下が眠っていた。
「さて、うまくいくかはわかりませんが……」
ランディは魔法陣紙と魔石――ではなく、球体を取り出した。
自身が行商をしていた際、防犯用として持っていたアイテムだ。
いくら供給品とはいえ、損得勘定が染みついた身としては、失敗の可能性も考えると安易には使いたくない。
「行きますよっ――タマネギスメルッ!!」
文字通りタマネギに似た形の煙玉を地面に叩きつける。
するともくもくと煙が立ち上がった。
説明しよう。
この防犯アイテムはタマネギから出る物質を利用しており、包丁などで切ると成分が気化し目や鼻の粘膜に作用する。
普通の起こし方が無理なら、臭いや刺激から起こそうという魂胆である。
なんという安心、安全な方法なのだろうか。
だが――
「うぐっ……」
うめき声をあげたのはランディの方だった。
涙を浮かべながらハンカチで鼻を押さえる。
今までこの煙玉を使っていたのは屋外である。
室内が煙で充満されると自身にも影響があることを完全に忘れていた。
鼻も目もじわじわと刺激される。
――くっ、こちらも被弾してしまいましたが、これならいくらなんでも起きてくるでしょう。
ランディはごっほごっほと咳き込みながら、心の中でガッツポーズを取った。
「ん……、ぅ……」
すると元帥閣下の眉間にしわが寄る。
――やった!
むくりと元帥閣下が上半身を起こした。
目をこすり、うつらうつらと揺れている。
この環境を作ってしまったことを申し訳なく思いながらも、起き上がったことに感激した。
しかし――
「浄化」
元帥閣下は項垂れたままそうつぶやいた。
突如として部屋に一本の小さな渦が現れる。
渦は煙を吸い込むと、部屋の淀んだ空気を洗浄した。
計画は失敗。次の手に移ろうとしたところ――地面が揺れ出した。
「げほ、ぶえっ、な゛、な゛に゛!?」
今度は窓やドアがガタガタと音を立てる。
元帥閣下が繰り出した渦がだんだんと大きくなり、ランディの身体を取り込もうと風の威力が増した。
もしかしたら異物が消えるまで、成長し続けるかもしれない。
肝心の元帥閣下の視線は、相変わらず布団に固定されている。
部屋の様子は全く気にならないようだ。ただ起き上がっているだけ。
――あと一歩、あと一歩何か、気を引くようなことをしなくては!